盛岡タイムス Web News 2015年  11月 11日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉461 伊藤幸子 「さといもの章」


 芋煮会寺の大鍋借りて来ぬ
             細谷鳩舎

 「一番好きな食べ物は何かという質問は、それを考えるのがうれしすぎて、いくらでも時間をかけていられる。聞かれてうれしい質問というものはあるものなのだ。で、そうやって楽しんだ結果、私のそれは餅である」

  金田一秀穂著「お食辞解」より。「食べて美味(おい)しい、知って楽しい170の『お食語』たち」とのオビ文につられて読み進む。中に著者自身がどう読むのか分からないというフォ・ティヤオ・チァンの発音の料理がある。平成21年に北京に1カ月滞在の折、本で読んだ一番おいしいといわれるものを注文してみた。「仏跳牆」。これがどのくらい高級かというとその材料たるやフカヒレとスッポンとアワビとナマコと魚の肝など、それを全部いっしょくたにしてすべてを混ぜて時間をかけて作り上げたスープだという。しかもそれらは海から取ってきただけではなく、いったん干物にしてそれをゆっくり戻してから使う。海と太陽の最良のものが凝縮されて小さな壺の中に詰めこまれているというが、もう想像力も限界だ。

  作者の解説。「人が理解するのは、実は想起しているのだ」とソクラテスの哲学を引き、「何かがわかるということは、どこかで覚えていたことを思い出しているのであって、生まれて初めて食べた物なのにおいしいと理解できるのは、どこかでそれを食べた記憶があるからだということになる…」という。

  ああ、この料理は仏が牆(かきね)を跳び越すという意味とのこと。元は福建省の料理で、昔、物乞いがその辺の材料を集めて壺の中で煮ていたらあまりにうまそうな匂いがしたので、お寺の中から坊さんたちが思わずかきねを跳び越して食べにきたという話だ。本来はごった煮に近かったものに後世の人々がより珍味を加えて今の形にしたものらしい。

  おいしそうだな、食べたいなと思いながら、読み進み、「さといも」の章。かつて12年間住んだ山形では今時期「芋煮会」の最盛期だった。当時「芋煮を煮る」という表現になじめず、岩手では「芋の子汁」の芋の子ってなんだかおかしかった。私は芋の子とはムカゴのことだとずっと思っていた。うちの周辺にムカゴめしの習慣はなく、子どもたちにも作らなかった。

  秀穂先生は「母親の作る物でおいしいと思ったのは何もない」と母上の慈愛の失敗談を述べられる。一巻おいしくおかしくどの章からも博愛博識のお食語が立ちのぼってくる。
(八幡平市、歌人)



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