盛岡タイムス Web News 2016年  2月 17日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉475 伊藤幸子 「火坂作品」


 わきて見ん老木は花もあはれなり今いくたびか春にあふべき
                                     西行

 2015年2月26日、歴史・時代小説の名作を多数残した作家、火坂雅志氏が亡くなられた。急性膵臓(すいぞう)炎で58歳との報に接したときは本当に驚いた。1956年新潟県生まれ、私は氏の作品はNHKの大河ドラマの原作になった「天地人」しか読んでいなかったが、ことし1月22日発行の「桜と刀 俗人西行」に魂を奪われた。

  西行はこれまでにもあまたの文人研究者によって書かれているが、今回ことに武人西行の人間像に強く引かれた。彼の武芸の師は藤原成通、蹴鞠(けまり)の達人である。もちろん詩歌管弦馬術などにも精通した数寄者(すきしゃ)としても知られるが鞠聖、蹴聖と呼ばれる域に達していた。

  成通を師と仰いだころの西行は蹴鞠も武術の「早業(はやわざ)」として鍛錬したらしい。「もののふの馴らすすさびは夥(おびただ)しあけとの退(しさ)り鴨の入首(いりくび)」私にはなじみない西行の歌だがその解釈がおもしろい。武士が身につけている技はいっぱいあるとして「あけとの退り、鴨の入首」をあげ、今も国学者を悩ませているという。それが竹内流腰廻の技の由。敵が刀を抜こうとした瞬間、すばやく敵の脇に首を突っ込み、敵の腹を刺す。それが水面にくちばしを入れて餌をついばむ鴨の姿に似ているからという。あけととは蔀戸(しとみど)のことか、平安時代の寝殿造りを想像し、若き武士たちの日常を思う。

  治承4年(1180)という年は歴史上、大きな転換期。後白河院の第三皇子以仁(もちひと)王の乱が起き、木曾義仲、源頼朝ら各地の源氏が挙兵。清盛の命を受けた重衡らの「南都焼打」もあり、さらには義仲が平家を追って西国に行っている間に朝廷は関東の頼朝に、義仲を討つよう命じた。

  西行は出家しているので世俗の争いとは無縁のはずだが、実家佐藤能清を没落させた義仲を「木曾人は海のいかりをしづめかねて死出の山にも入りにけるかな」と詠んだ。

  西行と崇徳院とのこと、後白河院、待賢門院璋子(たまこ)のこと…火坂山脈の奥深さにしびれる。

  本書あとがきに「個人的なことだが」として、立原正秋さんの作品が好きと述べられる。その立原さんからもらった皿に、掲出の歌が書かれてあるという。また「冬のつぎに春となるを思はず」の色紙も示され、「私が立原さんの皿を大切にしているのは、作家としての覚悟を新たにするためともいえる」とある。

  私も今、立原さんのこの色紙を掲載の1997年刊「立原正秋展」図録を机上に、火坂作品を読み返している。
(八幡平市、歌人)





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