2015年 1月の天窓


 2015年  1月  31日 ― 60歳からの川柳 ―
 全国老人福祉施設協議会が公募した26年度「60歳からの川柳」受賞句と、最終選考通過作品が先日発表された。正月納めの日に順不同で主な句を鑑賞したい
▼「絶対に先に逝くなと猫に言う」は80歳男性の句(特別賞)だ。添え書きによると自身は猫を飼っていない。ペットに託す形にし同世代の心情を代弁したという。「先に逝くな」は作者が常に妻に言っているせりふで、妻は「どうぞ先に逝って」と返すというから役者が上だ
▼「犬の名は妻が居ぬ間はこら秀子」(入賞・60歳)は天下を奪われた夫のわびしい空威張り。「夫婦茶碗欠けることなく五十年」(選考通過)は、見習いたい堂々の金婚式賛歌だ。「年寄りに死にや(シニヤ)と言うな罰当たり」(同)は愉快なヨコ文字の勘違い
▼健康詠も多い。健康長寿は理想。現実には延命拒否もある。
「延命の治療はするなと書いて消し」(入賞69歳)は、治療の苦痛と長寿願望のはざまで揺れる心理だ。最高賞の優秀賞は63歳男性の「ポイントがつけば忘れぬ診察券」が受賞。ポイント流行時世からの着想が評価されたという
▼詠み手は年金生活者が多く税に敏感。「10パーでオレの生活パーになる」(選考通過)「消費税わし等夫婦の仲裂くな」(同)と危機感を抱き、家庭を険悪にさせていることもにおわせている。

 2015年  1月  30日 ― 国会開会を思う ―
 26日から第189回通常国会が開会した。6月24日までの長丁場で、まずは2015年度補正予算案が審議されるであろう。政府は14日、新年度予算案を閣議決定しており、総額で過去最大の96兆3420億円となっている。
▼1兆円の「創生枠」を地方活性化の目玉とした。それに、14年度補正として3・1兆円が計上されて、年度をまたいで使われることになるので、合わせて100兆円余りの予算が充当されることになる。
▼東日本大震災津波から4年が経過し、5年目に入って復興工事が本格化する年でもある。政府は復興10カ年計画として、来年度が前半5年目の最終年に当たる。復興の進ちょく状況の中間年として大切な年度に当たっているが、このままでは工事の遅れもあって6年目以降の復興計画の練り直しと、予算の確保が大きな課題になってくるであろう。
▼人手が集まらない中で賃上げムードばかりが先行しているのは問題である。高齢化が進んで社会保障費が政策経費を圧迫し、3年連続の増額となるなど財政が厳しさを増している。
▼景気が回復しない中で、円安や原油価格の値下がり等で、景気の先行き不透明が起きているのではないか。小幅ながらも企業倒産も目に付くようになり、さらに慎重な財務管理が求められてきている。

 2015年  1月  29日 ― 日本財団の震災支援 ―
 日本財団会長の笹川陽平氏は、以前は雲の上の人だったが、今では身近に感じ氏のブログを愛読している
▼かつて当欄でハンセン病について書いた時、強制隔離の悲しい歴史を持つこの疾病制圧を氏がライフワーク(生涯の仕事)と決めていたことを知る。写真でも患者と膝を交えて語り合う姿を見て以来、距離を感じなくなったのだ。ブログをさかのぼると氏が災害弱者を徹して支援してきたことも分かる
▼日本財団は氏が陣頭に立ち阪神大震災から28回連続で地震、台風、水害、油流失の現場に人・物・予算を携え出動している。その経験から公募や口コミでのボランティア集めは、多すぎや少なすぎもあり不安定なので財団は3・11発災1年前に独自の「学生ボランティア隊」を結成
▼これが東日本大震災対応で威力を発揮する。一方、被災規模が大きく非営利の民間団体NPOも、スタッフ補充などで費用がかかるがお金はどこからも出ない。財団はいち早く700団体に活動資金を提供。広域の救援を支えた
▼さらに漁船流失の漁民に最大1億円を無利息で融資(3年間返済猶予で15年返済)のほか、死者・行方不明者全員に5万円の支給を決め発災20日後から家族に手渡しを始めている。苦しみ悲しんでいる人を慰めいたわるのが、笹川氏のライフワークなのだろう。

 2015年  1月  28日 ― 鵜鳥神楽(うのとりかぐら)を言祝(ことほ)ぐ ―
 普代村に伝わる鵜鳥神楽(うのとりかぐら)が、1月16日の文化審議会で重要無形文化財とするよう下村博文文部科学大臣に答申があった。本県ではこれで早池峰神楽などに次いで9件目の指定になる。
▼鵜鳥神楽は、うのとり神楽と発音するほか、地元では「うねとり神楽」とも呼ばれている。普代村に卯子酉山(うねとりやま)という気高い山があって、昔から山岳信仰の権現舞があったと伝えられている。普代村を起点に、民泊しながら、北回り、南回りの権現舞である獅子頭を携えて家内安全を祈る。
▼その卯子酉神社は、源義経が北行の途次に留まったところで、義経にまつわる伝説が伝わっている。山の入り口の鳥居の近くには、ここより不行道(ふこうどう)といった集落があって、直接北進せずに道を大きく迂回して安家洞(あっかどう)経由で久慈の方に進めよ、といったような伝えがある。
▼卯子酉山から山岳信仰といわれているが、現地では漁業の安全と豊漁を祈願する神社として、普代村はもとより宮古、久慈方面の市民から広く祭られている。
▼宮古在住の7年間は毎年、宮古と久慈から元朝詣り列車に100人ほどの参拝客を募り、普代駅まで行き、そこから貸し切りバスで鵜鳥神社に詣でた。そのおかげでか、無事故であった。

 2015年  1月  27日 ― 白鵬が最多優勝の壮挙 ―
 横綱白鵬が警戒しそれ故に燃える天敵の一人は、大関稀勢の里だろう。一昨日閉幕した初場所では13日目に対決
▼この一番も天敵はしぶとく白鵬は一気に寄ったが、稀勢の里の右小手投げに足が流れ同体となる。取り直しの一番も稀勢は厳しく白鵬が横向きになる場面もある。でも体勢を直し広げた両手を稀勢の腹と脇の下にあてがい攻め立て土俵下へ押し倒す
▼この勝利で白鵬は千秋楽を待たずに33回目の優勝を決めた。モンゴル出身の白鵬が日本の師父と仰ぐ亡き昭和の名横綱大鵬の32回を超え、史上最多優勝者となった歴史的壮挙である。生前に受けた指導を顧み白鵬も「恩返しができました」と語っている
▼残る2日も勝ち全勝の初場所。心技体を磨き上げた風格も感じるが「心がまだ」と本人は引き締める。00年秋、15歳の時にモンゴルから仲間数人と入門を期し来日。仲間の入門が次々決まり取り残された白鵬少年は帰国濃厚となり、「帰りたくない」と泣いたという
▼見かねた旭鷲山らが尽力し宮城野部屋入りが決まったのは帰国日の前日だ。体重62`の当時の写真から大横綱までの苦闘と鍛錬が浮かぶ。優勝インタビューでは「強い男の裏には賢い女性がいる。賢い奥さんに感謝したい」と、支えた紗代子夫人をも称賛した。横綱は人間性も磨いているのだろう。

 2015年  1月  26日 ― 戦後70年に思う ―
 2015年は第2次世界大戦から終戦70年の節目の年に当たる。各紙の元日号は戦後の節目のタイトルで、それぞれの視点で特集を掲載していた。
▼終戦70年ということは「ヒロシマ・ナガサキ」の被爆70年でもある。もはや戦後という時代が大きな区切りを迎えるほど長く続いたわけだが、あの戦争がもたらしたおびただしい犠牲に対して、謙虚に向き合うことを忘れてはならない。それが出発点であるという議論が多かった。
▼戦争を知らない世代が大半を占め、東南アジアを含め世界の環境も大きく変わった。「戦後レジームからの脱却」を信条とする安倍晋三首相が、年末に行われた衆院選で勝利を挙げて新しい年を踏み出している。中国、韓国のトップも同年代であろうが、将来の世代に向かって何を守り、何を改善し、引き継いでいくのかが問われている。
▼外交、安全保障を考えるとき、政界は一強多弱になったように見えるが、本当に政権与党は盤石なのか。日本のみならず世界の国々が、戦争体験のない世代が大半の時代になって、本当に不戦の意志を貫いていけるのか。
▼現憲法は過去の反省に立って武力行使に歯止めをかけてきた。それを変えればどうなるのか。地方創生の起点にあるものも、やはり平和であることを忘れてはならないだろう。

 2015年  1月  25日 ― 中島みゆきの歌歴 ―
 NHK朝ドラとは8時〜の連続ドラマのことだが、当方は昼の再放送を見ている
▼今の「マッサン」が始まった頃のこと。一緒に見ていた60代の友が「♪なつかしい人々 なつかしい風景」と始まる主題歌「麦の唄」に反応。「ほら中島みゆきだ」と声を上げたことを思い出す。熱烈ファンなのだ
▼中島は自ら作詞作曲しそれを歌うシンガーソングライターの大御所だと、彼のみゆき論は番組後も続く。札幌出身で62歳。祖父は市議会議長を務めた人で父は産婦人科医。彼女は大卒。レコードデビューは1975年9月で23歳の時。翌月は「時代」を出す
▼これが大ヒットし国内ポピュラーコンテストと世界歌謡祭でグランプリに輝く。この曲が18番だと彼は歌う。「そんな時代もあったねといつか話せる日が来るわ〜まわるまわる時代はまわる」と。物語性のあるいい歌だ
▼無名の人に光を当てたNHK「プロジェクトX」の主題歌「地上の星」も名曲だ。中島みゆきの歌歴を顧みれば70年代は「わかれうた」、80年代「悪女」90年代「空と君のあいだに」2000年代が「地上の星」と、4時代でオリコンシングルチャート1位に
▼10年代は昨年に他歌手への提供曲で同じく1位を獲得。これを含め5時代連続の快挙となる。デビューから40年。存在感はひときわ深みを増している。

 2015年  1月  24日 ― 増田氏と山下氏の人口論争 ―
 昨年は「地方消滅」という増田寛也氏の著書が中公新書から出されて、にわかに「地方」を取り巻く問題が話題に上るようになった。日本創成会議が全国の869の市町村が消える、消える前に何をなすべきかといった、衝撃の増田レポートを発表してから日本中で騒ぎ出した。
▼2040年には各市町村がどのような人口構成になっているか、将来推計人口を北海道から沖縄まで一覧表にして出されている。本県についても、西和賀町、普代村、田野畑村、野田村、岩泉町などで70%のマイナスが予測されている。その主な原因は「若年女性」の人口減である。全く打つ手がないような状態だが、なぜ今になって問題提起したのだろうか。
▼これに対して昨年末、山下祐介氏が「地方消滅の罠 増田レポートと人口減少社会の正体」と題する著書をちくま新書から出した。その二つのレポートが今、大きな波紋を呼んでいる。山下氏は選択と集中は考え方のひとつに過ぎない、選択肢はひとつではなく、どれが本当に選ぶべき道なのか、それを考える時間は十分にあるとして反論している。
▼筆者は「消滅させて良い地域など一つもない」と多方面から反論している。自治体消滅、地方消滅、といった予言予測をいかに受け止め、対応していくのか、皆で考えねばならない。

 2015年  1月  23日 ― 生き残りへ岡田民主始動 ―
 民主党代表選で思い出すのは、06年4月の代表選出馬演説で小沢一郎氏が引用した映画「山猫」のせりふだ。舞台は1860年のイタリア南部
▼アラン・ドロンが演じる革命に身を投じた青年が、伯父でもあるかたくなで保守的な公爵に迫る。「変わらずに生き残るためには、(自らが)変わらなければならない」と。小沢氏の引用は語り手を取り違えていたことが指摘されたが、せりふに自身の決意を重ねた演説は共感を広げ代表にも当選している
▼民を主とし国民の生活を第一に政治に取り組むという民主党なら、引用せりふは党是に加えてもいい。まずは党首がこのせりふを実践できればこの党にも明日が訪れよう。初志を貫き変わらずに生き残るため、党代表に国民が嫌悪する体質があればそこを変えねばなるまい
▼小沢氏は決意表明が立派だったし代表時代に党勢拡大の功もあったが、離党新党づくりを含む今に至る経緯の中で、自己変革の難しさを印象づけてきたことが惜しまれる。今回党代表に選ばれた岡田克也氏も「私も変わらなければならない」と決意を述べた
▼小沢演説の二番煎じとの声もあるが、「今度こそ」との覚悟の表明かもしれない。頑固な原理主義者と評されるがもっと耳を傾けるとも誓った。この人の自己変革の成否が党の盛衰も決めるだろう。

 2015年  1月  22日 ― 民主再建にも三本の矢を ―
 民主党が政権を失って2年余り。この間2度の国政選挙が行われたが、党再生の道筋は開かれなかった。先の衆院選では海江田万里代表が落選する等で代表辞任に追い込まれた。自主再建に向かうのか、野党の統一を進めていくのか。
▼民主代表選が地方議員、党員、サポーターも参加して18日行われ、三つどもえの激戦となり、岡田克也氏が決選投票で細野豪志氏を僅少で破って新代表に選出された。
▼期待を裏切った民主党政権に国民の目線は厳しいものがある。マニフェスト・政権公約、の政策が頓挫したこと、消費税増税、東日本大震災対策の不手際、実現性のない空論が先走って国民の信頼が地に落ちてしまった。
▼代わって発足した安倍晋三自民党政権は経済政策や地方活性化策などアベノミクスを軸に国民の支持を取り付けている。今回発足した岡田新体制では説得力ある対案を示すなどして国民の信頼を取り戻すことができるのだろうか。
▼今回の代表選では10年前に代表の経験があり、安定感のある岡田克也代表代行が選ばれた。その勝因は早くから決選投票にもつれ込むことを予測して長妻氏支持派の取り込みに力を入れていたことだろう。オール民主党を結集することは難しいだろうが、まずは3本の矢をまとめて組織を一本化することではないか。

 2015年  1月  21日 ― 高齢者の免許証返納 ―
 昨今は高齢者運転の車がコンビニなどに駐車しようとし、ブレーキのつもりでアクセルを踏み込みドアを破って店内に突入。死傷者を出す事故が大阪、愛知など各地で起きている
▼高速道ではパーキングで休憩した後、入って来た道へ逆進し速度を上げて行く車もある。高速から一般道へ出ようとし、料金所手前で出口の間違いに気づき向きを変え降りて来た道を逆進。そのまま高速で逆走して行く車もある。これら逆走車も首都高などで重大事故を招いている
▼こうした現実を思い起こさせてくれたのは、70代半ばの親友から届いた今年の賀状だ。彼は昨年秋に高速道を逆走してしまったという。はるか前方から大型トラックが路肩に寄りながらライトを点滅。クラクションを鳴らし続け逆走に気付かせてくれ命拾いをしたというのだ
▼だが自らの認知力低下は救いがたいレベルだと知る。この経験で彼は自動車運転免許証返納を決断し暮れに実行している。賀状では同年齢の当方にも免許返納を本気で検討をと問い掛けている。今も車でフル回転の身には悩ましい宿題だ
▼今後軽微でもヒヤッとしハッとしたトラブルで危険を感じた時には、認知劣化と受け止め返納すると決め、彼にはこのヒヤリハッと方式で後に続くと返信した。今のところ認知力は正常で乗り続けている。

