盛岡タイムス Web News 2014年  4月  23日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉381 伊藤幸子 「おくのほそ道」


 あやめ草足に結ばん草鞋の緒
                 松尾芭蕉

 芭蕉と曾良が塩竈神社を訪れたのは元禄2年5月9日(陽暦6月25日)の午前6時ごろだった。神韻渺茫(しんいんひょうびょう)の陸奥一宮の社殿のたたずまいはいかばかりであったろうか。

  現代版「おくのほそ道」をたどる思いに、三田完さんの小説「俳魁(はいかい)」を読んだ。「私は誰の息子なのか」「声を喪った俳壇の重鎮と、記憶の中の母、震災を機に二人の過去が露わになってゆく」と、煽動(せんどう)的なオビの文言。

  2011年3月11日午後2時46分。人々はどこで何をしていたろうか。小説家、大友玄は渋谷道玄坂に近い某所で、出版社の女性編集者と会っていた。貴恵の勤める安曇野(あづみの)書房は俳句短歌の出版が専門で、22日には文化功労者窪嶋鴻海氏の祝賀会の予定だった。場所は丸の内の東京会館。それまでに地震の混乱が静まっていればいいのだけれど―。

  地震の2日後、大友の家に薄型ハイビジョンテレビが届いた。7月でアナログ放送は終了だ。14日、福島第一原子力発電所では1号機に続いて3号機の建屋が爆発した。この日から関東各地では計画停電が始まった。枝野幸男官房長官の記者会見や菅直人総理大臣が東京電力本店で清水正孝社長らと危機対応に当たる事故対策統合本部の設置を決めた。

  さて地震に恐れをなして外出を控えている人も多い中、窪嶋宗匠の祝賀会は華やかに開催された。その会場で、母大友冴の作品を知る老人と出会う。昭和37年ごろの俳句誌「朱夏」の句会や大会の写真も見せられる。美しい母、才知に満ちた作品群。しかし母は大友の高校2年の時に46歳で病死している。

  そして父は「冴子遺品」と記した大きい箱を残して、この大震災の年の6月に88年の生を閉じた。母の生前には俳句など見向きもしなかった息子が遺品のノートを読むうちに、作品内容とその背後の文人たちとの関わりを知りたいと切望するようになる。

  9月28日、大友玄は窪嶋宗匠と二人で、これから「おくのほそ道」の旅に出る。はたして若き母と宗匠の文芸の軌跡は明らかになるのか。この同行二人に加えて実に魅力的なタクシー運転手が登場する。筆談しかできない宗匠をいたわって男三人のちぐはぐ道中、グルメ場面もあり被災地石巻の活気が伝わってくる。

  句会の丁丁発止のやりとりもいい。そして作中おびただしい俳句の羅列。これをすべて三田完さんが創られたのか。あまたのトリックの中できらめく俳句群が最大の魅力であり謎である。

(八幡平市、歌人)

  


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