2008年 1月の天窓


▼ 2008年 1月 31日 ―歌会始に歴史背負う歌―
 光陰は矢のごとくで昭和も遠ざかり、20歳を迎えた平成。新春1月の結びに年初に催された歌会始を拝し、去りゆく星霜を顧みてみたい
▼鎌倉期にはすでに同様歌会があったとされ歴史は古い。この宮中催事に国民が参加できるようになったのは、明治に入ってからという。昭和の戦後には詠進歌を寄せる人々のすそ野も広がり、海外在住者の作品も目立つようになる
▼「火」が御題の今年。ブラジルサンパウロ州・渡辺光さんの選歌は大規模酪農の壮観を詠む。「晩秋の牧場の地平に野火走り一千頭の牛追はれくる」。日本からの第1次移民団781人を乗せた笠戸丸が、ブラジルの港に着いたのは1908年6月だ。本年は百周年に当たる。悠揚とした牧場の景観からは、一世紀に及ぶ邦人の苦闘と凱歌も浮かぶ
▼アメリカハワイ州のヤエコ・バワーズさんは、久し振りの里帰りだろうか。「機内より見ゆるあかりは漁火か恋ひし日本にああ帰り来ぬ」と万感を込める。生年月日順に発表された佳作の上位だから、年長者であろう。昭和の戦後を背にした人の心情が伝わってくる
▼石川の陶山弘一さんは佳作の最高齢者。引き揚げ船の思い出。眼前に迫る故国の火を歌う。「日本の火が見えるぞと甲板より伝声あれば皆立ち上がる」と。天皇、皇后両陛下はじめ皇族方のお歌、若い世代の詠進歌も拝見しつつ、目に止まる歴史を背負う作品。そこから昭和という時代が遠のきながらも、人々の胸に今なお鮮烈であることを教えられる。

▼ 2008年 1月 30日 ―つなぎ法案―
 道路特定財源の問題が国会で山場を迎えている。29日には3月末で失効する暫定税率の期限を2カ月延長する「つなぎ法案」提出をめぐり紛糾した。谷藤裕明盛岡市長など市町村長の代表も29日には上京して自民党などに道路特定財源の確保方について陳情請願を行っている。
▼民主党などの野党連合は暫定税率の据え置きに反対しているため、年度末までに法案が通らなければ、もしかしたら年度初めから暫定税率が切れてしまうといった混乱が生じてしまう。与党のつなぎ法案は「万が一に備えた」ものである。
▼民主党など野党でも道路特定財源にかかわる暫定税率の延伸には反対であっても道路財源の確保や地方の財源確保に反対しているものではなかろう。またガソリンが一時的にリッター25円程度下がるといった近視眼的な見方のみをしているものではなかろうと思われる。高騰を続けている石油類の値上がりが国民生活に影響を及ぼしているときに、速やかに何らかの対策を講じなければならないのは当然のことだ。
▼来年の予算審議が始まっているときに、租税法のあり方の根本的な議論を始めるといっても時間的に足りない。税法は複雑で多岐にわたっているから、とりあえずは暫定的な措置が必要ではなかろうか。与党では1月中に「つなぎ法案」を提出しておけば参院送付後60日の「みなし否決」を使って3月中に衆院で再可決できるといった魂胆であろう。地方にとっても目を離せない国会となっている。

▼ 2008年 1月 29日 ―運転中居眠り警告機能―
 睡眠中に呼吸が断続的に止まり、寝苦しさなどから日常的に睡眠不足になる
▼近年、知られるようになった睡眠時無呼吸症候群である。日中でも眠気に襲われる。怖いのは車の運転中に眠ってしまうこともあることだ。実際にその症状による重大事故も起こっている。もちろん居眠り運転の背景には、それ以外にも過労や薬服用によるものなどがある
▼一昨日の当欄では国会審議中に舟をこぐ議員諸氏の見苦しい姿に触れた。それもある意味では深刻だが、どんな要因にせよ運転中に睡魔に襲われるとなると、生命にもかかわる重大性をはらんでいる。自分も他人も不幸な死傷事故に巻き込んでしまうこともある
▼これを防ぐためには、健康面や生活リズムも含め自己管理以外にない。それを前提にしながら自動車に居眠り運転防止用の装置を組み込む研究も進んでいる。トヨタ自動車が22日に発表した新安全装置も注目される。同社が開発したのは、運転者のまぶたが下がってくると音や表示で警告を発するという優れもの
▼世界初のシステムで、近く発売する新型車にオプション(別注文)で採用予定という。運転席前面の表示パネル近くに設置したモニターカメラで、運転者の正常な目の開きを認識。目がふさがりかけた状態が続くとパネルに注意マークを表示。ブザーを鳴らす
▼無反応だと体に衝撃を与え、さらにブレーキ自動作動もさせる。ただし同社は、100%検知は難しいが、軽減効果はあると慎重にPRしている。

▼ 2008年 1月 28日 ―小山田義身さんが自分史―
 本県の鉄鋼工業界に顕著な業績を残し、県勢功労者顕彰、勲五等双光旭日章など多くの表彰を受けている小山田義身氏が、このほど創業60年を迎えて自分史を自費出版された。
▼著書の表紙には「創業60年、鉄を乗り越えて、命ある限り挑戦あるのみ」と記されている。大正14年に旧安代町に生まれ、兵役に召集され、昭和19年12月1日には鹿屋特攻基地攻撃第262飛行隊付を命じられている。特攻隊から危うく生き残ることができた。
▼復員後は溶接技術を身につけ、昭和23年10月に小山田溶接工業所を自営されたのが始まり。平成7年春には「オヤマダグループ創業50周年」を開催して50周年記念誌に「夢そして、挑戦」、自分史「不可能に挑戦する、私の歩いてきた道のり」を集大成として発刊している。
▼それから既に10年を経て事業意欲はますます高まっているが、これまで歩んできた人生を振り返ることも多くなってきたという。後輩たちへのメッセージでもあろう。
▼自分が歩んできたことや業界での活躍ぶりなど、茶色になっても新聞の切り抜きを大事に保管されていて、まさに80年の歴史が込められている。
▼本県の鉄鋼業界の草創を歩まれた方でもあり、自ら言うように「裸一貫での起業」だった。盛岡鉄工団地の造成などに人一倍に精力をささげられ、本県産業界に大きく貢献された。こうした人の歩んだ道のりを風化させてはならないと思う。本県建設業界の復興に寄せる情熱に拍手を送りたい。