 2015年  1月  20日 ― 整備新幹線に国策想う ―
 昭和30年代後半、東海道新幹線の工事が進められている最中、赤字の国鉄にまた赤字の新幹線を造るのはどうしたことかといった声が聞かれた。今から33年ほど前にも、「盛岡以北の新幹線建設に莫大なカネをつぎ込むなんて無駄遣いではないか」といった声を聞いたことがあった。
▼盛岡以北の青森や北海道に新幹線は不要という意見が多くあった。それでも盛岡止まりであった新幹線は新青森まで開業し、来年は新函館北斗まで開業が予定。さらに札幌までの工事を早めることが提言されている。
▼盛岡以北や北海道にも新幹線が要らないと言った時代があったことを振り返れば、国策は大きな過ちをしてきているのではないか。今年から政府が取りかかろうとしている「地方創生」については気にかかることがある。
▼安倍首相や石破地方創生担当相の言葉には「知恵はあくまでも地方にあり、国はそれをサポートするということ、何をやるにも結果を平等にするということではない」としたことが頻繁に聞こえてくる。
▼権限と財源の大部分を国に握られて、厳しい制約の中で自立の知恵を求められても何ができるのかと思う。自治体の努力はもちろん、遅れてよい市町村があるわけがない。知恵のあるところも、知恵のないところも一緒に進んでいくべきではないか。

 2015年  1月  19日 ― 初春の31文字催事 ―
 毎年この時期は感慨深い31文字の世界にいざなわれる。「本」をお題にした今年の歌会始では天皇陛下が「夕やみのせまる田に入り稔りたる稲の根本に鎌をあてがふ」と詠まれた。稲刈りをされた光景だから農家はじめ多くの国民が感銘を受けている
▼皇后さまは「来し方に本とふ文の林ありてその下陰に幾度いこひし」と、本を「文の林」としその木陰で幾度くつろいだことかと追想されている。若く初参列の佳子さまは旅する母に代わり弟に本を読み聞かせた夜を詠まれた。「弟に本読み聞かせゐたる夜は旅する母を思ひてねむる」と
▼先日発表された東洋大学主催「現代学生百人一首」入選歌にも魅了される。本県からも2人が入選。沼宮内高3年の福島恵梨さんは「手の中の志望理由書見つめたらモノクロ世界色付き始め」と詠む。色彩を見せ始めた進路に期待と緊張がにじむ
▼専大北上高1年の五十嵐遼太君は復興遅滞を突く。「あの日から土だけになった街跡を見ていて思う『震災終わらぬ』」と。以下は県外だが「母ひとり愛してくれた十五年母を支える人になりたい」(東京)も胸を打つ
▼「エネルギー消費し続け地球死す暮らしやすさを選んだ結果」(長野)は警鐘。「秋の日に君を思って顔まっかきっと葉っぱも想像中だ」(大阪)は紅葉の秋なのに思春期。

 2015年  1月  18日 ― 阪神から始まった防災の心 ―
 17日で阪神・淡路大震災の20周年を迎えた。あの日は早暁の非常な揺れで目を覚ましたが、例年にない異常な寒さを感じる朝だった。
▼大都市を襲った直下型で発災当初、大災害といった情報が入ってこなかったが、時間の経過と共に大被害になっていることが報道された。6434人が犠牲になり、住宅が全壊し、高速道などが崩壊して水道、ガスなどのインフラや公共交通が遮断された。
▼改めて犠牲者の冥福をお祈りするのであるが、阪神・淡路の経験が東日本大震災津波の復興に生かされている。阪神・淡路は津波や原発事故とは違い、人口密集地帯を襲った震災であった。震災後のボランティアの派遣やNPO法人、市民レベルの支援、自治体職員の広域的な派遣などで経験が生かされている。東日本大震災から間もなく4年を迎えるのだが、被災者の仮設住宅住まいは4年−5年に延伸されるなど復興の足取りは遅々として進まない。
▼それだけに東日本大震災の規模が大きいと言え、技能職工不足、建設資材高騰、用地問題などで、復興住宅は5年でも終盤には至らないだろう。
▼阪神と東北では違いを考えても、三陸の復興なくして東北の復興はあり得ない。新しい東北を築いていくためにも、国や地方自治体の全力を挙げた取り組みが求められている。

