盛岡タイムス Web News   2017年  7月  15日 (土)

       

■ 〈体感思観〉 編集局 戸塚航祐 正論へ時にジレンマ


 
 「ちゃんと聞いてください」発言していた委員が途中で訴えた。雫石町で進む小学校統合の協議で会場に大きな声が響いた。小学校の校名を決定する会議会場は重い雰囲気に包まれた。

  統合小に関する協議は対象地区の住民同士の話し合いで決められる。しかし、弁が立つ人だけが参加しているわけではない。表現を苦手とする人もいる。相手は真剣に耳を傾けていたが、意図はきちんと伝わっていたのだろうか。結果として、互いに納得のいく落としどころは見つからず、苦い思いをかみしめる人もいた。

  滝沢市議会6月会議では、新たな農業委員の任命に関する同意が行われた。同意は「無記名で行うのが、民主的な方法」とする意見が採用され、全ての農業委員任命に同意した。

  だが、全員に最低1票ずつの反対票が投じられた事実も残った。滝沢市議の一部は「選ばれた人は、今後気持ちよく市のために仕事をできるだろうか」と、全会一致で信任できなかったことに声を荒げた。

  どちらの事例も間違ったことは何もない。それぞれの立場と裁量で決めたことだ。だが、取材をしながら「正論の痛さ」も痛感させられた。

  正論自体は誰もが正しさを理解できる。滝沢市議会の事例では、忌憚(きたん)のない意見を採用するため無投票とした。しかし、誰が賛成反対か分からない。このため、議会の任命責任のあいまいさに憤る人も少なくない。

  雫石町の事例では相手の言葉に説得力があった。しかし、正論ゆえに相手の逃げ道もなくしてしまった。逃げ道を閉ざして口を閉じさせたのは、果たして正しかったのだろうか。

  記者は現場の当事者として何かを判断する立場にない。それでも、相手の正論にジレンマを感じるたび「正しかったのだろうか。他の選択肢がなかったのか」と心の中で葛藤する。正論は難しい。使い方を誤ってはいけないと、物事を伝える立場として考えずにいられなかった。


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