2008年 3月の天窓


▼ 2008年 3月 31日 ―桜の開花予想―
 3月も終わりだが、今年は桜の開花が例年より1週間以上も早いと予測されている。地球温暖化の影響があるのかもしれないが、このままでいけば盛岡は4月中旬から見ごろを迎えそうだ。
▼バス会社などでは三春の滝桜や花見山公園の桜をめぐるツアー客の募集をしている。弘前公園の桜などはさすがに人気が高いが、本県の桜も他県の桜に劣るものではない。
▼家族から三春の滝桜観桜に行きたいとせがまれているが、岩手公園や高松の池などの桜も見事であるし、上米内の浄水場のシダレ桜も見事なものだ。また、北上市展勝地の桜並木などもめったにないものである。
▼有名ではないが、そのほかにも本県には山桜を含めて桜の名所がたくさんあるのではないか。桜と組み合わせたヤマブキ、ミズバショウやカタクリなどの花と自然の恵みを探索できるのも強みだ。
▼先日、山岳写真を多く撮っているアマチュアカメラマンが来社されたが、小岩井の一本桜のあたりの風景を見せられた。背景に岩手山や秋田駒ケ岳などの雪景色が写し込まれている。もちろんまだ開花していないわけだが、鳥に花芽がすっかり食べられてしまって期待外れだった昨年の例があるから県民の関心は高まっている。今年はよく咲くのだろうかと気になる。カメラマンの話によると、専任の管理人がいるそうだ。今年は冬の間から花芽が鳥の餌にされないようさまざまな対策を講じているとか。何とかその労が実り満開になることを願っている。

▼ 2008年 3月 30日 ―左うでの約束―
 高齢男性を殺害後、24歳の容疑者はさらに通行人8人を次々と殺傷(茨城)
▼駅のホームで18歳の少年に線路に突き落とされ、電車にはねられ亡くなった38歳の県職員(岡山)。悲しみに暮れる遺族らの姿が痛々しい。いずれも容疑者は、「だれでもよかった」とうそぶく。血も凍るような事件が今月も全国で相次いだ
▼人間の本性は悪なのだと恐怖感にさいなまれ、身構えてしまうのもやむをえない。だが警戒心は持ち続けるにしても、人間は生まれながらにして、人に尽くすという善意を秘めた存在であるという自負も失わずにいたい。それがにじみ出た行為も、列島にあふれているからだ
▼例えば小学4年生の坂井泰法君(新潟)が書いた作文「左うでの約束」には、それが自然の発露として描かれている。ある日、彼は母と弟と温泉に行く。湯船で待っても弟が来ないので探す。洗い場でお年寄りの背中を洗っていた弟。その人には左手がない
▼3人は湯船で談笑後に脱衣場へ。お年寄りがお礼に飲み物をおごると言う。弟は苦手な牛乳を頼み、手にしてから押し返す。これは骨を丈夫にするから飲むと左手が生えてくるかも。もし生えなくてもぼくが洗ってあげる。また一緒に入ろうね、約束だよ、と丸い左腕の断面を握る
▼第1回「薩摩川内(鹿児島)まごころ文芸コンクール・エッセイ」(同実行委員会主催)に応募した坂井君の作文は、寄せられた9584編の最高賞である金賞に輝き、昨日、表彰式が行われている。

▼ 2008年 3月 29日 ―少年の殺人事件―
 大阪の18歳の少年が岡山駅ホームの先頭で列車を待っていた男性を列車が進入してきた線路に突き落として死なせる事件があった。その前には、茨城県土浦市で、駅の改札付近を通行する8人を刃物を持った24歳の男が無差別に襲い1人が死亡した。
▼犯人2人はともに「誰でもいいからとにかく人を殺したかった」と供述している。異常な心理状態にゾッとするものがある。
▼岡山駅で事故を起こした少年は、今年の3月に高校を出たばかりで就職活動をしていた。その日も職安で5カ所ほど就職口を探していたが仕事が見つからなかったという。
▼大阪の公立高校ではトップクラスで、名門大学に入れるだけの成績であったが、金が足りずに大学に行けなくなったという。進学を希望し、それに向かって努力してきた生徒が、卒業してから急遽仕事を探してもなかなかいい職は見つからないものだ。
▼大半の生徒が進学する高校ではそうした生徒指導も十分ではなかったのか。向学心に燃える生徒の奨学金や夜間大学などの世話をしたものだろうか。そのような厳しい環境に置かれている子供たちは多く存在している。
▼団塊の世代がくぐってきた厳しい社会環境と、現代の子供たちが過ごしている環境とでは、その心的影響の度合いにも大きな違いがあるのかもしれない。夢を断念せざるを得なくなった少年をどうすくい上げるのか、自暴自棄に走らせない社会の仕組みを、学校も親ももっと根を掘り下げて考えなければならない。

▼ 2008年 3月 28日 ―北京五輪へ試練の中国―
 8月の北京オリンピックを控え、中国政府は緊迫の日々だろう
▼5月以降にはチョモランマ(エベレスト)の山頂に、聖火リレー用の火種を持って登る計画がある。点火の式典が予定されているのだ。世界最高峰の頂上で行うこの点火式は「世紀のイベント」と位置付けられ、中国首脳も力を入れている
▼胡錦濤政権が主唱している「和諧(わかい=調和)社会」を表徴させたいとして、火種を山頂に運ぶ隊員には、漢民族8人のほか、少数民族ながら高地に慣れたチベット自治区の22人が選ばれている。人選は昨年5月に行われ民族和諧の編成が報道されていた
▼五輪という平和の祭典は、開催国の成熟度の実相を浮かび上がらせる。中国も今、その試練に直面している。民族対立、環境、言論統制、食品安全、貧富の格差など潜在する諸問題が、五輪の光にあぶり出されるように噴出している
▼とりわけ多くの死傷者も出ているチベット自治区の騒乱は、対応を誤れば本番の無事開催にも支障をきたす恐れすらある。すでに国境なき記者団やフランス首脳などから、開会式ボイコットが提唱され波紋を呼んでいる。和諧の隊列による聖火点火の登頂式典は、予定通り挙行されるのかどうか
▼北京五輪組織委員会は19日、あらゆる事態を想定し対策も講じているとし、聖火リレーは計画通り実施すると発表した。難題山積だが、世界から理解と賛意を得られるところまで克服できるのか。2期目に入った胡錦濤政権の手腕が問われる。

▼ 2008年 3月 27日 ―台湾との交流を進めたい―
 22日行われた台湾総統選挙は、最大野党国民党の馬英九前主席(57)が、与党民進党の謝長廷・党主席代行(61)に大差をつけて当選した。
▼国民党の政権復帰は、李登輝前総統から陳水扁政権に交代した2000年以来、8年ぶりとなる。陳水扁政権は2期8年となるが、総統夫人や娘婿の金銭スキャンダルなどの腐敗にまみれ、中国との冷え切った関係で経済の停滞を招くなどしてしまった。
▼今回の選挙では、中国チベット自治区ラサで起きた暴動が反中感情を刺激し、一時は謝候補への追い風となったとも伝えられた。だが逆転するまでには至らなかった。
▼台湾にとって直面する課題は経済の復興だろう。馬候補が中台直行便の定期化による観光客の誘致や農産品や電気製品などの中国への物資の輸出などを進めることで経済振興を最大の公約に掲げたのが勝因だと思う。
▼報道によると、馬氏は「統一も独立も武力行使もしない」として台湾による台湾人意識が根付いている現状維持を基本的な立場としている。
▼台湾にとって大消費地の中国を市場とする産業振興を進めていくことが現実的な方向であろう。だからと言って中国が「一つの中国」を強引に進めてくることも懸念されるわけで、台湾人にとっては独立なのか統一なのかの選択が問われている。
▼わが国にとっても日台関係は重要である。本県も、観光や経済交易などで密接な関係がある。人のつながりも深く、今後も交流を活発に進めていきたい。

▼ 2008年 3月 26日 ―難局にたじろぐ福田内閣―
 ねじれ国会のような難局には、福田さんは向いていないのだろうか
▼ひそかに大連立を練る裏技を見せたり、おとぼけ発言で急所を煙に巻いたり、やり手なのかと思わせる面もあったが、日銀総裁人事ひとつを見ても、頼りなさが浮かび上がる。国民は敏感だ。各調査でも支持率はじりじりと落ちている
▼毎週木曜発行の福田内閣メールマガジンを読んでいるが、最新号(20日付)でも福田総理のコメントには元気がない。冒頭「今日は、戦後初めて、日本銀行総裁のいない日となりました」と述べているが、しらじらしい。だれのせいなのだ、という怒声が聞こえてきそうだ
▼福田さんは民主党のせいという。「拒否権を振りかざし、時間切れに追い込むような態度だけでは、国民に対する政治の責任は果たせません」と。だが与党が数の論理で強行を演じてきた経緯を見れば説得力はない。与野党ともにどっちもどっち、と嘆く国民の真情が分かっていない
▼敵陣でさえ承認せざるをえない鮮やかな手を打つのが、難局を預かる指揮官の責務であろう。それなのにコメントには「日本が政治的に重要な決断を行えないというメッセージを国際的に発信する結果となりました」とまで書き、無能をさらけ出している。年度末攻防も心配になる
▼「ひとのせいにするな」「ばかものよ」と叫んだ茨木のり子さんの詩集「自分の感受性くらい」(花神社)が浮かぶ。そこには「なにもかも下手だったのはわたくし」との自戒の一節もある。

▼ 2008年 3月 25日 ―「あの頃僕はバンドマンだった」―
 盛岡タイムス紙に連載した「あの頃僕はバンドマンだった」の出版を祝う会が25日、盛岡市内のホテルで開催される。著者の北島貞紀氏は、1960年ごろから大阪でバンドマンとして15年ほどの実績を積んでから故郷に引き揚げてきた。
▼一時は音楽の世界から身を引いたのだが、やり残した仕事があるとして再び音楽を始めている。今、FMいわてのパーソナリティーなどとして活躍しているから、出版会はまさににぎやかな顔ぶれで、音楽会のような形になるのだろうと思っている。
▼出版会を前にして、もう一度著書を読み直したが、大阪万博が開催されたころに著者は大阪の大学で学んでいた。そのころ、日本の景気は急上昇を続けていた。アルバイトで身を置いたのが、いつの間にか本格的なバンドマンに上り詰めていく。
▼著書の中では佐川満夫などの有名な芸能人の名前も出てくるから、そうそうたるメンバーがステージに立つようなキャバレーやクラブでの出演があったのだろう。
▼かつてのバンドマンたちとの交流も続けているようで、祝う会ではそうした裏話も聞くことができるものと楽しみにしている。
▼昭和40年代から50年代には盛岡市内にもそのような交流の場があった。そのあとカラオケが出るなどして下火になったが、今でもアマチュアなどのメンバーで演奏を続けているところがある。音楽には人を引きつける魅力がある。人を結びつける力がある。北島さんの演奏が楽しみである。

▼ 2008年 3月 24日 ―21世紀のよだか―
 鹿児島の高校2年生が書いたエッセーの題名は「二十一世紀のよだか」
▼宮沢賢治の「よだかの星」に触発され、自分は今世紀のよだかとしてどう生きていくべきかを、切々とつづっている。東北大学が全国の高校生を対象に公募した第1回「青春のエッセー 阿部次郎記念賞」で、優秀賞に輝いた笛田満里奈さんの作品である
▼阿部次郎は名随筆家で、青年が悩みながら内省していく歩みを描いた「三太郎の日記」の著者。東北(帝国)大学にも奉職。00年には大学文学部によって阿部次郎記念館も設立された。そんな由来から昨年、同大学創立百周年を記念し「エッセーの甲子園」として始めたのが「阿部次郎記念賞」だ
▼先ごろ、入賞作品などを収めた「考える青春」(同大学文学部・阿部次郎記念館編)も刊行された。笛田さんの作品にも三太郎のような若き苦悩がうかがえる。よだかは羽虫を食べて生きている。命を殺すつらさから「もう虫を食べないで飢えて死のう」と決意。夜空を飛び続け星になる
▼近所の合鴨(あいがも)解体作業に参加したとき。鴨がかわいそうと泣き崩れる女児の姿が、よだかにダブって見えたという笛田さん。食材として動物が殺される過程は日常から遠ざけられている。だから食べ物を粗末にしてしまう。でも思い詰めても、よだかのように星にはなれない自分
▼彼女は、せめて食べた命への感謝をと思う。「私は二十一世紀のよだかとして、謙虚に命と向き合っていきたい」と内省を結ぶ。

▼ 2008年 3月 23日 ―ゴールドライナー―
 平泉の世界遺産登録を見込んで4月1日からJR一ノ関駅前〜花巻温泉郷間に観光シャトルバス「ゴールドライナー」が運行されることになった。
▼花巻観光協会などが運行主体となって本県を訪れる観光客を花巻へ招き入れる誘客作戦である。「平泉に最も近い大型宿泊地・花巻」をキャッチフレーズに同協会と花巻市がいち早く動き出している。
▼「平泉・花巻ゴールドライナー号」と名づけたシャトルバスが花巻温泉郷と一ノ関駅間を1日1往復する。午前8時30分に花巻温泉郷を出発し、高速道経由で高館、義経堂、毛越寺、中尊寺を見学のあと、一ノ関駅には午後1時20分に到着する。復路は一ノ関駅を午後1時40分に出て往路の逆の経路をたどって花巻温泉郷に午後5時30分に到着するコースとなっている。
▼運行主体は花巻観光バスだが、片道の料金は大人2千円、小学生1千円となっている。完全予約制でバスガイドが同乗する。花巻市や花巻観光協会がシャトルバスの運行事業費として600万円余を見込んでいるようなので、平泉に最も近い大型温泉地としての誘客に懸ける意気込みが感じられる。
▼7月の世界遺産登録を目論んで4月1日から運行を開始するあたりはさすがであるが、JRや旅行会社などの商品造成とPRのため早めに方針を打ち出している。
▼県や盛岡市、仙台市などでも観光キャンペーンの展開や旅行商品作りに努力しているが、今回の企画が誘客の起爆剤になればよいと願っている。

▼ 2008年 3月 22日 ―不合格者にも声援を―
 不合格の知らせは、どんな試験でもやるせない気分にさせられる
▼多数が合格し少数が不合格になるパターン。その少数派になった経験が当方にもある。平静を装っても顔が引きつり、数日は人目を避けて引きこもったことを思い出す。苦い体験も自分を鍛える滋養になっていたと気付くのは後々のこと。当座の救いは周囲の励ましだった
▼忘れられないのは「受験に落ち続けて後に大成した人」の例として先輩が語ってくれた作家・遠藤周作さんの例だ。1996年没の故人だが、今もテレビコマーシャルに生前の雅号にちなみ「狐狸庵(こりあん)先生」の名で登場するこの大文豪。青春期は暗転の日々を送っている
▼39年の広島高(旧制。以下同じ)不合格に始まり、翌年は同高と三高を受けいずれも失敗。41年に再度広高に挑戦しまた落ちる。42年には浪速高、姫路高、甲南高に挑んだもののあえなくすべて不合格。当時は胸を病んで喀血(かっけつ)もしている。焦り、絶望する遠藤青年の姿がありありと浮かぶ
▼後に「深い河」「沈黙」など数々の名作を世に送った狐狸庵先生の若き日の挫折は、大器晩成への貴重な養分となり、才能開花の素地にもなっていたことであろう。18日には県内公立高校の合格発表があったが、ここでも1033人が惜しくも不合格になっている
▼1万970人(推薦等含む)に及ぶ合格者一人ひとりを心から祝福しながら、果たせなかった皆さんにも、温かい声援を送り続けたいものである。

▼ 2008年 3月 21日 ―なんともならない国会―
 昨年9月に安倍晋三首相が突然退任して福田康夫首相が誕生し、既に半年経ったが政局は混乱続きだ。道路特定財源の暫定税率はどうなるのだろうか。日銀総裁の人事問題でも与野党間の調整が不十分でついに空席になってしまった。
▼昨年夏の参院選で民主党が議席を伸ばし、与野党逆転となってねじれ現象になっているからだが、それにつけても自民党の官房長官など党幹部の熱心な努力が不足しているように思われる。
▼平成20年度一般予算の国会審議なども年度末までに通過するのか危ぶまれる状態になっている。本来であれば10日くらいの期間を残して国会で成立しなければならないはずだが、残された日数が少なくなってきた。
▼こうしたところへ円相場は、東京外国為替市場で17日に1ドル95円77銭をつけ12年7カ月ぶりの円高水準となった。翌日には米の株価急騰に伴ってドルも急上昇し、その翌日の19日にはまた反落という異常事態。
▼金融システムへの不安が世界的に高まり、世界の金融市場に動揺が連鎖して日経平均株価も乱高下している。年度末決算に大きな影響を及ぼすところも出てくるだろう。
▼年度末を控え一番大事なところに差し掛かっている。年金問題や税制のあり方などについて徹底した議論をし、是正すべきことは是正していかなければならない。ただし、期限を定めて一定の間に成案を出さなければ混乱する。国民生活への影響を考えれば政局の安定を一日も早く確立すべきだ。

▼ 2008年 3月 20日 ―後期高齢者医療制―
 伊野辺一郎さんは77歳。妻74歳。老夫妻の健康管理は先端をいく
▼毎朝、コンピューター画面で「きょうの健康状態」を見る。睡眠時を含めチェック項目がパソコンに結ばれ処理されている。治療が必要なときは指示が画面に出る。離れた主治医にもデータは直結。自宅で映像を見ながら医師の診断を受けられる
▼これは安倍前総理提唱のイノベーション(技術革新)をもじった物語「2025年の伊野辺家の一日」(政府機関作成)のひとこまである。診察費用などが気になるが、未来の老後の夢を描いて見せている。そんな政府も老年者控除廃止など現実の高齢者対応では、夢を奪い続ける
▼増税感は深まり医療費なども負担増。膨らむ高齢者集団も聖域ではないと次々と徴収の仕組みを具体化する。来月1日からは75歳以上全員を対象に「後期高齢者医療制度」が始まる。国民健康保険の人も、健保組合や共済組合などの被用者保険の人も、すべて75歳以上は新制度移行となる
▼すでに該当者には新しい「後期高齢者医療被保険者証」が届き始めた。保険料も全員が個々に納める。これまで息子等の被扶養者として負担がなかった人も、今度は自分で払うことになる。その上保険料は一部を除き年金から天引きだ。移行期の軽減措置はあるが不満は消えない
▼岩手県議会はじめ全国の五百を超える議会が、見直しなどを求める意見書を採択したが見切り発車する。春の旅立ちに心が弾まない。伊野辺さんの不安そうな顔も浮かぶ。

