盛岡タイムス Web News 2015年  12月 9日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉303 三浦勲夫 高齢運転


 さえない話で始まるが、11月から本格的に日暮れが早まり、高齢者は運転に気を付けなければならない。11月、ヒヤッとしたことが3回あった。家族は、もう運転はやめた方がいい、と言う。ついに、その時が、自分にも来たのか、と複雑な思いである。

  薄暮運転、夜間運転は事故が多いと言われる。視力と反射神経が鈍るから、それを補うには「慎重運転」しかない。そういえば孫に、「おじいちゃん、ハンドルは両手で」と注意されたことがあった。10月だった。あの子がわが家に滞在した期間は若返ったが、疲れもした。「疲れ」が自分の年齢を物語っていた。

  孫が帰っていって、本来の自分に戻った。安堵(あんど)の疲れも出た。暗闇での視力が衰え、それがかすかな「イライラ」感ともなる。相乗効果で、「危険」が増す。体の衰えは、連想にまで影響する。掃除機をかける。モーターは「シューシュー」とほこりを吸いまくる。集塵用のバッグはパンパンである。それを連想すると、自分の胸も痛み出す。肺炎にならないか、と思っていたら、「風邪」を引いてしまった。逆に安心した。

  大腸ポリープを摘出した後、「パチン、パチン」という音がした。大腸壁を縫合する、ステープラーの音だった。それが妙に記憶に残り、パソコンマウスの「クリック」の音を聞くたびに連想が戻る。山を越え、谷を越えて、人生は続く。行く手はますます厳しくなる。本当に「おつかれさま」である。

  年齢からくるイライラ感は要注意である。しかし、世界にはさまざまな「イライラ病」がある。イスラム過激派のそれは、年齢ではない。年齢は若い。若い「揮発性」の怒りに火がつく。自分が求める理想、それを阻む現実、現実は打倒すべき敵となる。老いた人は、失った若さ、在りし日の自分の能力に、別れを告げて諦めなければならない。その「諦め」のつけ方がうまいか、まずいか。

  話し変わって、祖父たる自分は孫の成長を見ながら暮らすことになる。自分も祖父母にかわいがられた。といっても、自分はそれを意識しなかった。祖父となって、祖父の気持ちが分かる。あの祖父は私が19歳の夏に亡くなった。大学の1年生だった。孫が大学生になるまで、あと14年を自分はどう生きるだろうか。それまで生きられるだろうか。幼くても孫、成人しても孫である。今年夏から秋までの3カ月は、孫2人とこの家で暮らした。こんなことは今後はあるまい。疲れたけれども、とても楽しかった。

  生まれたばかりの孫も1年、2年と成長していく。「おじいちゃん、車で連れてってよ」。おや、今度は運転できないかもしれない。誰かに、運転を頼むのか。あるいはバス、タクシー、列車である。歩くのもいい。祖父としてできることは、誕生祝、入園・入学祝い、か。積立貯金が必要だ。幸い、妻名義の郵貯通帳があって、私がかつて積み立てた。それに加えて、また、積み立てる。「親亀、子亀、孫亀、ひまご亀」の歌がある。鶴は千年、亀は万年。どうして長生きなのかは分からない。分からないが、亀は遅い歩みながら、根気よく進む。油断をして寝込んだウサギに勝った。虎の子、亀の子、カンガルー貯金。親から伝わっていく。「親亀こけたら」にならないように。
   (岩手大学名誉教授)


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