盛岡タイムス Web News   2018年   8月  6日 (月)

       

■  国見の藩境碑に小学生も みんなで歩こう旧秋田街道 御明神公民館主催 戊辰戦争150年で思い新た


     
  「従是北東盛岡領」と刻まれた標柱  
 
「従是北東盛岡領」と刻まれた標柱
 

 2018年は戊辰戦争終結から150年の節目の年。雫石町では、戊辰戦争の舞台となった旧秋田街道の「国見峠〜的方コース」を実際に歩く御明神公民館主催の「第16回みんなで歩こう旧秋田街道(国見峠)」が3日、同町橋場地内で行われた。参加者約25人は本県と秋田県境の旧秋田街道を歩き、同町御明神竜川山国有林内で6月に町有形文化財に指定された盛岡藩の藩境碑を見学した。参加者は「従是北東盛岡領=これよりほくとうもりおかりょう=」と刻まれた石標を見て、150年前の戦いに思いをはせていた。

 旧秋田街道を歩く行事は16年目。地元の滴石史談会のしずくいし少年少女歴史教室「第3回みんなで歩く国見、仙岩両峠の道」と同時開催し、町の小学生も参加した。

  参加者は、同町橋場竜川山の国見温泉から雫石川の源流をわたる温泉専用の湯治用の道から、盛岡藩境の標注を目指した。その後のルートは、湯治用の道とつながる旧秋田街道を下り、ヒヤ潟と呼ばれる湖沼、仙岩峠の秋田藩の藩境石へ。2013年の豪雨災害以来6年ぶりに江戸時代の秋田街道を通り、折戸の沢出口までの長い道のりを歩いた。

  参加者が歩いた湯治用の道は現在使われていない。今回は、同町山岳協会のボランティアの協力で、標柱の周りなどのササが刈り払われていた。道に心地良い風が吹く中、参加者は順調に足を進めた。

  史談会によると、秋田街道は盛岡城下から雫石、国見峠を越えて秋田藩領の生保内、角館(現仙北市)方面に至る奥羽山脈越えの街道。奥羽山脈・国見峠の難所を越えることで戦略上重要な道とされ、中世を通じて軍馬の往来が盛んだった。

  また、盛岡藩にとっては、盛岡に良馬を求める公儀御馬買衆らが通る重要な道。日本海沿岸との交易で物資と人が出入りする経済の道として、奥州道中(現国道4号)並みに整備が進んだという。

     
  盛岡藩の標柱までたどり着いた子どもたち  
 
盛岡藩の標柱までたどり着いた子どもたち
 


  街道は、盛岡藩と秋田藩を結ぶ「国見峠」「生保内峠」の峠を通るため、それぞれの藩境に標注がある。盛岡藩側の標柱は国有林内の笹森山(標高995b)の南稜線上、標高940bの地点。高さ164a、幅30aの四角柱で盛岡石と呼ばれる重さ450`の花こう岩で作られている。「従是北東盛岡領」と刻まれた文字は、現在の盛岡市を望む北東に向いている。

  史談会の関敬一さん(69)は標柱の建立方法について「重い花こう岩は、雪の多い2月までに馬そりで山道の入り口まで運んだ可能性がある。だが、その後は6人くらいの人の手で運んだと思われる」と推測。

  また、標柱の秋田側からは、150年前の戊辰戦争で何百人という兵隊が登ってきたという。雫石に住む人々は、110日間にわたり本格的な戦争に巻き込まれ、同町橋場地区の三柱神社に残された弾痕が当時の戦いを語り掛けている。

  関さんは「(秋田の)生保内は激戦地となったが、雫石の人とは古くから親交があった。争いたくないと言うのが、本当の気持ちだったのではなかろうか」と語り、平和な雫石の山々を眺めていた。

  雫石小3年の上川原嘉一君(8)は「歴史が好きなのでおもしろかった」と話し、同町御明神志戸前の大山信子さん(62)は「戊辰戦争のことなどを勉強したいと思った」と楽しそうに語った。


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