盛岡タイムス Web News 2015年  10月 15日 (木)

       

■  〈風の筆〉122 沢村澄子 「不思議な人間」

 
 不思議なものだ。人間というものは。朝から布団の中でそんなことが思われるのは、ここしばらく休みなく続いている仕事のせいだ。間近に迫る締め切りに間に合わせなければと、夢の中でも頭はそのことばかり。

  そこではまったく多くの人にお世話になっているのだが、その中でも最も若い30歳の青年が、今、日々わたしの右腕であり、頼みの綱なのである。彼のお母さんとわたしは二つしか違わないそうだ。息子ほどの年の青年にいたわられながら、手を引かれるようにして、越えがたい無知の山を、未知ではない無知の山を、一つ一つ越えていく。

  幾つになっても世界は茫洋(ぼうよう)と広がっていて、周囲は分からないことだらけ。右に迷い左に転んで頭を抱えたはずが、いつの間にか膝を抱えて座り込むこと数日。

  これでは間に合わなくなって当然。昨日の東京の営業さんからのメールには、「焦って転んでケガをなさいませんようお気をつけて」なんて書かれてあった。

  不思議な30歳の青年はこの春、パパになった。息子が生まれた。今どきのパパは育児もやる。家事もやる。親の手伝いもする。もちろん会社にも行っている。揚げ句、わたしのことも助けたりして、いつ寝てるのかしらんと思っていたら、とうとう胃腸炎で倒れたって。不死身な人かと思っていたから、まだ30なら無理も平気かしらとふんでいたから、日頃元気の塊のような彼の口から、コンコン小さなせきが出るたび、どうしていいか分からなくて、しかし決まって、彼は「僕は大丈夫です」としか言わない。

  その青年とはこの3カ月ほど、ほぼ毎週打ち合わせで会っていた。不思議なのは、その夜、その青年に会った夜、台所で皿など洗っていると、決まって彼のことが思い出され、そしてわたしが反省をするのだ。

  わたしが間違っている。わたしの間違いだった。漠然としたそんなことが何度も何度も洗剤の泡に消えてゆき、その最後にはいつも、まな板を力いっぱい、ごしごしとこすった。

  もちろん彼に説教されたことなどない。この世に正しさなんてないだろうと思っているわたしでもある。それなのに、彼を正しいと思う。彼の正しさに打たれてしまう。ぐうの音も出なくなる。彼が正しいから。

  いつの間にか、いつも、魚をさばきながらこの不思議な青年の正しさとは何かを考えていた。それで、けさ分かったのだけれど、彼は多分、間違いなく、いつも、周りの人間を幸せにしたいと思って生きている。

  だから、彼に会った日は決まって、わたしは元気をもらって、前向きになる。自分のだらしなさや弱さに立ち向かおうとする少しけなげな自分になる。さんざん被った日々の汚れを、被ったままでいること自体が過ちであることに、少しだけ気づく。

  人を幸せにするために生きる。そんなことを考えたことがこのわたしにあったろうか。いずれ、けさは目が開いたとたん、こんなことが思われて、あの不思議な青年のこと、人間の不思議さが思われて、どうしたのだろう、わたしは布団の中で涙が止まらなかった。
(盛岡市、書家)


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