盛岡タイムス Web News 2016年  3月 22日 (火)

       

■  首都と県都に生きる歌人 東京・文京区 盛岡市 啄木の顕彰に協力 終焉の地歌碑や展示室


     
  石川啄木終焉の地の顕彰室  
 
石川啄木終焉の地の顕彰室
 

 盛岡市と東京都文京区は、石川啄木の縁で地域文化交流に関する協定を結び、それぞれが歌人を顕彰している。昨年3月22日には同区小石川5丁目に石川啄木終焉(えん)の地歌碑が建立、顕彰室が開設された。1年後の今年は生誕130年を迎え、訪れる人が増えている。顕彰室には盛岡市や啄木記念館が協力し、直筆原稿(複製)などを展示。生没の地が手を結び、啄木の歌を今に伝える。文京区には新渡戸稲造、宮沢賢治、高村光太郎の旧居跡もあり岩手、盛岡と縁が深い。先人が生きた時代の風を、首都と県都で現代に受け渡す。

  啄木は1902(明治35)年16歳で初めて上京し、文京区に滞在した。渋民への帰郷や北海道の流浪を経て再び上京し、1908(明治41)年から12(明治45)年まで4年間住み、26歳で没した。

  顕彰室と歌碑は2013年に同区の諮問機関として石川啄木終焉の地歌碑等検討会の設立に始まり、地元の努力で実現した。区立小石川五丁目短期入所生活介護施設等の一角に、寄付を募った文京区石川啄木基金を活用して整備した。啄木の足跡や文京区との関わりを中心に、パネル、年表、書簡などで紹介している。

     
  悲しき玩具から「呼吸すれば、胸の中にて鳴る音あり。凩よりもさびしきその音!」を刻んだ歌碑  
  悲しき玩具から「呼吸すれば、胸の中にて鳴る音あり。凩よりもさびしきその音!」を刻んだ歌碑
 


  現地にはもとは東京都旧跡石川啄木終焉の地の石柱が建っていたが、再開発に伴い撤去され、啄木ファンや住民を寂しがらせていた。歌碑を建立してよすがとし、「悲しき玩具」冒頭の二首を記した。石材は盛岡産の姫神小桜石を用い、渋民建立の最初の啄木歌碑と同じ材質に、望郷の念を刻んだ。昨年3月22日には成澤廣修文京区長、谷藤裕明盛岡市長らが参列し、除幕式が行われた。

  文京区アカデミー推進課観光担当の諸久子主査は「文京区は東大はじめ大学が19ある文化と教育の区であり、名前に文が付く文学の都。森鴎外や夏目漱石はもとより、啄木、樋口一葉、坪内逍遙が住み、宮沢賢治の旧居跡もある」と話す。文壇の奥座敷として都心部にあり、多くの名作の舞台となってきた。

  盛岡市とは区市の共催で啄木学級文の京講座を開くなど、文化や観光で協力してきた。盛岡市教委歴史文化課の岡聰学芸主査は「東京との間に築いた協力の間柄を続けながら、お互いに啄木を顕彰していきたい。文京区は上京した先人たちが一度はお世話になったところだ」と話し、新渡戸や賢治も含めた縁を大切にしている。


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします