2007年 11月の天窓


▼ 2007年 11月 30日 ―八幡平スキー場の存続を―
 八幡平スキー場が今シーズンは営業を中止するという。これに対して田村正彦八幡平市長と八幡平市の雪山ガイド金本大樹さんらが28日に県庁を訪れて阿部健商工労働観光部長に1万2682人分の「スキー場存続」を訴える署名を提出した。
▼国立公園八幡平の自然は本県の宝であり、夏山登山、冬の樹氷、スキーや観光などの面からスキー場を存続させていくことは当然のことと考えている。このことは単に岩手県のみならず、隣の秋田、青森はもとよりわが国にとっての大きな資源として維持していく考えが必要であろう。
▼当面、八幡平スキー場を運営している八幡平観光の経営上の問題である。赤字だからといって県や市が経営を肩代わりすることは現実としてふさわしくないと思われるが、ここに至っては、何らかの策を講じて営業を継続させる決断をしてほしい。
▼八幡平スキー場のみならず、県内の各スキー場や周りのペンション村などでも同じような課題を抱えているのが実態だろう。それはスキー人口の減少が根本的な理由だが、スキー客の動向も大きく変わってきている事情もありそうだ。
▼スキーからスノーボードに変わり、そして貸しスキーが主体になって、スキーを担いで山を訪れる人は極端に少なくなってきている。そうした多様化した顧客の要望や好みに個人経営のペンションなどでは対応できなくなってきている。観光施策を含めてウインタースポーツの活性化策を練り直さなければならない。

▼ 2007年 11月 29日 ―守屋前次官夫妻逮捕―
 容疑濃厚なのに潔白を主張する人物の犯行を、どう立証していくか
▼先ごろ、二夜連続で放映されたテレビドラマ「点と線」も、松本清張の原作も読み映画も見ていたが、アリバイ崩しに奮闘する刑事の推理に改めて引き込まれてしまった。点と点が線となりやがて犯罪の「面」、全容が浮かび上がっていく
▼昭和戦後の政界汚職を背景に設定したこの物語。テレビ画面を見ながら平成の今、眼前に展開する防衛商社をめぐる政官業の贈収賄疑惑問題が頭をよぎる。渦中の人・守屋武昌前防衛事務次官とその妻が昨日、収賄とその共犯の容疑で逮捕された。防衛利権の核心にようやく捜査のメスが入る
▼先のドラマで印象深いのは、主役の刑事が小まめにメモを取り記憶を記録する姿だ。聞き出した関係者の言葉。列車や飛行機、青函連絡船の発着時刻。それら記録の点と点を突き合わせて、偽装工作を見破り真実をあぶり出していく
▼今回の防衛疑惑でも、捜査陣は丹念に関係者の供述を引き出し、証拠を積み重ねて真相に迫っているのだろう。2度に及ぶ国会の証人喚問で、ゴルフなどの接待は認めたものの便宜供与は否定してきた前次官。当局は「記憶にない」を繰り返した証言の矛盾を突き崩す自信を深めたのだろう
▼これで業と官の主役が塀の中に落ち、政治家の関与の有無に関心が集まる。名前が挙がる額賀財務相、久間元防衛相は白なのか黒なのか。血税を食い物にする防衛利権の闇は深い。徹底した解明を期待したい。

▼ 2007年 11月 28日 ―PPPに全国から熱い視線―
 十数年ぶりに郡山に行ってきた。人口約35万人で福島県第一の工業都市化が進んでいる。港を抱えていないため鉄道貨物や道路輸送に頼っている。それでも東京圏が近く、新幹線を利用して1時間20分でつながっているのが強みだ。昔から越後と常磐を結ぶ交通の要衝として開かれてきたところである。
▼東北の建設関係業界専門紙連盟が主催する「東北PFI・PPPフォーラム」に出席したのだが、紫波町企画課長の佐藤勇悦氏が「岩手・紫波町におけるPPP・PFIによるまちづくり事例」と題してプレゼンテーションした。紫波町では紫波中央駅西側の公的機関の開発や浄化槽などの建設をPPP(公民連携)による手法で進めようと検討している。その経過を発表し多くの参加者から注目された。
▼福島大学共生システム理工学部教授の鈴木浩氏は「東北におけるコンパクトシティと公民連携・PPP」と題して講演し、青森市や久慈市の事例を紹介しながらこれからの街づくり手法について所見を述べた。さらに福島県鮫川村地域整備課建設係の矢吹直美さんは「豆で達者な村づくり」と題して、過疎化が進む村の地域活動や廃校になった校舎の活用などによる住民参加型の田舎暮らしの楽しみ方について体験発表した。
▼この10年来、国の方針として公共事業費が毎年削減されてきている中で、地方自治体がPFI手法や民間住民・企業・行政などが一体になって新たな発想で社会資本の整備を進めようと努力している。

▼ 2007年 11月 27日 ―葉っぱの商品化―
 過疎地の村おこし町おこしは高齢化時代の大きな課題。各地の取り組みも話題となる
▼1979年に大分県知事が提唱した「一村一品」運動。同時期に東北工業大学などの応援で本格化した本県・旧大野村(現洋野町)の「一人一芸」を合言葉とした伝統木工芸事業。こうした発想は全国的にも注目され、同様趣向が各地に普及している
▼奇抜な着想で経済効果を上げている地域もある。四国徳島の山々に囲まれた過疎の町。人口2千人ほどの上勝町が手掛けた「木の葉の商品化」はその典型であろう。キツネが木の葉をお金に変える昔話があるが、それを現実にしたアイデアマンがいたのである
▼現在第3セクター「株・いろどり」の副社長・横石知二さんがその人。大学を出て農協で働いていたころ、過疎の町を何とか元気にできないかと考えあぐねていたとき、すし店で耳にした若い女性たちの言葉。料理よりそれを飾るモミジの葉を褒めている。「つまもの」、これならいけるとひらめく
▼葉っぱなら山ほどある、と。料亭に通い器に合うサイズなども研究。販売開始したのが20年前。今では平均年齢70歳で190世帯の農家が、つまもの出荷に従事。年間3億円近くを売り上げている。パソコンで商品管理。年収1千万円超のおばあちゃんもいるという
▼経過は横石さんの近著「そうだ、葉っぱを売ろう!」(ソフトバンククリエイティブ)に詳しい。副題に「どん底からの再生」とある。思わず、枯れ葉を見詰めてしまう。

▼ 2007年 11月 26日 ―材木町よ市が今季閉幕―
 シーズン最終日となる材木町の「よ市」が24日、開催された。関係者の長年の努力によってすっかり定着し、盛岡市の風物詩になった。毎週の土曜日にはにぎわいを醸し出しているが、盛岡駅からも近く、北上川の両側に林立しているマンションの居住者、近郷近在の居住者の楽しみにもなっているようだ。
▼県内の地場産品や地元の農産品など新鮮なものが多くて消費者に喜ばれている。それに材木町商店街の商品の陳列などで町全体の魅力を引き上げているのが強みだ。まずはお客さんに来ていただくのが先決だろうから、いろいろな工夫を加えながら来シーズンも元気に開催してほしい。
▼24日の盛岡は、よく冷えたが、朝から天気がよかったので最終日を飾るにふさわしいと喜んでいたが、夕方から雷が鳴り出して雨が降り始めた。気になったので開会前の午後3時少し前に材木町を歩いてみたところ、有線放送で「きょうは雨が降ろうと雪が降ろうと必ず開催します」といったようなことを予告する放送が聞こえてきた。
▼通りではテントを張ったり、炭火をおこしたりと関係者が開店の準備を始めるところであった。
▼いつものことだが、自分は開会前に出かけてしまうことが多い。冬場などはもう少し早い時間に開始できないものかと思っている。駐車場がなく、ワインやお酒を飲んだ場合に備えていつもバスで出かけている。地元の人にも遠来からの人にも楽しんでいただけるようますますの発展を期待している。

▼ 2007年 11月 25日 ―『浜千鳥』の哀切―
 親類の仏事があり23日は千葉・房総南端の海辺の町に滞在した
▼常春の里といわれる一帯にも初冬の気配が漂い、潮風も北国と変わらないように冷たい。ちょうど旧暦14日で好天にも恵まれ、墓参の後、見上げた夕空には真ん円に近い月影が浮かんでいた。暮れなずむなぎさを数人でしばらく散策
▼波打ち際の寒々とした風情に誘われるように、誰かが「青い月夜の浜辺には〜」と口ずさむ。皆も歌い出して名曲「浜千鳥」(鹿島鳴秋作詞、弘田龍太郎作曲)の話題が弾む。親族のガイドによると、作詞者は現在の南房総市に一時住んでいたことがあり、ゆかりの地に歌碑もあるという▼この歌は大正期に作られたが、今も多くの人に愛唱されている。情景は冬の浜辺とされる。さえ渡る月光の下、鳴きさまよう千鳥を、親を探し訪ねる姿になぞらえる。弘田のメロディーもその詩情を哀切に奏でる
▼鹿島が早世した愛娘をしのんだ作品、と流布されているが、これは誤り。房総の居留先で娘を亡くしたのは1930年(昭和5年)。作詞はその11年前の大正8年とされ、翌年、雑誌「少女号」新年号に発表された。むしろ親を探す悲哀は作者の幼児期と重なる
▼6歳のとき父が行方不明。直後に母が再婚して祖父母に引き取られる。親を訪ね月夜の国へ消えてゆく浜千鳥。夜啼(な)く鳥の悲しさ。この歌詞には父を求め母を慕う幼い日の鹿島の寂しさがダブる。幼少の魂に刻まれた不遇を、詩情豊かに美しく昇華させたのだろう。

▼ 2007年 11月 24日 ―中核市―
 来年の4月1日に盛岡市が中核市に移行することが決まった。21日には中核市指定に関する政令が交付された。12月に開会される盛岡市議会定例会に保健所設置などに絡む18の条例案を提出し、これを受けて年明けに県との間で事務の引き継ぎを行う予定である。これで東北では青森、秋田、郡山、いわき市に次いで5番目の中核市となる。
▼盛岡市は平成18年1月に旧玉山村との合併によって人口30万人を達成して中核市の要件を達成していた。中核市になって県から市に移譲されるのは保健所業務、飲食店、旅館などの施設営業許可、廃棄物処理に関する事務など1835件(9月末現在)であるが、屋外広告物の基準策定の権限や景観作りの条例制定などの準備を進めていると聞く。
▼盛岡市庁舎には「中核市へ移行します」と書かれた横断幕が掲げられている。谷藤裕明市長は「保健衛生や都市計画など移譲された権限を十分に生かし、地方分権の進展に的確に対応した北東北の拠点都市にふさわしい新県都を造っていきたい」とした談話を発表している。
▼同日、池田克典副市長が、矢巾町と紫波町の副町長を訪ね、滝沢村、雫石町を含めた5市町村による広域連携の事務検討会への参加を要請した。中核市移行が正式に決まったことの報告と今後の態勢づくりの協力要請であったろう。谷藤市長がこの日は台湾を訪問中であったが、北東北の拠点都市づくりに向けて新年度から盛岡市は新たなスタートを切ることになった。

▼ 2007年 11月 23日 ―働けど喜びはなく―
 若い人から『「勤労感謝の日」は、誰が何に感謝する日なの?』と先日尋ねられた
▼自分の労働に自分が感謝するほど深さはない。では雇用主にありがとうと言う日なのか。それなら薄給すぎてとても感謝などできないと、彼はあれこれ思いを語った。きょうがその祝日だが法律には、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」と書いてある
▼それを伝えると「ぼくには無理」と言う。親と同居。独身21歳。希望職種になかなか就けず、フリーターをしている。今はレストランのバイトで月収は8万円前後。親に食費を入れ車ローン、携帯電話料、国民健康保険料を払い、小遣い少々で消える
▼年金は未納。暮らしは流行語のワーキング・プワー(働く貧困層)に近い。啄木が歌う「はたらけどはたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり」に似た心境という。祝日の趣旨とは逆に「勤労に失望し、生産の喜びはなく、プワー仲間でぐちを言い合う」のが実態らしい
▼今年は本県の稲作農家でも米価暴落を受けて、先の若者同様の感慨を抱く人が多いのではないか。米60キロの生産経費は国の調査では1万6824円(06年米。本年8月公表)。今秋の米価はそれを大きく下回っている。いわゆる原価割れで悲鳴を上げる農家が多い
▼天皇が新米などを神前に供え、共に食べて、この年の豊かな実りに感謝する新嘗祭(にいなめさい)に由来する「勤労感謝の日」。本来は農家の笑顔こそが画竜点睛であろうに。

▼ 2007年 11月 22日 ―男性茶会―
 茶道裏千家淡交会岩手支部副支部長の川村登氏に誘われて男性茶会なるものに参加した。場所は志家町の名門日本料理「田中」であった。こうした正式な茶会は初めてで緊張した面持ちで定刻の正午少し前に会場に入った。控えの間には会社経営者や医師ら20名ほどが正座していた。
▼別室の茶座敷には、茶釜が仕立てられるなど茶室が整っていた。今年は千利休の孫が没して150年忌に当たるという。正装して正座された席主の岩手淡交会監事鈴木宗基氏が進められた。
▼茶の世界は利休の子孫によって表千家・裏千家・武者小路千家の三家に分かれ今日に至っている。茶の湯によって精神を修養し、交際礼法を究める道とうかがった。千利休が茶道を大成させ、禅の精神を取り入れて簡素静寂を本体とする侘茶(わびちゃ)を広めたといわれている。
▼まずは「濃茶」から始まった。濃茶を3人で回し飲みするところに絆が深まる。茶器類を壊さないように時計などの金具をはずし、低姿勢で茶椀(わん)を見る。和菓子の食べ方、食事、酒のたしなみ方を教わり、「薄茶」に至るまで約2時間を要した。
▼ご飯は「お椀(わん)に一の字の白米飯」が出され、ご飯と汁椀とのお椀を同時にとって食事に入り、最後はお香香(こうこ)に粥(かゆ)汁をかけて食事の仕上げとなる。その間には掛け軸「一期一会」、一輪のいけばな、茶壷、茶筅(せん)、茶杓(しゃく)など茶道具を拝見し、くぐり門などの意義についてのお話をうかがった。

▼ 2007年 11月 21日 ―疑惑の防衛癒着族―
 年間およそ5兆円という防衛予算に群がる政官業の癒着族たち
▼国会の喚問や質疑を通じ、その氷山の一角が浮かび上がりつつある。総予算のうちいったいどのくらいの血税が、彼らのうま味として浪費されているのか。次年度予算編成時期に入ると、前年度比何%削減などと論議されるが、癒着に回る経費の温存を思うとむなしく聞こえる
▼特に軍事機密を隠れみのに透明度の乏しい防衛予算は提示額の内実が見えにくく、巨額の取引に絡んだ癒着族暗躍の温床になりやすい。業者は発注元官僚への接待費用、世話になる政治家への献金、パーティー券購入などを見込み、いわば「甘い汁」分として水増し請求の手口も使う
▼商社・山田洋行をめぐる疑惑はそれを地で行く。すでに同社の元専務が逮捕。接待漬けになっていた守屋武昌元防衛事務次官も、証人喚問で刑事罰も覚悟と漏らし白旗を挙げた格好。一方、守屋証言で接待に同席と名指しされた久間、額賀の防衛閣僚経験者もあいまい釈明で疑惑は晴れない
▼昨年、日米合意した米軍沖縄海兵隊グアム移転に伴う住宅建設問題も再浮上している。米領地に日本負担で建てる住宅は三千五百戸。総額約二千八百億円。1戸73万ドル(約八千万円)と超高値。同型住宅を米政府は1戸17万ドル(約千九百万円)と試算する。これが妥当な相場とされるが、日本はその4倍強の予算を組む
▼七百億円で済むのに二千百億円も上乗せした。これは誰のために用意したのかと疑念を深める。

▼ 2007年 11月 20日 ―健康診断―
 年に1回の健康診断を受けたが、今年になって左目の視力が著しく落ち、左の耳がかなり悪くなっていることが分かった。どうも私の体は左側が弱っているようで、左の肩が痛むし、目も耳も左が弱いようである。
▼歯は数十年前から治療している。視力のほうはメガネをかけることで補える。しかし、耳の治療方法があるのだろうかと気になっている。胃袋は一つだから右も左もなく、早めの診断が大事だと思っている。
▼数年前に血液検査で初期がんが見つかって内視鏡手術をした。今回もバリウムを飲んで胃の検査を行ったが、精密検査の通知が来るのは間違いないと思っている。来年からは胃カメラで検査したほうがよいと思うのだが、会社勤めをしていて一番ありがたいのは定期健康診断を受けられることである。今のところ血圧は正常値に近いものの、糖尿病、頚椎ヘルニア、目、耳、歯、痔などに支障をきたしてきている。
▼もう一つ悪くなっているのは「口」ではないかと思う。年齢と共によくなっていくのであれば申し分ないが、時折失言することありで、後になってから後悔することがある。口のきき方についてはお医者さんに診てもらうわけにもいかず、自分が医者にならなければならない。
▼もう一つ、花の名や人の名前を忘れることが多くなった。必要もないときに思い出すのだが、肝心なときに出てこない。その治療法というものはないものだろうかと思っている。必要なものは実に多いものだ。

▼ 2007年 11月 19日 ―当世七五三風景―
 少子化で祖父母にとっては、孫の数が少なくなっている。かわいさあまって投資額も増えているらしい
▼11日ときのうの日曜日は本来の15日を前後させ、七五三を祝う家庭が多く、式場も写真館もにぎわったようだ。男児の袴(はかま)姿、女児の着物姿も増えている。「一生に1度でもったいないから貸衣装を」と言う若い両親を、記念に残せばいいからと祖父母が説得。買い与えるケースが目立つという
▼おもちゃでもお菓子でも、すぐ要求に応えてしまう。孫からは「おじいちゃん、おばあちゃん大好き」と殺し文句が投げ掛けられる。顔をしかめる父母の傍らで、ほおを緩める祖父母はさらに財布も緩め、善くも悪くも孫との親密を深める循環が続く
▼ただ、半世紀以上の年齢差による感覚の違いだけは顕著。避けられない。今年の七五三で孫が祖父母の制止を聞かず、人気芸人の決めぜりふをまねる場面が、そこここで見られたのもその一例だろう。次のような光景を伝え合い苦笑していた祖父母もいる
▼式場の記念撮影で、袴姿の5歳の孫がきょろきょろする。まっすぐ見なさいと注意すると、いきなり左の手足を激しく上下させ「そんなの関係ねえ」と繰り返す。「オッパッピー」と叫ぶ。撮影待ちでそばにいた晴れ着姿の男児や女児も、同じ振りで合唱を始める
▼子供たちも巻き込んで07年流行語大賞候補にも決まった裸の芸人のせりふが、厳粛な式場を爆笑で包む。困惑の老とはしゃぐ幼。当世七五三の風景である。

▼ 2007年 11月 18日 ―南極観測船「しらせ」―
 南極観測船「しらせ」が16日、南極に向かって旅立った。3代目観測船「しらせ」にとっては最後の航海になるそうで、来年4月の帰港までの長旅となる。
▼半世紀前に誕生したオレンジ色の船体「宗谷」が初代、そして二代目の観測船「ふじ」もオレンジ色であった。三代目の観測船「しらせ」は1983年に就航したが、老朽化がひどいために今回で航海は終わりとなる。
▼「宗谷」は横浜港に係留展示されているが、「ふじ」は名古屋港に係留されそれぞれ展示されている。「しらせ」はどこに係留・展示されることになるのだろうか。退役後に三陸沿岸の釜石、宮古、大船渡、久慈などの港で活躍することはできないものだろうか。
▼4代目の観測船の建造は始まっているが、その名称は既に「しらせ」とすることが決まっている。しかし、その建造の意思決定が遅かったために来年の南極への航海が間に合わなくなった。したがって来年は外国の砕氷船をチャーターして南極までの物資や人員の輸送をやることになったという。
▼経済大国と言われる日本が他国の船を頼って南極観測を継続しなければならないというのは残念に思うのだが、なぜもっと早めに後継の観測船造りをやれなかったものかと思う。
▼地球の裏側のことは分かりにくいことが多いのだが、南極観測はまだやめるわけにはいかないだろう。ただ、秋田県出身の白瀬隊員の名前が4代目観測船にも残ることになったのは何よりであったと思っている。

▼ 2007年 11月 17日 ―脅かされる食の安全―
 白いチョコレートや赤いもち菓子、コロッケに至るまで、消費者を欺く食品業界の不祥事
▼年頭の期限切れ原料使用の不二家騒動など、遠くにかすんでしまうほど続発。食の安全が脅かされている。見破れるわけはないのに、そのつどにおいをかいだり、毒味をするしぐさが癖になってしまったと笑う人もいる
▼13日には、近江八幡(滋賀)の有名和菓子店が歳暮用に関東、関西方面に出荷したおしるこに、吐き気や下痢を起こすセレウス菌が混入していたことが発覚。回収を始めている。同日、札幌では中学校の給食用めん類に、男子生徒がアンモニア水を混ぜる事件が起きている
▼故意も過失も含め食を脅威にさらす問題が後を絶たない。年頭にはもう一つ、スペインのチュッパチャプス社製・森永製菓販売の棒付きキャンデーに、鋭い樹脂破片が混入。なめていた幼児が口の中を切る事故が発生。同様苦情が多数寄せられた森永は謝罪し回収を進めている
▼この種の異物混入も注意を要する。保健所などに報告された異物には布、針金、髪の毛、虫、救急ばんそうこうなどが目立つ。パンに針が入っていた例もある。1904年没のロシアの劇作家チェーホフに「コレクション」と題する随筆がある(「チェーホフユモレスカ」所収。松下裕訳・新潮社)
▼食べ物に混入していた異物をコレクションとして並べるという趣向でそこにも布、くぎ、ナンキンムシ、つめなどが列挙されている。百年後の今も変わらないのだから情けない。

▼ 2007年 11月 16日 ―道路特定財源の行方―
 来年の予算編成の中で注目されるのが道路特定財源の行方であろう。政府ではしきりに一部を一般財源に振り向ける工作をしているようだが、国土交通省や建設業界などは道路特定財源の維持確保に躍起になっている。
▼「車にかかる税は車に還元されるべきもの」として、昭和28年に道路特定財源が設けられた。戦後、わが国の復興が進み自動車が普及しはじめ、交通量も増加していった。道路の整備は極めて劣悪であるにもかかわらず、道路予算がわずかであったために財源確保の必要が高まってきた。
▼有料道路の制度ができて道路財源制度が作られ、道路整備の仕組みも新たにできてきた。そんな中で、1971年に自動車重量税、1956年に軽油取引税、1968年に自動車取得税、1966年に石油ガス税、1955年に地方道路譲与税の諸税が道路整備の必要性を理由として新たに設けられた。
▼その前の1949年創設の段階から揮発油税は車に還元されるべきものとして作られている。税率はさまざまであり、有効期限も自動車重量税が来年4月末、その他は来年3月末となっている。
▼2007年度の税額は国税が3兆4千億円、地方が2兆2千億円、総額で約5兆6千百億円もする多額のものだ。国土交通省は暫定税率の適用を10年延長する素案を提示した。東北地方では道路整備は重要課題であり、車にかかわる税金を都市部よりも多く支払っている。もっと声を大にして継続を訴える必要がある。

▼ 2007年 11月 15日 ―ホームレス中学生―
 子供のホームレスというのは、「家なき子」ということになろうか
▼お笑いコンビ麒麟(きりん)の田村裕が、食べ物がなくダンボールを濡らして口に入れるなど、少年ホームレスの悲哀を語るテレビを見たことがある。漫才用の創作かと思っていたら、自身が「家なき子」だったころの実話だという
▼9月に発刊した自叙伝「ホームレス中学生」(ワニブックス)に赤裸々につづっている。よく読まれすでに百万部を超えたという。笑いとは裏腹な悲しい過去と、そこから脱皮する過程で、彼を温かく支える人々との人間模様を描いたのが共感を呼ぶのだろう
▼裕少年は母が大好きだった。その母が直腸がんで他界。父親もがんを患い克服するが闘病中に会社を解雇。暗転が始まる。中学2年1学期終業式の日。帰ると家には差し押さえの張り紙が。18歳の兄、17歳の姉と自分。3人の子を前に父は、残念だが家には入れない。それぞれ頑張ってほしいと言い残し立ち去ってしまう
▼兄と姉は別行動したが、裕は自らの意思で公園でホームレスとなる。約1カ月、巻貝タイプの滑り台で寝起き。草を食べダンボールをしゃぶったのもそのころ。見かねて自宅に泊めてくれた友人。きょうだい3人が一緒に住めるアパートを用意する友人の親
▼詳細は略すが、その人情と亡き母を敬愛してやまぬ著者のひたむきさが胸を打つ。末尾には、周囲の人が息子の姿を見て、母を褒めてくれるような立派な人間を目指す、と心情を吐露している。

▼ 2007年 11月 14日 ―菊池如水氏が個展―
 盛岡市のギャラリー「彩園子」で、菊池如水氏の個展「旅の想起展」が17日まで開催されている。如水氏の絵は指で描く独特のもので、三陸海岸や安比高原などの自然界を見事に表現している。今回は岩泉町の宇霊羅山や長野県のアルプスの風景なども展示されているが、画廊彩園子の建物内部と如水氏の作品がぴったり調和している。
▼如水氏は若いころに満鉄に勤務し、終戦で引き揚げてきてからは警察関係に職を持ち、三陸沿岸地方に長らく勤務した。満鉄の体験を通じた大陸的な思いと三陸をこよなく愛する気持ちが絵に表現されているように思う。浄土ケ浜の移り変わりを長い間見詰め、海や山の自然と風の変化などを見逃さずに巧みに表現する。
▼今年は岩泉や小本の小中学校との写生会を主催するなど積極的な活動を展開した。岩泉純朴家具の額に如水氏の絵を入れた作品が北海道の木材会社に引き取られた。県北の木材の方途が額縁にも生かされた。
▼既に秋田など日本海側の作品制作に取り掛かっているが、太平洋側とはまた異なった趣の作品が描かれている。
▼如水氏は10年ほど前から三鉄車両を利用した「三鉄写生会」の講師を、宮古市の増坂勲氏と共に務めている。夏の仙台・八戸間直通列車「リアス・シーライナー」運行期間には、その作品が三鉄車内や小本駅などの展示場で発表される。三鉄沿線の風景をこよなく愛し、沿線を日本一の絵描きの場にのし上げたいとの意気込みで取り組んでいる。

▼ 2007年 11月 13日 ―住宅防火に留意―
 火事が起こりやすい季節を前に現在、19年度の全国火災予防運動が実施されている
▼「火は見てる あなたが離れる その時を」が統一標語だ。うっかり「火事の元」を離れる「あなた」に注意を促している。火災は他人事ではないから、まずは自分を戒めたい。県内でも本年は9月末までに409件もの出火があり、35人も亡くなっている
▼前年比で出火は44件増加、死者も13人増えている。非常事態というぐらいの心構えで、防火に敏感になりたいと思う。火災といえば当方にも忘れることのできない悲しい出来事がある。20年来、親しくしていたご一家の惨事だ
▼02年晩冬。自宅が未明に全焼し60代のご主人と、たまたま里帰りしていた30代の子息、その愛児の3人が命を落としたのである。原因はコンセント近くのほこりの発熱などが推測されたが詳細は不明。睡眠中の受難にご遺族には慰める言葉もなかった
▼今回の運動でも住宅防火対策が重点目標の一つになっている。逃げ遅れを防ぐための火災警報器。火が小さいうちに消し止める消火器の設置。高齢者救出の近隣協力体制などを呼び掛けている。万一出火した場合、立ち上がらずに低い姿勢で逃げるようにと、細かな注意を徹底している地域もある
▼室内は天井に近いほど酸欠になり、一酸化炭素など有毒ガスを含む煙がたまる。立つ姿勢では窒息や有毒ガス吸引などで致死率を高めるという。運動期間は15日までだが、火の用心は通年で家族や地域で話題にしたい。

