盛岡タイムス Web News 2015年  9月 9日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉290 三浦勲夫 この道に続く

 

  「この道はいつか来た道、ああそうだよ、アカシヤの花が咲いてる」(白秋)。「この道や行く人なしに秋の暮れ」(芭蕉)。「森で道は二つに分かれた、私は人が行かぬ方を取った。それが大きな収穫となった」。ロバート・フロスト(「選ばなかった道」、米国。1874│1963)。

  雫石川の舟場橋南端から滝太(たきた)橋南端を結ぶ農道。数年前までは土の道で、ほこりが舞い、雨が降ればぬかるみだらけだった。今は舗装されたが、行き交う自動車がほとんどない。歩く人もほとんどない。その約1・5`を歩くと、いくつもの「あの道」が思い浮かぶ。そこを自分が歩く(走る)と言っても、年に1度かどうか、だが。

  60代までは走った。自宅から繋温泉に至る11`余りの中間部分である。70歳でやめたが、今年5年ぶりに通った。今度は歩いた。歩きながら、いくつかの詩を思い出した。歌では「マイ・ウェイ」を思い出した。「この道」が時と場所を超えて、あの時、あの土地の、いろいろな道に出る。

  長距離走には多少の自信があった。小学6年や中学時代のロードレース(15位、9位)、高校での途中棄権(受験勉強後)、大学では1500b計測(3分台)、岩手大勤務中は大学(16位)と盛岡市民のロードレース、留学中は北ロンドン10マイル・レース(14`余り、1時間15分)、退職後は「独走」。今年8月28日は、「独歩」となった。稲穂の香り、農業用水が草陰をコポコポ流れる音、緑のイガ栗。変わらぬ山河、そこを行く水と時と生物は刻々と去り、消える。思い出とDNAを残して。

  「今、ここ」を行く。同じ身ながら、変わる我。北天昌寺町から諸葛川・雫石川の遊歩道、舟場橋、雫石川左岸から右岸へ、滝太橋南端までの道、太田スポーツセンター、上り坂、御所湖、繋温泉・清温荘へ。11`余りとなる。

  故障もある。40代半ばで左ふくらはぎの肉離れ、今年5月の右大腿骨関節の痛み。回復を待って、運動量を控えた。平地歩き、平地走り。やがて妙案を得た。繋温泉まで歩くことである。そして、この日、決行となった。

  走馬灯は回る。児童期からの私的記述をお許し願いたい。一関市萩荘にあった競馬場で、町内児童の一周レース。一関小学校ロードレース(校庭、上の橋、磐井川左岸、磐井橋、広街(こうじ)、校庭)。岩大付属中(校庭、岩山口の上り下り、山賀橋、中津川右岸、学校)。盛岡一高(校庭、材木町、菜園、下の橋、十三日町、上の橋、本町、上田通り、校庭)。東京外大「体育」の1500b(校庭)。岩大生とのロードレース(大学から繋温泉・愛真館)。盛岡市民ロードレース(太田橋西端から繋温泉・愛真館)。北ロンドン10マイル・レース(北郊ヘンドンの旧貴族庭園、トレントパークを3周。日本郵船の尾城さんの車で行った。ミドルセックス大学がある。参加者は陸上クラブ員で全員が速かった)。

  走馬灯は「歩馬灯」ともなる。終戦後、玉山・日戸(ひのと)から盛岡仁王新町(旧称)まで家族4人で歩いて引っ越した。私6歳、妹4歳。8`か。それ以上か。シリアからドイツを目指す、難民の歩行をニュースで見るたびに思う。その他、長距離の遠足、登山。自分は歩き嫌いの子で、よくも日戸から歩いたものだ。戦後最初期の記憶である。
(岩手大学名誉教授)


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします