盛岡タイムス Web News 2015年  11月 18日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉462 伊藤幸子 「大西民子の階段」


 階段まで灯(あかり)をともし待ちをればひとりぐらゐは戻りて来ずや
                                       大西民子

 11月8日、日本現代詩歌文学館にて第43回東北短歌大会が開催された。午後の講演では日本歌人クラブ東北担当中央幹事の林田恒浩さんによる「大西民子の歌と人生」が大変興味深く感動を呼んだ。

  平成6年1月5日、埼玉県大宮市(現さいたま市)の自宅で心筋梗塞のため急逝された大西民子の生涯はさまざまな人々によって本にもなり、盛岡には歌碑も建てられて久しい。私は今回は半世紀にわたって民子のそばに仕えられた方の実録に魂が揺さぶられる思いがした。

  「現代短歌」2014年2月号に「大西民子没後二十年」特集が組まれ、そこに林田さんの「一首鑑賞」として、掲出歌が出ている。

  「大宮市堀の内町にある民子の終の住処(ついのすみか)となった家は、バス停を降り小川に沿って歩き左に曲った所だった。私は二十代の時から?々(しばしば)この家を訪ねた。玄関には姉サトの遺品の姿見が置かれ、そこから二階へと続く階段があった。この歌はまさしくこの場所が詠まれている」と、生身の民子を描かれる。

  そして私は民子の生活の場を知りたくて、「大西民子全歌集」からことに「階段」の歌を再読してみた。平成25年刊の大著は民子の全貌を知る上で大変ありがたい。平成10年、民子没後に刊行の第十歌集「光たばねて」に「まれまれにのぼりし二階誰か来て乱しし如く本が散らばる」「季節季節に鏡台の覆ひ掛け替へて冬も好きよと姉は言ひにき」がある。

  大西民子を語るとき、あまりにも肉親の縁のつたなさに慄然(りつぜん)とする。大正13年盛岡市八幡町生まれの民子は三姉妹の次女。昭和12年、盛岡高等女学校(現盛岡二高)入学。翌年23歳の姉死亡。20年、警察官の父58歳で病没。23年民子の男児早死産。24年大宮市に移住、28年「形成」同人となる。35年母カネ68歳にて病没。さらに47年、妹佐代子急性心不全にて40歳で急逝。ここに民子は全ての肉親を喪(うしな)った。

  その事実を知って掲出歌を読むとき、「ひとりぐらゐは戻りて来ずや」の意味に粛然とし、見れば二階のその部屋は誰かが本を散らかしていったようだと感じとる。かつて生者は「いつまでも待つと言ひしかば鎮まりて帰りゆきしかそれより逢はず」と詠んだ若き日。かつての夫の定位置がまぼろしの椅子となり、それでも階段まで灯をともして待つと詠む。膨大な民子山脈に「合はせたるグラスの音のかそかにてこの世を去らむ順など知れず」をそらんじて、今大会祝宴に酔った。(八幡平市、歌人)



本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします