2004年 12月の天窓
▼ 2004年 12月 31日 ― 還流の行く年くる年 ―
 大みそかを迎えると、行く年への思い、くる年への願いが交差する

▼今年は「韓流」という流行語も生まれたほど、「冬のソナタ」や「美しき日々」などの韓国映画や、それを演ずる俳優らが日本に流入して、ファンの間に熱狂的なウズを起こしたことが印象に残る。ほほ笑みの貴公子、と敬愛される男優への中高年女性らの過熱した追っかけ現象もあった
▼それが、「様様様様」と様を4文字並べて「ヨン様」と読ませる世相反映熟語を誕生させ、笑いも誘った。夫や子供らを留守番にし、貴公子男優の元へひた走るおばさまたちの姿。それは、満たされなかった青春へ、ひととき、立ち返ろうとする回帰現象である、との論評もあった
▼だから「韓流」ではなく「還流」である、ともいう。常に原点へ還(かえ)ろうとする、人々に共通した内面の指向が象徴されている、と格調高い解説も添えられている。確かに自身を初期設定に戻そうという願望は、おばさまたちだけでなく誰にもあるのだろう
▼昭和20年生まれの人はくる年には還暦を迎える。日本という国も敗戦から60年の還暦になる。還暦は生年の干支(えと)にめぐり還る意だが、振り出しに戻る思いで心新たに再出発する年、と自覚すればいいのだろう
▼還暦当事者は健康長寿への清新な門出に。国は、廃虚から平和憲法を掲げ歩み出した原点回帰の論議構築を。05年は、なべて初期設定に戻してみる符節かもしれない。「還流」を意義あらしめる良き年になれば、と願う。


▼ 2004年 12月 30日 ― 平和で元気の出る年に ―
 平成17年は酉(とり)年。ある新聞に昭和20年が酉だったことが記されていた。太平洋戦争が終結した年、つまりは日本が無条件降伏した年に当たる。日本が米軍などの連合軍に戦いを挑んで、散々な目にあった上、無条件降伏した年が酉であったと記されていた。しかも軍鶏(しゃも)であったろうと、なかなか面白い見方をしていた。酉年生まれの方は複雑な思いをされることだろう。
▼昭和20年は、3月10日にB29が昼夜を問わず無差別爆撃し死者8万人以上。3月17日には硫黄島守備隊玉砕で2万3千人戦死した。4月7日には世界最大の戦艦大和が米軍の攻撃により沈没。4月30日、ドイツのヒトラー総統自殺。6月23日、沖縄の組織的戦闘終結、死者15万人。8月6日広島に原爆が投下され死者14万人。8月9日長崎に原爆が投下され死者7万人。8月15日、終戦の詔勅・太平洋戦争終結となっている。
▼その12年後の1957年の酉年は、南極昭和基地を設営して観測隊派遣、カラーテレビの実験開始、スーパーマーケット出現。次の12年後の1969年、東名高速道全通、東大安田講堂占拠事件、さらに12年後の1981年は、中国残留日本人孤児来日。さらに12年後の1993年は、皇太子と小和田雅子さんの結婚などとなっている。
▼2005年の酉年はどんな年になるのだろうか。昭和20年終戦以来60年を経て、干支(えと)の上では5巡目、還暦の酉になる。平和で元気の出る酉年にしたい。


▼ 2004年 12月 29日 ― 家族の絆問うドラマ義経―
 年明けの1月9日から始まるNHK大河ドラマ「義経」は、主人公が幼少期と晩年に身を寄せる奥州・藤原氏の居城も主要な舞台となる
▼93年の高橋克彦原作「炎(ほむら)立つ」以来のご当地関連大河ドラマだから、期待も弾む。本県が物語のステージになるだけでなく、歴史公園・えさし藤原の郷ではロケーションも行われ、京都の場面などもここで撮影されている
▼主役を演ずる滝沢秀明さんらに交じって、多数の地元メンバーのエキストラ出演もある。貴族や町人、武士などの衣装に身を包み登場するから、話題も広がろう。これとは別に女優の上戸彩さんが「あなたに聞きたきことぞある」と、義経役の滝沢さんに会いに行くテレビCMも江刺でロケされ全国放映中だ
▼大河では66年にも、村上元三作の「源義経」をドラマ化しているが、今回は宮尾登美子の「平家物語」が原作。繊細なまなざしで描く人間愛。肉親間の背信や憎悪。敵将・平清盛にわが身を委ね、義経ら3人の幼いわが子の命を守る母・常盤御前の葛藤。義経と異母兄・頼朝との心の離間模様など、見所は尽きない
▼清盛は源氏の嫡男・13歳の頼朝を捕え処刑しようとするが、自身の継母の嘆願により助命してしまう。やがて自らが助けた頼朝・義経によって平家は滅亡する。ふそんで巨悪、と伝えられる清盛像が秘める優しさをどう描写するのか
▼家族や親子のきずなが問われる今。それを解く鍵を見いだせたら、というのが制作の狙いだという。

▼ 2004年 12月 28日 ― 小泉首相の初詣では ―
 いよいよ年末も押し詰まってきて、今日28日は官公庁などの仕事納めが行われる。どのような形で行われるのかはそれぞれの職場によって異なろうが、午前中は大掃除や書類などの整理を済ませて夕刻から今年1年の反省を行い、新年に向けた準備に入るのではなかろうか。
▼民間の企業などでも、29日か30日ころに一応は夕刻に仕事納めの形式をとって、それからはそれぞれの部署で年末年始の「稼ぎどき」に立ち向かうことになる。部門によっては「年末年始は休みなし」のところもあって、年間最大の繁忙期に当たっているところもあろう。
▼元日の天気が気に掛かるところであるが、来年の景気回復などを願って元朝参りをする人も多かろう。ところで、小泉純一郎首相は靖国神社初詣でを行うのだろうか。ことあるごとに中国などから反発をかっているが、日本国民から見ると余計なおせっかいだと思いつつも、相手の方ではいつまでも反発を強めている。
▼7月から靖国神社第9代宮司に南部利昭氏が就任した。南部の殿様が靖国神社の宮司に就かれて初めて初詣で客を迎えられるが、首相の靖国参拝が実現すれば宮司におかれてもいいスタートになられよう。
▼国を守り、命をささげた英霊に追悼の誠をささげるのは国民として当然のこととして、初詣でに行かれるのだろうか。まさか、伊勢神宮とか出雲大社にとはいかないだろう。日本の伝統でもある初詣でをやるのか、やらないのか国民は見守っている。

▼ 2004年 12月 27日 ― 酒飲み運転の先生へ ―
 今年も教職にある人たちの不祥事が相次いだが、22日深夜には、ある小学校の先生が、信じがたいような酒気帯び運転で摘発されている
▼その夜は花巻市内の温泉で、勤務する学校の忘年会が宿泊予定で行われた。この先生、午後7時ごろからの宴会で、ビールや日本酒を飲む。酒宴の後も宿泊用の部屋に移り、同僚らと22時30分ごろまで缶ビールなどを空ける。不可解なのはそれからの行動だ
▼ロビーで小休止した後、自家用車を運転したというのである。県道で蛇行しているところを花巻署員に摘発されたわけだが、衝突事故などに至らなかったのがせめてもの救いだ。それにしても、子供たちに指導、教育をしている先生が、心の抑止力を失っているこの姿には、寒々しいものを感じる
▼そんな報道に憂い顔でいたところへ、00年11月に、飲酒運転者による暴走事故で、7歳の長女・涼香ちゃんの命を奪われた二戸市の大崎昌幸、礼子さんご夫妻から、はがきが届いた。あれから4年になるが夫妻は毎年、命日を迎えるたびに、思いを一文にし関係者に送っているのだ
▼服喪賀状欠礼の便りが寄せられる時期だがそれではない。愛娘をしのびつつ、飲酒運転撲滅へ決意を新たにしているのである。今回も事故の前月にロードレースで1位になり、「らいねんも1いになりたいです」と書いた涼香ちゃんの日記と、飲酒運転許すまじ、との熱い思いがつづられていた▼少なくとも先生方は、こういう叫びを裏切ってはなるまい。

▼ 2004年 12月 26日 ― クリスマスの1日 ―
 昨日は土曜日のクリスマスということで、朝はゆっくりと出社したが、前九年付近では赤い自転車に黒かばんをさげた郵便局の高校生アルバイトに出会った。本当にご苦労様である。年賀はがきの投かんが本格的になってきているのだろうか。こちらはまだ年賀状の記入を済ませていないばかりか、コラム子として、また社では年末年始の取り組みで繁忙を極めている。
▼今年一年を顧みて、それぞれにどのような年であったのかは、これから整理していくことになろう。今年は友人などからの訃報が例年よりも多いように思われたし、それらも含めて昨年ちょうだいした賀状を整理するなどしながら、これからボツボツあて名書きに手をつけていきたいと考えている。
▼24日はクリスマスイブで、クリスマスケーキとして抹茶ケーキを買って家に帰ったが、家族へのプレゼントの購入は忘れていた。何かを望んでいるような顔をしていたが、これまでもろくな贈り物はしたことがなかった。
▼市内の菓子店では、23日がケーキ作りのピークであったようで、ふっくらと焼かれたスポンジケーキをクリームで覆い、真っ赤なイチゴやサンタクロースの飾りつけ、チョコレートプレートなどでデコレーションを仕上げている。
▼この季節はイチゴが年間で一番消費されるときであり、一番人気の生クリームや生チョコと合わせて需要が高まってきている。クリスマスは宗派を超えて各家庭をにぎわしてくれるようになった。

▼ 2004年 12月 25日 ― 中学駅伝、プロセスに拍手 ―
 順位や勝敗を競うスポーツも、中学生ぐらいの段階では、結果よりもプロセス(経過)に見せる健闘に、温かい目を向けたいと思うことがある
▼19日に千葉市で、全国男女48校ずつが参加して開催された中学校駅伝でもそれを痛感した。例えばこれには大地震の被災地・新潟からも出場している。しかも、県内の予選を勝ち抜いて代表となったのは、男子が長岡西中学校、女子は小千谷南中学校チームだ
▼いずれも、被害が甚大だった地域のメンバーである。特に小千谷では、テレビなどでも繰り返し報道されたように、住宅の倒壊などでテントや体育館等の避難所暮らしを強いられた住民が多い。南中の女子チーム9人も例外ではなく、車中泊や他県の親類宅に避難していた選手もいる▼食事もままならない時期も続き、マラソンどころではない逆境の中から、彼女たちは立ち上がる。全国大会へ行こう、を合言葉に、11月に入ると練習も再開。県代表に決まると今度は、総額250万円は掛かるという遠征費用の捻出に保護者らが苦労
▼だがこれも、「家は壊れたが千円ぐらいなら」といった善意のカンパも多数寄せられて、晴れの出場となった。当日は、長岡頑張れ小千谷頑張れ、とこの震災地チームには、沿道からひときわ高い声援が飛んだという。結果は男子37位、女子27位だったが、1人1人が金の思い出を刻んだに違いない
▼本県の男子・湯本中(花巻、42位)女子・下小路中(盛岡、29位)の健闘にも拍手を送りたい。

▼ 2004年 12月 24日 ― ドデ様 ―
 天皇陛下が23日、71歳の誕生日をお迎えになられた。新潟中越地震の被災地への見舞いや、高松宮妃殿下のご逝去、長女紀宮さまのご婚約発表の延期などで公務多忙な日々をお過ごしになられている。あと8日ほどで新しい年、2005年の年賀を迎えるが、健やかにお過ごしいただきたいと願っている。
▼本県は一昨日から本格的な雪となって辺り一面が真っ白となり、朝の盛岡市内はのろのろ運転で渋滞がひどかった。郊外からの出社には1時間から1時間30分くらいかかっていた。
▼会社訪問で九戸村・久慈市方面に出かけたが、九戸インター付近は猛吹雪で寒風が吹きまくっていた。折爪岳も見えなかった。九戸村に入りオドデ館があったが、その「オドデ」という意味が分からなかった。
▼昔話の中に、江刺家折爪岳の草刈場で村の若者が牛まぶりをしていたとき、夕方、やぶの中からうす気味わるく光る目玉の二本足の生き物がピョンピョンと跳びながら若者に近づいてきた。
▼上半身はフクロウ、下半身は人間のように見えた。その生き物はやぶの中に消えていったが、村人はその鳥のような生き物を「ドデ様」と呼ぶようになった。これが由来という。この鳥は、「明日は晴れだ」とか、「夕方雨だ」とか叫び、それがまたピタリと当たったといわれ、そのうちに村人たちは、自分の運勢・縁談・病気、失い物などの願いを聞きに拝礼するようになり、村の家々は大繁盛するようになったといわれている。

▼ 2004年 12月 23日 ― 暖冬にほころぶ梅 ―
 先週末には盛岡にも初積雪があり、いつもの散歩コースでも新雪に冬を踏みしめた
▼週明けも雨から雪景色となったが、やはり異常気象なのか、12月前半は冬が足踏みしていた。全国的にも暖冬の傾向らしく、梅の名所である水戸・偕楽園では、例年より50日ほど早く開花が見られたという。関東だからかな、と思っていたら、本県沿岸からも便りが届いた
▼宮古市の民家では十数輪の白梅がほころび、さながら、早春の雰囲気を醸し出している。大船渡市の西光寺境内でも、いつもなら3月ごろに咲き始める紅梅が開花し話題になっている。「梅一輪 一りんほどの あたゝかさ」と詠んだ服部嵐雪の句が思い起こされる
▼普通の解釈では、一輪、また一輪と咲くごとに《春の暖かさ》が増してくるとの意とされるが、詩人の大岡信さんは、そうではないらしいと言う(第六「折々のうた」岩波新書)。前書きに「寒梅」とあるから晩冬の句ということになる、と
▼寒さが残る中に一輪ほころぶ。読み方も、「梅一輪」で切る形で、まだ一輪だけだがそれだけで「一輪だけの暖かさは感じさせてくれる、あわれさすがに」との気分を詠んでいる、との見解だ。諸花にさきがけて、雪中に花開く梅の潔さは、古来、よく歌われてきたが、それは正常気象下でのこと
▼春待つころの梅花は心弾むが、冬の入り口での狂い咲きは哀れも誘う。そろそろ、本来の寒さに入るのだろうか。クリスマスも、しんしんと降る雪が情趣を深めるのだが。

▼ 2004年 12月 22日 ― 冬至の健康食 ―
 昨日は、24節気の一つ「冬至」であった。この日は北半球では最も日が短く、この日を境に日脚が伸びていくが、寒さは日一日と厳しくなっていく。昔から、風邪を引かないようにと「ゆず湯」に入る習慣があり、また、ところによっては「かぼちゃを食べる」習慣もあるようだ。
▼わたしが小さいころは、かぼちゃと小豆を一緒に煮たものを食べたように記憶している。また、これも昔の話になるが、「かぼちゃ・あずきひっつみ」といって、地方では「かぼちゃばっとう・あずきばっとう」というものを食べていた。今考えるとまさに健康食で、季節の変わり目を配慮した料理であった。
▼昨日は、会社訪問で、一戸・二戸方面に行ってきたが、昼の食事は二戸駅前の有名な「そば屋」で日本そばを食べた。一戸・二戸のそばはおいしいので「大盛り」を注文したが、まさに県北は、そば、キビなどの雑穀・肉などの「食べ物」を売り物にした交流人口を増やすことに限ると思っている。
▼二戸駅前周辺など、市街地もよく整備されてきれいな街になったが、人の往来が少なく、新設された駅前の駐車場ががら空きであった。岩手町・一戸町・二戸市などの各市町村が連携を取って何らかの活性化策を講じなければ静かな寒村になっていくのではないかと思った。特に、冬場の観光施策に知恵を出していかなければならない。東京に目を向けるのも大事だが、盛岡市や八戸市・青森市などに向けた旅客誘致策も有効であろう。

▼ 2004年 12月 21日 ― 良心の囚人 ―
 人としての良心、道徳意識から、善かれと思うことを発言し、普及しようとする。そのように思想・信条を抱いて活動する人は少なくない
▼その行為は基本的人権の発露として、法の上からも保護を受けるのが国際的な流れだが、権力体制維持のためか、思想啓発などを封殺してしまう国もある。政治犯、思想犯などとして裁判もなく拘禁されたり、処刑されたりするケースもある
▼そのような、武器を持たず言論などによる行動なのに、逮捕、投獄されている人たちを「良心の囚人」と認定し、救済を進めているのがアムネスティ・インタナショナルだ。国際民間団体で、1961年にイギリスの弁護士が設立。公正な裁判や、拷問、死刑の廃止などを訴え、世界を視野に運動を展開している
▼ノーベル平和賞、国連人権賞も受けたこの団体から、「良心の囚人」に特定される人を出すことは不名誉なことである。民主化が未成熟な独裁国家などに該当事例が目立つ。成熟度の高い民主国家日本には無縁だ、と思いたいのだがそうではなかった
▼自衛隊イラク派遣反対のビラを防衛庁宿舎に入れて、逮捕、拘留された市民3人が今春、「良心の囚人」認定者とされたのだ。捜査員にドアをたたかれ怒鳴られ、チェーンを切断されて〜、との逮捕劇も戦前の特高を思わせる。拘束も75日に及んだ
▼東京地裁はこの16日、ビラ配布は憲法が保障する表現活動であるとし、無罪判決を出した。「囚人」を解放した司法の健全さが救いである。

▼ 2004年 12月 20日 ― 遠野建設工業の農業進出 ―
 岩手県内で建設業を営む企業等を訪問している。会社の生き残りをかけた企業競争を肌で感じられる。
▼遠野市の「夢とっぷ遠野」を訪れビニールハウスのホウレンソウ畑に入った。面積5アールに23棟のビニールハウスを建てて、遠野建設工業が農業分野に転出している。
▼現地では、建設会社の社員3、4人がほうれん草の栽培に励んでいた。チーフの菊池政勝さんは総務部長であったが、経営という観点から総務・経理に精通していることや社員の意識改革を図ることもあって陣頭指揮を執っている。
▼もともと採算面などで難しい農業分野への進出である。道路の前にホウレンソウの無人売店が据え付けられていた。中に入ってみると、チーフの菊池さんが案内をしてくださった。
▼現在は、寒締(かんしめ)という品種を主に栽培し、採算の面などから北上市の市場に直接出荷している。冬場は出荷まで2カ月ほどを要するが夏場は1カ月程度で出荷できるほどに生育する。今栽培している寒締は糖分があっておいしく、生野菜としても食べられるのが特色。確かに、畑でつまんでみたが生のままの方がおいしい。
▼畑作物は、米のように連作が難しい。したがって土壌の研究が必要で草取りから収穫まで大変な手間がかかるため、人件費などの面で採算が合わないといっている。今は試験的な段階だろう。本業の建設業から独立できるまでにはまだまだ時間がかかるが、立派な事業に成長することを祈っている。

▼ 2004年 12月 19日 ― はつらつ老後の励行事項―
 弱々しい、暗い、陰気、しょぼくれている、汚い、不格好、病気がち。これらが一般の人たちが描く60代像・老人像のイメージだ、とエッセイストの佐橋慶女さんは列挙し、「冗談ではない」と言う
▼ご自身が1930年生まれの74歳。老境にあるといってよかろうが、アイデア・バンク代表や伝承塾塾長のほか、高齢者の自立・自助を提唱、推進するオパール・ネットワーク代表も務め、各地をパワフルに飛び回っている。赤系のカラフルな服装で、若さをアピールもする
▼先日、所用先の他県でこの人の講演を聞く機会があった。テーマは「輝く中高年の生きがい」。この日も真っ赤なスーツのいでたちで、開口一番、「どう。年には見えないでしょう」と、会場を笑わせる。年配者の生きがい啓発が狙いのせいか、個条列挙型の話がポンポンと続く
▼シンプル、スリム、センスを心掛けようという3S運動など、ハウ・ツウ(実用手引き)に傾くきらいの話材が気にはなったが、誰にも分かる具体論だから、皆さん、うなずきながら聞き入っている。健康で輝いて生きるための励行項目は、佐橋さんの持論だがこれも分かりやすい
▼「一日一読(新聞でも本でも)」以下毎日「十回は笑う」「百回深呼吸」「千字書く」「一万歩歩く」「毎食最低十種は食べる」。これを実行すれば暗く弱々しい老人像は変わり、はつらつと生きられる、と彼女は訴える。母亡き後、1人暮らしをした実父を励ましつつ、実証した体験に基づくらしい。

▼ 2004年 12月 18日 ― 忠臣蔵と観光資源―
 年賀状の受け付けが始まり、いよいよもって年の瀬が近づいてきた。12月といえば忠臣蔵だが、本紙には斎藤五郎氏の「最後の忠臣蔵、寺坂吉右衛門異聞|墓は盛岡にあった」の連載を7日から8回にわたって連載し読者からの反響があった。
▼12月14日は、「忠臣蔵・討ち入りの日」ということで、東京台東区松坂町の本所吉良邸跡を写真入りで紹介。浅野内匠頭の切腹の場所が一関藩田村家の江戸屋敷ということで、一関市が歴史的観光資源として兵庫県赤穂市と姉妹都市を結んではとの提言も掲載されている。
▼一関田村家藩は、仙台藩の支藩であったが、その当時、元禄14・15年ころの盛岡藩南部家はどのような状況であったのか。凶作飢饉(ききん)に苦しんでさまざまな救済策をとっていた。盛岡城(不来方城)の完成が元禄15年(1702年)であった。文禄2年(1593年)の起工から109年もかかっている。
▼斎藤五郎氏によって、寺坂吉右衛門とかかわりがあるといわれる、盛岡市下米内永福寺、同鉈屋町の千手院、同北山の報恩寺、愛宕町の恩流寺など縁のある寺院が出てきている。四十七士の中で一人が生き永らえた寺坂吉右衛門が盛岡とかかわりのあることなどは存じていなかった。今回の連載を拝読して歴史認識の浅さを反省させられた。みちのくの小京都といわれる盛岡市周辺には歩いて観光できる観光資源がたくさん眠っている。もっと真剣に観光資源を掘り起こさなければならない。

▼ 2004年 12月 17日 ― 中国は開発援助卒業生―
 今このコラムはIBMのノートパソコンで打っている。友人から譲り受けたお古である
▼国産でも優れた製品が出ているから、舶来機種を使おうとどうということはないのだが、90年代前半ごろまでは、世界第1位のマーケット・シェア(市場占有率)を維持していたから、それなりにいい気分でこれを愛用している
▼それだけに先ごろ米IBMが、パソコン部門を中国最大手の聯想(レノボ)に売却することを決めた、とのニュースにはびっくりした。売却額は日本円でおよそ1288億円という。目覚しい進展を続ける中国産業を象徴する出来事として、各方面から注目されている
▼他社の追い上げで、シェアも現在は第3位に低落したIBMは売却時で5億ドルの負債があるというが、これも聯想が引き継ぐというのである。破竹の勢いの中国、と言ってもいいのかもしれないが、問題は日本だ。中国は途上国として後方を走っていたから、ODAという開発援助をし、今も続けているのだ
▼11月に出された参院ODA調査団報告書では、中国の直近の名目GDP(国内総生産)を物価水準で換算すると6兆4358億ドルで、日本の4兆3264億ドルを上回っていると指摘。かの国はもう開発援助卒業生であることを明らかにしている
▼そればかりか中国は、他の途上国に援助をしているというのだから笑いたくなる。こちらが大国ぶっているうちにあちらが超大国になっている。日本は内にも外にも血税使途の精査を欠く。