▼ 2007年 11月 11日 ―東北本線を盛岡に導いた大矢精助―
 「歴史を省みないものに未来はない」とは誰が言った言葉であったろうか。盛岡市上ノ橋町の山田公一さんが経営する「ソリスト内加賀野」の資料室には、驚くほどの資料が保存されている。第5代盛岡市長などを務めた大矢馬太郎、鉱山経営や南昌壮にまつわる瀬川安五郎、東北本線を盛岡に導いた大矢精助などを血縁とする家柄でもある。
▼宿泊施設の食堂を改造して資料室にしたものだが、先人記念館や原敬記念館などでも見かけられない貴重な資料と見受けられた。
▼大矢精助は盛岡に生まれ、当時、北上川水運の北上廻漕会社「ほくじょう」社長であった。明治10年代に「岩手にも鉄道を」と誘致委員会の副代表として、当時では極めて過激な運動を主張した人である。
▼明治14年にかつての鉄道寮に勤務した関係から、東北本線の元となる日本鉄道会社理事となって伊藤博文、岩倉具視など長州閥の人脈を活用して東北に鉄道建設運動を盛り上げた。地元では日本鉄道株の引き受けを盛岡の進歩的な旦那衆に働きかけた。
▼今日の東北本線の工事が福島付近に差し掛かったころ、有力な政治家が動いてルートが福島から山形・秋田に至る日本海側ラインに変えられる騒ぎとなったが、大矢精助は「列車とは大きな長屋が走ってくるようなものだ」と、盛岡経由で所定どおり工事を施工するように盛岡ルートを確保する運動に奔走した。岩手県には多くの功績があった大矢精助だが、残念ながら資料は多く残ってはいない。

▼ 2007年 11月 10日 ―雨乞い 平安の昔と今―
 舞台を平安の昔に設定。歌人の小野小町や在原業平らが居並ぶところへ、20世紀の未来から男がやってくる
▼SF作家・筒井康隆さんの「雨乞(ご)い小町」(角川書店)は、双方の出会いから始まる。日照りが長引きどう雨を降らせるかがテーマだ。天を仰いで神仏に祈る往時。天皇が小町に雨乞いの和歌を詠むよう命じたという伝承を織り込んでいる
▼タイムマシンで飛来した男が、その降雨を手伝う展開になる。物語を読みながら21世紀の今を思う。雨乞い祈とうを国家で催すことはないが、渇水騒ぎになり給水車が出動するケースは毎年のようにある
▼通説では小町が「ことはりや日のもとならば照りもせめさりとてはまたあめが下とは」と天に訴えたところ、雨が降り出したと伝えられている。これほど霊験があるならまねをしたくなる地域もあろう。だが、今や科学の時代。中国などではすでに人工降雨を実用化している
▼日本でも小町も驚くような降雨実験計画が先ごろ発表された。気象庁気象研究所などが来年から3年間、夏季に渇水に見舞われることの多い四国で、人工降雨実験を行うという。0度以上の雲には、飛行機で塩の微粒子をまき雨粒をつくる。氷点下の雲にはドライアイスを散布。水蒸気を急冷させ落下させる方式らしい
▼中国では逆に、来年の北京オリンピック開幕日(8月8日)を晴れにする計画を立てているという。自然への挑戦が過激に進むとまた、平安の雨乞いの敬けんさも尊く見えてくる。

▼ 2007年 11月 9日 ―国会の機能停止―
 8日は「立冬」を迎えた。臨時国会は9月10日に開会して11月10日で閉会することになっていたが、会期が来月の15日まで延長される見込みとなっている。
▼安倍晋三首相の突然の辞任に始まって、年金保険料の不始末や防衛省幹部の不祥事など、与党側の責に帰する問題が次から次と表面化し法案審議が進まない。そうした政界の閉そく状態に業を煮やした政界や産業界の元老から「わが国の政治をどうするのか」とした誘導がなされたのだろうか。
▼自民党福田首相から民主党代表の小沢一郎氏に党首会談が持ち込まれ、それぞれの党内でろくに議論もせずに密室で政策協議や連立政権構想にまでに発展してしまったという。
▼なんだか政権与党の不祥事の問題解明もなされない中で、民主党の小沢代表が乗せられてしまった格好になり、4日には辞表の提出騒ぎに発展してしまった。
▼ダメなものや拒否すべきことはキチンと断る毅然とした姿勢が欲しかった。3日間の冷却期間と党を挙げての調整や慰留工作が激しく交わされ、7日夕刻には小沢代表の留任で落着した。
▼県民の側からすれば、政府与党の問題をすり替えて乗せられてしまった感じがする。それにしても数千万円も歳費が支給されている国会議員が2カ月も国会を開いていてほとんど法案を通せないというのはどうしたことだろう。長年の政官癒着や表面化した問題のウミをそのままにして法案を急げというのではない。あまりに問題の噴出が多すぎる。

▼ 2007年 11月 8日 ―小沢民主に引き潮―
 「ズルッ、ズルッと引き潮に足元の砂が崩れていくような予感」
▼これは小沢一郎民主党代表が、4日に突然辞意表明した直後、同党員の友人が漏らした言葉だ。6日には党幹部の慰留に「恥をさらすようだが〜」と辞意を撤回。昨日は謝罪会見をしたが、党内鳴動を満天下にさらしたのだから見苦しい。県内支持者らも戸惑いと不安をのぞかせる
▼自民が惨敗、民主圧勝の先の参院選。生活第一を訴える党への期待。2大政党形成を願う民意。それらが反映した選挙結果だった。「いよいよ次は政権奪取へ」と上げ潮ムードも高まる。
安倍前総理を退陣に追い込み福田後継政権をも、たじたじとさせていた矢先のバタバタ劇だ
▼政策協議や大連立まで話題になったという福田・小沢会談がきっかけだが、国民には最大野
党党首のみっともない独り相撲としか映らない。趣味の囲碁では政界きっての腕前といい、読みの深さでは定評のある小沢党首。その人がなぜ、と誰もが首をかしげる
▼党内引き締めのショック療法という深読みもあり、感情的投げ出しとの酷評もある。福田総理のクリンチ(抱き込み)手法にはめられたとの指摘もある。論評はさまざまだが、一枚岩になれぬことへの焦りにおごりと油断が加わったのかもしれない
▼潮は引きだした。会見で不信はぬぐいきれたか。「変わらずに生き残るためには変わらなければならない」という小沢代表の座右の銘がある。一転守勢に立つこの党にはその実践が切実に求められる。

