盛岡タイムス Web News 2015年  11月 26日 (木)

       

■  〈風の筆〉128 沢村澄子 「襖を開ける」


     
   「いろは歌」の襖の向こうには人が。そのまた向こうには「不二」と書いてある  
   「いろは歌」の襖の向こうには人が。そのまた向こうには「不二」と書いてある  

 半月の東京暮らし。個展。スカイツリーのお膝元、柳嶋妙見山法性寺での展示では、ギャラリーに作品を並べる時とはまた違った、さまざまが起こって、興味深かった。

  その最たるものが、ご法事を終えた後に寄ってくださったお客さまのあったことで(通常、法事の後に画廊に寄る人はまずないと思われる)、それは亡くなったかたの娘さんと弟さん、つまり、めい御さんと叔父さんの関係のお二人が、喪服のままわたしの作品を見てくださったのだ。

  90歳だというその叔父さんが、襖に書いたわたしの「いろは歌」を一字一字指でなぞり始めた。「い」「ろ」「は」「に」「ほ」「へ」「と」「ち」「り」「ぬ」「る」「を」と声に出して読み上げながら、読みにくい一字一字を丹念に探してくださる。「わ」「か」「よ」「た」「れ」「そ」「つ」「ね」「な」「ら」「む」…「あ」「さ」「き」「ゆ」「め」「み」「し」読みづらい読みづらい。指で探して指でなぞって…。そしてついに、「ゑ」「ひ」「も」「せ」「す」と、読み切った。

  その間ずっと、めい御さんが黙ったまま寄り添っておられて、その二人に涙はないのに、見ていたわたしの目からしずくがぽたぽた。この世にはいろんな弔いの仕方がある。

  襖の前に座って「13年間皆勤なんだ」と言った人もあって。ポケットから携帯電話を取り出すと、それを開いて奥さんの写真を見せてくれた。

  「月命日にね、13年間一回も休まず(墓参りに)来てるの」おじさんはそう言った。それから、「アンタ、こんなことやってたら金かかってしょうがないだろ」と言いながら財布を取り出して、「これ買うから」とわたしの作品集を指さし、ところが財布には2千円ばかり。「いつもはもっといっぱい入ってるんだけど」そう言いながら、その2枚を差し出してスッカラカン。「帰り、大丈夫ですか」わたしは不安でいっぱいだったが、「これさえあれば帰れるから」と、おじさんはSuicaをぴらぴらさせた。

  豆大福が2個入った小さな袋を差し出したら、「何?」「大福」「いいの?好物だ。大福もオハギも大好物!」と満面の笑みで受け取ってくれて、それで、おじさんは、わたしのカタログと、豆大福と、空っぽになった財布と、頼みのSuicaを抱えて、お寺の階段を下りていった。

  法性寺の書院はFの字に襖が入る仕組みで、去年はその縦を両面書かせていただいたのだが、今年、来年は襖が横に走ることに。つまり、奥行きのあった部屋が、年々小さく仕切られてゆく。

  襖26面全てに書をして完成を予定される来年には、ついに「いろは歌」で囲まれる部屋ができるはずで、三方の襖それぞれを開けなけない限り、行き来ができない空間となる。今年すでに、奥の部屋に入るには今年立てた襖を開けてもらうしかなかったのだが、お客さんは恐る恐る「触っていいの?」「開けてもいいの?」と当惑気味。

  襖を開けてみたら、向こうで正座してこっちを見てた人とドッキリの対面、などとお客さま同士大いに面食らうこともあったようだが、それを避けようと、事前に「襖の右端を静かに開けてください」と書いて準備していたものを、直前に下げたのだ。

  どうしてわたしはそれをタブーだと思ったのだろう。人々の世界が交わることを。

  また、自分が今、漠然と信じている(依存していると言ってもいい)目の前の世界、今、目前に現存していると信じて疑わないものたちが、実は夢・幻であることに気付く格好のチャンスを。

  襖(扉)を開ければ世界が変わる。その時、わたしたちは、自分の生きる世界が果てのない広がりの中に在ることを知るだろう。そして、空っぽになった財布の中に住まう、「夢」のことなど思ったりするだろう。
(盛岡市、書家)
  【おことわり】12月中、本連載はお休みします。来年1月中旬からの再開予定です。ご了承ください。


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