▼ 2008年 3月 19日 ―携帯スイカ、ついに盛岡にも―
 「モバイルSuica(スイカ)」というのが15日から使用開始された。これは、Suicaと携帯電話がひとつになったもので、JR東日本の乗車券やショッピングに活用できるものだ。携帯電話で自動改札機を通れるし指定券類の購入もできる。電子マネーの入金もできるし、駅内の土産店や系列のホテルなどの利用も可能になっている。何せ、駅に行かなくとも新幹線などの指定券が購入できるから便利である。
▼駅ナカや街ナカのSuicaマーク、「PASMO」マークのある店や自販機、コインロッカーで電子マネーとして利用できる。入金や定期券の購入などもできる。駅の窓口や券売機などに並ぶ必要がないからとても便利だ。
▼今やわが国の携帯電話は1億台をはるかに超えて1人1台に近づいている。多くの人が携帯電話を持つようになった。インターネットと携帯電話の普及は目覚ましい発展ぶりだ。
▼四六時中肌身離さず、街を歩くときさえ画面を見ながらという若者は見慣れたし、安心安全情報をメールで携帯に送るという自治体サービスも広く行われている。当方はまったくもって待ち受け専用で、自分のほうからほとんどかけることをしないのでかかってこなければ使わなかった。そんな話は都会のことだと思っていたが、盛岡駅やフェザンでも使えるようになったと聞くと、財布代わりに使う場面もありそうな気がしてきた。それにしても類のない速さで携帯電話機能が発展しているのに驚く。

▼ 2008年 3月 18日 ―新 104番号案内の不親切―
 電話したい相手の番号が分からないときに、「104」の案内サービスは便利だ
▼月に1回利用の場合、昼間なら63円の案内料が掛かるが、相手が遠隔地などで手元の電話帳にないときなど、指が104を回してしまう。以前は番号を教えてもらい担当者の「ご利用ありがとうございました」の声を聞いて終わったが、最近は「そのままおつなぎしますか」と親切に声を掛けてくれる
▼NTT東(西)日本が始めた「DIAL(ダイヤル)104」サービスだ。親切な誘いに乗って接続を頼んだ人も多いのではないか。ところが、このサービスが割高であることを知らないでいる人もまた多い。実際は接続を依頼せずいったん切って、従来のように自分で掛け直すよりも高くつく
▼NTTがテレビコマーシャルなどで、この新サービスの告知を始めたのは昨年7月(同10月まで)。そこには「割高になること」が明示されなかった。利用者は接続手数料31・5円のほか、通常の通話料も請求されるが、その説明もない。あっても文字が小さく不鮮明だった
▼特に、市内など一定区域内(昼)の通話料は、通常は3分ごとに8・925円だが、接続すると10・5円で約1・6円割高になる。公正取引委員会は、この告知が利用者に「得をするような誤った認識」(有利誤認)を与えるとして13日、排除命令を出し改善を促している
▼親切そうな案内の陰に、利用者に割高料金を強いる不親切が潜む。ずさんなのか、策意の商魂によるのか。

▼ 2008年 3月 17日 ―JR乗客の夫婦との会話―
 所用があって奥州市まで電車で往復した。久方ぶりに車窓から沿線の風景を眺めながら時間を費やした。県南のほうでは、金ケ崎駅と前沢駅が近年新築され、東西をつなぐ跨(こ)線橋が付けられて、エレベーターでは自転車を載せて横断している人が多く見かけられた。盛岡駅隣りの仙北町駅は従来のままだが、仙北町から岩手飯岡駅までの西側地域では急速に宅地化が進んでいる。盛南地区の開発も著しく進んだ。
▼盛岡駅から乗車した年配の男女と隣の席になり前沢駅まで一緒だった。東京方面から旅行で訪れたようにも思われたが、奥州市の名産品は何か、人口は伸びているのか、水沢も前沢も新幹線の駅と同じところにないのは不便だ、とかの質問があった。
▼日本一の前沢牛の産地であることや、平泉の遺跡があるから新幹線ルートは北上山地のトンネル化を進めたのではないかなどの話をした。最後は平泉の話に集中したが、平泉町のすぐ隣町なのに平泉に訪れる客を誘客するような施設が全く見当たらないのはどうしたことか、といった質問であった。
▼レストランや宿泊などの観光施設を積極的に展開して、いわゆる平泉客を拾う対策が見られないのはどうしたことか、ということであった。都会暮らしの人からはせっかくの経営資源をうまく生かしていないと見えたのであろう。遠方の人にとっては平泉も前沢も盛岡も同じひとつながりの地域である。広域的な施策が遅れているのだろうと思った。

▼ 2008年 3月 16日 ―『乳と卵』が問うもの―
 「服は脱げても体は脱げない」。この川上未映子さん(31)の言葉は哲学めいている
▼「乳と卵」で19年度下期の芥川賞を受賞。文藝春秋3月号に受賞作とインタビューが載っている。高校時代からコンビニなどでバイト。卒業後も昼は書店員、夜も弟の学資応援のためホステスをした苦労人
▼大学の通信教育も受講。高校生のときカント哲学を読んで引き込まれ、通教でも哲学を学ぶ。ライブ活動も楽しみ24歳で歌手デビュー。売れなかったが芥川賞効果でCD注文が増えたという。「乳と卵」は、乳房と卵子という女性の象徴を素材にした物語
▼離婚し一人娘・緑子と大阪で暮らす巻子の豊胸手術へのこだわり。女性に生まれたことの意味を知り嫌悪する思春期の緑子。母はよくしゃべるが娘は半年前から会話を拒否。ノートで筆談するだけ。巻子は手術のため娘を連れ上京。妹宅で過ごす。反発はしても母を案じる娘はここで爆発する
▼生卵を次々と自分の頭へたたきつけながら、半年ぶりに声で叫ぶ。「お母さん、ほんまのことゆうてや」と。痛い思いして何がしたいの、と泣き崩れる。母も卵まみれになる。この場面も題名の「卵」に重なる。嫌悪しても服のように脱ぎ捨てられない体へのいら立ち。その緑子の根源的な苦悩を本書は描く
▼浴室の鏡に映る体を「どこから来てどこに行くのかわからぬこれ」「わたしを入れたままわたしに見られて」という妹の独白も、《自我の入れ物》としての体への哲学的な問いだろう。

▼ 2008年 3月 15日 ―JR矢幅駅開業―
 JR矢幅駅の開業を心からお祝い申し上げる。川村光朗町長をはじめ、JR東日本に働きかけた町民の皆さんの長年の熱意が実った。
▼15億円の事業費をかけて橋上駅化による東西通路や多機能な明るくモダンな新駅舎が完成した。駅舎は町のシンボルでもある。これによって矢巾町の玄関口が一段とグレードアップしたことは町民の誇りである。
▼15日のJRダイヤ改正に合わせて新駅舎の利用が開始される。駅設備はバリアフリー化が施された近代的なもので矢巾町の発展を指向している。
▼橋上化駅の完成によって新たに西口が開設され、東西のアクセスが改善された。駅周辺も整備が進むだろう。地域民のコミュニティー機能や駅を中心とした都市化が促進されると思う。交通周遊アクセスもよくなるはずだ。
▼町には岩手医大の移転が進められている。薬学部などは既に開学しているが、今後は医学部などの移転によって駅の利用増加も期待されている。医大移転とそれに関連した施設やさまざまな企業の誘致、宅地化はさらに進む。
▼JR東日本の早瀬藤二支社長は岩手医大の移転による利用客の増加を予測してエレベーター、エスカレーターなどの機能的に優しい施設を作り上げたと話している。今のところ利用客は1日約5400人であるが、こうした設備は国の基準では片道で5千人以上の利用客がなければ整備できない。これは将来の伸びを見込んでの先行的なもので今後の着実な発展が待たれている。

▼ 2008年 3月 14日 ―官僚の不作為に有罪確定―
 本当はやるべきことをやらない怠慢。それを「不作為」という
▼政府省庁などが、放置しておけば危険であることを知りながら対策を怠る事例が、1970年代ごろから次々と表面化している。薬害エイズ事件もその一つ。エイズは感染すれば命を奪われることもある。この怖い病気に、血友病や肝炎などの治療で投与された薬剤から感染する人が相次ぎ、死者も出たのである
▼製薬会社や医師が、この薬を使えばエイズに感染する恐れがあることを予知していたのではないか。監督官庁は危険を防ぐ対策を怠っていたのではないか。こういう視点から「官・業・医」の複合的過失が問われ、三者それぞれが刑事・民事の責任も追及されたのが薬害エイズ事件だ
▼刑事訴訟では96年に官・業・医の責任者が逮捕、起訴された。この内、製薬会社役員は実刑判決(00年)。医師は控訴審中に認知症になり公判停止(05年死亡)。下級審で禁固1年、執行猶予2年とされ上告していた旧厚生省元課長が、最高裁で上告を棄却され有罪が確定したのは今月3日
▼判決で特筆されるのは、官僚がやるべきことをやらなかった「不作為」を、罪状として初めて認めたこと。「薬事行政担当者には、薬品による危害発生を防止する注意義務が生じる」などと指摘。それを怠る罪の重さを明らかにした意義は大きい
▼情けないことにこの国では、やるべきことをやらない不作為と、やってはならないことをやる策意のお役人があまりにも目立ちすぎる。

▼ 2008年 3月 13日 ―バッケみそ―
 先日、スーパーからフキノトウ「ばっけ」を買ってきて、バッケみそにして食べた。今年の初物だった。適度にほろ苦く、温かいご飯に乗せておいしく頂いた。野草のほろ苦さはがんの予防に効くと言われている。
▼このところ里には草芽が出てきて、春に向かってきていることを感じさせる。冬の間部屋に入れておいた君子蘭がようやく花芽をつけて日ごとに茎の背丈が高くなっていくのを楽しみにしている。
▼わが家の君子蘭は宮古で生活していたときに同僚から1株を分けて頂いたものである。既に7年ほどになるが、株分けをして大小2つの鉢になった。1年に1枚の葉っぱをつけて片側が6枚くらいになってその真ん中から花芽が出てくる。最初は白い茎が出てきて、伸びていくと天辺がピンク色の花袋のようなものが出てくる。昨年咲いた花は、赤い実をつけて固くなっているが、今年はその実で実生を育てて、新しい鉢で育てたいと思っている。
▼宮古地方とは異なって盛岡方面の冬は厳しい。したがって冬の間は鉢物のほとんどを部屋に入れておくのだが、それで盆栽をだめにすることがある。サボテン類は部屋の中でも丈夫だが、松の盆栽などは難しい。
▼昨年、アピオで開かれた世界の蘭展のとき手に入れたセッコクが今咲いている。春3月も中旬に入って、外では梅の花芽も少々紅みを帯びてきているように感じられる。今度の日曜日あたりは庭に出て土を眺めれば、新しい花芽を見つけることができるだろう。

▼ 2008年 3月 12日 ―厳冬の夕張で映画祭復活―
 北国にもようやく早春の気配。木々の先端にも赤やいだ芽吹きが見える
▼この冬は九州方面でも降雪があるなど冷え込んだ。振り返れば本県はじめみちのく各地も、冬将軍との厳しい戦いの日々。そんな中で、南国の子供たちが珍しい雪に歓喜している光景が伝えられ、苦笑したこともある。雪を白魔と呼ぶ風土との違いなのだろう
▼寒さに震えた日には、ふと、夕張の皆さんはどうしているのだろうと案じたこともある。06年に財政再建団体入りを表明。市職員の退職者も相次ぎ、学校統合や諸施設の休・廃止も告げられ、行政サービスは著しく低下していることが伝えられていた。真冬の市民生活も脅かされたことだろう
▼全国がひな祭りで華やいだ3日。夕張の悲哀を象徴するような事故が報道された。市内4カ所の屋外プールが全廃されて、唯一残された「市スウィミングセンター」の屋根が、約1メートルに及ぶ積雪の重みに耐え切れずに崩落したのだ
▼以前は冬季も営業した温水プールを休止していたから、温熱で溶けるはずの雪が残ったためという。市は復旧費用捻出に頭を痛めている。財政再建の歩みは依然として厳冬のただ中にある。行政が冷凍庫のように冷え込んでいる一方、それを溶かすような頼もしい民間の動きもある
▼1990年に市の主導で始めた「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」も、06年に中止に追い込まれたが、市民有志らの奮闘で復活する。19日から5日間、夕張に春を呼ぶように再開される。

▼ 2008年 3月 11日 ―映画「母べえ」の時代―
 激動の時代を生き抜いた母と家族の愛の物語の映画「母(かあ)べえ」を見たが、今から60年ぐらい前はあれが当たり前であったのかと思うとぞっとするものがある。今を生きている人たちはその映画を見てどのように思うのだろうか。
▼映画は昭和15年ころの東京が舞台となっているが、日中戦争が長引き、ドイツがロシアに攻撃を仕掛け、間もなく日本も太平洋戦争に突入していく。
▼父べえ、母べえ、そして子供の呼び方も「初べえ、照べえ」と愛称で呼び合う仲むつまじい家族であるが、ドイツ文学者の父が治安維持法で検挙された朝から一変する。学問を重ね、戦争に反対することが、国を批判するとして罪になる時代だった。
▼若い男子の大半が軍役に召集され、戦地にいるときに父は思想に問題ありとして治安維持法で検挙され、拘置所に抑留されて家族の慰問もむなしくそのまま死を遂げる。旧満州などに派遣されていた兵士は南方海戦に転戦を命じられ、米英軍の攻撃で多くが戦死した。やがて広島、長崎に原爆が投下されて日本は敗戦に至る。同じ男の死をどのようにとらえるかであろう。
▼その前に平和や命の大切さというものを考えさせてくれるのであろうが、それも戦前派と戦後派では受け止め方にも異なるものがあろう。山田洋次監督はだからこそ「今を生きる人に伝えたい」としている。母べえ役に吉永小百合を起用したのもその辺にあろう。観客はやはり中高年者が多いように見受けられた。

▼ 2008年 3月 10日 ―女子マラソン新旧交代―
 00年シドニー五輪女子マラソンの金メダリスト・高橋尚子。間もなく36歳になる。年齢の壁はあるのかないのか。全国ファンがかたずをのんで見守った昨日の名古屋国際女子マラソン
▼前日に「玉手箱を開ける前のワクワクドキドキ〜」の気分と語っていた高橋。開けてみなければ何が起こるか分からないというマラソン。そこにひそむ不安が現実となった。9`辺りから失速し始める。「Qちゃ〜ん、がんばれ!」との声援が沿道から沸き上がる
▼25`地点で36位に後退。ファンの悲鳴のような応援がその背に飛ぶ。世代は確実に変わろうとしているのか。32`辺りから、初参加で21歳の中村友梨香が抜け出す。先頭に立ちペースをぐんぐん上げる。そのまま走り抜け大歓声に包まれてゴール。満面の笑みで頭上に初栄冠を受けた
▼北京五輪の最終選考を兼ねた今回の名古屋。高橋はじめ歴戦の強豪がそろう姿に「そんなすごい人たちと走れるなんて」と素直に感激していた中村の初優勝。「新人類のデビュー」「ニュー・ヒロイン誕生」などの賛辞にも、新旧交代が象徴されている
▼北京代表枠3人に彼女が入るかどうかはきょう決定される。一方、足のふくらはぎに水を掛けながら力走した高橋。27位に終わり北京への夢は消えたが、その走りは勝っても負けても見る人に感動を与える。生き方のひたむきさ故だろう
▼00年に来県。そのときにも語った「あきらめなければ夢はかなう」の信条を重ねると、感慨はひとしおである。

▼ 2008年 3月 9日 ―仙台市の発展―
 仙台市の発展が著しく感じるのは私のみではあるまい。駅頭に立ってみればその町の勢いのようなものを感じるものだが、まずは仙台駅2階に架かる4本の高架橋を通行する人込みに圧倒される。人通りが盛岡市の5倍はあるのではないかと思った。
▼東京圏とは異なった活力を感じるが、過疎化で寂れている北東北の各地からダム現象で仙台に集積しているのではなかろうか。
▼仙台駅1階の待合室に構えていた、馬にまたがる伊達政宗公の像が3月2日に消えてなくなった。大幅な改装が計画されているのだろうが、駅2階の北側は既に大きく模様替えをしていた。
▼西側の店舗が「牛タン通り」で、牛タンの利久などの老舗が5店舗ほど連ねている。廊下を挟んで東側の店舗は「すし通り」となって、気仙沼市や塩釜市などのすし屋が5、6軒店を連ねている。いずれも1500円程度から3千円程度のメニューで手ごろな値段となっている。JR仙台駅は牛タンとすしを売り物にするのだろう。先日は、客が廊下に立って待つほどの込み具合であったが、客にも喜ばれているようだ。
▼仙石線も仙台駅の真下に移設され、仙台地下鉄の東西線の工事も始まっている。仙台空港鉄道も開通し交通の拠点化が進められている。仙台駅の外に出ると高層のビルが林立しているが、テナントに入っている大型書店など中央と地方の商社が激しく競い合っている。5〜10年先を見越したビジョンの下に年次計画で再開発が進んでいる。