▼ 2007年 11月 7日 ―二本松の菊人形祭り―
 文化の日の休みを利用して二本松の菊祭りを見物してきた。日本一と言われている祭りにいつかは行ってみたいと思いながらもできなかったが、晴天に恵まれた3日に日帰りでようやく実現させた。
▼安達太良山の裾野に広がる台地に二本松城を造ったのは畠山満泰城主の嘉吉年間(1441〜1443年)に始まるが、今の城郭が築かれたのは丹羽光重城主の寛永20年(1643年)という。
▼山すその丘陵に開かれた城下町には、城郭や池、庭、滝などが復元され、現在は県立霞ケ城公園として一般に開放されている。公園内には樹齢300年を超す笠松、霞池、落差のある霞ケ滝、布袋滝や先心滝があるのが特色となっている。安達太良山からの伏流水があるため水がおいしく、地酒、こんにゃく、納豆、豆腐、じゅうね、などの料理が有名である。
▼高村光太郎ゆかりの智恵子の生家が近くにあって、愛の小径、智恵子記念館、智恵子の杜公園などが丸ごと「智恵子純愛通り」となっている。普通であれば近くの岳温泉に1泊しての観光コースに最適であろう。今回は日程がなくて日帰りの旅となった。
▼今年のNHK大河ドラマは「風林火山」。会場の霞ケ城公園には、謎を秘めた武将山本勘助の生き様が菊人形になって華やかに飾られていた。平泉中尊寺や弘前公園などでの菊祭りを見てきたが、さすが二本松市はスケールが大きい。今回が53回目。毎年20万人もの観菊客が訪れるという。福島県民の誇りでもあるようだ。

▼ 2007年 11月 6日 ―中日落合監督のさい配―
 週明けのとある居酒屋。「さすがは落合監督」「中村紀洋もよく頑張った」などの声が飛び交う
▼各テーブルは永田町のざわめきなど意に介さないような、にぎやかな野球談義である。この国も平和だなと改めて思う。中日が日本ハムを1対0で下し、53年ぶりに日本一に輝いた最終戦は、それだけ印象が深く余韻を味わっているのだろう
▼緊迫した場面でも「いつも通り」「オレ流」とつぶやいて、一見淡々とさい配を振るう落合博満監督。今年のセリーグ優勝は巨人だったが、導入されたクライマックスシリーズという敗者復活戦で勝ち上がり、その勢いのまま日本一を手中にしてしまったのだから手腕は並ではない
▼最終戦大詰めの9回表にも、その並ではない覚悟を見せた。8回まで好投を続け史上初の日本シリーズ完全試合を目前にした山井大介投手を、抑えの切り札・岩瀬仁紀に代えたのである。1点差。もし逆転されれば非難集中は必至。それを悲壮な表情も見せず交代を告げる
▼読み通りに栄冠を勝ち得たのだが、居酒屋で一番盛り上がっていたのもこの継投策の是非。それに最高殊勲選手(MVP)に選ばれた中村内野手起用の着眼の確かさだ。かつて年俸5億円のスター選手だったこの人。05年の大リーグ挑戦が不発。帰国後も不遇が続く
▼今春、落合監督に見いだされ中日のテスト生となり2軍以下の育成選手から再起。どん底からはい上がってMVPを獲得。感涙を手でぬぐう彼に酒席でも共感が広がるのだ。

▼ 2007年 11月 5日 ―原敬忌追悼会―
 4日は平民宰相として親しまれ、本県から初の総理大臣となった原敬の命日だった。大正7年に第19代の内閣総理大臣に就き、わが国の政党政治の基礎を確立。今日の国会議事堂建設の方針を決定したのも原内閣の時代であった。盛岡市出身者として郷土をこよなく愛し、山田線など鉄道網の建設促進、産業基盤の整備や教育・文化の向上など郷土の発展にも尽力した。
▼4日の追悼会は、原敬を想う会の主催だった。会長の谷藤盛岡市長が祭文を奉読し、明治維新の戊辰戦争で賊軍のぬれぎぬを着せられた岩手の地から日本国の総理大臣を輩出して世界平和やわが国の産業・文化の発展と政治の安定に寄与した功績はまことに大なるものがあったと絶大の賛辞を贈った。
▼自民、民主などの国会議員、県議会議員、市議会議員、報道機関代表など多数が参列し、偉大な政治家の墓前に焼香した。
▼子孫謝辞で原敬の孫、原ミサ子さんが、原敬の政治理念が今日の社会に生かされることを期待してやまないとあいさつされたが、政治の混乱が続いているときに再び岩手の政治家から大きなうねりが動き始まるよう期待が込められていた。
▼だが、政治家の道は平坦ではない。国政の場では、福田総理と小沢民主党代表の党首会談が開かれ、大連立政権構想の話が吹き出たが、話題の中心になった民主党代表小沢一郎氏は同じ日、党内に混乱を招いたとして辞意を表明した。政治は激動の中にある。大慈寺は紅葉真っ盛りである。