▼ 2004年 12月 16日 ― 岩手競馬再生の道を―
 岩手県議会本会議でも県競馬組合への50億円の低利子融資案件が否決された。無所属系の政和会と一部議員の賛成があったものの、大半の議員の賛同が得られなかった。
▼県競馬は、平成16年の単年度で約40億円の赤字、累積では平成16年3月末で104億円の債務を抱えている。馬券売り上げの減少や施設への過剰投資などが原因で2000年度から赤字に転落。構造的な欠損状態は10年ほど前から始まっていたと推察される。
▼14日の県議会、農林水産委員会、総務委員会の両委員会では7・1、あるいは7・2で県の50億円融資について反対とする議員が多かった。このことは、県民の声を表しているものと受け止めなければならないが、現時点では経営責任というよりも、当面、県競馬を継続するに当たって資金運用などをどうするかということだろう。
▼民間金融機関にはいくらでも資金はあろうが、なぜ銀行から資金借り入れができないのか大方の県民は理解できない。当然に利子がつくことであり、返済方法や保証が求められる。補助でもなければ貸与や贈与でもない。単純な貸付であろう。融資された資金でもって経営の再建を図ることが求められている。
▼経営改善の中身が、抜本的であり、かつ的確なものになっているかが問われている。まずは、すべてを原点にさらすなどして立ち上がっていくものであってほしい。再生の道を一日も早く築いていかなければ金利が日一日とかさんでいくのではなかろうか。

▼ 2004年 12月 15日 ― 多子家庭のだいご味―
 小学生らの作文などを収めたある文集を拝見していたら、「わたしのきょうだい」と題する一文に目が止まった
▼小学2年生女児の作品である。「わたしたちは、四人きょうだいです」との書き出しは、一人っ子家庭が増えている少子化社会のイメージがあったせいか、ほのぼのとして新鮮に響いてくる
▼彼女は、一番先に生まれたお姉さんの目で、きょうだいを細かく観察している。小さい妹はまだ9カ月で、顔や手はブニュブニュ。いないいないばあ、をするとキャッキャと笑う。ティッシュを全部抜くいたずらもする
▼もう一人の妹は2歳。「宿題やったの」と、よくお母さんのまねもする。偉いのは好き嫌いなく食べること。これはわたしも見習わなきゃ、と思う。たった一人の弟は乱暴だから、よくけんかをする。でも、旅行に行き離れたとき、その弟と遊びたいなと思う
▼ときどき「一人っ子がよかった」と思うこともあるが、4人で遊んだり笑ったりするのはとても楽しい。だからずっと4人で仲良くしたいと思う。作文はそう書いて終わっている。昔ならありふれた光景だろうが、少子化傾向の渦中では、純な目がとらえた豊かなきょうだい像は、大人たちに問い掛けてくるものがある
▼今月発表された「少子化白書」では、第2次ベビーブーム世代が出産適齢期に入るこの数年間が、「歯止めの好機」と指摘している。若い夫婦が、作文にあるような多子家庭のだいご味を知ることも、大きな起爆剤になるであろう。

▼ 2004年 12月 14日 ―冬の観光対策を―
 本県の冬の観光対策はできているのだろうか。新潟県は、中越地震による風評被害が出て、スキー修学旅行などのキャンセルが出ていると聞いている。本県でもスキー場は雪が降らず開店休業状態が続いている。冬場のレジャー産業を盛り上げることが、全体の活性化や復興にもつながるだろう。
▼このことは、冬の温泉宿にも共通していることで、新潟県の湯沢や村上市などでは、東京圏などでPR作戦を展開していると聞いている。
▼佐渡でも地震の影響で入り込み客が半減しているといわれ、特に11月の佐渡島訪問観光客は約2万6千人にとどまり、前年同月比46%と半数になっている。上越新幹線の運休が大きく影響していると新潟県観光振興課では見ているようだが、余震が今なお続いている状況では今後も回復の兆しは見られないのではなかろうか。JRでも1日の減収が3億4千万円といわれていて、年末の28日の開通に期待をつないでいるようだ。
▼佐渡の冬は「食べ物」が売り物であり、本県内陸の「穀物・肉・野菜・どぶろく・地酒・地ビール」や三陸の「魚介類・雑穀類・短角牛」とも似通っている。本県は温泉地、スキー場、三陸の魚、平泉などの「義経伝説」など歴史の強みを持っており、それらを売り物にしなければならない。
▼今年は岩手の冬観光を、大いに売り込まなければならないだろう。商工・観光・官民一体になり今年の冬から元気を出してセールスプロモーションを展開していきたいものである。

▼ 2004年 12月 12日 ―今年の1文字―
 アテネ五輪の金メダリスト・北島康介選手が発した「チョー気持ちいい」が、今年の流行語大賞に選ばれたが、この言葉、本当に流行しているのだろうか
▼それとなく周辺に耳を傾けているのだが、とんと聞こえてこない。行く年を顧みると気がめいること、気色の悪いこと、気の毒なこと、気がいらだつことなどがあまりにも多く、気が晴れないままに師走を迎える反動が、北島語録を大賞に押し上げたのかもしれない
▼相次ぐ台風襲来、大地震発生、誘拐殺人、幼児虐待、親の実子殺害、息子の両親殺害、妻の夫殺害、集団自殺、とこう並べるだけでめいってくる。警察の裏金作り、NHK不祥事、「オレオレ」など横行する詐欺。偽装も花盛り。とても気持ちいいとは叫べない
▼拉致をめぐる北朝鮮の卑劣さに怒りの声が噴き出す師走。あすは日本漢字能力検定協会から、世相を一文字で表現する「今年の漢字」が発表される。阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件のあった平成7年から始められたこの一文字募集も、今回で10回目となる
▼初年が震、中毒発生の翌年が食。倒・毒・末・金・戦・帰・虎と続く。さて、災があり殺が目立ち、偽や欺に覆われた平成16年の世相は、どんな漢字に象徴されるか。筆者など始終「憂」を顔に表して暮らしてきたのだが
▼赤穂浪士の里にある大石神社には年末に、忘れたい一字を書いた紙を水に入れ溶かしてしまう「一文字流し」のコーナーがある。この一年は流したい文字が多すぎる。