▼ 2008年 3月 8日 ―盛岡の三船君に文学賞大賞―
 「金閣寺」などで知られる三島由紀夫は、日本を代表する作家の一人
▼文学的才能の目覚めは早く早熟との評すらある。1931年に学習院に入学。37年、12歳のときには中等科の文学部に所属。翌年には短編小説「酸模(すかんぽ)・秋彦の幼き思ひ出」「座禅物語」が学友誌に掲載されている
▼久し振りに三島の履歴や作品集をひもといたのも、早熟のレベルはこの文豪に近いのではないか、と称賛される少年作家が盛岡から誕生したからだ。若い芽を育てるために小学館が始めた「12歳の文学賞」(第2回)で、最高賞の大賞に輝いた三船恭太郎君(岩大付属小5年)がその人。4日に東京で贈賞式が行われた
▼受賞作「ヘチマと僕と、そしてハヤ」は10代小学生の学園風景を生き生きと描く。例えばヘチマを植える場所取りの場面。主人公の「僕」は自分の隣に好きな女子の分を空けておく。ところがそこへ転校生の男子・ハヤが割り込んでくる。友情や恋愛が交差する日常をキラキラとした文体で描き出し、実に面白く読者をうならせる
▼選考では完成度の高さなどが評価され満場一致の受賞となった。「大人でも書けないすごい文学。文体はさわやかだが、三島由紀夫のレベルではないのか」と絶賛したのは作家で審査員の樋口裕一氏
▼三船君は本をよく読む。読後に《自分なら結末をこうするのに》と思うことがあるそうだ。すでに書き手側に位置した読み方をしている。プレッシャーに配慮しながら大成を見守りたい。

▼ 2008年 3月 7日 ―トランヴェール・3月号の特集―
 JR東日本の「トランヴェール・3月号」に「奥州藤原氏の仏教都市・平泉の誕生」が特集に組まれている。新幹線の各座席に配備されていて、お持ち帰り自由だからPR効果が高い。
▼サブタイトルが「藤原清衡・基衡の歴史と文化を旅する」になっている。およそ900年前に作られた巨大な陸奥国の中心地平泉の歴史探訪の旅となっている。
▼束稲山の駒形峰から西に広がる平泉の町並みが映し出され、そこは雄大な奥羽山脈と手前に見える北上川との間に平泉の文化遺産は広がっている。少年のころ、ツツジの名所の束稲山はよく登った山だし、下を流れる北上川ではよく釣りをした。また中尊寺などは元朝詣りに行ったところだ。そこら一帯が今や世界遺産の指定を受けることで注目を集めている。
▼前九年・後三年の合戦を生き抜き北東北支配を受け継いだ清衡は、実父・藤原経清の姓の「藤原」を名乗り、平泉という一大仏教都市を造った。今回の特集は中尊寺を建立した初代清衡と毛越寺を築いて仏教文化を浸透させた二代基衡の偉業に焦点を当てている。
▼藤原氏が平泉に君臨した約100年間は日本史の中でも異彩を放っている。朝廷による北方攻めによって安倍氏は滅ぼされるが、その後、後三年合戦を経て清衡は陸奥押領使に任じられ、陸奥国の実質ナンバー2の官職に就いた。その清原清衡は実父の姓を名乗ることを許されて「奥州藤原氏」の誕生となる。拠点を平泉に移し全東北に支配を広げていった。

▼ 2008年 3月 6日 ―懐疑深まる中国見解―
 国益を守るという命題。そのため唯我独尊と映る手法でも強引に展開する国もある
▼中国政府にもそれが散見されるが、毒入りギョーザ問題への対応には少々驚く。先月28日の記者会見で、同国公安省幹部は「殺虫剤の投入が中国国内で発生した可能性は極めて小さい」と早くも自国内混入に否定的な見解を表明。双方の情報交換を重ねるなど努力してきた日本側との平行線が続く
▼胡錦濤主席来日や北京五輪を控え収束を急いでいるのか。中央集権国家特有の〈正義は常にわれにあり〉といった独善性を克服できていないのか。この種の問題は互いが国益を脇に置き、真相究明に誠意ある作業を貫くべきであろう。結果的にはその方が国益をもたらすだろう
▼日本国内で、毒性の高い農薬・メタミドホスなどが混入した中国産ギョーザによる中毒事件が表面化したのは年頭1月。重篤な中毒症状に陥った人も出ている。業界も回収作業に乗り出すやら、主婦らの不買意識も高まるやらで日本列島は騒然とし、中国産食品敬遠の動きは今も収まる気配はない
▼農薬事故は中国国内でも多発。同国政府はメタミドホスそのものの販売と使用を昨年1月から禁止。規制も強化していると説明してきた。ところが先月24日に同国湖北省で、この農薬5トンを積んだトラックが横転。容器の半数が破損して有毒ガスが発生したという
▼事故は日本でも今月2日に報道されている。現実には使用禁止農薬が流通している。中国見解には懐疑が深まる。

▼ 2008年 3月 5日 ―山形市の観光施策―
 山形市に行ってきた。山形新幹線が開業したとき以来だから、15年ぶりくらいになるのだろうか。町並みがきれいに整備され、山形城跡の霞城公園内で天守閣の復元工事が行われている。5年計画という。観光都市「やまがた」を目指しているのであろうか、着々と整備が進む印象を受けた。
▼山形駅前からは10分間隔で車体を緑色に統一された循環バスが周遊コースで運行されている。運賃は1回100円で乗り放題券は300円となっている。バス停で待っていればいいので時刻表は要らない。近距離にある霞城公園、博物館、旧県庁の文翔館、最上義光資料館、美術館、県民会館、市民会館、中央病院、中央郵便局、市役所などが周遊コースに組み込まれている。最初からコンパクトシティーの形が整っているということかもしれない。
▼東北専門新聞連盟から「地域づくり社会活動顕彰団体」の表彰を受けたのが山形歴史たてもの研究会(会長、結城玲子さん)。二十数名の団体で城下町やまがた探検隊などにより、歴史的建築の保存活用の実践活動を行ってきている。山形市内に現存する江戸から明治初期にかけての建築物や蔵など歴史ある建造物や町並みなどの文化的価値を再認識する運動を進めている。やまがたレトロ館絵地図を発行し名刺代わりや循環バス沿線のガイドに使用している。24の歴史建造物は「ポストカード」として1枚ごとに活用できるようにしている。山形市の観光施策には学ぶところがある。

▼ 2008年 3月 4日 ―いのちの食べかた―
 猟のため山に入った若い紳士二人が、「鳥も獣も一疋(ぴき)も居やがらん」と言うところから、宮沢賢治の「注文の多い料理店」は始まる
▼鹿の横っ腹なんぞに二三発お見舞い申したら、ずいぶん痛快だろうねえ、などと言い放っていた二人。やがて山奥の料理店に入る。そこで自分たちが食材にされ、料理されようとしていることに気付き震え上がる
▼所用先でドキュメンタリー映画「いのちの食べかた」を見たが、動物たちが食材として機械的に処理されていく場面から、賢治の描いた物語がよみがえった。映画はオーストリア人監督が手掛け欧州で撮影されたが、臨場感は日本の食卓にも伝わる
▼野菜や肉類など人々が口にする食材の生産過程をカメラは淡々と追う。ナレーションも音楽も字幕もない。監督の意志なのだろう。記録映像だけが迫ってくる。特に肉生産の現場は生々しい。工業品大量製造工場の感さえする。足をつられ頭を切られ加工されていく鶏
▼左右に切り裂かれ内臓が飛び出す豚。カプセルに押し込められ一角から顔を出す牛は額にこて状のものが当てられショック死。血が抜かれ皮をはがれて解体されていく。そんな光景が続く。原題は「われら日々の糧」。邦題は映像作家・森達也さんの同名著書(理論社)から取った
▼毎日の糧となる命の食べ方を問い直せ、と訴えるような作品だ。それをいち早く童話で示唆した賢治の感性に驚きながら、「いただきます」という言葉の重みを改めてかみしめる。

▼ 2008年 3月 3日 ―花粉症―
 「白鳥を送りて遂に駆け出せり」。太田土男氏の句である。北上川や中津川の上空で飛行訓練を重ねていた白鳥たちがいよいよ旅立つ季節を迎えた。気流に乗れば時速100キロにもなり、シベリア辺りまでは1日か2日で到達する勘定になるが、はたしてどのような経路をたどっているのだろうか。
▼はるか海を渡る途方もない能力に畏敬を感じての作品であった。卒業式を終えて遠方に旅立って行く子供たちの姿にも通じるものがあろう。
▼弥生3月を迎えた。春らしい陽気があると思うと、急に真冬のような荒れ狂った寒気の日になって天候が激しく変わったりする。沿岸のほうではこれから「春一番」の大きな嵐が待っている。間違いなく春は近づいている 。
▼2、3日前からテレビ、ラジオなどで花粉症の報道が目に付くようになった。今年は例年の2倍以上の花粉がついているようで既に東京圏以南などでは対策に関心が高まってきているようだ。花粉も徐々に北上してくるから森林の多い本県でも対策が必要だ。
▼少年時代に「杉の実鉄砲」をつくって遊んだ経験があるが、花粉症の心配をしたことはなかった。爆発的に患者が増えたのは戦後のことだそうだが、その増えた原因も実はよく分かっていないらしい。いまは空調の整った部屋で過ごす時間が多くなって、自然環境に適応できなくなっているというわけではあるまいが、医薬品のみに頼らず、自然に順応するような元気の出る対策もあってほしい。

▼ 2008年 3月 2日 ―おやじの海―
 先夜、友達数人とカラオケに興じた。興(楽しむ)とはいえ、実際は憂愁漂うひとときとなった
▼皆が選曲していたら、1人が「今はこれしかない」と言い、「おやじの海」を歌い出した。秋田・鹿角出身の村木賢吉が大ヒットさせたこの曲。村木と職場が同じだった佐義達雄が作詞、作曲したものだ。父の後を継いで漁師になった息子の心象をおおらかに歌い上げている
▼「ヨイショ、ヨイショ」の掛け声で始まり、このでっかい海は「俺を育てたおやじの海だ」と歌う。「沖で苦労のシラガも増えて汐(しお)のにおいがはだ身にしみた そんなおやじがいとおしい」と、カラオケに乗せて声を張り上げていた彼は、目に涙を光らせ、おえつでその先は途切れ途切れ
▼海上自衛隊のイージス艦と千葉の漁船が衝突。真冬の海に投げ出された父と息子に歌の情景が重なる。58歳の父・吉清治夫さんと23歳の長男・哲大さん。後継者不足が嘆かれている折、父と共に漁に従事する哲大さんは、この歌のように沖で苦労するおやじを案じ敬愛する好青年なのだろう
▼東京のホームレスの人たちにと、何度も魚を届けていた逸話も伝えられている。育てたお父さんの人柄も受け継いだのだろう。心根の優しい人たちが突然の災難に襲われる理不尽。それも風雨などのせいではない。自衛艦側に油断や怠慢がなければ防げたとの指摘もある。やりきれない人災だ
▼先の一夜は、何とか救出をと念じながら、皆で何度も「おやじの海」を歌った。

▼ 2008年 3月 1日 ―ブライトステージ―
 本県では一番近代的でモダンな高齢者福祉施設といわれる「ブライトステージ」が2月29日、盛岡市肴町にオープンした。開設記念式典であいさつしたブライトステージの川村昭一社長によると、7年前から構想を練ってきたとか。中心市街地活性化策としてモデル事業的に施工したとのことであった。
▼構想を進めてこられた浅井不動産の浅井敏博氏や、工事を施工された宮城建設の宮城政章社長、資金を融資された岩手銀行の高橋真裕頭取、肴町町内会の川村登会長、コンパクトなまちづくりを推進している谷藤裕明盛岡市長も出席して開設記念式典が開催されたが、都市型の高齢者福祉施設としてさまざまな角度から検討が加えられたようだ。
▼式典に先立って施設内の披露があった。中津川河畔という最高の立地条件のほかに、肴町や紺屋町といった盛岡では利便性を備えた位置にあって最高の環境を備えている。内部の施設にもさまざまな配慮がなされていて、従業員やスタッフの訓練も十分に行われているようだ。
▼最初の入居契約時に390万円、月々18万5千円の費用がかかる。これで食事から入浴など諸経費が賄われ、生涯「安心・安全・安楽」の3つの安らぎが得られる生活を提供したいとしている。2階から6階まで住宅型有料老人ホーム、介護付き有料老人ホーム、ショートステイ、デイサービスなどさまざまなタイプが設定されている。今回のモデルの成功を待って、次の構想を練っているという。

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