盛岡タイムス Web News 2016年  8月 4日 (木)

       

■  〈風の筆〉150 沢村澄子 「風に吹かれて」


 先日ふらりと電車に乗って、ある人を訪ねた。

  ある人とはこの「風の筆」の名付け親で、かつてわたしに「目を開けたまま寝てませんか」と言わせたくらいの聞き上手で、無口。だから、「『風の筆』を終わります」と報告しても、「ええ〜っ」とか「どうしてですか」とか言わない。いつも通りこの日も、目を開けたまま黙って寝ていた。

  ところが、寝ていたはずのその人が目を開けるや、いや口を開くや、「沢村さんは突然書をやめてしまうかもしれませんね」と言うのである。「ええ〜っ」「どうしてですか」と、わたしは言った。

  実は「風の筆」という命名はこの作文へのものではなく、先に本業の書に与えられたもの。ボブ・ディランの「風に吹かれて」(Blowin, In The Wind)のイメージだったと聞く。「友よ、答えは風に吹かれている」と詠うこの歌は、わたしが生まれた年に作られたが、だからといって、わたしが本当に書をやめてしまうかどうかは分からない。この答えもモチロン風の中。

  ところで、夕べ。遅くに携帯が鳴って、めいだった。「医学部を受験したいので奨学金の保証人になってほしい」。その後からその母親が、わたしの妹であるが、「姉ちゃん、やめろって言うてな。医者なんかアカン。看護師でエエ。そう説得してや。絶対諦めさせて!」「なんで?医者で大いに結構やんか」「ほなら、姉ちゃんが学費払いや!」。

  めいは6年間で850万の奨学金をもらい、それをアルバイトで返すと主張。妹はそれを阻止してくれと訴える。

  それでまず、めいになぜ医者になりたいかを問うた。かくかくしかじか「人を救いたい」。では、「人を救う仕事は医者でなければできないか」と聞いたら、あれこれどうこう「親を超えたい」。ふーん。親を超えたいなんて考えたことのなかったわたしは驚いたが、「人を救いたいと思う人間の、実は最も救いたいのは、自分自身やで」と言ったら、めいは急に泣き出した。

  それから一時間ほど聞いたり話したりして結局、自己救済が終わった後、まだ他者を救いたいかどうかは分からないから、その時自分が自由に動けるよう、あまり大きな荷は背負うな、というのが伯母さんの意見。人間なんて関係性の中でその時々にできている仮のもの。実体なんかないんやで。信じるものなんか、あらへんあらへん。と、ワケの分からんことを言ってる伯母の話をめいは黙って聞いている。ほら、みてみぃ。今、この関係で、アンタ、変わるやろ?風に吹かれて人は変わる。北風は冷たいし、南風でぼけるし、なぁ!

  というわけで、最終回は18歳のめいに捧げることになった。3年余りお世話になった盛岡タイムスの皆さん、読者の皆さんに感謝!ありがとうございました。(盛岡市、書家)=おわり


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします