盛岡タイムス Web News 2015年  11月 1日 (日)

       

■ 農業と観光の拠点都市へ 八幡平市合併10年 田村正彦市長に聞く

     
  合併10年を振り返る田村市長  
 
合併10年を振り返る田村市長
 


  八幡平市は3日、合併10周年を迎え、同市総合運動公園体育館で式典を行う。平成大合併により2005年に西根町、安代町、松尾村の3町村で市制に移行した。「農と輝」をテーマに建設計画を進め、現在は人口約2万7千人。初代首長として3期にわたり新市のかじ取りにあたった田村正彦市長に、合併10年の総括と展望を聞いた。

  −2005年9月に合併して10年間に、新市建設計画はどれだけ実現したか。

  田村 順調に進め、政権交代もあった時代の変化の中で新たに政策展開してきた。新市建設計画の中に盛り込んだ庁舎建設は実現した。それに合わせて、計画には無かったが花輪線北森駅の併設も実現し、計画中にあった病院の移転新築も地権者の了解があり、めどが付いた。大更駅周辺の整備は地権者の同意を得てまさに進もうとしている。水道料金の統一化も難渋したが、実現した。

  −財政の健全化は図られたか。

  田村 合併の最大の理由は財政の健全化だった。西根、安代、松尾の3町村とも財政が非常に厳しく、合併せざるを得なかった。各種基金など合併当初27、8億円が今は110億円まで、飛躍的に財政の立て直しが図られた。自主財源比率はそれほど変わらないが、合併効果では人材面で効率的に行政運営を図ったので、人件費で約100人削減し、定員適正化計画を順調に進めることができた。それが財政の健全化につながったし、合併に伴う特例債や過疎債の有利な起債の有効な利用によって再建が図られた。

 −歴史的、文化的背景が違った3町村の融和は。

  田村 建設計画には無かったが、合併に伴い大きくなることで自分たちの地域が取り残されるという住民の不安があったので、地域振興協議会の組織を小学校学区単位12地区で作った。昨年から発展的に効果を上げるため、住民のコミュニティーセンター化を図り、地域のことは地域でという考え方をまさに普及しているところだ。

  ここにきてそれぞれのコミュニティーセンターで地域振興協議会ごとの取り組みの差が出始めている。コミュニティーセンター化することによって、自分たちのところは自分たちでという意識をいかに高めるかが課題だ。

  ただ地域エゴのようなものは多少あったかもしれないが、それで突っ張って市政課題になるようなことはなかった。行政の基本として地域性を皆平等にするのではなく、地域性を生かした形にした。平等とは歴史と伝統を尊重すること。そういう意味で地域振興協議会には、その地域の歴史を尊重しながら、使い勝手の良い予算措置をし、自分たちで地域課題に取り組んでもらいたい。

  基本的には「農と輝」という合併のテーマに政策の基本がある。第一次産業と観光をメーンにした政策を今まで進めてきた。

  −震災後の観光振興も課題だった。

  田村 景気低迷や震災などの試練を乗り越え、今は震災前より多くの人たちに来てもらっているし、海外からのインバウンドも増えているし、高める方法を探りたい。国内は人口が減っているので、海外を視野に入れた展開に力を入れていくことが必要。それを受け入れる環境を急いで作っていかねばならない。

  −農業の振興は。

  田村 第1次産業的なところでは厳しい環境にあることは間違いないが、それぞれの生産者の努力で八幡平市の第一次産業は頑張っていると思う。畜産も頑張っている。ホウレンソウは落ち気味だが、それに代わり、ピーマンとか生産に取り組む人も増えているし、リンドウが天皇杯を受賞し、何年ぶりかで岩手県でも画期的なことだ。これを機にリンドウの栽培面積と品種の改良を進めていかねばならない。

  −いわて国体の成功に向けては。

  田村 冬の国体についてはもうすぐ。あまり心配はしていないが、その他の競技についてはミニリハーサル大会もあり、本番に備えて市民の方が盛り上がらなければならない。そのあたりが課題だ。(聞き手・鎌田大介編集局長)


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