▼ 2004年 12月 11日 ―合併の狙いは何か―
 平成16年「さる年」は景気の上昇に期待をかけたが、景気浮揚策や建設関係の生き残り策は越年になりそうだ。それに加えて、国際興業・ダイエー・西武グループ・ミサワホーム・近鉄バッファローズ球団・古牧温泉などの再建問題や岩手県競馬組合の再生問題などが表面化し厳しさを増している感じである。
▼市町村合併の話は一関市を含めた両盤9市町村による平泉市構想が、振り出しに戻る事態となった。今年一年の景気は一時上向いてきていると政府筋から発表されたが、北東北などでは一向に改善されていないようだ。
▼ある会合で景気が上向いてきているのは、名古屋と東京周辺ぐらいだろうという話が出ていた。そうした傾向が少しずつ北に向かってくるのであればよいと思っている。来年のえと「とり年」に願をかけている。
▼市町村合併による地域活性化に期待を持ってきたのであるが、平成の合併の狙いは何かについて今一度考えたい。
▼適正規模、地方都市のあり方、インフラ、教育環境、高速交通体系、均衡ある国土、財務の健全化や借金の返済策、地方の自立、国からの補助金・地方交付税の行方、自前の税収、3割自治の実情、合併特例法の活用策、地域の特性や歴史・観光・産業・住民サービスなどをしっかりとおさらいしてほしい。地域住民の生活文化の低下は避けなければならない。その基盤となるものは、産業・経済の活性化であり、先に立つものは何といっても財務の充実である。

▼ 2004年 12月 10日 ―「ぼく、ドラえもん」―
俳優を仕事にする人にとって、登場人物の声、身振り、表情などになり切れるかどうかの迫真性は、常に付きまとうテーマだ
▼真に迫る度合いの深さで、名優か否かの評価も分かれる。俳優業の中で、姿を見せずせりふだけで出演するのが声優さんである。ラジオ時代には花形だったが、テレビ時代の今も、外国ものの吹き替えや、アニメなど活躍の場があり、配役のイメージに声で迫っている
▼声の迫真性については、人気アニメ「ドラえもん」で、主役を務める大山のぶ代さんのしゃべり方にまつわる逸話は愉快だ。しゃがれていて、いかにも幼児っぽい口調。原作者の藤子・F.不二雄さんもその愛らしいドラ声に「ドラえもんはこういう声だったんですね」と感心したというのである▼何しろ、主人公のドラえもんは2112年生まれのロボットという設定。未来から現在にやってきて、タイムマシンや「どこでもドア」など秘密道具を次々繰り出し、戦国時代にも行き、惑星にも飛ぶ。不可能を可能にし、夢を実現させてしまうストーリーは子供たちをわくわくさせる
▼体に付いて悪事を白状させる昆虫・ペコペコバッタなども登場し、大人まで楽しませる。テレビの初放映は1979年4月だから25年が経過したことになる。当時の子供群がすでに親となって、今もわが子と一緒に見ている、という光景も珍しくない
▼高齢になり来春交代する大山さんらは、すでに迫真の域を超え、役に百%同化していると言われる。

▼ 2004年 12月 9日 ―IGR巣子新駅の建設促進を―
 IGRいわて銀河鉄道の利用客が落ち込んでいると報道されている。開業人気も薄くなって、これからが本番の営業となる。滝沢村の巣子新駅や盛岡市の青山新駅の設置によって鉄道利用の増加を図る計画がなされているが、一日も早く実現してほしいと期待している。
▼新駅はこの2カ所だけでなく、県立大学や盛岡大学、岩手産業文化センターなどへの交通手段としても利用できる場所にも設置してほしい。利便性が利用を呼び、利用がさらに利便性を高めるものだろう。
▼新駅の一つである巣子新駅で、用地価格が問題になっているようだ。先日の本紙でも詳しく取り上げていたが、滝沢村は周辺整備事業の計画を半分に縮小して事業費を圧縮した新たな提案を議会に示した。かなり前から不自然な所有権移転があると議会で取り上げられてきたが、ここにきて事態は事業そのものへ影響を及ぼしそうな気配である。
▼村が用地を買収する際には実勢価格で取得するよう望む。決定に際しても透明性が必要だ。しかしみだりに疑念を増長したりして時間を掛けすぎないようにもしたい。現地は地形的にも線路との高低差があり、東北新幹線の架線やトンネルの入り口付近であることから好条件とは言えないところである。それだけに新駅の設置には土地の利用法やサービス施設のあり方などいろいろな観点からの検討が必要だろう。列車利用の利便性と地域の活性化に向けて地域民も前向きに建設促進に支援してほしい。

