2014年 5月の天窓


 2014年  5月  31日 ―あすから6月に―
 

 あすから6月、水無月(みなづき)に入る。春から夏への季節の変わり目である。11日には入梅となるので梅雨の季節、また、このころには「梅」の実が熟すと言われている。
▼高温多湿であるが、気圧の谷に入ったときは、妙に底冷えがすることがあり、寒暖の差が激しい季節で、細菌の繁殖に最適の気候であるため、食品類の衛生管理や家具などの風通しなど手入れをよくしなければならない。
▼近年、例年とは違った気候になっている。5月に入って、お天道さまが顔を出していながら、底冷えのする冷風が吹き回って、身体の節々が痛んだり、風邪を引き寄せる人、花粉症でくしゃみを繰り返している人が多い。
▼春から風邪薬を服用していたが、さっぱり治らないので耳鼻科に行ったら花粉アレルギーと診断された。杉の花粉が過ぎ、草地の花々の花粉が飛び回っている。高齢のせいもあるのだが、花アレルギー、おまけにこのところ続いている夏のような高温で体に変化が起きている。
▼6月14日には盛岡の初夏の風物詩「チャグチャグ馬コ」が開催される。滝沢市になって初めての祭りで、全国に向けて熱が入っている。約100頭の馬コが滝沢市の蒼前神社から盛岡市の盛岡八幡宮まで練り歩く。大勢の観客を迎え、快晴の岩手山の下でにぎやかに開催したい。

 


 2014年  5月  30日 ―袴田さんが里帰り―
 無実を訴え続けるある死刑囚が心境を詠んでいる。「独房に死を待つのみなり秋の蚊よ 心ゆくまでわれの血を吸へ」と
▼犯行が事実ならざんげの意味もあろう。だが身に覚えがないのに極刑が確定し処刑を待つ無念はいかばかりか。えん罪の誘因として捜査段階での思い込みや決め付けによる身柄確保がある。情動的手法だからつじつまの合わないこともあり、合わせるため自白を強要。証拠ねつ造までしてしまう
▼こうしたえん罪の構造を見破る裁判官の眼力が大事なのだが、最高裁も見抜けずに無実の死刑囚を生んでしまうことがある。一家4人殺害犯とされた袴田巌さんも無罪を叫び続けたが、強いられた自白や捜査陣が提示した衣類の血痕などが証拠とされ、1980年に最高裁が死刑を確定した。これを今春3月27日に静岡地裁が覆す
▼求めに応じた再審開始と死刑及び拘置の執行停止を決定し当日、袴田さんを釈放したのである。地裁は自白は拷問によるもので任意性がなく、血痕が鑑定で被告のDNAと一致しなかったことも指摘。衣類発見が事件の1年2カ月後というのも不自然で、捜査陣がねつ造した疑いがあるとの判断も示した
▼都内で入院していた巌さん(78)は3日前に、姉のひで子さんと浜松へ48年ぶりに里帰りした。早期の無罪確定を心から願う。

 2014年  5月  29日 ―AKB48握手会切りつけ事件―
 25日午後4時54分ころ、滝沢市砂込の県産業文化センターアピオで開かれていた女性アイドルグループAKB48の握手会で、折り畳み式ののこぎりを振り回し、メンバーとスタッフに骨折などのけがを負わせる事件が発生した。盛岡西警察署は現場で、青森県十和田市の無職の24歳の男を殺人未遂の疑いで現行犯逮捕した。
▼けがをしたのは、川栄李奈さんと入山杏奈さん、男性スタッフの3人で、盛岡市内の高次救急センターに搬送された。治療入院していたが、26日夕方に退院して帰京した。
▼今回の握手会はAKB48が全国で行っているファン向けイベントで、キングレコードの主催。握手会への来場者数の把握はなされていなかったようだ。
▼会場には制服警備員を含め100人態勢で整備に当たっていた。握手会直前に来場者に対し、危険物がないか手のひらの確認をしていたが、所持品の検査などは行われていなかったらしい。今回にかかわらず、不特定の来場者と人気アイドルが至近距離で触れ合うのは、主催者側として警備に十分な配慮が必要であろう。
▼東日本大震災後、AKB48のメンバーはたびたび本県にも三陸の被災地慰問などに駆け付け、被災者らを元気づけている。今回の事件が県内の会場で発生したことは申し訳なく、また残念でならない。

 2014年  5月  28日 ―岩清水が決勝弾2発―
 なでしこジャパンが初優勝したサッカー女子アジア杯では、滝沢市出身の岩清水梓選手が大活躍。スポーツ各紙にも「悲願の初優勝!岩清水が2戦連発」「また岩清水弾!」などの大見出しが躍った
▼25日の決勝戦の相手は前大会で優勝したオーストラリア。侮り難い好敵手だ。開催地はベトナムのホーチミン市で現地の気温は30度を超えていたという。双方は文字通りの熱闘を展開。押しつ押されつの攻防の中、前半28分に日本が動く
▼宮間主将の巧みなコーナーキックを宇津木がクロス。弧を描くそのボールに右前方にいた岩清水が頭を合わせ打ち込む。ボールは相手選手に当たり右ポストに当たってゴール内に落ちていく。これが貴重な先制点となる
▼以後、寄せては返す攻防は激しくテレビ観戦もハラハラさせられたが、日本はその1点を死守。アジア杯の前身・女子アジア選手権も含め14度目の出場で、なでしこジャパンは悲願の初優勝を飾ったのである。岩清水は本来の任務である守備の要としても奮闘。勝利の立役者となる
▼彼女は中国と戦った22日の準決勝では、1対1の同点で突入した延長戦後半の最終場面で、同じくボールに頭を合わせヘディングシュートで、劇的な勝ち越し弾を打ち込んでいる。守備の要が攻撃の要も演じた快挙に称賛の拍手を送りたい。

