盛岡タイムス Web News 2015年  9月 2日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉451 伊藤幸子 「同じ話」


 また同じ話などと言はずほのぼのと語る老後でありたかりしよ
                                          伊藤 幸子

 ものを書いていたら、ホチキスの針が飛んだ。ここは食卓、食品の中に入ったらまずいなと思い目をこらすが見当たらない。再び書いていて、ふと足のかかとにチクッと異物の当たる感触。なんだ、こんなところまで来ていたのかとコの字型の針を拾い上げた。

  食卓の下、おそろしや、週末念入りに掃除をしたのに、もうホコリ。なんとクモの子たちまでがみずみずしい網目のテントを作り始めている。親グモが白い袋を背負って走るのをまれに見るが、あれの中から何匹の子が生まれるのだろう。それらはまだ生き物というよりも細かい点々で細い糸にしがみつき、巣作りの共同作業にいそしんでいる。

  いやそんな博愛精神にひたってばかりもいられず、ハエたたきでからめ取る。パシッとたたかれないだけでも幸せかと(思わないだろうが)庭の露草に放してやった。

  このほど恥ずかしい雑文集を出版し、多くの方々から電話や手紙を頂戴した。416編の作品に筆者の感想を述べたもので、よく8年もの間(現在も)掲載を続けてくださると、何より盛岡タイムス社に感謝である。

  筆者が常に心がけていることは、「同じ話をしないこと」。例えば、けさのクモとの出合いのように、身辺の小動物との関わりもいっぱいある。出合ったのはけさのこと、それに付随するもろもろは付け足しで新鮮さに欠ける。

  同じ話もうんざりだけれど、話の腰を折られて鼻白む思いをすることもしばしばある。あるとき、私が郡上八幡の駅の話で、「百の請願より一乗車」とのポスターを語ろうとすると、ある方が「ア、郡上八幡ってどこだっけ?俺も聞いたことある」と、たちまちご自分に方向変換してしまわれた。着地を失った鈍行列車はいつまでも未消化の線路をさまよった。

  随想集の泣きどころは、再読に耐え得るかということ。つまりは「同じ話」に行き着くのだけれど、誰しも再読は興味なく、「それ聞いた」と分かると素通りしてしまう。

  でも、四季の中でたまらなくある詩歌が、文節が恋しくなるときがある。そんなときは、私は雑多な書架をかき分けてその抄を見つけ出し、声を出して読み上げ暗誦する。

  掲出歌は、この欄に初めて登場する拙歌。ナニ、同じ話もいいじゃない。同じ場面で泣き、笑い、ほのぼのと語る老後を知らずに逝ってしまった夫が思われる。
    (八幡平市、歌人)


 


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