盛岡タイムス Web News 2015年  1月 15日 (木)

       

■  〈風の筆〉84 沢村澄子 あひるの「あ」(1)


 小学校に入学の春、新しく買ってもらった学習机の横に、「あいうえお」表が貼られた。右上の最初の欄には大きく「あ」と書いてあって、そこには「あひる」の絵も描かれてあった。

  わたしは母に「なんで『あ』から始まるん? あそこに『あひる』やなくて『ぶた』の絵が描いてあったら、『ぶ』から始まるん?」と聞いた。母は答えなかった。「あひるの『あ』とあゆみちゃんの『あ』は同じなん?」母は泣き出した。それから「困った子が生まれた」と、母はわたしとの対話を避けるようになった。

  学校が始まってすぐに、わたしは引き算でつまずいた。できない何人かが放課後残されて、まだ1年生は給食がなくて本来、午前中で帰されるところを、弁当持参で午後に引き算を習った。最初は10人近くいたのが、日に日にその数が減って、たまたまわたしが忘れてきた弁当を母が届けに来たその日、居残りは1人。自分の娘だけ引き算ができないことにショックを受けたらしく、母はその教室で大声で泣いた。

  泣いている母を見て「分からなければ」と思ったのだ。正確には、「分からないことを諦めなくては」と覚悟した。もとより、先生が説かんとしている引き算のシステム・やり方は了解していたから、その日からおとなしく黙って計算をした。

  しかし、わたしは納得したわけではなくて、「引く」ということがどういうことなのか、その概念が分からずに苦しんでいたのだ。母を泣かせないように全てテキトーにをモットーに、考えないから大学受験までとりあえずの程度にはこぎ着けたが、自らの問題は何一つ解決できていなかった。

  盛岡に引っ越してきた20代の半ば、家庭教師のアルバイトで、生徒の教科書にある篠原勝之さんのエッセーを読んだ。鉄のゲージツ家を称する篠原さんも、やはり引き算ができなくて、学校に行けなくなり、押し入れで編み物をして過ごしていたのだという。そんなある日、毛糸の編み目を一つ落としてしまって、その瞬間、「引く」ということが分かった、という話だった。

  「そうなのよね」とその時わたしは思った。本来、そこまで、「その時」まで、を待つことが重要なのだ。分かるには。けれど、試験もあるし、母も泣くし。

  毛糸の目が落ちたからって、それは「引く」なのか。なくなることと引くことは同じなのか、なくなるって一体どういうことなのか、を、篠原さんのエッセーを読んだその日からずっと、わたしはもう20年以上も考え続けている。それでもまだ「その時」は来ない。

  あひるの『あ』とあゆみちゃんの『あ』は同じなんだろうか?あなたの『あ』と愛してるの『あ』は同じなんだろうか?「あいうえお」表がもし「ぶた」から始まっていたら、「ぶひはへほ」表になるのかしら?

  実は今も分からないことでいっぱいの、不思議なわたし。
     (盛岡市、書家)


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