 2014年  5月  27日 ―明治時代の南部家当主―
 ペリー率いる黒船が来航してから15年後、幕末の動乱から戊辰戦争を経て、1868年に「明治」が始まった。幕藩体制を廃して誕生した明治新政府は、天皇を中心とした中央集権国家の確立であった。欧米では既に産業革命を体験した後であり、欧米諸国の制度・文化を導入して、富国強兵の実現を目指した。
▼明治元年10月、盛岡南部藩は、戊辰戦争で新政府に敵対したため藩主の地位を失うとともに「賊軍」として新時代を生きることを余儀なくされた。利剛(としひさ)、利恭(としゆき)父子は、楢山佐渡ら重臣3人とともに東京(江戸)・芝の金地院(こんちいん)で謹慎となり、同年12月、盛岡藩20万石の所領没収と利剛の隠居謹慎が決定し、利恭に家名相続が許され、白石13万石に配置換えとなった。
▼明治2年、全国の藩主は、領地「版」と人民「籍」を天皇に返還「版籍奉還」し、改めて藩知事に任じられ、利恭も白石藩知事に任じられた。
▼しかし、領内では国替え反対の嘆願運動が起こり、7月には70万両の献金を条件に、盛岡復帰が許された。明治の南部家当主は、第41代利恭(としゆき)、第42代利祥(としなが)、第43代利淳(としあつ)の3代。県立図書館で29日まで、「南部のお殿様―明治を生きる」企画展が開催されている。

 2014年  5月  26日 ―原発再稼働差し止め判決―
 福島原発事故で避難を強いられ、今も帰宅できない人が13万人もいる
▼年間50_シーベルトを超える帰宅困難区域では改善が見られず、国は全員帰還方針を転換。約2万5千人に移住を促す。一方、避難指示解除準備区域については、3〜4万人の該当者に早期帰還を勧める。だが放射能を恐れ帰ろうとしない世帯が多い
▼避難解除がなく帰りたくても帰れない人。今になって移住を迫られる人。帰れと言われても怖くて帰らない人と、皆が人生計画が狂い平穏な普通の暮らしに戻れないでいる。国と東電の大地震想定と備えの甘さはあまりにも罪深い
▼21日に福井地裁は地元住民が関西電力大飯原発の運転差し止めを求めた訴訟で、再稼働差し止めを命じた。判決文には福島の惨状を背にした裁判官の思いがにじむ。避難過程で60人が命を失ったことにも触れている
▼差し止めについては原発は電力を生む一手段であり、人の生命や生活を守る憲法上の人格権より劣位にあると指摘。この権利が侵害される危険性があれば、差し止めるのが裁判所の役割だと述べている。司法が原発問題への旗色を鮮明にした感がする
▼最高裁が原発訴訟の研究会を設け全国の裁判官が参加した経緯もある。関電は控訴したが全国の20件を超える原発関連の訴訟と併せ、今後の展開を見守りたい。

 2014年  5月  25日 ―平成の大合併の意味は―
 平成の広域合併がされてから、市町村の人口はどのようになっているのか。既に10年にもなろうとしているが、県内では、一関市以外の合併市町で人口減少が続いている。
▼盛岡市の約30万人に次いで、10万人規模の市は一関、奥州、花巻と内陸部に連なっている。それらの都市では、この8〜10年間に、どれだけの人口が減っているのか。広域合併前から比較して数千人規模で人口を減らしているのではないか。旧町村で一つか二つの自治体が消えてしまった格好になっている。
▼平成の広域合併の目的は何だったのか。都市部でも人口減少が起きているが、人口が著しく減っている原因は何か。その分析と、きめ細かい対策が必要であったはず。
▼人口を大きく減らしている地域は、何と言っても中山間地ではないか。中山間地は少子高齢化がものすごい早さで進み、70歳を超える高齢者の割合が著しく高くなっていて、一方では、地域を担う後継者が非常に少なくなっている。地域内での支え合いが難しくなる、限界集落が増加しているのが現状。人口だけではなく、山間地を生かす道、年代別のさまざまな対策を立てなければならないのではないか。
▼持てる資源をいかに生かすか、産業などを再度見直して、人、土地を有効に生かす道を探らなければならない。

 2014年  5月  24日 ―新緑の四国路を歩く―
 愛媛に新しい親戚ができて、今月初めの連休に新緑の四国路を旅してきた
▼目には青葉が鮮やかで耳にはウグイスの美声が心地よく、舌では初ガツオのたたきを味わう。日ごとに五感も鋭敏になる。連休のせいかどこも人がいっぱいで車は他県ナンバーが目立つ。本県も誘客に力が入るが四国の引力も半端じゃない
▼徳島の山あいの道を行くと大歩危(おおぼけ)という山峡がある。眼下の渓流の両岸からそそり立つ岩壁。昔は歩くのも危険でそれが地名になったのかもしれない。だが今は観光客が白い岩肌とエメラルドグリーンの清流に魅了され、遊覧船からの眺望を楽しむ
▼大歩危手前の山道で聞いたのが響き渡るウグイスの声だ。龍馬の銅像が建つ高知の桂浜も散策し「国の洗濯」を志した男の短くも意味ある生涯をしのぶ。桂浜の料理店では客が稲わらの炎で串刺しカツオをたたきにする。これも体験。そのたたきで食べたごはんのうま味も忘れられない
▼愛媛の松山市では漱石の「坊ちゃん」ゆかりの道後温泉に宿泊。漱石が通った温泉は今は「本館」と呼ばれ、銭湯風の市営共同浴場になっている。観光客は近隣のホテルに泊まり漱石関連の展示もある「本館」の湯に入りに行く。夜間は行列ができるほど混み当方は朝湯に入った
▼四国は遠いがまた行きたくなっている。

 2014年  5月  23日 ―滝沢市でのNHKのど自慢―
 1月1日の滝沢市市制施行を記念した公開生放送、明るく楽しく元気よくの「NHK のど自慢」が18日、同市の岩手産業文化センター「アピオ」で開催された。
▼本番に出場する20組の枠に700組を超える応募があって、その中から250組に絞られた予選が前日行われたが、最終予選通過は35倍という難関であった。入場者も1600席全席が予約制で開場の午前11時と同時にほぼ満員となった。開会に先だって主催者のあいさつで柳村典秀市長は、昨年5月からNHKに開催の要請を続けてようやく実現した、毎年6月第2土曜日に開催される「チャグチャグ馬コ」を全国にPRする絶好のチャンスであると捉えたからであったと述べられた。
▼アピオの前では、チャグチャグ馬コ2頭と子馬1頭が出迎えていた。小田切千アナウンサーの司会、石川さゆり、南こうせつの2人をゲストにお迎えして午後0時15分、会場は万雷の拍手でいよいよ本番の開始となった。
▼赤いポロシャツに滝沢スイカをデザインした姉妹がトップバッター、高齢者あり大学生あり、畜産農家ありで会場は大いに盛り上がった。「南部蝉しぐれ」を歌い上げた同市在住のバス運転手、佐藤次男さんが5人の入賞者の中から見事最優秀賞に輝いた。滝沢市の名が全国に届いたことだろう。

 2014年  5月  22日 ―石を抱くエイリアン―
 「石を抱くエイリアン」(濱野京子著偕成社)は被災県茨城が舞台
▼詳細は割愛するが物語は3・11に至る中学3年の仲間7人の1年間を描く。主役は八乙女市子。「姉さん」が愛称だ。本の帯に「希望感じる?」とあるがこの問いが主題である。市子は快活だが自分に希望はないという。彼女が家中の国語辞典の「希望」の項を切り取る場面もある
▼鉱石に詳しく鉱物学者を目指す偉生(よしお)は変人で、あだ名が「エイリアン(異星人)」。表題は彼を指す。偉生は艶やかな石を市子に贈り「付き合って下さい」と告白。「私にも選ぶ権利が」と彼女は反発しながら時に親しさも見せ月日が経過。発災の11年3月を迎える
▼卒業式、県立高合格発表で仲間全員合格と続き3・11当日、偉生がいわき市の祖父宅へ向かう。祖母が携帯を買ってくれるから最初に姉さんにメールすると出発前に言う。市子は「してして」とはしゃぐ。大地震発生は偉生がいわきに着いた直後らしく彼は行方不明に
▼市子は涙も出ない日が続く。4月7日の余震で棚に置いたあの石が落ち握り締めて彼女は初めて泣き崩れた。月末に公園で空想し偉生と会話する。彼の姿が消え市子は「歩くよ、偉生」と言い帰路に就き書店で国語辞典を買う
▼「私の辞書に希望はある」と彼女は力強く歩み始める。

 2014年  5月  21日 ―広い県土と人口減少―
 今年は5月21日が二十四節気の一つ「小満(しょうまん)」になっている。陽気が盛んになって、山野の植物は花を散らして実を結び、田には苗を植えるなど、万物がほぼ満足する季節とされている。
▼庭にはシャガ、オダマキ、スズランなどが白、紫などそれぞれの花を咲かせている。水田には水が張られて、田植え真っ盛りというところである。陸前高田市小友地区でも津波被害で3年間休んだ水田が復活して初めての田植えが行われた。塩害からの再開で、秋の収穫にこぎ着けられるのかは心配なところもあるが、自分たちの水田を耕して田植えすることが待ち遠しかったようだ。
▼既に梅雨に入っている地方はあるが、旧暦ではまだ4月なので、東北地方は晴天の日が多い。広々としているのはよいが、本県のもてる資産は「広大な面積」であり、この広い面積や自然を産業に生かしていけないものかと思う。
▼このまま人口減少による衰退を放ってはおけない。先に公表された日本創成会議の2040年の人口推計結果によると、東北の137市町村が「消滅可能性都市」に分類されている。
▼もうける農業から「楽しい農業」「生きがいのある農業」に転換させたいものである。まずは、自分たちが食べる分で余った分を販売に回すことではないか。