▼ 2004年 12月 8日 ―開戦の怖さ―
 善かれ悪しかれ、事を開始する意義は大きい。開始後の経過に現れる善悪の結果は、その始点にはらまれているからである
▼戦争で一番怖いのは、爆撃でも殺りくでもなく、開戦そのものである、と言われるのも、そういうとらえ方によるのであろう。きょうは、日本海軍がパール・ハーバーを奇襲し、太平洋戦争を始めた記念日だが、そんな目で歴史を振り返るのも大切なことだろう
▼昭和16年12月9日付のある新聞を見ると、1面には開戦を告げる「詔書」が大きく載り、傍らには「果敢なる電撃戦展開」「ホノルル大爆撃」などの大見出しがある。当座は多くの国民も日の丸日本の進撃に酔い、作家など文化人らも、高揚する思いを文にしたためていた。開戦にはそんな魔力もある
▼異を唱える少数派もいたし、直前まで戦争回避に瀬戸際外交を進めていた史実もある。無分別に猛進していったわけでもない。それでも国益を絡ませた諸国の激しい渉外戦の糸はもつれ、最悪のシナリオが開幕してしまう。開戦を阻止できない恐ろしさを改めて思う
▼あれから63年。正義や大義を捻り出したリーダーが、始動ボタンを押してしまうパターンは今も続く。昨年3月のイラク開戦を踏みとどまっていたなら、と悔やむ人は当の米国にもたくさんいる
▼攻撃、破壊、おびただしい犠牲者。再建・復興。この経緯以外に独裁者を退ける道はないのか。開戦の愚を熟知する日本は「開戦学」でも展開し、ブッシュさんをたしなめてはどうか。

▼ 2004年 12月 7日 ―平泉市の行方は―
 一関市を含めた西東両磐井郡9市町村合併協議会が詰めの段階になって難しくなってきたようだ。今月5日に9市町村首長、議長などの会議が一関市役所で開催されたが、「お互いの信頼関係の修復は難しい」としてもつれていた関係の修復はならなかった。「新市名選定で対立が解けなかった」と表向きは報じられている。
▼9市町村合併協議会は投票の結果、新市名を「平泉市」が1票差で「磐井市」を押さえて決定していた。ところが、一関市の市民の会が11月22日、浅井市長のもとに公開質問状を提出した。その内容は、@合併協の代表委員を市町村一律3人とした法的根拠A委員の選任基準についてB9日の協議会で名称議決の際、過半数で決することとした理由−からなる。これに対して11月26日までに回答するよう求めていたが、実質的には新市名を「一関市」とするよう迫ったものであろう。
▼その前に、両磐9市町村の首長・正副議長は会合を開き、新市名の取り扱いについて協議したが、議論は平行線をたどりこの問題が解決しなければ合併調印は越年もやむをえないとした状況になっていた。翌々日の一関市と室根村を除いた7町村の会合では、合併協で一致決定したことを覆すべきではないとした意見も多かった。
▼はたからみれば平泉市の名称は世界遺産の件で国際的にも知名度を誇り、合併のインパクトを増すように思えるが、それでは一関市民のメンツがなくなるということなのだろうか。

▼ 2004年 12月 6日 ―バイコロジー運動―
 晩秋から初冬へ。寒さも日ごとに厳しくなり、散歩を日課にしている身には、一歩を踏み出すのに、まず勇気が要る
▼澄んだ青空の日が続き、秋色深い岩手山を仰ぎながら歩いていたころは背筋も伸ばしていたが、このごろは前かがみになっている姿勢に気付く。先日、いつもの歩道で自転車が接近しているのも知らず、うつむいたまま進んでいたら、そのペダルを踏む若者に注意されてしまった
▼どやされたような感じで、苦笑しながら、堀口大學(1892〜1981)の詩が浮かんだ。「広い歩道のまんなかを 82歳のよちよち歩き 若い自転車乗りに突き当たり〜」(「消えがての虹」・堀口大學詩集・思潮社)。横転した老人は「おい君 ここは歩道だぞ」と声を振り絞る
▼しっぺ返しに、「ばかヂヂー バイコロジーを知らないな」と、ば声が飛ぶ。この詩集の初版は1978年。作者82歳は同74年だ。自転車を意味するバイクとエコロジー(環境保護)を合わせた「バイコロジー」という環境運動が、アメリカで提唱されたのはその3年前の71年だ
▼進歩的詩人の感覚の新しさには目を見張るしかない。それから30年が経過した今、無公害、省資源の自転車へ人々の熱い視線が注がれている。だが自動車が車道を独占、自転車がやむなく歩道へ割り込む事態の改善は進まない。事故も多発している
▼日本のバイコロジー運動は、「自転車が活きる街」をスローガンに掲げるが、車と人に挟撃され、生き生きと走れないでいる。

▼ 2004年 12月 5日 ―臨時国会終わる―
 12月3日で53日間にわたる第161回臨時国会は閉幕した。今国会は、自民党旧橋本派の一億円献金隠し事件を受けて政治と金のつながりが焦点と思われたが、民主党など野党の追撃もいまひとつで、真相の解明がなされないまま終わってしまった。
▼そればかりか、事件を契機に提出された政治資金規正法改正案は与野党の両案が対立したまま、質疑が行われず次期通常国会に先送りされた。今後は、来年3月の通常国会提出を目標に、小泉純一郎首相の改革の本丸とされる郵政民営化法案に全力をあげてくるのではなかろうか。
▼その前に、12月14日で自衛隊のイラク派遣期間が切れるため、臨時国会閉会後の10日の閣議で1年延長を閣議決定する方針のようだ。自民党旧橋本派の1億円献金隠し事件にせよ、好転していないイラク情勢で不測の事態の火種を抱えたところに自衛隊イラク派遣の重要な事柄が十分に議論もされなかった。三位一体改革の中味についてもあいまいな形で集約されてしまうなど、基本的な骨格が十分に討議されないままにふたをされた格好になり、政治浄化よりも党利党略が優先されてしまった。
▼二大政党制にはまた程遠くなってしまった格好の今臨時国会であった。重要法案を抱えて来春の通常国会を迎えることになろうが、その前に来年度の予算編成が迫っている。2005年一般会計予算は、82兆円規模が見込まれ、国債の発行を減額するなど3年ぶりの抑制型予算になりそうだ。

