盛岡タイムス Web News 2016年  5月 23日 (月)

       

■  〈幸遊記〉280 照井顕 「伊藤洋一のイースト&ウエスト」


 僕が赤い梅をいただく時、必ず頭に浮かんでくる言葉がある。「ひとりで早春の夜更けの寒い時、これをあがって下さい」と造り遺していった人を思いながら口にする梅酒の話。遺した人は智恵子、飲んだ人は光太郎。昭和20年4月空襲により中野のアトリエを焼失したその高村光太郎は東京から賢治の弟・宮澤清六方に疎開。その秋から鉱山小屋を移築した稗貫郡太田村山口(現・花巻市)の高村山荘にて自給自足の生活(63歳〜70歳)そこは「雪は降らねばならぬように降り、一切をかぶせて降りに降る」場所だった。

  ちょうどその頃、営林署勤めで、同村湯口の事務所兼住居に住んでいたのが、伊藤洋一さん(昭和23年8月28日生まれ・67歳)のご両親。仕事柄知り合い、友人となった父から「光太郎さんは伊藤の表札を書いてくれて、洋一を抱っこしてくれた人だよ」と幼き日に聞かされたことを覚えているという。ドブロクを飲みながら、山菜を食べ、特にも喜んだのは「シドケ」。いくら飲んでも足取りは乱れず、東京に行った帰りには懐中電灯を借りに寄った光太郎さんだったらしい。

  そんなことからか、洋一さんは奥さんに病気で先立たれた時「なんとなく智恵子の実家を訪ねてみたくなり、行ったんですよ」そう言いながら、ドブロクならぬバーボン・ウイスキー「ジョニー・ドラム」を楽しみながら話す映画好き。特にもあの1960年代の大ヒット作「ウエスト・サイド物語」が大好きで何度も見、ニューヨークへ行きブロードウエイでそのミュージカルをも数回見ているマニア。

  音楽は「レナード・バーンスタイン」が作曲を手掛け、それこそ「ジョニー・グリーン」が指揮したものだが、ジャズでは「オスカー・ピーターソン」トリオや「穐吉敏子&チャーリー・マリアーノ」カルテットの名演奏は多くのファンをつかんだもの!トゥナイトやマリアのメロディーが浮かぶ。

  この2016年3月、僕らは穐吉敏子さんを追いかけNYへ。そこでそれこそウエストの映画に出てくる鉄製の外階段が残る古くて低いビルを眺めてはウエスト・サイド物語を頭に映し出していた。旅の間中、僕と伊藤さんは同じ部屋で寝起きし、二人で飲み交わし、帰りの空港で彼は息子さん(アメリカ在住)のかわいい孫の顔を見にいく!と別れた。(カフェジャズ開運橋のジョニー店主)


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