▼ 2007年 11月 4日 ―新聞配達エッセー―
 上り坂なのにバイクを押して歩いてくる新聞配達の人がいる
▼汗をかき息も荒い。散歩していた70歳の男性が声を掛ける。「パンクですか」と。配達員さんが言う。近くの家に体調の悪いおじいちゃんがいて、夜は眠れずに明け方に眠りにつくと聞きました。この坂でしょ。バイクの音で目を覚ましては悪いと思ってね、と
▼これは先月入選作が発表された日本新聞協会主催の第14回「新聞配達に関するはがきエッセーコンテスト」最優秀作品だ。声を掛けた男性のエッセーで、「優しさを朝刊と一緒に、どの家庭にも配達しているのだと思ったら、目頭が熱くなった」と結んでいる
▼雨の朝。ビニール袋に包まれた新聞を見て、読む人を大切にしてくれることがうれしく、その気持ちを書いたのは11歳の女児(小学生部門最優秀)。夫の突然の死。葬儀準備中の朝。配達員さんがわが家に向かって手を合わせ、頭を下げているのを見て涙が止まらなかったとつづったのは55歳の女性
▼東北から大学進学で上京。新聞奨学生として6百部以上を配る。重みで自転車が倒れ散乱した新聞を拾い集めた体験。台風の日、大雪の朝の奮闘。美しい朝日に見とれつらさを忘れたことなどを書いたのは21歳の女性
▼当方も新聞少年だったから、作品の悲喜こもごもが身に迫る。時代が変化しても、配達員さんに支えられて宅配が維持されている。季節は冬季に向かい苦労や負担は幾重にも重くなる。深く感謝しながら、無事故を祈るばかりである。

▼ 2007年 11月 3日 ―石油価格値上がり―
 11月は別称「霜月」と言われるように、北の方から寒冷前線が下ってくる。昨年は2日に初氷、12日に初雪が降った。暖冬予報の今年もさすがに肌寒さを感じるようになった。
▼こんなとき、石油類の値上げが実施された。週明けには盛岡でもガソリンがリッター153〜154円に値上がりするという。日本だけの話ではなく、世界中が大変な事態になっている。
▼原油の値上げが主な原因とされているが、こうした投機の動きに政府として何らかの対策を打てないものだろうか。このまま業界に任せきりにしてはおけない問題である。
▼冬を前にして灯油、電気料金や紙パルプなどの値上げもささやかれている。一時的な値上げではなくて恒常的な値上げとなれば企業経営の諸経費や日常の生活面にも跳ね返ってくる。
▼中国などでの急激な石油類の需要拡大、工業化、自動車の普及などで石油類の依存度は高まっている。値上げ抑制策を早急に進めることと、石油類の消費抑制策を併せて進めなければならない。
▼節減できることはまだまだあるはずだ。テレビ、パソコンや電灯などをつけっ放しにしているとか、歩いていけるところへも車で出掛けるなど石油類の無駄遣いがやたらと多いのではないか。
▼朝晩の通勤通学には極力公共交通機関を利用することも必要だ。だが、地域によっては交通過疎のところもある。そうした面も含めてエネルギーの節減に向け総合的な取り組みを全県を挙げて実施してほしい。

▼ 2007年 11月 2日 ―女子の本懐―
 品はよくないが、「なめたらいかんぜよ」というせりふがはやったことがある
▼初の女性防衛大臣を務めた小池百合子さんの近著「女子の本懐」(文春新書)を読むと、「女性だからとなめちゃいけないわよ」という思いが伝わってくる。防衛庁が省に昇格。久間初代大臣が不適切発言で辞任した後を受けたわけだが、在任は55日間と短い
▼取引商社との度を超えた癒着で、疑惑を深めている同省の守屋前事務次官との確執もよく知られる。同書にもそのひとこまが出てくる。小池大臣が次官に退任を迫る場面は、まるでブラックユーモアだ。大臣命令で更迭を言い渡された守屋次官は「断じて困る」と拒否
▼退任後は顧問になるよう求められると「顧問では生活できない」と答える。安月給社員の哀願のように見えるから、笑ってしまう。実際には当時の安倍総理の裁量で同次官が退任。後任は小池案ではない人事が行われた
▼痛み分けの形だが守屋氏の退職金は7千万円超という。「生活できない」発言には小池さんも、女だからとなめられたものだと痛憤したのだろう。「女性の新参大臣など赤子の手をひねるようなものと、考えたのだろうか」と書いている
▼安倍改造内閣の留任は自ら辞退。国家防衛の任を努めたことは「女子の本懐」と離任あいさつ。これを著書の表題にした。発売日は守屋糾弾の包囲網に合わせたように先月20日。乗りすぎの声もあるが、小池さんは一連のことでも本懐を遂げ留飲を下げているのだろう。

▼ 2007年 11月 1日 ―コメを食べさせる工夫―
 朝食を食べないで出社する人が20〜30%も占めていることが分かった。特に20歳代では30%以上になっているようで、健康の上ではもちろんのこと、充実した仕事をしていく上でも問題がある。先日、盛岡中央公民館の資料館を見学した折、盛岡南部藩時代のまげわっぱ、「ひつこ弁当」が展示されていた。当時は1人で1日玄米4〜5合を食べていたという。
▼今の人は平均で1〜2合ぐらいになるのだろうか。米余りの原因はそこにもある。おかずは少なかったとしてもご飯はかなり多く食べていたのだろう。
▼先日のNHKテレビ特集番組「ライスショック」によると、外食業者の配達した弁当に食べ残しが多く、まったく手をつけずに返されている実態が報告されていた。小食どころか米を食べない人が増えてきているのである。
▼調理の方法にも問題があり、豊穣(ほうじょう)貧乏というのだろうか。昼時はパンやめん類などに代わっているのだろう。米どころ岩手の今後のことが懸念される。古古米や古米が倉庫に眠っているのはそのような実態があるからであろう。
▼30キロ入り玄米が7千円を割り込めば農家は採算割れになるそうだが、コシヒカリの1等米で今年は5千円が相場であるという。米をそのままで販売していたのでは生産農家の経営が成り立たなくなってしまう。野菜や海産物などと組み合わせる工夫をするとか、道の駅や会社などでも駅弁風にして日替わりのものを販売するのも一方策だろう。

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