▼ 2008年 1月 27日 ―福田YK政権」の声も―
 国会の先生たちは大事な審議中によく居眠りをする
▼福田総理の演説も単調。答弁もまるで何かを片付けるかのように原稿をそそくさと棒読み。それが子守歌のように聞こえ心地よくなるのだろうか。あちらこちらでうつらうつらと舟をこぐ。重い責務を背負い昼夜奮闘の疲れもあるのだろう
▼党首クラスや大臣席の居眠り姿が、アップされることもある。議場にテレビカメラが入る劇場型時代だ。受けを狙うパフォーマンスも目立つが、緊張感のない素顔も映し出される。隣席と笑いながらおしゃべりをしている若い議員もいる
▼最近は軽薄な新バージョン(型)のやじもある。先ごろの衆院代表質問初日。自民党幹事長が立ち野党批判をするたびに、自民党席から起こった「えーっ」の合唱。若い女性がよく使う「えーっ。うそー」のあれだ。えっ、それはひどい、と後押しをしているわけだ。戯れにさえ聞こえる
▼議場には真剣ではない竹刀遊びのような雰囲気が漂う。例えば家庭で重大問題に直面したら、一家の柱となる人は、疲れにむち打っても立ち向かう。国会議員は国家の柱だ。株安や年金、暫定税率問題など緊要案件を前に、この緩みは何なのか
▼陣頭に立つ総理のやる気はどうなのか。国交省のガソリン税流用へのコメントなど他人事的発言も多発。「KY(空気が読めない)ならぬYK(やる気ない)福田政権」とのやゆも出ている。淡白やとぼけはスタイルなのだろうが、国会が引き締まる気迫の指揮がほしい。

▼ 2008年 1月 26日 ―ドカ雪の効用―
 盛岡で25センチの大雪が降るなど24日の県内は1日中大荒れの天気となった。一部の小学校では一斉下校したという。激しい雪降りになれば道路も田んぼも何も分からなくなるものだ。ふと、藩政時代には冬の鹿角街道で旅人が道に迷い凍死することもあったという話を思い浮かべた。
▼県内で降雪量がもっとも多かったのは雫石地区の32センチだったようで、一時、高速道が通行止めになったほか秋田新幹線、花輪線などJR線の運休が続出した。雪はやや湿っていたので春のドカ雪なのか。宮古港には黒マグロが入るなど、厳寒の冬に地球温暖化の兆しを感じるというのもおかしなことだ。
▼悪いことばかりではない。山から雪を運んできていたいわて雪祭りの雪像づくりには大助かりだったろう。
▼やはり雪はいい。網張温泉ビジターセンター主催の鞍掛山登山が行われたが、かんじきなどを履いて格好の山に登り、真正面に真冬の岩手山を眺めるのもいい気分であろう。山ウサギなど動物の足跡を見ながら冬の自然に親しめるのは岩手ならではのことである。
▼相の沢牧場付近では、愛好者のクロスカントリーが始まるとかで、鞍掛山登山口から柳沢辺りまで歩くことができるそうだ。今冬は降雪量が多いから条件には恵まれているが、そのような冬の自然を生かした手軽な健康づくりを方々で行えるようにしたいものだ。やり方によっては温泉と組み合わせるなどして「いわて型」の新たな観光客誘致にも生かせるのではないか。

▼ 2008年 1月 25日 ―悩ましい『せんたく』―
 惰性の歩みを打ち破るように時代を動かす人物が歴史にはたまに登場する
▼大政奉還に尽力。徳川幕藩体制から明治へと新しい潮流を起こした坂本龍馬もその一人だろう。親友の武市半平太も「肝胆もとより雄大。奇機おのずから湧出」と評したという。機略に富み気宇壮大であった龍馬の胸中にほとばしっていたものは何だったのか
▼土佐藩を脱藩した浪人の身で薩長連合を仲介するなど、今でいえば政権の行方を左右するほどの働きをした。その情念の核になっていたものは何か。それを示唆する龍馬語録がある。「日本を今一度せんたく(洗濯)いたし申候」と
▼1863年に姉に送った手紙の一節だ。維新史研究者の平尾道雄も著書「龍馬のすべて」(久保書店)で、この言葉に国家改造への積極的な意欲を見ている。さて、百四十余年が経過した今。先行き不透明なこの国に、再びクリーニングが必要なのは確かだろう
▼そんな機運を背景に20日、龍馬語録にあやかった「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合」(せんたく)が発足した。北川正恭元三重県知事を代表に現職知事や学者らが参画。当面は次期衆院選を政権選択選挙と位置付けそれに資するため、各政党の政策対立軸の明確化を目指すという
▼国の洗濯も志す結構な動きだが、各論的な感もする。政権選択にはトップ選びという急所もある。時代は龍馬のような肝胆雄大な人物を求めているが、与野党ともに見当たらないから選択は悩ましい。

▼ 2008年 1月 24日 ―原稿を書く―
 新聞研究1月号を読んでいて感じたのは、「原稿を書く」といった言葉が最近少なくなってきているということ。ある新聞社の新入社員研修では原稿用紙を配って手書きの研修を毎年行っていることを紹介していた。パソコンを使わせずに3カ月間、原稿用紙に鉛筆、手書きの原稿用紙で出稿させる。
▼「鉛筆を削る」といった作業もめっきり少なくなった。赤と黒の鉛筆を鉛筆削り器で削って使用しているが、日々短くなっていくので最近までは2本をつなぎ合わせて紙を巻いて使っていた。近年は鉛筆を削れない人が多くなってきたが、昔は小刀を誰でも持っていて、鉛筆はもちろんのこと竹細工などをして凧(たこ)やこまなどを作った経験がある。
▼ものづくりの原点であったのかもしれないが、今日ではボールペンやシャープペンシルが普及している。鉛筆もチョークも使い慣れしないとうまくきれいな字を書けない。電卓で計算していると暗算が鈍くなってしまう。
▼今はパソコンが普及し原稿を書くのではなく、キーボードを「打つ」というのが主流になってきている。書くから打つになったのだ。しかも近年は打つからたたく、入力になっている。さらに今日ではパソコンのディスプレーに言葉を打っているという感覚になってきた。
▼字を書かないうちにどんどんと字を忘れてしまう。たたけば字が出てくるし、変換もできる、消しゴムが要らない。それでいて何か忘れ物をしているような気持ちに襲われる。

▼ 2008年 1月 23日 ―都市鉱山の埋蔵金属―
 廃棄される品でも利用できる部分は繰り返し利用する資源循環スタイル
▼十和田湖を擁する秋田県小坂町は元は南部領。1816年に金や銀などの採掘が始まった小坂鉱山も当初は盛岡藩直営。後に官営となるが銀の生産高が日本一になったこともある。優れた精錬技術を誇り銅、亜鉛、鉛の精製でも知られる
▼1990年代に本業は閉じたが、今は精錬技術を発展させて最新の再資源化システムを構築。時代の要請に応えるリサイクル工場として稼働している。今月11日、同工場もさらに忙しくなるような試算が、独立行政法人の物質・材料研究機構から発表された
▼金属の多くを輸入に頼る日本だが、同機構は「都市鉱山」という表現で、この国には都市部を中心に豊富な金属資源が埋蔵されていることを数値で示す。金、銀などを製品に含む電子機器や自動車などを対象にその総含有量を算出。貿易統計などに照らし現在、国内に存在する総量をはじき出したのだ
▼使用済み後の精製で再利用可能な量が明らかにされたわけである。それによると金は六千八百トンで世界の現有天然埋蔵量の16%。銀は6万トンで22%。鉛が560万トンで10%。液晶画面の電極に使われ獲得競争の激しいインジウムは千七百トンで61%に及ぶという。この4種は世界一と推定される
▼五百台の携帯電話から14グラムの純金指輪もできると聞くと、解約済み携帯を書棚などに飾っておけなくなる。廃棄物の海外流出も注意を要する。小坂工場への期待も弾む。

▼ 2008年 1月 22日 ―公共交通の充実を―
 きのうは大寒で、真冬の日本晴れの空に岩手山の勇姿がすっきりと輝いて素晴らしい景色であった。郷土の山として自慢したい。冬の寒波に体のほうも大分慣れてきてはいるが、正直なところ氷点下10度近い寒さには参ってしまう。部屋の中にはこたつの外に二つも三つもストーブを据え付けて朝夕の暖房をとっているところである。
▼21日から衆院本会議で与野党の代表質問が始まっているが、今国会では年度末で期限切れを迎えるガソリン等にかかわる暫定税率の存廃や地球温暖化対策が目玉になっているようだ。ガソリンを安くすれば地球温暖化につながるといった見方もあるようだが、車なしでは職場にも作業場にも行けないのが本県の交通事情である。したがって高かろうがガソリンは欠かすことのできない必需品になっている。排気ガスの出ないような燃料でも開発されない限りはガソリンに頼らざるを得ないので、道路特定財源の行方には関心を持っていかなければならない。
▼少年の頃、地球の1周は4万キロ、直径が1万2700キロと学んだが、空気濃度は高度1万メートルで地表近くの約4分の1に低下するそうだ。そんな薄い空気の層に人類は守られている。二酸化炭素排出権とは、割り振られた排出権利より少なく抑えた国などが、残り権利を他に金銭で売却できる制度だが、程度が進めば個人のガソリン使用にも適用される時代がくるのかもしれない。公共交通を充実させることの重要性を併せて考えたい。

▼ 2008年 1月 21日 ―米医療制度と大統領選―
 先進国とはいえ、アメリカには日本のような医療の国民皆保険制度がない
▼マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「シッコ」は悲惨な実例を幾つも取り上げ、これでいいのかと問い掛けている。仕事中の事故で指を2本切断してしまった中年男性に医師が判断を迫る場面もある。「薬指を付けるには1万2千ドル。中指は6万ドル。どっちにしますか」と
▼男性は中指を断念する。米連邦政府にも公的保険制度はあるが、医療費を受給できるのは身体障害者や、65歳以上の高齢者など一部に限られている。先の男性のように一般国民は自費負担か、任意で民間の医療保険に入るなど自己責任を強いられている
▼問題なのは経済的事情などで、4千万人を超える保険未加入者がいることだ。心臓発作を起こしても病院に行くこともできず、座して死を待つケースは珍しくないという。保険加入者でも保険料が安いものを選ぶと、いざ治療費を払う場合に自己負担額が多くなるという懸案もある
▼今かの国では秋の大統領選挙に向け、共和、民主の与野党ともに候補選びの予備選や党員集会が過熱している。名前の上がる候補の中で、公的医療保険制度の拡大・充実に以前から熱心なのは民主党のヒラリーさんだ。予備選初戦でオバマ氏に遅れを取ったが巻き返し、依然として次期大統領を狙う位置にいる
▼知人の娘さんがロス近郊にいるが、医療問題は現地市民の最大関心事だと伝えてきている。選勢の決め手になるのかもしれない。

▼ 2008年 1月 20日 ―道路特定財源税暫定税率の維持を―
 18日開会の第169回通常国会、衆参両院本会議で福田康夫首相が、就任後初の施政方針演説をした。前段では経済成長に向けた戦略、グローバル戦略、生活者・消費者重視の施策などを長々と述べているが、全体を要約すれば次の5つの基本方針を示したことになろう。
▼@国民本位の行財政への転換A国民が安心して生活できる社会保障制度などの確立B活力ある経済社会の構築C地球規模の課題の解決に積極的に取り組み、平和協力国家日本の実現D地球温暖化対策、低炭素社会への転換−である。
▼来年度の予算審議を前に民主党が道路特定財源暫定税率を撤廃する方針を打ち出している中で、今国会ではその是非が大きな争点になろう。自民党などの与党は真に必要な道路整備は続けるとして大枠では現行法制を継続する方針だ。果たして国民はどのような判断を望むのかだ。場合によっては国会解散・総選挙といったことになるかもしれない。
▼だが、道路特定財源暫定税率を単に選挙目当ての材料として扱ってもらっては困る。整備の遅れている本県などでは財源確保や産業振興の上から真剣に取り組まなければならない事柄だ。
▼福田首相は演説の最後で、明治時代の農村指導者石川理紀之助の言葉「井戸を掘るなら、水が湧くまで掘れ」を引用し、日本人の忍耐力と力量を示して締めくくった。大日本人名辞書によると石川翁は秋田県旧山田村出身。「東北の農村復興に生涯を捧げた人」と説明している。

▼ 2008年 1月 19日 ―真冬の月景色―
 県内の今夜は晴れるだろうか。数日前から予報が気になっている
▼ある歳時記に「本当に美しいのは、秋よりも冬の月であろうか」と書いてあったが、もし晴れれば今宵(こよい)は輝くような真冬の月を仰ぐことができる。厳寒の夜。超低温になる大気は透明度を深める上に、この季節の月は天空の最も高い位置(天頂)の辺りを通過する
▼特に目を離せないのは満月前後だ。とりわけきょう19日の夜は、厳冬1月では高度が一番高くなる。旧暦では12月の十二夜で月の形は真ん円でなく幾分欠けてはいるが、午後9時ごろには天頂辺りに差し掛かる。傍らには赤らんだ顔の火星が寄り添うというからひときわ趣がある
▼先ごろ盛岡市藪川で氷点下22・8度を記録し、全国ニュースでも伝えられたが、大寒が明後日に迫り厳しい冷え込みが続く。今夜が快晴なら澄み渡る天空の頂きから、さえ渡る月光が降り注ぐ光景を拝めるのだが、予報では県内陸部は曇りだ
▼でも3日後の十五夜を挟んだ数夜は、月影は天頂近くを通るから望みはある。例えば雲が崩れたとしても、「月を待つ高嶺の雲は晴れにけりこころあるべき初時雨かな」(西行)のように、時雨もみぞれも心ありげに急いで去ってくれるといい
▼雪国だから、月光に白雪が舞うようならなおいい。「たとへてもいはむかたなし月かげに薄雲かけて降れるしらゆき」(覚性法親王)のように、例える言葉もない真冬の月景色を、天は一夜でもいいから見せてくれないだろうか。

▼ 2008年 1月 18日 ―除雪費用を考える―
 今年の冬は例年以上に寒さを感じている。年齢を重ねているせいもあろうが、降雪量も多く気温の低い日が多い。氷点下10度くらいになると人も植物も寒さがこたえる。部屋の中の観葉植物などは新聞で包み、電気ヒーターをつけたりしている。これから大寒、そして旧正月、いわて雪祭りを迎えるわけだから寒さは一段と厳しくなっていく。寒さを地域おこしに生かす道はないものかと思案しているところだ。
▼岩手県建設業協会の宮城政章会長の話によると、福島県では建設業者が除雪作業を辞退しているとか。公共事業費の削減によって建設会社が体力を弱めたことや、人員や機材を整理したため除雪作業に対応できなくなっているのだろう。
▼県や市町村では、予算が極端に不足し除雪経費さえも出せなくなってきて、自衛手段として役場職員やボランティアによる除雪でしのごうとしているのだろうか。岩手県と福島県では単純に比較できないだろうが、会津や只見地方などは本県よりも冬が厳しい土地だ。投げやり的な行政であっては市民が困るだろう。
▼盛岡市周辺では旧玉山の薮川地区、滝沢村、八幡平市、雫石町などの降雪地帯では例年通り建設業者などによって除雪作業が行われている。厳しい予算事情の中ではあるが、必要な予算を確保して効果的に使うことで冬を乗り越えていきたいものである。
▼県でも市町村でも多額の負債を抱えている。長い目で見ながら返済も効果的にすることが大事だろう。

▼ 2008年 1月 17日 ―現代学生百人一首―
 恒例の東洋大学主催「現代学生百人一首」は、年初のひとときをいつも楽しませてくれる
▼第21回(07年度)の入選百首も15日に発表された。応募作6万余首から選ばれたという。鋭い観察や優しいまなざし。内省や迷いもうかがえる作品が並ぶ。31文字には青春の息吹があふれている。岩手からは昨年に続いて県立水沢、山田の両高校から入選者が出ている
▼水沢高3年の馬場史織さんは父の若やいだ寸景を切り取る。「仲間とのそば打ち語る父の顔 白髪頭の少年がいる」と。「青みかんまだすっぱくて食べれない いつかは熟せ私の心」と詠んだのは山田高2年の阿部千恵子さん。育ち切れていない精神のレベルを見詰め、むち打つ
▼青森の中学1年生は「同じ家に住んでいながらすれちがい 牛舎に父を訪ねに行こう」と、つぶやくように歌う。現代の課題も浮かぶ。「レジ袋『結構です』とエコ宣言 その一言が地球を救う」(東京・高1)も時代詠だ
▼「辞書をひき『バレンタイン』の隣には 『破廉恥』があると気付いたあの日」(同・中3)は、おかしみのある発見。東京の看護学生は貴重な体験を。「声だけで私とわかる患者から 触れた時間の重み感じる」と
▼「南天に静かな光十三夜 『かぐや』の便り地上にて待つ」(大分・中1)は明月の寂光と探査衛星の対比がいい。「いくつもの仮面を使ってくたびれた元の自分はどれだったかな」(山形・高3)は率直な省察。大人になるほど同感者が多いであろう。

▼ 2008年 1月 16日 ―技術継承へ大事な時期に―
 成人の日は、新成人の門出を祝う日であるが、13日の式典があれば14日もあった。ましてや夏の成人式を行っている市町村がある。式典は成人の日に限って行うものではなくなった。誕生日がそれぞれに違うわけだから納得できる面もあろう。来年のことを言えば笑われるだろうが、2009年の成人の日は12日になっている。
▼今年の対象者は1987〜1988年生まれで、昭和と平成にまたがっている。来年はほとんどが「平成生まれ」の人たちになってしまう。社会人になった平成生まれの人たちの活躍が期待される時代に入る。
▼逆に明治生まれの世代が少なくなっていく大きな節目を迎えている。明治の最後の年に生まれた方が来年は97歳に達するという。大正の時代に生まれた方も一番若い方で83歳に向かわれる。
▼今年は十二支の始まりの子年になるわけだが、1936年の子年生まれには福田康夫首相、読売ジャイアンツの長嶋茂雄終身名誉監督などが該当している。本県にも各界で活躍されている方が多いことと思われるが、人名録などで調べればすぐに分かる。
▼成人の日を終えると今度は年祝いのシーズンに入る。還暦祝いの案内状が舞い込んできているが、そのお祝いも主役は戦後世代になり、戦中派はお祝いに駆けつける側に回った。日本の高度成長を支えた団塊の世代が、現役第一線を後輩に託す時代に入ったということで、技術国の日本としては技術継承などで大事なときを迎えている。

▼ 2008年 1月 15日 ―生活者主役元年を問う―
 年頭の記者会見で今年を「生活者、消費者が主役となる社会の元年にする」と述べた福田康夫総理
▼これまでの政治がそれに程遠いものであったということだろう。ただ消費者は分かるが生活者という表現は分かりにくい。企業や官僚などの論理に主導されるのでなく、暮らしの現場にいる一般国民に光を当てていくという趣旨なのだろう
▼限定していえば困窮者や、苦しんでいる人々に照準を当てることも忘れてはならないだろう。そのための官僚的判断とは違う鮮やかなほどの政治決断もたまには見たい。実際は政権発足以来、物事が遅々として進まないなどの不評もあり、昨年末には支持率も急落した
▼そうした世論に押され決断したのが11日に成立した薬害肝炎被害者救済法だ。法廷闘争で疲れ果てていた原告団の人も感涙を浮かべ、国民の間にも共感が広がっている。それは最新の世論調査にも反映。内閣支持率は上昇に転じた
▼やればできるのにといら立つ声もある。ここに至るまでに原告団は何度も裏切られた。全面解決の花火を上げたままそっぽを向いた厚労相。一律救済を託した福田総理が決断を見送り絶望させられたのも昔のことではない。そんな優柔も経てきょう15日にも国と原告団との基本合意書が決定される
▼これでカルテなどのある千人程度が救済される。問題は本県も含め全国で約350万人という証明の難しい被害者をどう救済するかだ。生活者主役元年。人気取りを超えた総理の本気度が問われる。

▼ 2008年 1月 14日 ―農村の正月行事―
 年末年始は農村の生活に密着した祝祭であり、作物の豊かな実りを予祝し、魔よけの祭りでもあった。その支度は子供たちにとっても忙しいものであった。
▼まずは最初の「恵比寿様の年越し」には、生きた小魚・フナなど2匹を丼に生かして入れて農産品などと共に神棚に供えるのであるが、その小魚を小川からとってくるのが子供の役割であった。
▼果報団子に入れるハギの木を山に行ってとってくるのも子供の仕事。当時は雪が深くて隣村の山に行くのが大変であったが、当たりのご褒美は子供を喜ばせるものであった。注連飾りに使う松の枝を取ってくるのも子供の役目で、大半が自家製の注連飾りであった。
▼お正月用のもちつきは、3臼も4臼もついて、お供えもちのほかに大量の切りもちを作って木箱に入れておいた。お正月は「なめったガレイ」で年越しを行うのだが、倹約する家庭では野菜のてんぷらや豆腐などで済ませていた。
▼どんと焼きは、歳神様が煙に乗って帰るというもので無事な旅立ちを願って行う。ミズキ団子は、もち花などをつけた飾り木を作るのであるが、木片の花(キンコ)を薪(まき)にして米をふかし、もちをつくのであった。
▼わっぱかぶち、わらぶちは「縄、もとつ、わらじ、けら、むしろ、ねこ、ゆづけ、つまご、ぞうり」など稲わらの農具作りの初めで、農は立てと言い、一定の目標を達成した者からもちをごちそうになった。2月1日の2年歳取りで正月を終える。

▼ 2008年 1月 13日 ―テロ対応 日本の役割―
 公式の場でも革ジャンパーにノー・ネクタイで通す大学教授の伊勢崎賢治さん
▼専門は平和を築き上げることを考える「平和構築学」。行動する学者としても知られる。国連の委員会で日本代表を務める一方、国連事務総長の上級顧問や国連の上級民政官などの要職に就き、東ティモールはじめ世界の紛争現場でその処理に携わってきた実務家だ
▼03年初頭から05年7月にかけて、日本主導で行われたアフガニスタンの武装解除など戦後処理を指揮した人でもある。テロ対応では一貫して中立勢力の役割の重要性を説く。現場感覚に裏打ちされているから説得力がある
▼衆参がねじれたままの国会では11日、新テロ対策特別措置法案が参院で否決された後、衆院再議決の手法で成立した。政府与党は国民世論が二分する中、国際社会での貢献を主張し、57年ぶりという荒業を用いて成立を急いだわけである
▼再議決は適法だから強引処理も現状の政治力学の所産と見るほかない。その上で後学のために、先の伊勢崎教授の見解にも耳を傾けておこう。昨年11月5日には招かれた衆院テロ特委員会で、日本はテロ報復戦争に加担していないというアフガンの人々の認識が、洋上給油で崩れつつあると報告
▼ここでもテロ対応では中立の立場を取る第三者が必要と強調。武力制圧は行き詰まり政治的打開を求める状況になっているとし、この角度の日本の役割の大きさを指摘した。報復戦争後の現場に身を置いた軽装教授の重い言葉である。

▼ 2008年 1月 12日 ―社名はパナソニック―
 松下電器産業が今年10月1日から社名をパナソニックに変更すると10日に発表した。経営の神様といわれた創業者の松下幸之助の「松下」を除去してパナソニックに統一する方針のようである。
▼松下電器産業の創業は1918年と言われているから、今年でちょうど90年を迎えることになろう。連結売上高約10兆円企業にのし上がったが、松下幸之助氏は自叙伝で「小さな借家の土間でソケット作りをしたのが始まりであった」と述べている。
▼それから世界有数の企業に育て上げたのであるが、代替わりが進み、また電気産業を取り巻く環境の変化などに対応していくためには社名を統一すべきと経営判断したのであろう。
▼国内ではブランド名を1925年から「ナショナル」にしていた。これも2009年度末で廃止する。パナソニックの商標は1956年ころから輸出用のスピーカーやAV機器などに使われていたが、今回は子会社も含めてパナソニックを用いるようだ。
▼大坪文雄社長は国際的な知名度を高めパナソニックブランドの価値向上に結集することを強調していた。創業者の松下の「家名」を消すのは忍びないのだろうが、3つの名称「松下、ナショナル、パナソニック」が混在していたのを一本化するのはグローバルな企業として存続を続けるための欠かせない条件だと判断したのだろう。約300億円といわれる莫大(ばくだい)な経費をかけての作戦だが、企業ブランドの価値を自負していることにもなる。

▼ 2008年 1月 11日 ―車のリボンステッカー―
 「はらからの訪(と)ひつ訪はれつ松の内」(星野立子)。地域によっては15日までが松の内。近しい人が年賀に訪れるのもそのころまでだろう
▼そうしたはらから(身内)らの来県も多かったのであろう。年末年始には県外ナンバーの車が目立った。かつては県内車も含めて松飾りを付けた車が、正月気分を醸しながらよく走っていたが、最近は少なくなっている
▼その代替というのではないのだろうが、今年の初春の街では、リボンを結んだ形の飾り付けをしている車を何台か目撃した。初めはしめ飾りのような古風タイプを嫌った若者などの個人的趣味かと思っていたが、事情通に尋ねてみるとそうではなかった
▼購入代金の1部がエイズ対策や自然保護、動物愛護、災害支援などに寄付されるという。イラク駐留兵士無事祈念などの意味も込める。装着者は一種の平和・社会貢献活動の協力者なのだ。リボン・ステッカー運動と総称。目的別に色やデザインが工夫されている
▼項目は二百種類ほどある。協力者は希望リボンを自由に選べる仕組みだ。発祥はアメリカで、兵士となった息子や夫の無事を祈り、黄色いリボンを木に結ぶ古くからの慣習から着想。ある米企業が車にリボンを付ける方式で、販売と社会還元事業を始めたものだ
▼寄付による社会貢献が普及している米国で流行。日本でも協力車が走り始めているのだ(通年)。日本人には車の正月飾りさえ気恥ずかしいという気質もある。リボンも定着するかどうか。

▼ 2008年 1月 10日 ―平泉は世界平和の象徴―
 今年は「平泉」の年であろう。世界遺産登録が予定されているからであるが、先日、書道家の南奎雲氏が来社されて、台湾で開催された「南圭雲・朱振南友好書画展作品集」をちょうだいした。その作品の中に「中尊寺落慶供養願文」という大作が入っている。900字を超える願文のびょうぶであるが、これを南圭雲氏が見事に写されている。
▼その中尊寺落慶供養文というのは、天正3年3月24日に藤原朝臣清衡が記したものであり、南氏の解説では平和をうたっているという。
▼今から約900年も前の時代に、浄土思想について記されているのは今日にも通用するものであろう。平泉は奈良や京都の遺跡とは異なって白河以北の奥羽に築かれているものであり、当時の浄土思想を示すものは平泉にしかないものであるといえる。
▼平泉の遺跡は城郭ではなくて寺院が中心である。このことに留意する必要があろう。藤原清衡の時代から現代人の悲願でもある世界の平和について既に願っていたというのである。それが浄土思想だった。
▼奥羽の歴史は常に北攻めに遭遇してきた。その中で清衡は奥羽自身による平和な国づくりを願望したのだろうと考えるのである。地元にいても平泉文化の神髄を理解できないできていたが、これからどのようにしていったならばいいのか考えなければならない。平泉の遺産の価値を正しく理解すれば、平泉藤原4代の遺跡が世界に向かって発信されることの意義が県民にも見えてくる。

▼ 2008年 1月 9日 ―パパになった乙武さん―
 76年(昭和51年)4月6日。ある産院で一人の男の子が元気な産声を上げる
▼だが喜びもつかの間、その子には両手と両足がない。出産直後の母親に知らせるのはショックが大きすぎるからと、黄だん症状が強いという理由で男児は別室に離されてしまう。自身の障害を超個性的と表現。たくましく生きる乙武洋匡さんの誕生時の光景である。母子が初対面したのは1カ月後だ
▼その日、お母さんに事前に伝えられたのは、父と病院側の判断で身体に少し異常があるということだけにとどめられた。ありのままに見て、驚き卒倒するか、静かに受け入れるか。その反応次第で母への手当てを考えるという方針だった
▼すべてを見詰めた瞬間。母の口から出たのは「かわいい」という一言。悲しみではなく、喜びを表情ににじませ、周囲をホッとさせたという。以上の秘話は乙武さんが「五体不満足」(講談社)に書いている
▼明朗な両親からの遺伝子なのか。手足のない障害も個性ととらえ、負けん気と天真らんまんさで人の数倍努力。小中高も電動車いすで普通校に通い早稲田大学も卒業。通信教育で教員免許も取得。昨年から小学校の先生をしている
▼生き方そのもので感動を広げてきた乙武さん。1月3日には妻・仁美さんが男児を出産。今度はパパとなって周囲を驚かせ、温かい祝福を受けている。早大後輩の仁美さんと結婚したのは01年春。7年目に授かった子宝だ。自身の誕生秘話もダブり、感慨はひとしおであろう。

▼ 2008年 1月 8日 ―歴史資源の掘り起こし―
 新年のあいさつで町村長さんや議会議長さんらの来訪をいただいた。聞くと滝沢村や紫波町では地元が抱えている歴史資源の掘り起こしに力こぶを入れる方針のようである。これまでは、対外的に示すものといえば、埋蔵文化財の調査や遺跡調査などに基づいた史書を元にし限られた範囲での史学にとどまってきたが、これからは地元民に古くから伝わってきている口伝や遺跡などを新たな視点で調査して学んでいこうとしている。
▼故郷に伝わっている伝説などを地元民自らが調べ上げて夢やロマンのある郷土史に塗り替えていこうとしているようだ。それは単なる史学ばかりではなくて、昔からの地場のものを生かした食べ物や地場産品そのものの掘り起しによる産業化であり、住民参加による生きがいづくりでもあろう。
▼それが観光といった大げさなものになっていくかは別として、眠っていた持てる資源を掘り起こす楽しみは住民の中にもわき出てくるだろう。
▼最近、本紙には大釜館や樋爪舘などの記事が掲載されて関心を呼んでいるが、八幡太郎義家などによる北攻めの歴史や、新たな史実が浮かび上がってきている。源頼朝は義経に比べて冷ややかな目で見られがちだが、奈良や京都から東日本の鎌倉に幕府を移し変えるなど優れた政治家だったと思う。
▼安倍舘や奥州藤原氏4代が源家の北攻めによって滅ぼされた事実もあるが、県都盛岡の発展の業績に尽くしたのも源家であり、その系流に南部盛岡藩があろう。

▼ 2008年 1月 7日 ―ディズニーのお子様ランチ―
 昨年はテレビドラマに盛岡の老舗旅館が登場。もてなしの奥ゆかしさを全国にアピールした
▼行き届いたもてなしは気分をすがすがしくさせる。お店などで接客の仕事に携わる場合は、その善しあしが評判を左右する。今、ネット画面などで東京ディズニーランドで実際にあったという逸話が伝えられているが、接遇の奥深さを考えさせられる
▼「東京ディズニーランドのお子様ランチ」とタイトルも付くこの話題。あらすじはこうだ。ある日、ランドのレストランに若い夫婦が訪れ、お子様ランチを注文する。応対したアルバイト青年は戸惑う。夫婦は子供連れではない。ためらいながら「お子様ランチはどなたが」と尋ねる
▼夫人が「死んだ子供のために」とうつむく。やっと授かった娘が亡くなりきょうは1年目の命日。生前、親子でディズニーへ行こうと楽しみにしていたのでつい注文したという。青年は「お子様ランチ、承りました」と笑顔を向ける
▼さらに「お家族の皆様、どうぞこちらへ」と、2人用テーブルにいた夫婦を4人用に案内。幼児用いすも用意して「お子様はこちらへ」と天国の子を招くように言ったという。後日「ランチを食べながら涙が止まりませんでした。娘が生きているように家族だんらんを味わいました」と礼状が届く
▼デ社の首脳がその文面を講演で紹介。共感の輪がネットでも広がっている。青年は年齢以上の苦労人かもしれない。機転が光るもてなしは蓄積した苦労の発露ではなかろうか。

▼ 2008年 1月 6日 ―変化のときはチャンス―
 正月休みにじっくり読みたいと思って2、3種類の書籍を購入して準備を整えていた。ところが思うようにはいかないもので、たちまちお正月は終わってしまう。新聞、テレビ、年賀はがきの整理、新しい手帳のメモ、そして酒を飲んだりしているとたちまち3日に至ってしまい、仕事始めの方針などの考えもまとまらないうちに4日を迎えてしまった。
▼新聞各社の新春号を読んでいると「政治・経済・石油・環境」などが特集に取り上げられている。平成は早くも「二十歳」を迎えたわけだから大人にならなければならない。政治の安定がなければ地方の行政も落ちつきを取り戻せないように思う。
▼環境の問題も放置してはおけない問題になっている。魚の回遊が大きく変わるとか、米の北限が動いてきて北海道あたりの米がおいしくなることが予測されている。
▼青森県弘前市のリンゴ専業農家の青年たちがミカンの栽培を研究していると聞いた。地球の温暖化もあるが、リンゴの単一栽培の危機感と年代のし好の変化などを警戒してのことでもある。寒冷地でも栽培を可能にする研究であろう。台風時のり災のことなども考えているようだ。
▼温暖化に限らない。変化のときはチャンスでもある。あさ開酒造では、日本食や日本酒の消費拡大を米欧に求めている。また、岩鋳ではカラーの鉄瓶や茶器をヨーロッパなどに販路を広げている。県内の大学などでももっと、地場産品のブランド化や実学に力を入れしてほしい。

▼ 2008年 1月 5日 ―ねずみの嫁入り―
 お正月に夢を膨らませるのはいいことだが、身の丈に合うという堅実さも大事だろう
▼そんな引き締め気分から、今年のえとにあやかって思い出すのは、民話「ねずみの嫁入り」。資産家のねずみ夫婦にやっと授かったまな娘は、輝くように美しく成長する。両親は婿探しの相談を始める
▼娘にふさわしい若者はねずみの国にはいない。世の中で一番偉い人、強い人を選ぼう、と。第一候補はお日様。両親は娘を連れ天に上ってお願いする。太陽は言う。有り難い話だがわたしより偉い者がいる、と。驚きそれはだれかと尋ねる父に「雲だよ、わたしも雲が出るとだめになる」と太陽は答える
▼雲に頼むと自分より強い風がいると、風には壁があると言われ、壁にはあなたたちねずみには負ける。穴を開けられてしまうと苦笑され、ねずみ親子は自分たちのすばらしさに初めて気付くという物語だ。娘は近所のまじめな青年・チュースケ君と結婚。どんど晴れになる
▼ふわふわと夢を追う軽薄さや、本当に大事なことは身近なところにあるという盲点を説いている。心して08年を出発したい。例えば過去の記録ではねずみ年は平均株価が上昇するというが、さてどうか。昨年の今ごろは2万円突破も間近と大はしゃぎ。現実は年頭1万7322円が年末は1万5千円台に
▼昨日の初取引は1万4千円台に落ち、ね年も楽観できない。株に限らずねずみが壁をうがつような努力で、自身の値打ちを一回り大きくしていく年にしたいものだ。

▼ 2008年 1月 4日 ―仕事始め―
 きょうが仕事始めの日。朝礼に臨まれる人が多いと思います。いよいよ新たな気持ちで出社されることでしょう。「何となく良いことあるごとし元日の朝晴れて風無し」。いつもながら石川啄木の歌を思い出しながら出社することになるのですが、年頭の抱負が今年の方向を決めるのではないかと思っています。
▼景気の動向は依然として厳しく都市と地方、企業や業種間の格差が表面化し、地域や業種によってはまさに正念場に立たされているところもあります。生産量が減退する現状を放置しておくのではなくて、歯止めをかけるために何をやらなければならないのか。拡大するために手を打つことをしっかりと実行してほしいと願っています。そのためにはそれぞれの世代の人たちが持ち味を生かして力を出すことから始めなければならないと思います。
▼昨年の「どんど晴れ」放映に引き続いて、今年は平泉の世界文化遺産登録が予定され、歴史や環境の面などで東北に目が向けられてきます。「東北が日本を救った」という時代が到来するような予感がいたします。わが国は団塊の世代が退職する年代に入りました。企業でも地域社会でも大きな転換期に入っています。山に行っても観光地に行っても年配者の姿が目立つようになりました。特に女性の姿と活躍が目に付いてきます。企業でも急いで変革を遂げなければなりません。世代交代、意識の変革や組織の充実をうまく進め夢と希望につなげていきたいものです。

▼ 2008年 1月 3日 ―開発で姿消す亀の群れ―
 万年のよわいを保つという亀。めでたさや不老長寿のシンボルとして、祝い歌などにも登場する▼年の初めにも一興を添えるが、作家の水上勉さんはある年の正月に、開発事業に追われて姿を消すめでたくない亀の話を書いている。詩人・灰谷健次郎さんとの往復書簡集「いのちの小さな声を聴(き)け」(90年。新潮社)に収められている
▼両氏による12往復の手紙には、今も傾聴すべき命の声がつづられている。水上さんの郷里・若狭(福井)では、古い川のふちに亀が群生していたという。農地整備事業で河川が新しくなり岸もコンクリートで固められると、亀たちは万年の巣を奪われ姿を消す
▼心を痛めた水上さんは奥地に逃げた亀の群れが、対応協議の会議を開いている夢まで見たと述べている。開発で便利になる半面、失われていく小さな命たちの悲鳴に耳を傾けよ、と同書は繰り返し警告する。やがて同じ病根から派生する刃(やいば)が、人類の生存をも脅かすとの先見からだ
▼進行する地球温暖化はそれを現実のものにしつつある。ヒマラヤには雪だけでなく雨も降るようになった。極地の氷も解け出している。南太平洋に浮かぶ島国・ツバルは海面上昇で最初に沈む国といわれ、すでに民家倒壊が起きているとの報道もある
▼今年は環境問題を主要テーマに、日本が議長国となって洞爺湖サミットも開かれる。皆が賢くなれば亀も人も滅びへの行進から引き返せる。英知の行動を始動させ08年を回帰元年にしたい。

▼ 2008年 1月 1日 ―新年のごあいさつ―
 平成20年の初春を心からお祝い申し上げます。皆様にはご家族ともどもお健やかにお正月をお迎えのこととお喜び申し上げます。本年もご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。
▼平成に入ってから既に20年という節目の年を迎えましたが、皆様におかれましては新たな決意をもって新年のスタートを切られたことと思います。今年は、正念場の年から前進の年にしなければならないと考えています。
▼わが国の景気は徐々に回復してきていると言われていますが、その原因と今後の動向などについて見極めなければならないと考えています。例えば輸出産業が伸びているとした場合に、自動車、鉄鋼、電気、石油加工品などが伸びている産業として「どこへ輸出されているのか」、そして「今後の見込みはどうか」としたようなことを見極めなければならないと思います。
▼輸出産業の少ない本県では今後の動向を慎重に見極めることが大事であると思います。農産品などの産品を国内はもとより、どこの国へ、どのようにして流通に乗せることができるのか。また交流人口を増やすためにはどんなことをやらなければならないのか。この岩手県を今一度見直してみることが求められています。広い県土や自然条件・地形などの特色を生かす方法について対策を立てなければならないと思います。どのような郷土にしていくのか。がけっぷちからはい上がるような気持ちで立ち向かう決意であってほしいと願っています。

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