盛岡タイムス Web News 2014年  4月   7日 (月)

       

■  〈幸遊記〉169 照井顕 永野貴子のウオーク・ドント・ラン


 「夏の終わりに」「希望の光」。東日本大震災のあった2011年に陸前高田で書いた曲。そう言って、開運橋のジョニーでピアノを弾いてくれた永野貴子さん(43)は、電気技士だった父の転勤で小学生の時1年間、大船渡市末崎小学校に通ったという。当時住んでいた家は津波で流された同町太田団地の入口付近だったらしい。実家は盛岡市。

  ピアノが大好きでたまらなかった子どもの私を見ていた両親からは「ちゃんとした仕事に就きなさいよ」と言われ、そのはざまで悩んだ彼女は、盛岡三高をドロップアウトし、ピアノを猛練習。親には理系の学校に行って将来は研究者になりたいからと、単身アメリカに渡って「ウイスコンシン大学」に数学で登録したのだったが、大好きなピアノならAを取れるかなと思い、試験の時「目の前に楽譜を置いてくれたら何でも弾きます」と言ってたら、ラッキーなことに「メンデルスゾーンの無言歌集」と「モーツアルトのソナタ」だった。楽勝! と演じながら弾いたら合格。弾ける日本人が入って来たとうわさになったらしい。

  ところが、先生はとても大きな手をした方で、彼女の手を見て、そのあまりの小ささに、教室の先生にはなれても、ピアニストにはなれないと言われ、諦めざるを得なかったらしい。だが、持ち前の負けん気で親に誓った数学と自分のためのピアノで単位を取ってから、親には期待に添えなくてごめんなさい、でもやりたいことをやりたいと言ったら許してくれたのだったらしい。

  そこで思い付いた楽器がマリンバ、また一からやり直しなのだが、ピアノの鍵盤を大きくしたようなものと挑戦したらこれまた合格。そしてその奏法をマスターし、きわめたと思ったら、「マリンバの先進国は日本よ、すごい演奏家も日本人よ」と言われ帰国して、さらに習った。何という遠回り!

  現在彼女は大阪に住み、作曲をしながら6つのマリンバ教室を開いて教え、時折、ジャズ演奏もするし、歌伴もするという。「そう言えばウイスコンシン大学にはジャズ科があったのに、当時は興味なくスルーしてしまった。今思えばもったいなかった! 私って本当に遠回りばっかりなの」と笑いながら、17歳の時に作ったという「無題」を弾いた。なんと、それは、ジャズっぽい曲なのでした。
(カフェジャズ開運橋ジョニー店主)


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