盛岡タイムス Web News 2014年  4月  27日 (日)

       

■ 〈ジジからの絵手紙〉61 菅森幸一「多言語教室」

 

     
   
     

 終戦で、多くの人々が外地から故国へと帰ってきた。盛岡にも主に北方からの引き揚げ者が生活の場を求めて移住して来たことは前に話した通りだ。だから当時の学校はそういう人々の子弟で膨れ上がり、ジジの学級でも常に70人を超えていたんだ。

  盛岡に永住しようとする人々もいたし、次の目的地への移動の待機場所として一時的に盛岡に住む人々もいた。短ければわずか1カ月くらいで転校していく級友だったが、出生や生活歴もバラバラで、今まで経験したことのない衝撃的な言語によるクラスメートとの付き合いが始まった。

  戦時中から盛岡に疎開していた首都近辺からの子どもたちは当然のように江戸弁でまくし立てるし、樺太(サハリン)から帰って来た子は時々ロシア語らしき言葉で皆をけむに巻いたりしていた。

  そんな時、朝のHRで皆で交代でお話をすることになり、大阪生まれのT君は関西弁で「桃太郎」を面白おかしく披露し大評判になった。当時、エンタツ・アチャコという上方漫才師が大人気で、それに刺激されたのか毎朝のT君の大阪弁の話が待ち遠しくてならなかった。しかし、そのT君も盛岡には何日もいなかったと思う。
 


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