 2015年  1月  17日 ― 阪神大震災から20年 ―
 きょうは20年前に阪神大震災が発生した日。発災時刻は午前5時46分52秒だった
▼6434人が亡くなり3人が行方不明になっている。早朝だったから大半は睡眠中で死者の約80%は倒壊家屋による圧死だという。あの日から数日は高層ビル倒壊などテレビの被災映像を見続けた。車が走行中の高速道路もねじれ道路の一部が落下した光景もあった
▼住宅街壊滅を目にした時にはわが家も早急に防災措置をと決意。だが現実は惨状目撃もよそ事だった。猛省し家具転倒防止、窓ガラス飛散防止の器具やシートなどを装着。防災グッズ一式を備えたのは3・11直後だったのである。今は避難路やてんでんこに逃げた後の家族や近隣の集合場所まで決めている
▼歳月の流れは速い。阪神で20年前頃に生まれた子は今月、成人式を迎えている。神戸市の短大生・浦田楓香(ふうか)さんもその一人。彼女は生後4カ月目で震災に遭い若い母を亡くす。祖父母が養女として懸命に育て小学3年の時に真実を伝える
▼彼女は不思議な感じがしたが震災遺児の自覚も芽生え素直に成長。短大に進み昨春から学業のほかに、東北震災遺児支援グループにも参加。各地で講演もしている。震災遺児の姿がかつての自分に重なり、「震災を生き抜いた命を大切にしてくださいね」と励まし続けている。

 2015年  1月  16日 ― 新年会とふるさと ―
 商工会はじめ各業界主催の新年会もようやく峠を越した。今年は統一地方選挙の年であり、政経パーティーなどの会合はこれからだ。新春の各界代表者のあいさつでは「地方創生の年」といったことが述べられていたが、本気でこのことに取り組まなければならないのではないか。
▼選挙のときだけの掛け声であってはならないし、わが社も報道機関の一員として情報伝達の中で地域おこしのお手伝いをしたいと考えている。まずは学卒者が地元に職を持てるような施策が必要である。小規模な水田の耕作や少額の年金で生計を維持することは困難になっている。
▼青年大志を抱いて一度は東京圏に出て修業したいとする気持ちも大事だが、古里や実家を維持していくことも大きな課題である。現実の問題としては、どうしても学卒者の初任給の開きがネックになる。米国や英国などと比較して日本の企業の賃金ベースが低いのは実態だが、県内の生徒が卒業と同時に地元を離れる原因になっているのは何か。
▼通勤事情や生活環境などを勘案すれば、地元に残ることは決してマイナスばかりではないはずだ。まず、若者の雇用を満たしてくれる企業を増やすこと、また、実業高校や大学の農工学部などを充実させるなど、産学官民すべてが取り組みを改める必要がある。

 2015年  1月  15日 ― あぐりさん107歳で逝く ―
 昭和初期に東京に美容院を構え、日本美容界の草分けの一人とされる吉行安久利(あぐり)さんが、今月5日に107歳で大往生したという
▼1907(明治40)年に岡山で父が弁護士をしている家に生まれ、おおらかに育ったらしい。少女時代も当時としては大柄に見られ「大女、総身に知恵は回り兼ね」などと周囲から言われたと、自ら笑いながら回想したこともある(夢ふぉと社サイト「明治の人ご紹介」第8回インタビュー記事)
▼人の目を気にしないのは性分で、家には父の元で勉強していた数人の書生がいたが、あぐりさんは彼らを引き連れ目抜き通りをよく歩き評判になったという。そんな屈託のない人も女学校へ通う頃に悲運に襲われる。スペイン風邪で父と姉を亡くすのだ
▼家計は厳しくなり母は娘の縁談を急ぎあぐりさんは、15歳で作家の吉行エイスケ氏と結婚。二人の間には演劇界や文壇で活躍する偉材が生まれる。長女和子さんは女優となり、長男淳之介氏と次女理恵さんは既に鬼籍の人だが、共に作家として芥川賞を受賞している
▼一方、あぐりさんが33歳の時に夫が病死。42歳で辻復氏と再婚と起伏は続く。妻は90代まで美容の現場に立つが2度目の夫にも先立たれる。それでも百歳の峠を大きく越えた、パワフルな生涯の尊さには深く頭が垂れる。

