盛岡タイムス Web News 2015年  10月 22日 (木)

       

■  〈風の筆〉123 沢村澄子 「重心がない」


 最近、デザイナーさんや表具屋さんなど、自分の仕事の関係者に結構頻繁に言っているセリフに「重心を低く」というのがある。「重心を低く仕事をお願いします」という意味である。口うるさくなるのはいやだなぁと思いながらも、ついつい口に出る。

  湯飲みやどんぶりなど、焼きものの世界では重心を高くと聞く。同じ量を使っていても、底の方に粘土が厚いと手に取ったとき重く感じられるから、器の底は厚くならないようにするのだそうだ。同じ50cの粘土を使っていても、飲み口のほうにたくさん使われていればさほど重く感じられず、底が厚いとずっしり手に感じるというから、重心もあなどれない。

  昔、曙という力士がいたが、彼の土俵に立つ姿を見るたび、わたしはあの重心の高さが気になって、あの足の長さが気になって気になって、せめて腰を相当低くしなければ勝てないのではないかといらぬ心配をしていたが、実際、曙の成績はどうだったのか。いずれ、重心が高いと不安定だから、動きは軽快になったとしても、同時に、転びやすくもなる。

  これは書をしていても全く同じことだ。一つの文字においても重心を低く書けば安定感がでる。何文字かで構成して、一つの画(紙)面を作った時にも同様のことが言える。作品集の1nをデザインするにも、掛け軸をしつらえていくにも同じ。だから、とにかくまず、不安定を避けたいがために、取りあえず重心は低く、と言うわけである。

  しかし、重心を高くするとポップになる。軽妙な感じが出てくる。明るさも出る。動きが感じられてくる。ならば、重心が高い調和もあっていいんじゃないか、ということになってきて、その通りだと思う。実際、調和のポイントは無数にあるのだから、その無数の中から、どれを選択するかが書家や相撲取りの一瞬一瞬の仕事の中身であり、面白さであり、それが逐一の結果となっていくのである。

  ところで、松岡正剛さんという方が、何かの折に、「良寛の書は打点が高い」ということおっしゃっていた。この一言にわたしはちょっと違和感を覚えてしばらく考えていたのだが、良寛の打点は高いというより遠い、もしくは打点がない、のではあるまいか。松岡さんのおっしゃる真意がつかみ切れず、また、単に日本語の使い方の相違なのかもしれないけれども。

  それで、打点がなくなるのだから、重心もなくなるのよね、と思うわけである。夕べ、サンマをさばきながら、一人そんなことを考えていたら、電話が鳴って、サンマの油でギトギトの手を慌てて洗って受話器を取ると、ノン気な声の日本画家だった。「スミコちゃん、何してた?」「えっ、サンマ?」「刺し身?いいなぁ…」「重心?」「はぁ、そうねぇ…。そういえば、太極拳のN先生がサ、『太極は無極だ』って言ってたよ」。

  それで、2人でしばらく、今年のサンマは小さいよね、とか、中国人が大型船でごっそりサンマ獲ってるってホントなの?とか、アタシタチそのうちサンマ食べられなくなっちゃうなんてことないかしら、とか、サンマは刺し身にすると可食部が一気に減ってもったいなくて仕方なかったんだけど、今まで捨ててた骨やら何やらみんなカリカリに焼いちゃうと、これがまたオイシイの、とか何とか話し合って、ひとしきり大いに盛り上がった。
     (盛岡市、書家)


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