盛岡タイムス Web News 2015年  12月 30日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉468 伊藤幸子 「思い出袋」


 
 
 物忘れしげくなりつつ携へて妻と行くときその妻を忘る     宮柊二

 「八十歳になった。子どものころに道で会った、ゆっくり歩いている年寄りを思い出す。その身ぶりに今の自分が似てくると、その人たちの気分もこちらに移ってくる。その人たちは一八四〇年ころに生まれた。黒船が来たときは驚いただろう…」

  これは7月20日に93歳で亡くなられた哲学者、鶴見俊輔さんの「思い出袋」の一節。南満州鉄道総裁で政治家だった後藤新平の孫で政治家鶴見祐輔の長男。姉の社会学者の和子さんともども思想の科学研究会での活躍は社会の注目を集め、水沢の後藤新平記念館には何度も来館されている。

  本書は1922年生まれの作者の90年余の人生を振り返り、80歳の2003年から09年まで、月刊誌に1話ずつつづったもので、15歳でアメリカに渡り、ハーバード大学に入学。さらに戦争をはさんで1942(昭和17)年、戦時交換船で帰国という経過をたどる。

  さて、15歳から19歳まで英語圏内に暮らした作者はアメリカ・マサチューセッツ州ケムブリッジ市の下宿人だった。女主人のマリアンさんはよく「あなたを誇りに思う」と言った。以後、帰国後の日本でこのように言われたことはなく、言ったこともないという。やがて三木内閣のとき、小学生の時からの友人永井道雄が閣僚になり、三木おろしで永井もただちに辞職して、もとの朝日新聞に戻った。そのとき「君を誇りに思う」と伝えたかったが「私の日本語にはその言い回しはない」と書かれる。

  「昭和初期、青山車庫の広大な電車のたまり場があり、いつも遊んだ。60年後その近くに国連大学が建ち、永井道雄が顧問になった」とのこと。「私は自分の内部の不良少年に絶えず水をやって、枯死しないようにしている」ともあり、鶴見少年のみずみずしさがうかがえる。

  「もうろく帖」の話。出典を記さず、自作他作の区別なく、目に付いたことを書きとめておく。「もの忘れを自覚した時からだが、それから十二年たつ」とした「高齢者が何を忘れてゆくかによって、その人の考えの根本が明らかになる」の項には考えさせられた。

  日々何を忘れ、何を忘れ残してゆくのだろうか。「私のつきあった人のおおかたは亡くなった。私は今までつきあった人とくり返し会う場所を求めている」と示す終章。偉大なる哲学者の偉大なる「思い出袋」。戦後70年を顧みて新しい年を迎えようと思っている。
(八幡平市、歌人)


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