盛岡タイムス Web News 2016年  8月 20日 (土)

       

■ 〈体感思観〉 編集局 泉山圭 心解きほぐす会話の方言


 
 先日、盛岡弁の魅力に親しむ、おでって盛岡弁予備校を取材した。その中で、特別講座の講師を務めた岩手大教育学部の大野眞男教授が「東京出張からぼろぼろになって帰ってくると、ひんやりとした盛岡の空気、温かい盛岡の人たち、盛岡の言葉に接してほっとする」と話した。それを聞いた瞬間、何となく大学時代のことが思い出された。

  私は大学の4年間を東京で過ごした。盛岡で生まれ育った私は、それまで自分自身の言葉について、それほど意識したことはなかった。むしろ、盛岡は「なまり」がないのではとさえ思っていた。ところが、東京出身のサークルの仲間と話していると、どこか自分の話す言葉はイントネーションが違うと感じた。

  決してそれを指摘されたり、恥ずかしいとは思わなかったが、どこか自分の話す言葉を意識するようになった。同じサークルには大阪、広島の出身者もいた。これは話す人の性格にもよるのかもしれないが、彼らの話す言葉は実に堂々と勇ましく聞こえた。

  盛岡広域の人が話す言葉の良さが分かってきたのは、新聞記者になり、さまざまな人と話す中でだった。標準語の響きは確かに美しいが、地域の人が話す言葉には優しさというか、柔らかい印象を覚えるものがある。相手と話しているうちに、こちらも自然となまってしまうこともあり、打ち解けた雰囲気になれる。

  担当が長かった雫石町では、古里の方言を集めた「あの山越えれば外国弁」を自費制作した富田善夫さんを取材した。地元の言葉に誇りを持ち「方言はそれぞれの地方の宝」という話に納得した。郷土の歌人、石川啄木の「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」という短歌があるが、生まれ育った土地の言葉はやはり心地よさや温かみを感じる。


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