盛岡タイムス Web News 2016年  5月 18日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉488 伊藤幸子 「生とは死とは 寂聴さん」


 みな人の心をまるくまん丸にどこもかしこもまるくまんまる
                                    木喰上人

 最近、注目している人と会って話をしてみませんかと、出版社の編集者に言われて即座に「ホリエモン!」と叫んだという寂聴さん。その時寂聴さんは91歳、堀江貴文さんは41歳だった。

  人間は年を取るほど同年輩や自分より高齢の人には興味など失っていく。自分よりはるかに若い相手に向かい合っているだけで、彼らの全身の細胞が発散する呼吸の気配が自分の体に伝わり、自分の古びた血脈が生き生きと洗われるような気がする。「どうせ会うなら文学の世界とは全く関係のない別世界の人の呼吸をもらいたいものだと思う」との寂聴さんの望みで、お二人の対談集「生とは、死とは」が角川新書より刊行。私はこれを5月5日、天台寺境内で、寂聴さんの法話拝聴の折に求めた。

  寂聴さんのお出ましの日はたいてい晴天だが、今年は珍しく雨になった。そして私は、ことのほかあの長い参道がこたえた。何度も行っているし、沿道の木々もお地蔵さんも泉水の趣も道順は分かっているつもりなのに、足が進まない。1時半からの法話に会わせて十分間に合う時間と距離を息切れしてなさけなかった。

  本堂は改修中で幕が張られてあるが、何よりお元気な寂聴さんのお姿が見られてうれしかった。5月15日で94歳になられるとのこと。2000人の聴衆を前に、はじめは立って話され、雨雲がかかり始めると「エイッ!」と気合で払いのけようとされて笑いがこぼれた。

  51歳で出家、20年間は毎月天台寺に来て法話をされた。あのころ、お釈迦(しゃか)様の花祭りには甘茶が振る舞われ稚児行列もあり、寂聴さんも気軽に観客のカメラに入られて楽しかった。

  かつて寂聴さんは「ものごとには〈計らいのほか〉ということがある」と述べられた。「源氏物語」口語訳に取り組んだのは70歳になってから。執筆目的で得度の本を探していたら、それが本当に自分の役に立ち驚いたという。

  「生とは死とは」対談を終えた堀江さんの感想。「あのお歳でああやって周りにたくさんの人がいて、あの世でも大勢が待っていて、仕事もバリバリしてて、ごはんをおいしく食べて…最高ではないか。そういうふうにみんな生きた方がいいんじゃないかな」と。

  「おそらく来年はもう来られないかと思う」とも言われた寂聴さん。でも「アラ、去年もそう言ったわね!」と、来年も再来年も、天台寺の境内であのお声が聴かれるよう祈ってやまない。
    (八幡平市、歌人)



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