盛岡タイムス Web News 2015年  11月 25日 (水)

       

■  〈花林舎流庭造り―よもやま話〉46 野田坂伸也 秋の終わりの落葉樹林


     
  葉の落ちた落葉樹林  
 
葉の落ちた落葉樹林
 

 木の葉が散りつくし、晴れた夜の翌朝は地表が霜に覆われるようになると、秋も終わり冬がそこまで来ていることを感じます。イギリスの庭の本には、霜は冬の庭の象徴として扱われていますが、日本の北国では霜は秋の現象であり、雪が降って初めて冬になるのだと思います(ただし、今から40年ほど前には1月になっても雪が積もらない冬がありました。小岩井の雪祭りの雪像が泥だらけになって維持するのが大変でした)。

  このころの落葉樹の森は幹と枝だけになって、ひっそりと佇んでいます。華やかな色彩がなくなり、地味で控えめな色ばかりのこの季節の森が1年で一番美しいと思う、という人がいます。葉を振るい落とした木の姿は、着衣を脱ぎ捨てたスポーツマンの体に例えることができるでしょう。そこには重力に抗して伸びる木の、合理的な力の均衡によって形成された幹と枝の形が、葉によって隠されることなく露出して示されます。春から秋にかけては木の姿の美しさはほとんど葉群の美です。それは小さくて薄い葉が重なり合った集合体の形と、季節によって移り替わる色彩があいまって作るものです。冬の木の姿はそれとは全く違うものになり、色彩は地味ですが形は鋭くまた固く、晴れた日には地表まで明るく光が差し込んでその形を明らかにします。

  秋の終わりの落葉樹林は、私たちの心を果てしなく冷たく清澄なもので満たしてくれるのですが、それが暗く沈みこんでいかないのは、枯れ木のような姿をした木の幹にも枝にも来年活動する力をしっかりと蓄えている力強さを感ずるからでしょう。もしこれらが実際に枯れてしまった木々だったら、私たちの目にこのように美しく見えるはずがありません。

     
  さまざまな種類の木の葉が散り敷いている場所  
 
さまざまな種類の木の葉が散り敷いている場所
 


  地表に隙間もなく散り重なった落葉は、晴天が続くと軽くなって少しの風にもふざけて転げまわるのですが、雨の日が続くとじっとりと濡れて柔らかくなり、地面にへばりついています。それは森の土を肥沃に保つのは落ち葉の役目だと彼らが知っていて、地表を保護しようとする意思を持っているように私には見えます。ホオノキやトチノキの大木の下は、大きな葉で覆われ、モミジ類の木の下はちりちりになって丸まった軽い葉で覆われます。さまざまな種類の木が混じって生えているところは落ち葉の景色も変化があります。1種類の葉で覆われた地表の風景と、何種類もの葉が混じりあって散り敷いている地表の風景と、どちらも趣があります。

  昨日裏山に上った時は、そよとも風が吹かず、木々は細い枝先まで全く動くものがなく、静止した絵を見ているようでした。そしてどの一画を切り取っても木々がバランス良く配置されていて美しく、ここの自然がそのように造られている(あるいはおのずとそのようになる)ことと、それをわれわれが美しいと感ずることに感銘を覚えました。

  しかし、この季節の森を見に来る人は一人もいません。


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