▼ 2004年 12月 4日 ―負け犬の遠吠え論―
 犬同士のけんかで負けた方がしっぽを巻いて逃げ、遠くに離れてから虚勢を張ってほえる。これが「負け犬の遠吠(ぼ)え」のパターンだ
▼人間社会に当てはめ、競い合いに敗れて引き下がり、陰で勝者をなじったりする姿に例えることもある。辛口エッセイストの酒井順子さんは昨秋、「負け犬の遠吠え」(講談社)と、そのままをタイトルにした本を出版している。連載コラムをまとめたものだ
▼どんなに美人で仕事ができても、「30代以上、未婚、子ナシ」は「女の負け犬」と定義してペンを走らせている。だから、異論、反論、共感、賛同と、この1年間、話題を広げ結果的に大きく部数を伸ばしている
▼売れ筋狙いの定義、との評もあるが、37歳独身の著者が自らを、「負け犬」の1人と位置付けているから説得力を持ち、おかしみを伴って読ませてしまう。「既婚、子アリ」の本書がいう勝ち犬組からも、「結婚してからの方が負け犬みたい」などの声も上がる
▼未婚者を負け犬とは何だ、との抗議も読み込んで、結婚を望みながら叶わず、悩んでいるわたしの負けの感じを述べた。未婚も一つの生態なのに、世間が負け犬と見る、とかわしている。仮に負けと映っても、勝ち=幸福。負け=不幸ではない。生き方の選択なのだ、と活字でほえているのだろう
▼あるインタビューで酒井さんは、読者の反応から、負け犬感は都会より地方の方が深刻、と語っている。確かにみちのく当地でも、30代未婚者からの相談が多い。

▼ 2004年 12月 3日 ―子供が親を襲う―
 最近、物騒で残酷な事件が起きている。水戸市の19歳少年による両親の殺人事件。鉄アレーで寝ている両親の頭をたたいて殺し、祖父も危ないところだった。土浦市の28歳の男性は、両親のほかに姉も殺害されたが、男は2・3年前から殺意を持って母親には度々暴力を振るっていたというから恐ろしい。
▼それらの事件には何点かの似通った事象が表ざたになっている。学校に行かず、仕事もせず、親や家族は厳格で教育関係者や管理職が含まれている場合が多いこと。全国には数十万人の引きこもりがいて、厳しくされる親や祖父母などには反感を持ち、キレルと親に八つ当たりするなど家庭で困っている例が聞こえてきている。いつどこで悲惨な事件が起きるかわからない状態が意外と身近なところに潜んでいる。
▼こうした問題の背景はどこにあるのか。子供のころからのしつけや、家族関係、近隣関係、核家族、親離れ、子離れ、人間社会や学校関係に至るまで問題の根底はどこにあるのだろうか。▼戦後日本の核家族化の進展、世代交代、価値観の急激な変化、教育の問題等々、物資や文化は進んできているが心のケアはあまり進んでいない。何が原因なのかははっきりしないが、過度な被害妄想に陥る必要はないにしても、そのような予備軍が各地にいることを配慮していかなければならない。親子での対話を図ることさえも意外に難しいことを考えるとまずは自分の家庭や職場のことから反省しなければならない。

▼ 2004年 12月 2日 ―橋本元首相の記憶喪失―
 痴ほう症という呼称は、侮蔑(ぶべつ)的ニュアンスがあるとし、来年からは「認知症」と言い換えられる。物忘れがひどくなるのがこの症状のきざしとされる
▼事実あったことを認知できないわけだから、「認知障害」とする案が有力だったが、すでにほかで使われているので「障害」が外された。加齢による物忘れは誰にでも起こり得る。だから、首相経験者でも例外はないのだろうと思ったものだった
▼日本歯科医師連盟(日歯連)による自民党旧橋本派に対する1億円献金疑惑が発覚した際、授受の当事者とされる橋本龍太郎元首相が、「記憶にない」と言明したときのことである。事実を正しく認知していれば、「もらいました」か、「もらっていません」か、どちらかのはずなのに、と
▼巨額の金の出入りを忘失するなど、健康な脳ならあり得ないのだから、認知症ではないのかと、記者仲間で語り合ったものである。11月30日に元首相は、衆院政治倫理審査会でこの件に関し弁明した。先方が渡したと言い、当方会計責任者が受け取ったと言い、換金記録などもあり、「客観的に事実なんだろう」と述べたという
▼関係者発言や記録など、周辺事情から類推したという格好だ。授受の当事者とされるご本人の記憶は戻らないらしく、自分が受領した、という主観的に認知した発言はなかったようだ。審査会も幕引きを計る茶番だと見抜いている国民は、橋本さんも本当の痴ほう症なら救われるのに、と嘆いている。

▼ 2004年 12月 1日 ―日本の行く末―
 日本は、国全体として見るときに、何を望んでいるのか、まことに明白でなかった。目標の定まらないまま、外国文明を受け止め、伝統文化に対する国民一般の態度においても曖昧な姿勢をとってきている。
▼日本人の勤勉、聡明、規律など資本主義の技術、生産力、能率などは西欧以外のところにおいても、条件さえ整えば充分に発展できるということを知らしめたが、日本国民は何を欲するかははなはだ明白でなかった。
▼平和を欲するかと思えば憲法があるにもかかわらず再軍備を進行させたり、国民が原水爆実験の即時中止を望んでいるのかと思えば、その下駄を国連に預けたりすることが多かった。中国の巨大な市場の開拓に熱意があるかと思えば、日本政府は世界の中でも中国貿易に最も不熱心な政府のひとつであるように見えたときもあった。
▼われわれは何を望み、何を欲しているのか、それはまだ形をなしていないと思っている。今、日本の現状の中でわれわれは何を得るのか。これは、可能性の問題であって、それぞれが自分なりに意見を言うことができると思っている。過去の日本人は、開国によって近代的な国家を作り上げることに成功したが、技術的に近代的であったに過ぎない。
▼技術的・物質的な開国に対し、21世紀はおそらく思想的・精神的な開国を。われわれを勇気付ける条件を多くの国民が欲している。道楽のような思想の展開としてではなくて、自分の能力の本当の使い道を探している。


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