盛岡タイムス Web News   2019年    3月  15日 (金)

       

■  「赤い鳥」展で省三と対面 鈴木三重吉の孫潤吉さん 野の花美術館に来館


     
  深沢紅子野の花美術館を訪れ展示を見る鈴木潤吉さん、廣嶼館長、渡邊学芸員(左から)  
  深沢紅子野の花美術館を訪れ展示を見る鈴木潤吉さん、廣嶼館長、渡邊学芸員(左から)
 

 深沢紅子野の花美術館(廣嶼康子館長、盛岡市紺屋町4の8)で24日まで開催中の「童話童謡雑誌『赤い鳥』展」に12日、「赤い鳥」を創刊した作家・鈴木三重吉(1882〜1936)の直系の孫に当たる鈴木潤吉さん(65)=神奈川県横浜市在住、学校法人長沼スクール顧問=が来場した。

  鈴木三重吉赤い鳥の会会員の潤吉さんは、企画の相談や情報集めに協力。廣嶼館長や渡邊薫学芸員の説明を受けながら展示内容を見て回り、祖父や盛岡市出身の画家夫婦・深沢省三と深沢紅子らの活動、その時代の人々の交流に思いをはせた。

  1918年、三重吉が創刊した「赤い鳥」を東京美術学校の生徒だった省三が手に取り感銘を受ける。その後、省三は同郷の先輩の紹介で同誌に挿絵を描いていた清水良雄と出会い、同誌に挿絵を描くきっかけをつかむ。潤吉さんはこの話に「すごいご縁」といい、「(省三が)三重吉と出会ったのはその1年後くらい。最初は酒の席で三重吉が省三さんを『無礼だ』としかり、省三さんが『こんな人とはもう二度と会うもんか』と思ったという記録がある。でも、そのうちに仲良くなっていった」と話した。

  三重吉と省三は「社長」「ショウベエ」と呼び合い、ともに酒を酌み交わす仲になるが、最初の頃は挿絵の原稿料がほぼ支払われなかったという。

  潤吉さんは「よく諦めず、金にならない『赤い鳥』についてきたなと思う」と感心。廣嶼館長は「省三先生は、描くこと自体が楽しかったのでは」、渡邊学芸員は「後に画風を描き分けるきっかけになったのが、『赤い鳥』の仕事だった」と話した。

  53年生まれの潤吉さんは36年に亡くなった三重吉と面識はないが、おばに当たる三重吉の長女・故鈴木すずさんから祖父のことを伝え聞いてきたという。「おばの言葉から考えると、(祖父は)マルチメディアのプロデューサー。いろいろなことを企画して実行した」と話す。

  同展を「素晴らしい展示」と称賛し、「こういう形で省三さんの郷里の盛岡で展示が行われるのは、ご本人も天からご覧になって誇らしく思っていると思う。祖父も天から一緒に見て、『潤吉が盛岡でショウベエの絵を見ているぞ』と笑っているのでは」と話した。


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします