盛岡タイムス Web News 2016年  4月 20日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉322 三浦勲夫 熊本地震


 地震が少ない九州の熊本で大きな地震が起きた。震度7の前震、マグニチュード7・3の本震を挟んで大きな震度、小さな震度のものが、間断なく襲っている。地割れ、家屋やビルの倒壊、地滑り、土砂災害と住民は不安、恐怖、不眠の日夜を送っている。死者も40人を超えた。なんとか地震がとまり、復旧作業、救援作業が迅速に進むことを願う。

  5年余り前に東日本大震災を経験した太平洋側の人たちは、あの惨劇を思い起こす。その後の復興作業の進捗(しんちょく)ぶりを思う。地震列島日本である。いつ、なんどき、地震に見舞われるか分からない。私たちを襲う災害には、天災と人災がある。災害列島であれば、被災後の救援体制も、経験から比較的潤滑に機能する。今回も、被災者の苦悩、心痛を少しでも軽減する方向で一致救援したい。

  「天災は忘れたころにやってくる」といわれるが、忘れやすいことも一種の人災かもしれない。先週の小欄でベスビアス山の噴火と、ポンペイの壊滅について触れた。実はその300年ほど前に、ポンペイは大地震に見舞われていた。300年の間に人々は、大地震の記憶を失っていた。町を出て避難した人たちもいたが、避難しなかった人たちが多数だったらしい。それが被害を拡大したといわれる。

  岩手県には活火山に岩手など山がある。噴火避難対策は十分だろうか。戦後、多くの水害を引き起こした北上川水系がある。対策として、多くのダムが建設された。治水に役立っているが、ヘドロがたまるダムの補修工事あるいは移転工事も必要だろう。それらの対策を忘れると、人災が天災を増幅する。

  大規模土木工事には巨額の予算が伴う。利権をめぐって、工事請負団体や関連政治家などに、不正な金銭授受が行われる。その例を、そのつど、見せつけられる。まさに崩壊(コラプス)は、堕落・腐敗(コラプション)の源になる。

  天災や人災は「外患」である。生きている人間には「内憂」もある。日々の暮らしの中で、長く生きればその代償も払わなければならない。一生の過程は「生(しょう)老病死」といわれる。喜びもあるが、苦労苦痛は絶えない。自分が体験して初めて理解する。先月末に白内障手術を受けて半月以上を経た。今のところ、術後経過は順調である。術後1カ月は防塵(じん)、頻繁な点眼薬などに注意しなければならない。両親もかなり前に同じ手術を受けていた。自分もその年になったか、と実感をした。

  そればかりではない。硬い床の部屋にマットレスを使わずに寝たら、左大腿(だいたい)骨関節を痛めた。脚の筋肉群も痛んだ。つえをついて歩く日が、何日か続いた。昔、山登り用に買ったつえである。それが、妙なところでまた役立つとは。筋肉は衰えている。痛みと疲れが、重くまつわりついた。今は幸い、ほぼ完治した。

  内憂外患は時を選ばない。新年度のスタートに当たって、痛い目にあった。これからも不測の事態に備えて暮らさなければならない。心配したが、新年度の仕事には間に合った。その矢先の熊本地震である。親戚もいる。美しい熊本城は10年余り前に見た。天草の五島列島にも行った。一日も早い復興を祈る。
(岩手大学名誉教授)


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