盛岡タイムス Web News 2015年  10月 29日 (木)

       

■  〈風の筆〉124 沢村澄子 「考えなし」


 考えなし、苦労なし、社会性なし、単純。と評されたことがあって、そう言った美術館の館長さんはさらに「あなたみたいな人(の展覧会)、二度とやらないわ」「人間性に問題があるのよ」とまで言い切った。さすがにわたしは口がきけなかったが、あちらがわたしの理解に苦しんでいるのは本当らしく、周囲にも「沢村は何を考えているか分からない」と常々漏らしておられるよう。しかし、わたしが書いた「月」という字のハネを「これはハイヒールのかかとを表している」と来館者に説明しておいて、「私が分からないものを書かないでちょうだい!」と怒鳴る。書き直しを命じる。それをひたすら我慢していたら、ついに吐いてしまった。トイレまで間に合わず、走りながら嘔吐(おうと)。随分昔の話だ。

  その直後、「社会性って何だろう」って人に聞いたら、「例えば、電話に出るとき声が変わるってことでしょう」と言われて、そういえばわたしは声が変わらない。それで、「わたし、やっぱり社会性がないのかしら」と言ったら、「社会性とは何かと問うこと自体が社会性のない人間のやることだ」と。

  これにはまさに、なるほどねぇ〜、と膝を打った。

  脳の研究をしている人から脳の中を見せてくれと言われたこともあって、その人いわく、音楽や絵画の仕事は主に右脳の領域。逆に、文学では左脳がよく使われる。のだそうだ。それで、絵画のような平面芸術であり、音楽のような時間芸術であり、さらに文学を題材にしている書はその両方にまたがっているから、それをしている時の脳はどうなってるんだ、というのがその研究者の興味のようで、しかしその時、「もっとも、沢村さんて、ボール来ました、バット振りました、当たりました、って感じの作品だもんね。考えてない脳なんだよね」と言われて、そうか、考えてないのか、そうか、もし本当に考えてないなら、人から「何を考えてるか分からない」と言われることも当然、と、その時、初めて安堵(あんど)した。

  きのう、ふらりと盛タイさんに寄ったら、デスクに「新聞記事は情報整理を念頭に置くせいか、どうしても文体が定型化しがちなんだけど、沢村さんは湧いてくる感じ?」と聞かれて、そりゃぁ、新聞にはその使命があろうからそういうものなのでしょう、と答えつ、えっ、じゃあ、わたしの使命って何だろうと疑念が湧いたが、「はい。湧いてくるのを書きつけてる感じ」だと答えた。きょうもまさにそのものその通りで申し訳なく、どこに着地するか主題が何かも、今現在本人にして分からない書きぶり。

  と、そしてその今思い出すに、10年ほど前、酒造会社の社長さん夫妻と飲んでいて、突然、「筆はどうやったら使えるのか」と聞かれたことがあった。とっさに、「人(従業員さん)と同じじゃないですか。使おうと思わなければ使えます」と答えたら、「酔いがさめる」と、社長さんは渋い顔。

  しかし、まず考えてるうちは使えないだろうし、要は、考えないからできること、考えるからできなくなること、があるのだと思う。

  先週、重心のことを書いたが、作文、文章にもまた重心は要らないのだと思う。考えなしの脳は。そして、それはきっと人生にもで、一度きりの人生なんだから、近くで結んで、早々完了する必要もなく、ただひたすら、大きな調和に生きればいい。
(盛岡市、書家)


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