盛岡タイムス Web News 2016年  11月  23日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉353 三浦勲夫 祈りの時


 中国、超の国の青年、盧生が旅の宿で、疲れてうとうとと眠った。将来を見せてくれる枕を呂翁が貸してくれた。盧生は粟を夕飯に煮る。煮える間のいっとき、夢の中で自分の将来の浮沈と栄達と不可避の死を見た。「一炊の夢」で行く末を知った盧生は、出世の夢を捨て、故郷に帰り農夫となって暮らした。

  うたたねは自分にも不可欠である。それがあって日常の仕事を続けている。しかし将来の夢など見ずにぐっすりと寝て、目覚め、仕事を続ける。若いときにもわが人生の一巻を見る「魔力の枕」はなかった。そのような自分だが、仏壇に焼香をすると、追憶に誘われる。一本の線香にろうそくから火をつける。香る線香を灰に立てる。前日の線香の根元を灰から掘り出す。いつかその根元をまとめて、マッチの軸木とともに焼香しよう、と思う。鐘を鳴らし、手を合わせ、しばし黙祷する。亡くなった親族が思い浮かぶ。いろいろな意味で自分に影響を与え、育ててくれた人たちである。盧生の「一炊の夢」は将来へ向かい、私の「焼香の追憶」は過去へ向かう。

  焼香による追憶は、感謝となり、激励となる。与えられた助力への感謝を、他人に返礼しなければならない。祈りは仏教の線香にとどまらない。原爆被災地や津波などの被災地での祈りと同根である。一方、生きた者同士が共通の時を持つ「一杯のコーヒー」や「一杯のお茶」もある。何人かでそれを飲むとき、得るものはカフェインやアロマの力だけではない。飲み物に対する感謝がある。「茶飲み友達」や「コーヒー友達」が語り合う、心の交流がある。仲間との交流への感謝、家庭のだんらんへの感謝もある。茶道では「一期一会」の心となる。ともに分かつひとときを、生涯一度限りの物として、その大切なひとときを重んじる。心が落ち着き、胆力ともなる。

  南相馬市の放射能汚染を逃れ、横浜市に移転した小学2年生が、転校直後からいじめられた。5年あまりの後、現在中学1年生である。死にたいと何度も思った。しかし、「死んだ人たちがたくさんいる。僕は死ぬのを止める」という旨の手記を書いた。父親と弁護士が横浜市の教育委員会や学校関係者を訴えた。一人一人の人間、ましてや子どもの心は弱い。弱い心を支えてくれたものは、縁者や犠牲者の死への無念、同情だった。その心が、幼い心をいじめに耐えさせた。

  しかし、耐えている犠牲者には、本来、援助の手が伸べられなければならない。学校側に見て見ぬ振りがあったようだが、これもいじめに手を貸したことになる。一杯のコーヒーやお茶が取り持つ連帯の力を広げなければならない。一本の線香の先が芳香の煙を漂わせる間、手を合わせ、先祖に頭を垂れる。その時の、追憶、共感、理解、感謝が、子どもから大人へと心の成長を育む。線香にはこだわらない。周囲の人たちへの暖かな思いである。人間に対する暖かい思いは、動物や植物に対する暖かな思いでもある。

  焼香から、お茶、コーヒーに話は広がった。亡くなった人たちとの心の対話、生きている人たちとの言葉の対話、みなつかの間かもしれない。日ごろ、日ごと、繰り返される営為である。瞬間が永遠を作り上げる。それが過去から続く人類不変の祈りとなる。
(岩手大学名誉教授)


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