盛岡タイムス Web News 2015年  1月  8日 (木)

       

■  〈風の筆〉83 沢村澄子 美人とは何か


 わたしは3姉妹の長女なのである。三女と母はうり二つ。次女とわたしと父でうり三つ。ここで明暗が分かれた。母が美人なので三女も美人である。彼女は子どもの頃から「フランス人形みたい」「かわいい!」などの賞賛を周りからザブザブ浴びせかけられながら育った。

  宿題をしている姉2人に向かって「そやそや。姉ちゃんらは顔で生きてけるタイプやないから、しっかり勉強しとき!」と彼女が言ったのは、三女がまだ小学校に上がる前だ。その後、その顔を武器に?銀行の受付に座り玉のこしに乗った。

  次女とわたしは本当によく似ているが、母いわく次女は色が白く肌のキメは3人の中で一番細かいと。「スミチャンが問題や」が母の口癖で、「でもまぁ、心配せんとき。年頃なったらキレイになるから」と言い続けたが、わたしが二三歳の夏に「この子の年頃、一体いつやったんやろか?」と、大きなため息をついた。

  その後は「ええか。明るうしとくんやで。愛想ようしとき。いつもニコニコ笑うてな。こっちから先にあいさつしてな」と諭しては「スミコはホンマに色は黒いし、ホクロはようけあるし、この子だけは水飲んでも太るし…」と、器量の悪い娘の先行きが心配でならない様子だった。

  友人が双子ちゃんを産んで、3歳のその双子ちゃんを連れてはるばる新幹線に乗って盛岡まで展覧会を見に来てくれたことがあって、驚いたのは、二卵性だとかで、その双子ちゃんが全く似ていなかったこと。一方は本当に目を疑うくらいピカピカに愛らしく、周りの大人たちの絶賛に愛想よく応じている。3歳にして、周りが自分を喜んでくれていることが分かるのだ。わたしはこのことに驚いた。また、3歳にして、比べられて暗くうつむくもう一人のいることにもまた、驚いた。

  その双子ちゃんもこの春には大学生になるのだそうで、その後、一体どんな成長、変化を遂げたのか会ってみたいような気がしているのだけれど、ここで一足飛びに本稿のタイトルに対する答えを呈するなら、美人って、自分を美人だと思っている人のことだと思う。そしてそれは、周りがそう思わせたもの。さらに「私は美人です」と振る舞われると、いよいよ周囲もそう扱わざる得なくなって、逆もまたしかり。わたしはまず母の心配とため息で、不細工の自認を深々と掘り下げた。

  美人不美人の問題だけではない。自己評価の低い人は、周囲から否定的に扱われることが重なるうちに、そう自認してしまっての悪循環。ますますそうなっていく傾向があるような気がするし、逆に、周りからちやほやされ続けるうちに、人間だんだんその気になってくるものでもあるような。実体なんかないのよね…。カンチガイじゃありませんか?と言いたくなるような自認もまた往々にして見かける。

  さらにこの年になってしまうと、もう容姿もなんもかんもあったもんではありませんでして、サ。毎日生きてるだけで必死です!

  ところが、八〇歳を過ぎたのに、母にはそんな気配はみじんもなくて。今も毎朝2時間くらい?は鏡の前に座って丹念なお化粧。あぁ、この執念の度合いを美人の定義にしてもいいかしら…、と先日思ったのでした。
  (盛岡市、書家)


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