盛岡タイムス Web News 2017年  3月  30日 (木)

       

■  〈活字とジャズとコミックと〉16 井上忠晴 アンダーカレント


 コミック「アンダーカレント」は2004〜05年、月刊漫画誌に連載された。作者の豊田徹也(1967〜)は寡作で、本作は唯一長編にして現時点の代表作。アンダーカレントは単行本の扉に、1  下層の水流、底流、2 《表面の思想や感情と矛盾する》暗流「講談社 英和中辞典」と説明がある。

  主人公の関口かなえは銭湯「月乃湯」の一人娘として生まれ、大人になってから父と一緒に銭湯を切り盛りしていた。結婚後は夫が家業に加わり、父が他界後は夫婦と木島のおばちゃんで続けていた。夫が失踪したため、やむを得ず休業していたが、約2カ月ぶりに再開、というところから始まる。

  そこへ組合の紹介でボイラー技能士などの資格を持つ堀隆之という男を雇うことになる。かなえも堀も失踪した夫も、表層をはがせば、いろんなものを抱えていると想像がつくが、3人ともかたくなに閉じ込めている。その内側を隠すことが話全体のトーンを暗く、ナイーブにしている。そしてもっと早くに打ち明けるべきだったと悔いる思いものぞく。

  かなえは、幼少時に仲の良かった女の子が不慮の死を遂げた時から、ずっと死にたいという気持ちを心の隅に置いてきた。大学生の頃に知り合った夫はみなしごだったと聞いていたが、それ以外はほとんど聞かされていなかった。失踪後、分かり合えていなかったと思い知らされる。

  堀は、人を探していた月乃湯に組合から紹介されたが、後になって堀から月乃湯で働きたいと申し出たことが判明し、月乃湯またはかなえに関わる何かがあることが途中で示唆される。

  と、ややネタバレをしつつ本作の内容を紹介したが、実はまったくジャズの話は出てこない。にもかかわらず、無謀を承知で取り上げるのは、タイトルとカバー絵のため。この本を目にしたジャズファンは十中八九、ある1枚のアルバムと重ね合わせる。それはピアニストのビル・エヴァンスとギタリストのジム・ホールという音楽的素養が幅広くて深く、とても演奏技術に優れた2人のデュオ作。その名も「アンダーカレント(Undercurrent)」。

  このアルバムジャケットは、ドレスを着た女が水面近くで浮遊する姿を水中レベルから捉えたモノトーンの構図。かろうじて顔の正面は水上に出ていると分かる。一方、コミックの単行本は、浮遊する女を横からほぼ同じ高さで捉えた構図。ノースリーブのドレスを着て、頭髪の浮遊している感じから水中の光景を表していると分かる。一部の文字を除いて黒と白、青で水彩画のようなタッチで描かれる。これを目の前にし読まないでいられるジャズファンはいない(に違いない)。

  でも、ジャズの話題はいっこうに出てこない。がっかり(と思うに違いない)。が、それはジャズを求めた結果であって、作品は面白く読める。主人公が銭湯の経営者、深層に死にたいという思いを抱え、営業後の湯船に浸かることのできる境遇などを考えれば、アンダーカレントというタイトルはさもありなんなのだ。

  それでも唐突に第4話の扉絵の中に有名なアルバムジャケットが描かれている。「アウト・トゥ・ランチ」というマルチリード奏者エリック・ドルフィーの代表作の一つだ。昼食で出ていますと、店頭に掲げ店を一時閉めている案内になる。「WILL BE BACK」と書かれた時計には、針がたくさんあって何時を示しているか分からないところまで忠実に描かれている。

  アルバム収録曲に同名タイトルはなく、作品のトータルイメージになっている点が、強引ではあるが共通点。エバンスとホールは、いわゆる内省的な音楽表現と評されることが多い。エバンスのリリシズムに満ちた演奏の方は聞いたことのある人もいると思うが、1960年代ジャズの革新者の1人で、後進にリスペクトされる存在となった。

  即興演奏が主体のジャズにおいて、一緒に演奏する中での掛け合いやサポートは大切。相手の出す音に対する即時的な反応が際立ち複数の演奏者が同時並行でアドリブするような展開を特にインタープレイと呼んでいる。2人の演奏はその範。コミックのかなえと堀、あるいは2人のどちらかが誰かと1対1で会話する場面の底流を隠したようなやりとりは、エバンスとホールのインタープレイと通じるように思える。表紙絵には豊田にそんな意図があったと勝手に解釈しておこう。

  最後に余談だが、豊田には「珈琲時間」というオムニバス的な単行本がある。「アンダーカレント」で、かなえが失踪した夫を捜索してもらう山崎という探偵が、こちらにも登場。一見、適当さを醸しているが、実は仕事のできる男。完璧じゃないところが逆に付き合ってみると引きつけられ、人として信頼できる雰囲気を増している。

  【底本】「アンダーカレント」豊田徹也(講談社)

  【関連書籍】「珈琲時間」豊田徹也(講談社)

  【関連音楽】

  (1)Undercurrent / Bill Evans, Jim Hall(United Artists)
  ナット・キング・コールが確立したピアノ・トリオ・スタイルではドラムスではなくギターが入り、ベースとの3人組となる。モダン期の演奏家だったエバンスは今日のトリオの主流であるドラムが入り、ギターは入らない。そんな時代にギターとピアノのデュオが作られた。1962年の録音。ギターとピアノはソロ演奏もできるしリズムなどバック演奏もできる楽器という点が共通している。単音のメロディーを奏でられるしコード、和音も出せ、1人で同時に両方できる特性を持つ。これは長所であるが、ピアノとギターの2つで合奏する場合に役割分担が難しい。2人が同時にコード音を出してしまうことがある。同じであれば問題ないが、一方は無駄かもしれないし、違うコードなら演奏が破綻するかもしれない。本作が名盤として上げられるのは、2人の音楽性が極めて高く、互いの考えていることを読み取る力が優れていたからとしかいいようがない。中でも白眉(はくび)はスタンダード曲「My Funny Valemtine」。バレンタインは女性の名前。本来はバラード曲だが、甘くない高速の演奏。

  (2)Intermodulations / Bill Evams, Jim Hall(Verve)
  2人による66年の再会盤。

  (3)Out To Lunch / Eric Dolphy(Blue Note)
  ドルフィーの音色とボビー・ハッチャーソンのヴィボラフォーン、リズムの天才トニー・ウイリアムスのドラムスなどとが生み出す異次元のような世界も考えようによってはアンダーカレントか。


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