盛岡タイムス Web News 2015年   1月   21日 (水)

       

■  〈花林舎流庭造り─よもやま話〉24 野田坂伸也 園(その)と庭


     
  「外光の下の心地よい場所」って、こんなところかな  
  「外光の下の心地よい場所」って、こんなところかな
 

 これから数回「庭とは何か」というテーマについて考えていくことにします。ただし、「〇〇とは何か」という問いに答えるのはテーマが何であれとても難しいことですし、ともすれば仕事をしていくのには役に立たない抽象論になってしまいやすいので、自分の仕事に関することでこのようなことを考えている人は少ないと思います。しかし、庭造りに関しては幸いなことにシンプルで明瞭な定義を考えてくれた人がいます。10年ほど前に亡くなった野澤清という人の言葉です。ただし、野澤さんの考え方は大多数の庭師さんにも、大きな公園などを設計するコンサルタントや造園業者にも、また金持ちの発注者にも、おそらく受け入れがたいものだと思いますが、私自身はこの思想と同じような感じ方で庭を造ってきたことが、この頃になって分かってきました。野澤さんは「園(その)学のすすめ」という本で庭について次のように言っています。

 〇庭は園(その)から始まった。「園とは外光の下でアメニティー(心地よい)を感じる場」である。園を造るから「造・園」である。

  〇「造園」には園(その)化の造園≠ニ庭化の造園≠フ二つの流れがある。

  〇「その」から始まった「庭」は「その」と「庭」の2派に分かれ、「庭」は世界中どこでも権力者、富者が造る時代が長く続いて自己顕示の一つの手段となった。壮大、華麗、豪華を競うようになり、デザインや技術の面では模倣と前例踏襲(形式化)が常態となった。このような庭を私は認めない。

 つまり、野澤さんはバブル経済のころ特に目立った金にあかせた日本庭園や、アメリカの公園をまねた豪華絢爛(けんらん)たるデザインの大公園などを、くだらない、と否定しているのです(このような思想には多くの造園家は非常な反発を覚えるでしょう)。

  しかし、野澤さんのこの定義は誠に単純明快で分かりやすく、私の信条には合っているので、私も「造園とは外光の下で心地よさを感じる場を造ることである」と定義することにします。先日、久しぶりに「園学のすすめ(造園を哲学する)」を読んでこの文章を目にした時、私は近年あれこれ迷うことが多くなっていたことから解放されて「これで気楽に考えて庭造りを続けられる」と思いました。哲学―根源を考える学問―はやはり必要なのです。

  ただし、定義が決まれば後はすらすら庭が造れるかというとそんな簡単なものではなく、人によって心地よい≠ニ感ずるものが違いますから、ある人はガーデニングスタイルのその≠選び、ある人は雑木の庭タイプのその≠ェいいかなと考え、ある人は農家の庭&翌フその≠造ります。

  次回は心地よい場所はどのようにして見いだされるか、どのようにして造られるか、について考えていくことにしましょう。



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