盛岡タイムス Web News 2016年  3月 2日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉477 伊藤幸子 「医院のドア」


 あけたての多き医院のドアの辺は鷺草繊(ほそ)き揺れくりかへす
                                      三川博

 このたび2月10日発行の八戸市のお医者さんの歌集をいただいた。三川博さん著「エントラッセン」東奥文芸叢書、東奥日報社刊。昭和24年八戸市生まれの氏は平成27年、精神科診療所を開院して20周年を迎えられたという。

  包みを解くのももどかしく、ページを繰ってみた。「一日の大半を診療所の中ですごす私の体験世界は狭いものである」と書かれるが、現代病といわれる心を病む人々に寄り添い、治療にあたる医療日常詠にひきこまれる。

  思えば普通の暮らしでは体が悪くなれば病院に行き、治療手術入院などの病床詠はよく見るが、医師の側からは少ないのではないか。

  「花終へし君子蘭黙す十枚の舌のごとき葉蜜に重ねて」本歌集巻頭の歌。診療所の待合室に置かれてあるもののようだ。「十枚の舌のごとき葉」はやはり医師の目と思う。医院のドアの辺のサギソウの繊細なたたずまいもいい。

  「精神科診察室の輝けと棚にアマゾンのモルフオ蝶置く」見たことがなくても、アマゾンの蝶がいる診察室が想像できる。そして「石庭の砂ならすごと心しづめ診療室に次を迎ふる」一日中、多様な患者が訪れ、ことにも精神分野症例には医師の心が波立つこともあることだろう。それを「石庭の砂ならすごと」の表現に実感がこもる。

  「待合室のウレタン椅子に窪みあり患者を長く待たせしところ」「脱皮せるごとしと心をどらせて来し再来を今日ひとり診つ」「臨時休診の札を下ぐ見られてはならぬがごとく深夜こつそり」2首目は「すっかり治った」と心おどらせて来院した患者の、実は病気がなせる躁(そう)状態のことか少し不明。願わくば完治と作者読者ともに喜びあいたいところ。深夜こっそり、「臨時休診」の札を下げる。院長自らなんだか後ろめたいような気がして。先生が最も深く傷つきやすい神経のようだ。「医師われが癒やさるる患者ときにあり若草色の患者と呼ばん」。

  「宙(そら)翔るイルカを描くA患者マンダラ、タントラ、エントラッセン」タイトルにもなったエントラッセンとは、ドイツ語で退院、卒業、釈放などの意という。禅の「放下」の意味もこめられたとのこと。「わが裡(うち)の聴診器もて聞きがたき人の心の水音を聴く」そして、「新患を受くるとき我おのづから肘掛けとなり背凭(もた)れとなる」を巻末に置かれる。体をあずけ、心をあずけて最もくつろげる位置に待たれる先生の診察を私も受けてみたくなった。
(八幡平市、歌人)



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