盛岡タイムス Web News 2015年  10月 1日 (木)

       

■  〈風の筆〉120 沢村澄子 「お茶の花」


     
   
     

 茶花を「ちゃか」と読めばお茶の花のこと。「ちゃばな」と読めばお茶席で生けられる花のこと。だそうだ。茶道には全く縁がないが、秋の茶花といえばシュウメイギクやホトトギスが浮かぶ。今、わが家の庭にはミズヒキが赤い。リンドウやキキョウもまだわずかに残っている。

  その中に低く立って、白い花を咲かせているのが、今年の春に植えたお茶である。毎朝野菜を買いにいく店の入り口に、ある日、お茶屋さんが出張販売に来ていて、そこで買ったお茶の苗。「珍しいもの売ってるわねぇ。暖かいところのものだと思ってた」と言ったら、「松園のウチの庭でも育ってますから、盛岡市内なら地植えにしても大丈夫!」だと言われた。

  それで植えてみたところ、白い花が咲いたのだ[写真]。一輪、二輪、三輪、四輪。「山から白い花を机に」昔よく書にした山頭火の句を思い出した。

  その白さも印象的であるのに加えて、形状もまた少し変わっている。花が開いたところでその径は2、3aと小ぶりなのだが、そこからぼうぼうとしべが出ている。めしべかおしべか知らないけれど、本当にぼうぼうと、あふれんばかりに飛び出す、その黄色い迫力には少したじろぐ。

  ツバキに似てるなぁ、と思っていたら、茶の木はツバキ科だった。血は争えないじゃなくて種は争えない、か。それにしても愛らしい花で、ただ、いつもうつむいて咲くので写真に撮るのがひと苦労。

  気まぐれに植えてみた茶の木には違いないが、そこにはちょっとした縁があった。

  最近、父の調子が悪くなると母が電話をよこす。ああだこうだと続く話に電話代が気になって、「こっちからかけ直そうか?」と言うと、「うん」と母はいつも子どものようだ。それでかけ直すと、全くそこからが長い。こっちの気力はとうに尽きているのに、母の体力は一体どうなっているのか。しゃべってしゃべってしゃべり続けて、「もう寝る。もうアカン」と、わたしが音を上げるまで、本当にエンドレスの母の根性。そういえば子どもの頃、「アンタは気が弱い」「気が弱い」と叱られながら、「そやけど、ワガママ言わん子や!」と育てられたっけ…。

  そんな、泣いたり怒ったり延々と続く母の嘆きの中に、お茶の問題もあった。

  誰も住まなくなった父の生家を売りに出したら、ありがたいことに売れて、そこはこの7月から横浜の人の別荘になったのだ。父は随分寂しがって、「それでもお父さんに八つ当たりされるんや」とぼやく母は、「お茶も困ったわ。お母さん、嫁いでから50年以上あのお茶しか飲んでへんかったから、今さら何飲んでエエか分からへん」が悩み。和歌山の父の家には茶畑があった。そういえば、わたしが育った大阪の家では、母がそれを台所で煎るたび、家じゅうにその香ばしい匂いが満ち満ちていた。

  「ウーロン茶でも煎茶でも番茶でも緑茶でも何でもエエやん。マテ茶でもセイロンでもプーアールでもジャスミンでも何でも自由に飲んだらエエんや!」と言ってみたいけど、気の弱い娘にはやはり言えず。時は止まらないのに。それで何も言えないまま茶の苗など買ってきて、盛岡の庭に植えたりする。

  この小さな花にも実がなるのだそうだ。こんな寒い土地にいて雪に埋もれても、また春、次の春と、白く数えていくのだそうだ。
     (盛岡市、書家)


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