盛岡タイムス Web News   2018年   8月  31日 (金)

       

■  滴石史談会 雫石に探る戊辰150年 橋場の三柱神社など 古戦場へツアーや講座


     
   雫石町橋場の三柱神社から、戦場となった橋場の集落を説明する関さん  
   雫石町橋場の三柱神社から、戦場となった橋場の集落を説明する関さん
 

 戊辰戦争終結150年の今年、雫石町の滴石史談会(大村昭東会長)は9月2、16、23日の3回に分けて、戊辰戦争の戦場となった町の歴史をひも解くバスツアーや歴史講座を開く。幕末の1868(慶応4)年8月21日、盛岡藩は雫石の農兵と共に秋田領に進撃。9月28日には、同町国見と坂本川沿線で警護の盛岡藩兵と新政府軍が衝突。旧橋場村(現雫石町橋場)の三柱神社周辺で戦いが繰り広げられ、村は炎上した。150年を機に、当時の人々への鎮魂のため、知られざる歴史を語り継ぐ。町の歴史を研究する史談会の関敬一さん(69)に話を聞いた。

  関さんは「(歴史には)光があれば影もある。戊辰戦争から150年が経ったいま、光の当らなかった部分を語り継ぐ必要がある」と思いを語る。

  国は明治150年の節目の今年、全国で明治以降の歩みを次世代に伝える取り組みを行っている。だが、明治150年は、同時に戊辰戦争後150年でもある。史談会は、戊辰戦争の中でも壮絶だった東北戦争の渦中にあった150年前の雫石を知ってもらうため企画した。

  東北戦争は同年1月に薩摩・長州主導の新政府から仙台藩へ出された会津藩討伐命令で始まる。仙台藩は当初動かなかったが、3月22日に奥羽鎮撫総督府と新政府軍が仙台に上陸。東北諸藩は、藩内で新政府と幕府のどちらの陣営に付くべきか揺れることとなる。

  緊張が高まる中、6月18日に奥羽鎮撫総督府と新政府軍が盛岡藩に到着。同24日に鎮撫軍の九条道孝総督以下数百人の兵隊が臨済寺(現雫石町下町)に宿泊し、雫石を通過。7月に秋田藩が奥羽越列藩同盟を離脱すると、急速に開戦の気配が近づいてくる。

  「いま一度、理不尽な戦いに巻き込まれた人を思うべきだと思う。東北諸藩で意見が分かれている中、本当に戦争をする必要があったのだろうか」と関さんは投げかける。

  史談会によると、雫石郷には当時10カ村があった。開戦が近づくと、各村から40人の村民が藩命で農兵として派遣。8月21日に盛岡藩は国見峠(雫石口)から秋田領に進撃した。一進一退の攻防となったが、9月22日に会津藩、25日に盛岡藩が降伏した。

  だが、雫石では28日に新政府軍との小競り合いが起きていた。この戦いについて、関さんは「(雫石の)戦いは本当に小競り合いだっただろうか」と話す。

  当時、盛岡藩兵は雫石に約160人駐留。秋田領から進軍する新政府軍と道の駅雫石あねっこ近くの三柱神社周辺で戦いとなり、藩兵13人と新政府軍2人が死亡したとされる。犠牲者には雫石の住人5人も含まれていた。その激しい戦いの跡は、銃撃の弾痕という形で現在も神社内に残されている。この他にも町民に当時の状況が伝わっていると言う。

  関さんは「女と子どもは山に逃がされたという話もある。町史にも記載されているが、町の歴史をひも解く機会にしたい。苦難の末に、いまの雫石があることを知ってもらいたい」と話していた。

  第1回は、9月2日午後2時から町中央公民館で参加無料の事前学習会を開催。秋田の北浦史談会も参加予定。第2回は、16日午前9時と午後1時の2回に分けてゆかりの地を巡るバスツアーを行う(参加料300円)。第3回は23日午後1時半から、中央公民館野菊ホールで作家の平谷美樹さんが楢山佐渡について講演する(当日入場料500円、中学生以下無料)。問い合わせは史談会事務局(電話・ファクス692―2392)へ。


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