盛岡タイムス Web News   2018年   8月  11日 (土)

       

■ 〈体感思観〉 飯森歩 ふるさとの山からの教え


 本日は「山の日」。山に登れば何か開けるという言葉に乗せられ、今年から登山を始めた。紫波町の東根山、雫石町の秋田駒ケ岳をひょいひょい登って調子づき、毎年皆がしり込みする7月1日の岩手山山開きの取材を志願した。さすが本県最高峰。登山の厳しさを嫌というほど味わわせてくれた。まさに「行きはよいよい帰りは怖い」。「山をなめているからだ」と友人にメールで叱咤(しった)激励されながら、自分史上最大のへろへろ状態で、なんとか下山した。

  登山途中、幾度も自分の安易な考えを恥じて後悔したが、この登山を通して「少しずつでも歩いていれば目的地に到着できる。止まってしまえば、それ以上前に行けない」という当たり前のことを実感した。「努力とは平凡なことかもしれない。しかし平凡なことを倦(う)まず、たゆまず、持続することは、まぎれものなく非凡なことである」という言葉をかみしめた。

  そもそもこの無謀な志願をしたのは、与えられた環境で、できることを可能な限りこなしていこうと決めたからだ。この仕事に就いて約4年。目の前の事案と向き合い、完璧でなくとも一つずつクリアして積み重ねることで、自分のできることを増やしてきた。遠い理想を追い求めるだけでなく、今置かれた環境で最善を尽くすこと。この繰り返しが自分の肥やしとなり、目指す未来につながる。岩手山登山もその機会だと確信し、担当を申し出た。

  苦労は買ってでもしろとまでは思わないし、高いリスクには踏み入らない防御力も必要だ。しかし、実際にやってみないと分からないことは多い。今回の経験では、登山の取材の大変さとやりがいを理解できた。

  ただただ失敗を怖がって何もしないより、不完全で成果も悪くて、人よりのろまかもしれないが、無理のない範囲で、今できることに挑戦していきたい。近道でなくても、小さな積み重ねとその経験は、のちに大きな自信や深みとなり、他人の苦労や痛みを理解できる材料になる。岩手山への初登山は、そんなことを胸に刻む機会になった。



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