盛岡タイムス Web News 2016年  3月 12日 (土)

       

■ 東日本大震災5年 発生時刻に祈りと誓い 盛岡市内で追悼の式典 県公会堂など 絆のともしび未来へ


 

     
  復興を願いボランティアらによる手作り灯籠に明かりがともされた  
  復興を願いボランティアらによる手作り灯籠に明かりがともされた
 

 2011年3月11日の東日本大震災津波の発災から丸5年が経過した。地震発生時刻の午後2時46分に合わせて11日、県内各地で震災の犠牲者を追悼する祈りが捧げられた。県内では2月29日現在で関連死を含め5131人が犠牲となり、1124人が未だ行方不明となっている。被災地では土地のかさ上げや仮設から災害公営住宅への移住に向けた動きが始まっているが、生活再建に向けた課題はまだまだ多い。震災の記憶の風化も叫ばれる中、多くの県民が5年の節目に、復興への誓いを新たにした。(3、7面に関連記事)

 盛岡市内丸の県公会堂では、盛岡広域首長懇談会(会長・谷藤裕明盛岡市長)主催の東日本大震災5周年行事「復興への誓い」が行われた。市民や広域8市町の職員、議員ら約400人が参列。国主催の追悼式の同時中継に合わせ、発災時刻には黙祷をした。

  谷藤市長は「被災地の復興に向けた歩みは着実に進みつつあるが、その一方で家族の祈りにもかかわらず、いまだ多くの方々の行方が分かっておらず、被災者の多くが今なお不自由な避難生活を送っている。被災者が復興の歩みをさらに実感することができ、私たちの愛する三陸の地が一日も早く住みよい魅力ある地域として復興を遂げられることを願ってやまない。これからも被災者や被災地の思いを受け止め、心を一つにしながら惜しむことなく復興に貢献する」と話した。

  盛岡市での追悼式に出席した宇都宮武郎さん(79)、一子さん(75)夫妻は、震災で宮古市赤前の自宅を失い、一子さんの兄嫁も犠牲となった。「5年が早いのか、遅いのかは分からない。ただ、黙とうをすると5年たつのにいつも被災した最初のころと同じ気持ちになる。宮古市は結構頑張っていると思うが、感じ方は人それぞれですから復興したと言えるのかどうか」と目を閉じた。

  宮古市出身の宇都宮夫妻は、盛岡市での勤めを終え、2008年に自宅のある宮古市での退職生活を始めたばかり。遠浅の海に面した農地もすべて失い、仮設生活を経て14年9月に盛岡市内丸に居を移した。「宮古でゆっくりと暮らそうとしていたが、全部津波に持って行かれた。でも、私たちは住むところも決まっているので。仮設にいる人は本当に気の毒に思う。早くみんなが仮設ではない家で暮らせるようになればいい」と願った。

  同日は、岩手県と大船渡市の主催による東日本大震災津波合同追悼式が大船渡市民文化会館大ホールで開催されたほか、もりおか歴史文化館前広場では祈りの灯火2016「5年、そして未来へ」が行われた。祈りの灯火では、市民らによる手作りの灯籠約1万個に明かりがともされ、犠牲者への鎮魂の祈り、復興への祈りを多くの市民が捧げた。


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