盛岡タイムス Web News   2017年  9月  24日 (日)

       

■ 矢巾町徳丹城跡国指定史跡 半世紀の成果掘り起こす 2019年刊行予定 公式見解へ「総括報告書


     
  これまでの調査成果を語る西野さん。右は徳丹城跡から発見された木製冑  
  これまでの調査成果を語る西野さん。右は徳丹城跡から発見された木製冑
 

 矢巾町教委では、同町西徳田の国指定史跡徳丹城跡について、これまでの調査結果をまとめ、史跡に関する町の公式見解となる「総括報告書」の作成を進めている。2019年の国指定50周年の節目に刊行予定で、これまでの成果をまとめ、今後の史跡整備に向けた基盤を固める。10月8日には一般町民を主な対象に、調査成果を披露する初の報告会を開く。町職員として約30年、現場の調査を担当した町歴史民俗資料館の西野修さん(60)は「報告会で徳丹城について今、何が行われているかを知ってもらい、皆さんと史跡の保護、活用について考えたい」と話している。

  同史跡は1947(昭和22)年に第1次発掘調査が行われた。以降、これまでに74次の調査を実施。報告会では、調査開始のきっかけとなった出来事や、史跡位置の確定時期などを振り返りながら、調査で分かった徳丹城の性格を説明。木製冑(かぶと)や琴などの出土品が持つ意味にも触れ、今後の史跡整備へ町民の意識の高揚を図る。

  中間報告会では、西野さんがこれまでの調査概要について説明する。西野さんによると徳丹城があったと推測される場所(擬定地)の指摘は江戸時代から始まった。1657年開始の水戸藩による大日本史編纂から、昭和期までに計17説が提唱された。

  1966年の第5次調査で、36年に菅野義之助により提唱されていた西徳田説が認められ、69年8月5日に国指定。一方で「菅野よりも早く、西徳田にあったことを指摘していた矢巾町出身者がいる」と西野さん。報告会では、その人物についても詳しく触れられる。

  総括報告書作成は2016年に着手。74次にわたる調査から得た成果について、西野さんは「官道や運河、徳丹城造営前に置かれた先行官衙(かんが)、さまざまな出土品などは個別にある。全体として、コンパクトに整備された非常に行政的な面など、指定当時には想像していなかった歴史像が分かってきた。改めて分かってきた歴史像を参加者に紹介し、町の財産としての在り方を皆さんと考えていきたい」と話す。

  徳丹城は征夷将軍の文室綿麻呂によって、812(弘仁3)年3月ごろに造営されたとされる。蝦夷討伐のため、現在の盛岡市に造られた志波城が雫石川の氾濫に襲われ、移転先として造られた。

  報告会は同町南矢幅の町公民館で午後1時半から。入場無料。

  問い合わせは町社会教育課文化財係(電話0196112860)。


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