 2014年  5月  20日 ―防災に先人の知恵生かす―
 国内の次の巨大地震はいつ起きてもおかしくないという
▼静岡の袋井市では、市民が大津波から短時間で避難できる人工高台「命山」造りが進む。先人に学んだもので同市の海岸は入り江が多く、昔から地震のほか強い台風が起こす高潮も大津波となり内陸に押し寄せた
▼1680年にも津波の襲来で多くの犠牲者を出し、この時に村人が悲劇を繰り返さぬよう知恵を絞り村内に高い塚を築く。以後津波のたびに住民はこの塚に避難。命を救われるようになり人々は塚を「命山」と呼ぶようになる
▼人工高台はこれに習ったもので普段は公園として活用する。3・11大津波で集落の命と家を守った宮古市姉吉地区の石碑を思い出す。往時は津波のたびに壊滅した地域だ。1933(昭和8)年の大津波の後、住民らが高台に石碑を建立。そこに子孫の幸せを願う戒めを刻んだ。3・11直後にも報道されたが碑文には「高き住居は児孫の和楽 想へ惨禍の大津波 此処(ここ)より下に家を建てるな」とある
▼集落壊滅事例も書き添え「幾歳経るとも要心あれ」と結んでいる。平成の子孫はこれを順守し和楽の家族も家屋も救われた。集落の民家は石碑より上にある。先人の知恵は単純明快に命を守る基本を教えている
▼現代人にはそれを風化させずに生かす知恵が求められている。

 2014年  5月  19日 ―政府会議の農業改革提言―
 危機的な状況に陥った日本の農業を立て直すラストチャンスと指摘しているのが、14日に政府の規制改革会議から出された「農業改革の提言」である。
▼自民党の農林族は「農業の現場が分かっていない人がまとめた」と批判している。自民党は、独自の農協改革案を5月中にも公表すると言っているが、どんな内容になるのか。
▼今回の提言では、農協の中核である全国農業協同組合中央会「JA 全中」にメスを入れる大胆な内容になっている。
▼安倍首相は14日の参院本会議で「農業を成長産業にするには、農協改革を実行することが必要だ」と意欲を見せている。コメの生産調整「減反」廃止を決めた第一弾の農業改革と同じように、今回も官邸主導で押し切られる可能性がある。しかし、与党内にも、JA全中の役割を評価する意見も多くある。
▼現実に、過疎地の住民の生活を支えているのもJAとした観点から、今後さまざまな議論が交わされるのではないか。今回の提言の骨格を見ると、「企業の農地所有の可能化、農作物の販売を担うJA全農の廃止と株式会社化、JAバンクの農林中央金庫移管、農業委員の選挙廃止と市町村長の選任」などである。確かに日本の農業は「経済優先」「商社任せ」では問題がある。何らかの改革は不可欠であろう。

 2014年  5月  18日 ―ハンセン病闘士が他界―
 らい菌の感染によって知覚まひが起こり、顔面などが変形することもあるハンセン病
▼怖い伝染病と誤解され国が強制隔離する不幸な時代が続いたが、今は優れた療法剤が開発され治癒できる。人々の理解も進んだが国を挙げて患者の人権を侵害、島や山村に設けた療養所に強制隔離した暗黒の歴史は忘れてはなるまい
▼幼少期に家族と引き裂かれ入所した人も多い。その際本名を捨て改名させられた。成人男性は断種を、既婚者でも妊娠した妻は堕胎を強いられた。人間の尊厳が全否定されたのだ。明治期には隔離法が制定。昭和に入ると各県が隔離を競う「無らい県運動」を推進した
▼1931(昭和6)年にはらい予防法が成立。幼児も含め患者は即強制入所となる。この年代の入所者の中から国の非を糾弾する闘士が育つ。詩歌で訴える文人も続出する。ただ大半が既に高齢で闘士は相次ぎ他界している
▼今月は全国入所者協議会長で80歳の神美知宏氏が9日に急逝。11日には隔離を違憲とし国家賠償を求めたハンセン訴訟で勝訴し、政府を控訴断念に導いた原告団全国協議会長で詩人の谺雄二氏が、82年の生涯を閉じた。氏の遺言がある
▼それは入所時に全員が改名させられたが、これまでに先立った全国の仲間の納骨堂に、本名を刻んであげようとの呼び掛けだった。

 2014年  5月  17日 ―盛岡城の企画展―
盛岡城跡公園内のもりおか歴史文化館で第11回企画展「盛岡城」が6月22日まで開催されている。
▼三戸城主であった南部信直が豊臣政権の大名として認められ、南に新しい領地として不来方(盛岡の旧名)の地に新たな城を築くことが許された。盛岡城は慶長年間初期の第26代信直から、利直、重直の3代にわたって整備されたと伝えられている。築城とともに地名が盛岡に改められた。お城の建設と合わせ、城下町盛岡の建設が進められ、また、北上川の流れを変えるなどの普請も行われた。
▼南部盛岡城は広大な領域を持つ盛岡藩の政治や経済の中枢を担い、栄えて現在の盛岡の街並みの骨格となった。明治7年ころに本丸などの建造物は解体されたことは残念であったが、城跡の石垣は城下町の風情を今に伝えている。
▼企画展の中で江戸時代後期の「盛岡八景」(柴田是真画)が目に留まった。当時の盛岡八景は掛け軸に@鵜飼青嵐A新山帰帆B梁川夜雨C新城秋月D澤田夕照E太田落雁F北山晩鐘G巌鷲暮雪―が描かれている
▼現在の風景と照らし合わせてみると、地名と八景のつながりを理解できないものがあり、読みにくい字句もあるが、江戸時代後期の光景を柴田是真画伯が描いたもので、当時を振り返って想像し、歴史をたどってみるのも意義がある。

