盛岡タイムス Web News 2017年  6月  16日 (金)

       

■  〈岩手山麓開拓物語〉2 南部駒蔵 第1章 巣子、岩手牧場に生きる坂本正一を中心として 岩洞ダム建設と用水


 昭和22年は、農林省の直轄事業として岩手山麓開拓建設事業が決定をみた年としても記憶すべき年だといってよい。岩手山麓の広大な荒れ地を田畑に変え、食糧を生産することが、国家的な課題となったのである。

  しかし、それは最初から国家の役人、行政が手を差し伸べて取り組んだのではなく、地域から――滝沢村から、人の思いつかない大胆な発想と政治的実行力をもって、農民の指導者として推進した人物がいた。その人物を紹介する前に、この岩手山麓開拓建設事業のあらましについて触れておく。
 
  岩手山麓開拓建設事業の中で、最も重要なのは昭和27年に着工し、計画見直しのため一時中断したが、4年後の昭和31年に再開、昭和35年に完成した岩洞ダムの建設、及びそれに関連する導水管、用水路の建設である。第一発電所は我が国有数の地下式発電所であり、第二発電所とともに昭和35年に完成した。第二発電所は灌漑(かんがい)中は農業用水として利用されている。

  岩洞ダムは、姫神山の東、北上山地を流れる丹藤川の支流、柴沢川の中間に作られた日本で初めての大規模土石混合型のダムである。このダムにためられた水は、地下の導水管を経て、岩洞第一、第二発電所を通って、北上川の逆サイホンへと流れ、滝沢市川前の分水口で、南部、北部の主幹用水路に分かれ、南部は大釜まで、北部は岩手町、玉山村、西根町まで農業用水路として流れている。
 
  それまで山林原野を切り開いた開拓農家は、原野を切り開いて畑を作り、豆や小豆、トウキビ、イモ類、野菜を作っていたが、政府が決まった価格で買ってくれるコメを作りたいと願っていた。コメ作りは、滝沢村に限らず日本の農民の悲願ともいえる強い願いでもあった。岩手山麓の広大な山林原野はこの岩洞ダムの建設によって灌漑(農業)用水として利用することが可能となり、新しい田畑が作られた。新しい水田3000f、5000fの畑が作られ、約1万fが開墾された。

  しかもそのダムにためられた水は発電にも利用され、今日もなお第一発電所4万1千`h、第二発電所8千`hで、第一発電所の出力は県内発電所中、第一位だという。
    (滝沢市、著述業)


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします