盛岡タイムス Web News 2016年  5月 7日 (土)

       

■ 〈体感思観〉 編集局 飯森歩 記憶と忘却に記録の力



 震度7の地震が熊本県を襲った4月14日の夜。心臓がドクドクと脈打ち、なかなか寝付けなかった。5年前を思い出さずにはいられず、あの時の感情や記憶がよみがえってきたからだ。そして何より気がかりだったのが、沿岸の被災者たち。テレビの映像を見て震災時の記憶が思い出され、苦しんではいないかと心配した。強いトラウマ体験(心的外傷)は完治が難しく、日常生活に支障がないほど寛解(かんかい)しても突然顔を出すこともある。もしフラッシュバックや不眠などに襲われていたら、すぐに医療機関を頼ってほしい。心の傷は放っておくと炎症し、重症化することもある。心の小さな傷やひずみが化膿する前に、専門家の力を借りて回復に歩むことを強く勧めたい。

  よく「東日本大震災を忘れてほしくない」という呼び掛けを耳にする。もちろん復興の動きを止めてはならない。しかし「忘れる」ことは人間の生存本能の機能であり、どんなにつらく悲しい経験があっても生きていけるのは、忘れることができるからだ。人の感情と記憶は日々を生き抜くために風化する。それを私が実感したのは今年の3月11日。取材で北海道におり、午後2時46分には函館駅構内にいた。大勢の人がいたが、黙とうする人は誰もいなかった。悲しい気持ちになりながらも仕方がないと感じ、あらがい難いゆえに「忘れたくない」と強く願うものなのだと思った。

  「忘れることは仕方ないこと」と冷ややかに見ながらも、今回の熊本地震で東日本大震災の教訓を感じられた場面がある。地震発生後ネット上で「家から出る時は歩きやすいスニーカーで。お薬手帳、身元確認できる証明書は必ず持って」「火災を防ぐためブレーカーを落として」「可能な人は早めにガソリンの確保を」「大丈夫、日本は強い!」など、今後の備えへの呼び掛けや励ましの声が飛び交っていた。胸に熱いものが込み上げ「震災は忘れられていない」と強く思えた。

  人は生きるために記憶をかすめていく。だからこそ後世に残る文章や映像の力は大きい。現地の情報だけでなく遠い地で胸を痛めている人、日々懸命に暮らす人を捉えていくことも大切で、応援と思いの一つだ。駆け付けることが全てではない。常に地域の情報を発信し続けることが私たちの役目であり、めぐりめぐって支援につながると信じている。


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