盛岡タイムス Web News 2014年  4月  24日 (木)

       

■  明治天皇との関わり示す 私邸が行在所の菊池金吾 盛岡で機業場操業の実業家 遺族が市へ資料87点を寄贈


     
  金吾に関する貴重な資料を寄贈した菊池貞武さん(右)と富美子さん  
  金吾に関する貴重な資料を寄贈した菊池貞武さん(右)と富美子さん
 

 盛岡市に機業場を開設した明治期の実業家、菊池金吾(1812〜1893)に関する貴重な資料が、金吾のやしゃごの菊池貞武さん(77)=東京都在住=から盛岡市へ寄贈された。銀盃や掛け軸、書など87点にわたり、特に明治天皇と関連のある品が大部分を占める。明治天皇は2回の東北巡行の際、いずれも行在所として金吾の私邸に泊まっており、機業場の開設についても高く評価していた。23日には菊池さんと妻の富美子さん(75)が同市内丸の市役所を表敬訪問。菊池さんは「貴重な資料ということが分かり、お役に立てたようでほっとしている」と話していた。同市本宮の市先人記念館に収蔵される。

  菊池金吾は現在の花巻市大迫町の出身で、盛岡藩では第13代藩主南部利済(としただ)に抜てきされ、勘定奉行や金山御用掛など役職を歴任。明治期には地元の殖産興業を図るため、現在のプラザおでって(盛岡市中ノ橋通)付近に織物業を行う機業場を開設。盛岡藩士の子弟らに技術を習得させた。

  同市南大通1丁目の杜陵老人福祉センターの庭園は当時、金吾の私邸の庭で「賜松園(ししょうえん)」と呼ばれている。明治天皇は1876(明治9)年、81年に東北巡行で盛岡に訪れており、2回とも金吾の私邸に宿泊。81年に泊まったとき、前回も見た見事なマツを思い出し「見馴松」と命名した。

  84年に火災で見馴松が焼失。それを知った明治天皇から、金吾にマツの若木が下賜された。これを受けて庭園は、賜松園と名付けられたという。

     
  明治天皇が機業場開設をたたえ、金吾に下賜された御賜銀盃  
  明治天皇が機業場開設をたたえ、金吾に下賜された御賜銀盃
 


  市役所を訪れた菊池さんに対し、谷藤裕明市長が感謝状を贈呈。機業場設立の功績をたたえ、明治天皇から下賜された銀盃、見馴松の逸話を記した書など、寄贈品の一部も披露した。金吾と明治天皇の関係を示す貴重な資料であり、今後の活用が期待される。

  菊池さんは「資料は昨年、100歳の天寿を全うした母の元に残っていたもの。先人記念館にも相談し、私蔵するよりも、活用してほしいと思い寄贈した。何かの機会に使っていただければ幸い」と話していた。

  谷藤市長は「寄贈に心から感謝する。近代の皇室研究においても貴重な資料。市として今後も顕彰活動を行い、皆さまに業績を知っていただけるよう努力していく」と話した。

  市先人記念館では24日から2カ月間、寄贈品の特別展示を行う。
  


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