 2014年  5月  16日 ―介護家族に冷酷な判決―
 先週は他県の小都市に住む親類宅に3連泊。驚いたのは行方不明徘徊(はいかい)者発見協力を呼び掛ける防災無線放送を連日耳にしたことだ
▼放送では行方不明者の性別、年齢、身長、服装の特徴などを紹介。見掛けた時は○○へ連絡をと呼び掛けていた。市内全域に向けた放送だという。連泊初日の午前に放送された92歳男性は、当日夕刻には「無事に保護されました」と放送があった
▼2日目、3日目は80代女性でいずれも午前の早い時間に放送があり、15時前後に保護されている。親類の話では今回は3日間続いたが、平均すると不明者捜索放送は月に7〜8件だという。この自治体では今のところ未発見はないようだ
▼認知症による高齢者の徘徊は介護する家族の重い負担になっている。自己責任の流れの中で施設介護の門は狭く家庭介護にならざるを得ない。その心労は筆舌に尽くせない。先月は愛知で追い打ちをかけるような判決もあった
▼91歳の男性が徘徊中に列車にはねられ死亡。JR東海が妻らに損害賠償を求めた訴訟で、名古屋高裁が妻の管理責任を認定し359万円の支払いを命じたのだ。一審に比べ酌量はしたが冷酷さが残る。今後の在宅介護への見せしめなのか
▼先の捜索放送を依頼した各家族も、配慮のない判決に涙し神経をすり減らしていよう。

 2014年  5月  15日 ―国、国境という問題―
 領土の所有権や海上権益というものは、いつの時代の「仕切り」が元になされているのか。つまり「国境」というものが、どのようにして決められたのか。そのほとんどが、過去の「戦争」によって定められているように思う。戦争は、領土の分捕り合戦であったとしても、大方は最新の戦争の結果が今の境界となっている。
▼何千年も前にさかのぼるのであれば、地球上に人類が登場した当初は、境界はなかったも同然であったろう。それが早い者勝ちに自分で線を引いて持ち分にできた。その後は、土地が肥沃(ひよく)なところや魚介類の取れる土地・海域を自分のものに分捕ったのではないか。
▼多くの場合、海、山、川、湖などを境に分け合ったのだが、その後は、やはり言い掛かりを付けて「紛争」を巻き起こして奪い取ったものであった。「金銭」や「モノ」との交換で行われたことや「政略」などで譲渡されたものもあったろう。
▼戦国時代には、武士の武勲に対して主君から振る舞われたものがあった。逆に、没収された土地もあった。
▼尖閣諸島や南シナ海をめぐる領有権はどこから来ているのか。中国のいう海洋権益は、いったい、いつの時代のことを指しているのか。最新の問題はウクライナとロシアとの関係であるが、どうも最近は穏やかでない。

 2014年  5月  14日 ―時事詠、青春詠を読む―
 安倍総理が詠んだ「給料の上がりし春は八重桜」の句は、春と桜の季語重複が笑いを誘っただけではない
▼昇給に無縁の多くの人が能天気ぶりに嫌悪をにじませている。上がるどころか減額支給となった年金生活者も、嘆息を漏らし風刺句を詠む。「総理殿おらが春だと自画自賛」「散る桜昇給無縁の年金者」「花に酔い民のかまどを忘れてる」など不信を募らせている
▼当方と同世代の切実な時事詠に共感しながら話は飛ぶが、このところ目に留まる若い人たちのみずみずしい作品も味わってみたい。11日に姫神ホールで催された啄木祭全国俳句大会では、新たに設けられた高校生の部で最高賞の「啄木祭賞」に、盛岡中央高2年の工藤凱門さんの句が選ばれた
▼「水吸いしベンチ囲みて啄木忌」が受賞句で学校での光景を表現したという。啄木の忌日は4月13日。この日は法要だけでなくファンがさまざまな形で故人の偉業をしのぶ。作者は友と濡れたベンチを囲み追想したのだろうか。青春のひとこまとして味わい深い
▼隣県の町立女川中学校では発災直後から生徒が作句に取り組んでいる。「夢だけは壊せなかった大震災」と歌い上げた子もいる。「みあげればがれきの上にこいのぼり」と余裕さえ見せる句もある。あすを見据えた若々しい息遣いが聞こえる作品が並ぶ。

 2014年  5月  13日 ―山菜のおいしい時期と調理―
 県内では桜の季節が過ぎて山菜の季節を迎えている。昨秋は山のドングリなどが豊かだったことからかクマの繁殖が盛んであったようだ。冬眠から覚めた子連れのクマの出没が例年よりも多いとあって、山菜採りに出かけてクマ被害に遭遇する人が多い。
▼そんな中、先日は画家の八重樫光行さんが採ってきたコシアブラとタラノメのお裾分けを頂いた。当方はもっぱら頂き物か、道の駅などで買った物を食べることにしている。タラノメ「たらっぽ」は、てんぷらにしてよく食べているが、コシアブラはわが家では珍しい。
▼いつも八重樫画伯から調理法までご教示を頂いてメモしておく。家族はそれを見ながら調理して、おいしく頂いている。
▼しかし、コシアブラは木に生えているのを見たことがない。八重樫画伯の説明では、ウコギ科の高木でホオノキによく似ているから「ウソッポ」とも言われているという。脂肪、タンパク質が豊かで、栄養のある高級な山菜だが、コシアブラの樹脂液は昔から刀剣、ヤジリなどの狩猟具のさび止めや鉄瓶、金物などの手入れに使われていた。よって「戦場」の近くに多く植えられていたという。
▼先人は植物の性質などをよく利活用したと感心させられる。タラノメのてんぷらは最高だが、ご飯に入れて炊いたのを初めて経験した。

 2014年  5月  12日 ―秘密道具に潜む危険―
 今は亡き藤子・F・不二雄さんが、子ども向け学習雑誌に「ドラえもん」の連載を始めたのは1970(昭和45)年1月号からだ
▼作品は1345話に及び順次単行本化しアニメ、映画にもなり子どもだけでなく大人も魅了。その人気は今も衰えない。わくわくさせるのはさえない少年ののび太がピンチに陥ると、ドラえもんが4次元ポケットから次々繰り出す「ひみつ道具」で願いをかなえてくれる場面だろう
▼その道具は未来に発明される物という設定で、総数1600種を超える秘密道具が登場する。驚くのは漫画の中で架空の道具として描かれた物の多くが、既に開発されていることだ。「糸なし電話→携帯電話。睡眠銃→麻酔銃。行き先検索機→カーナビ」というように
▼「立体コピー紙」という道具もある。紙の上に物を乗せると複製品ができるのだ。似た着想で生まれたのが3次元のデータにより、立体物を造形できる「3Dプリンター」である。ところがこれを使い殺傷能力のある拳銃を作っていた男がいる。27歳の大学職員で8日に銃刀法違反容疑で逮捕された
▼男も「ドラえもん」にはまった世代かもしれないが、作者は漫画の中で調子に乗って秘密道具を使うと手痛いしっぺ返しを受けると戒めている。最新機器に潜む危険を放置している国の怠慢も怖い。

 2014年  5月  11日 ―深刻な若年人口の減少―
 総務省統計局の発表によると、わが国の4月1日現在の人口は 1億2714万人となっている。このうち、15歳未満の子どもの人口は1633万人、男836万人、女797万人で、全人口の12・8%を占めている。前年同期に比べて約5万人減、全人口に対する割合でも0・1ポイントのダウンとなった。
▼こういった傾向は県内全市町村に見られるものだろうが、県内で15歳未満の割合が最も高いのが滝沢市の14・8%、全人口5万5056人に対して8069人となっている。最も低いのは西和賀町の8・5%で全人口6129人に対して519人となっている。
▼わが国の年金や医療費などの社会福祉制度などの仕組みが成人の掛け金などで成り立っていることを考えるときに、抜本的な見直しの必要性に迫られてきている。
▼農林水産商工などを中心とした地場の産業の担い手の不足が生じ、税収の落ち込みによって、集落の教育施設や公的機関の維持、子育て環境、介護、自治会の運営にも支障を来してくるのではないか。
▼20世帯ほどの小規模集落には、小学生から高校までの児童生徒が一人もいないところが出てきている。若い人たちが集落から減って、70歳を超した高齢者のご夫婦、あるいは独り暮らしの家庭になっているのは、まれではなくなっている。

 2014年  5月  10日 ―マー君の二刀流―
 一人の選手が投手として巧みに投げ、打者としても巧みに打つ二刀流。本来は剣術から生まれたこの言葉が、日本プロ野球界では日本ハムで活躍する大谷翔平選手(花巻東高出身)の代名詞になっている
▼高校野球でもよく見られるが、名投手の強肩はバットを握っても好打のバネになるのだろう。渡米しニューヨーク・ヤンキース入りして、今季からマウンドに立っているマー君こと田中将大投手は、立ち上がりに苦しむ試合もあったが既に4連勝。東北楽天時代からの連勝を「32」に更新している
▼大リーグでも主力投手として注目されているこの人が、投手も打席に立つ交流戦に備えた打撃練習で巧打を放ち、「田中は打撃もすごい」とニューヨークのファンを喜ばせている。打撃練習は日本時間の7日(現地6日)に行われ、田中はバットを25回振ったが前半はほぼバントの練習
▼試合本番なら本塁打となるフェンス越えが出たのは、16球目と22球目の2本。1本目の時は田中自身が「いえーい!」と叫んでガッツポーズ。喜びを爆発させた。球団首脳も驚嘆したらしい。米国メディアも反応。田中の非凡な打撃力を速報した
▼彼が交流戦で初先発するのは日本時間のきょう9時すぎに始まるブルワーズ戦だ。さてマー君がどんな投打二刀流を見せるか。速報が楽しみだ。

