盛岡タイムス Web News 2016年  5月 30日 (月)

       

■  〈幸遊記〉281 照井顕 スイングジャーナルの1977年7月号


 僕より5個先輩、店もちょうど5年先輩の同業一関ベイシーが開店したのは1970年。その年から90年代までの30年分のスイングジャーナルを持っているという高橋日出男さんに、1年分ずつ貸してくれないかなと頼んでみたところ、とりあえず14年分の整理ができたので持っていきますから、と運んで来てくれ「返さなくていいから、活用してください」でした。ありがとう、ありがとう!

  その76年9月号に、全国ジャズ・スポット巡りシリーズ第8回「岩手篇」。一関・ベイシー、盛岡・オスカー、チェック、8−6、伴天連茶屋、パモジャ、北上・タック、大槌・クイーン、花屋敷、釜石・貴族院、宮古・ミントンハウスの11店(現存、ベイシーのみ)。盛岡のパモジャはリッチの跡にできた店で僕の店より1年後の開店だったが載っていて、ジョニーは没っていたことにガクッ!ときて若かったので逆に闘志が湧いたのを覚えている。

  僕はそのスイングジャーナル誌に店の広告を出したことはなかった(出す余裕がなかった)がベイシーは開店時の70年7月号には、名盤レコード「レッド・ガーランドのグルーヴィー」のジャケットの壁写真をベイシーの壁に見立てた印象的な広告を出してのデビュー。そして77年7月号に常連?のベイシー広告と並んで高橋了さんの「DANTE 7月1日正午オープン!」(盛岡市大通1丁目/現・中ノ橋1丁目)の広告。 

  その本文オーディオ欄にはジャズ&オーディオ教(狂)祖はかく語りき、と4人のジャズ喫茶店主、その1人、ベイシーの菅原昭二さんは「いい音は硬焼醤油せんべいから生れるのだ」と「奥歯でかじるせんべいの音がアゴと頭蓋骨を振動させ鼓膜のコリをやわらげ一時的に耳の機能を回復させる」と彼らしい考えを書いていた。

  また読者ページのリーダーズプラザには、同誌に差し出した僕の手紙に「日本のジャズ再確認」のタイトルがついて掲載されていた。その実力に比して冷遇されている日本のジャズ、これを毎日の糧として大切にしてゆこうと、発狂的再出発を試みた。日本人が日本人の演奏や歌を軽視するきらいに対し、政府の日本列島改造論を拒絶した過疎の街、岩手の陸前高田からジャズ日本列島の改造論を提出します。というものでした。(カフェジャズ開運橋のジョニー店主)


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