 2014年  5月  9日 ―三陸復興国利地公園の意味―
 陸中海岸国立公園が、三陸復興国立公園に変わったが、どこがどのように変わったのだろうか。
▼2011年3月11日の東日本大震災津波で、環境省が被災した三陸地域の復興に貢献することを目的に「三陸復興国立公園」と改称された。従来の陸中海岸国立公園に、青森県の八戸市や種差海岸、さらには階上岳県立公園なども加わった。今後は、宮城県南三陸や金華山国定公園など三つの県立自然公園を編入させる計画のようである。
▼もともと、三陸とは「陸奥の国、陸中の国、陸前の国」のことを指している。市町村合併などで新たな市町村名が名乗られるようになったから、以前よりも範ちゅうが分かりづらいのだが、JRの駅名を見れば、「陸奥、陸中、陸前」と名乗っているのがいまだに多い。
▼1955年5月に国立公園に指定された陸中海岸国立公園は、普代村から釜石市あたりまでであって、それよりも広範囲な「三陸海岸国立公園」というのがふさわしいという声が起こっていた。宮城県気仙沼市や大船渡市、陸前高田市、さらには北の久慈市方面までも含めた「三陸海岸」にすべきとした考えである。
▼明治政府は「陸奥国、陸中国、陸前国、岩代国、磐城国」に分割したが、二つには「陸」が付かなかった。そういう由来から三陸という字句が来ている。

 2014年  5月  8日 ―指導者の戦場離脱―
 やや古いが「滅私奉公」という言葉がある。私心を捨て公のために尽くすことを意味する
▼最近、この言葉がよぎる出来事が続く。韓国の旅客船が沈没。多くの若い命を見殺しにして船長が真っ先に逃げ後に逮捕された事件もある。船長の職責放棄は罪深い。3・11大津波襲来時に避難の呼び掛けや誘導を続け殉職された自治体職員、消防、警察関係者などの最期の尊さを思う
▼一方、埼玉のある県立高校で新入生担任の女性教師が許可を受け、他校でのわが子の入学式に参加し勤務校入学式を欠席。賛否両論が吹き出す。政府が各分野への女性進出を促す現代でも、公職女性は私的事情も捨てるべきかと「滅私奉公」の是非を問うような論争も起きている
▼同県教委にも両論が寄せられネットにも飛び火し炎上。どちらの主張にも意味がありおそらく決定的正論はないのだろう。大事なのは以後の担任教師自身と生徒との心の交流だろう。新入生に教職を選んだ熱い思いを語る場面があってもいい。信頼感が深まるほどに欠席のマイナスも薄れていく
▼巨人軍の原監督が父の急病で戦場を離脱する場面もあった。5日の中日戦は川相ヘッドコーチに「勝ってくれ」の言葉を添えて託す。敵地の名古屋で巨人は逆転勝利した。離脱も意志が通じ合うと距離が消えるのかもしれない。

 2014年  5月  6日 ―大形連休終わり初夏へ―
 大型連休後半も遠くへ出掛けることもなく、網張温泉の日帰り、そして、小岩井の一本桜を見物した程度で終わった。まさに「安・近・短」であった。前半には日帰りバスツアーで、秋田県の横手公園、大森公園、真人公園の桜、増田の蔵の駅めぐりに参加したので、今年の連休はサクラ見物で過ごしたといえるし、近場の桜を十分に堪能できたといってよい。
▼5日は「こどもの日」であると同時に24節気の一つ「立夏(りっか)」であった。山野に新緑が目立ち始め、風も爽やかになって、いよいよ夏の気配が感じられる季節といわれている。庭の西洋シャクナゲが満開になっている。
▼端午の節句には庭先にこいのぼりを飾るのが日本の風習になっているが、これは、江戸時代に始まったと言われている。子どもの健やかな成長を願う親たちの気持ちの表れであり、竜のごとくに勢いよく上る姿は、男子の立身出世を祈るものでもあろう。
▼当方は転勤族で、宿舎住まいであったために子どもの成長を願って、屋敷に大きなこいのぼりをたなびかせることはできなかった。小さな室内用のこいのぼりをテレビの上に飾る程度で過ごしてきた。
▼今となっては惜しかったような気持ちがするが、自分が少年の頃は戦時中で、父は戦地にいてこいのぼりどころではなかった。

 2014年  5月  5日 ―子どもを襲う貧しさ―
 常にわが子に寄り添い育む母への配慮か。「こどもの日」の趣旨は母をも厚く遇している。「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに母に感謝する日」と
▼敗戦3年目に設けた祝日だ。戦後復興のため子らを幸せにし苦労多い母を大切にしたい、という思いも込めたのだろう。制定から66年。日本は経済復興を果たし世界第2位の豊かな国にまで浮上。ひずみが目立つ今も上位の経済大国である
▼だが昨今は特に貧富の格差というひずみが、子どもにまで及び「チャイルド・プア(子どもの貧困)」という言葉まで流布。普通に食べ、遊び、学ぶことができないほど貧しさに陥っている子が急増しているのだ。厚労省の最新データによると子どもの6人に1人が貧困状態にあるという
▼もちろん親の貧しさが背景にある。とりわけ経済格差が母子家庭の母を直撃するときに、子の貧窮が始まることが多い。給食だけが唯一の食事という小学生や進学を断念する中学生もいる。母が昼夜働き倒れてしまうこともある。祝日の趣旨に逆行するように母も子も苦しむ
▼地域の有志が食事や学習支援を始める動きも出ている。政府も今年1月に「子どもの貧困対策法」を施行した。国と自治体が本腰を入れて子どもたちに、幸せを感じられる「普通の生活」をさせてほしい。

 2014年  5月  4日 ―岩手の観光資源の掘り起こしを―
 県央部から県北、八幡平、三陸沿岸、遠野エリアの観光を進めていくときに、安倍一族の歴史、南部氏の歴史、義経北行伝説、遠野物語などの史跡を訪ねることや啄木・賢治を中心とした文学散歩が中心になっていくのではないか。近年は人物史についての関心も高まっており、ゆかりの土地や産業遺跡を訪れてみるのも良いだろう。
▼本県には観光資源が各地に幅広く存在する。その地域には、その土地ならではの名産品や食べ物があり、麺類、菓子類、魚介類などの農林水産品や地酒、ワインや鉄器などの工芸品・民芸品のほか、郷土芸能も盛んである。
▼近年、本県では多くの学校が閉校になった。その校舎を観光に生かしてはどうか。東日本大震災津波の復興が本格化しているときだけに、観光施策などを並行させて強化させなければならない。
▼平泉は世界文化遺産登録されて3年、さまざまな角度や視点から、誘客策を立てられる。盛岡市、県央部や県北、三陸沿岸の観光施策はきめ細かく、持てる資源をPRし、地道な販売活動を継続させていかなければならない。
▼資源を掘り起こし、県民が観光仕掛け人になって、積極的な観光施策を展開しなければならないのではないか。県内の祭り・イベントとの組み合わせによる誘客作戦にも立ち上がる必要がある。

 2014年  5月  3日 ―憲法軽視に傾く総理―
 今の日本国憲法は、戦後の旧帝国議会で素案が審議され成立。新憲法公布は1946(昭和21)年11月3日で、6カ月後の5月3日から施行されている
▼きょうの「憲法記念日」はそれに由来する。戦争の残虐さを生々しく胸に刻んでいた当時の国民は、とりわけ戦争の永久放棄・陸海空などの戦力不保持・他国との交戦権否認を世界に向け宣言した第9条に驚嘆。多くが新憲法を歓迎したという
▼当方などは日本海の波は高く近隣に脅威があり、同盟国アメリカの核の傘に守られていることも承知で、今でも能天気にこの条目に心酔している。日本の総理が国連総会で9条精神をアピールし、その国際化を訴える日が来ることを夢見たりしている
▼核保有大国の首脳たちは使うに使えぬ奥の手でバランスを取りながら、つくり笑顔で握手もするが中には疲れきっている顔も散見する。そろそろ被爆国日本から核廃絶と9条を掲げ、言論の力で国際世論を主導する人物の登場を願うのは、絵空事であろうか
▼安倍総理は憲法改正以外に方法がない集団的自衛権容認を、改正はハードルが高いからと解釈変更で強引に進めようとしている。その憲法軽視を見ているといっそ理想論で王道を開けないかと夢想してしまうのだ
▼総理が戦争をできる国へと傾く中で迎えた5・3である。

 2014年  5月  2日 ―玉山区の林野火災―
 盛岡市玉山区渋民地内で4月27日に発生した林野火災は、29日正午に延焼の可能性が極めて少なくなったと判断し鎮圧を宣言した。丸2日間燃え広がった林野火災で、周辺の民家などに出された避難指示や避難勧告が解除され、不安な避難生活から解放された。
▼2日間で195fの範囲に及ぶ広大な山林を燃やしたが、まずは住民や家畜などに被害を及ぼさなかったのが何よりというべきだろう。林野火災があった場所は、玉山地区の中心地ともいえる石川啄木記念館東側の山林で、その地下には東北新幹線のトンネルが通っている。
▼盛岡地区消防本部や市消防団延べ1453人、陸上自衛隊員延べ110人による消火活動、防災ヘリは福島、秋田、宮城、青森の応援を得て延べ7機、自衛隊ヘリ、県警ヘリ延べ8機の出動、消防車両延べ107台の出動で消火活動に全力を挙げた。
▼出火場所は渋民の通称館石地区と見られ、付近の住民は「ごみ焼きから延焼した」と話しているが、警察と消防で詳しい原因を調査している。
▼空気が乾燥し、各地で野火や林野火災が発生しているときだけに、注意していた矢先であった。野焼きは春の伝統的な農作業の始まりであるが、消火体制が整えられない中では絶対にやるべきではない。まずは、個人での野焼き禁止である。

 2014年  5月  1日 ―五月を愛した寺山修司―
 月が改まり路地にも薫風がそよぎ、野山の新緑も日を追って鮮やかになる
▼この五月が大好きという人はたくさんおられよう。この季節を恋い慕うような人もいる。代表格は青森が生んだ詩人で劇作家の寺山修司だろう。「五月の詩・序詞」(「われに五月を 寺山修司作品集」(思潮社刊所収)と題する詩も残している
▼「きらめく季節に」と書き始め「ひとりの空ではひとつの季節だけが必要だったのだ」と告白。「萌ゆる雑木は僕のなかにむせんだ」と詠み次のように結ぶ。「二十歳 僕は五月に誕生した〜 いまこそ時 僕は僕の季節の入り口で はにかみながら鳥たちへ手をあげてみる 二十歳 僕は五月に誕生した」
▼初々しい五月への高揚が伝わってくる。寺山は「五月誕生」と2度書き込んでいるが、実際は1935年12月10日に弘前で生まれたという。五月への憧れが抑え難いほど募ったからか、詩では「〜誕生した」ことにしてしまっている
▼この創作にも五月への思い入れの深さがにじむ。その情念の故か47歳で病没した命日は5月4日だった。先の「作品集」は3回忌に合わせ85年の5月4日に刊行されている。五月に燃えた子息を熟知する母・ハツさんは同書の中面に「五月に咲いた花だったのに散ったのも五月でした 母」と、追悼の一文を載せている。

2014年 4月の天窓へ