 2015年  1月  14日 ― 県人選手の活躍を期待 ―
 年末年始には駅伝のテレビ中継にくぎ付けとなった方が多かろうと思う。年末には高校駅伝、年始の2、3日には東京箱根間の大学駅伝が例年通り開催された。
▼高校駅伝は、本県代表校の一関学院、盛岡誠桜は男女ともにいまいちの成績で終わった。箱根駅伝は青山学院の初優勝が特筆されるが、2日にテレビ中継を見ていて感じたのは本県出身の選手が見当たらなかったこと。
▼ほかラグビー、サッカー、ボクシングなど、大きなスポーツ大会が目白押しであった。本県代表ではサッカーの遠野、ラグビーの黒沢尻北など善戦したものの、それぞれ1・2回戦で敗退した。
▼今、日経新聞の「私の履歴書」に王貞治さんの記事が連載されているので、欠かさず読んでいる。王さんは1959年春のプロ入りで、自分の年齢に近いこともあって親しみを持っている。入団から宮崎のキャンプ地では長嶋茂雄さんと同部屋であったが、王さんがいびきをかくので気まずい思いをしたという。投手と打者の二刀流で期待され、月給12万円で契約されたとか。
▼それを思えば、日本ハムの大谷翔平選手と似通ったところがある。時代は違い、月給には開きがあるのはもちろんだが、大谷選手はじめ本県出身の選手たちが、これからどのように成長していくのかが楽しみである。

 2015年  1月  13日 ― 「風の電話」倒壊し再建 ―
 大槌町の高台に住む庭園デザイナーの佐々木格さんは、大震災前にいとこをがんで亡くす
▼悲しむ遺族が静かに故人に語り掛けられるよう、3・11直前の冬には不要になった公衆電話ボックスを譲り受け自宅庭園に設置。電話線はないが受話器を手に心の会話ができればと考えたのだ。春が来たら周囲に花を植え使ってもらおうと、準備していた矢先に大震災が起こる
▼大津波は町を破壊し犠牲者は1200人を超え、佐々木さんは「電話」を町民に開放しようと決意。花の植栽を急ぎ受話器とノートも備え4月には利用を開始。名称も心の思いを風に乗せて伝える意味で「風の電話」とし、それは口コミでも普及。昨年末までに約1万3千人が訪れている
▼故人に語った思いを備え付けのノートに書いていく人も多い。ところでこの電話ボックスは先週半ばの強風で倒壊してしまう。佐々木さんも再建は難しいかもと落胆していたが、山田町で建築業を営む港郁男さんが、遠野のボランティアの人たちと10日に来てくれた
▼無償で再建を引き受けて「月命日のあすまでに形にしたい」と作業に着手。屋根を付け扉を作り直すなど工事は進み、11日には形に成り利用再開となる。港さんも被災者で妻の母は今も行方不明だ。夫妻は「風の電話」に通いいつも癒やされているという。

 2015年  1月  12日 ― 成人式を祝って ―
 1月12日は「成人の日」である。まずは成人を迎えられた皆さんやご父兄の方々にお祝い申し上げたい。
▼今年成人を迎えられる人たちは、1995年にお生まれの方々である。昔から加冠・戴冠の儀といわれ、男子の元服を象徴したもので、人間が成長し、人格が形成されていく段階において行う一連の儀式の総称であった。
▼冠儀は「成人式」として1月第2月曜日に行われるようになったが、お盆休みの帰省を利用して夏に行う市町村もある。成人式は、法的に新しく社会の一員に加わる二十歳になった青年男女がそれを自覚し、めでたい巣立ちを祝福する日として国民の祝日となっている。高学歴社会になり、まだ学生の方も多いとは思うが、それぞれ新しい時代を築き上げてほしい。
▼今年は先の大戦の終戦から70周年を迎え、戦後生まれの方が半数を超える時代に入った。国際関係では日中、日韓関係などが依然として厳しく、関係改善の課題は決して生易しい状況にはない。
▼経済においてもデフレから脱却できず、目を海外に転じればギリシャなどEUの経済、円安対策、わが国では消費税率値上げ、地方創生はもとより、東日本大震災津波や洪水被害の復興、農林漁業などの振興といった諸課題を抱えているので、新成人の活躍に期待している。

 2015年  1月  11日 ― 「天涯の花」を読む ―
 宮尾登美子さんの訃報に「天涯の花」(集英社)を再読した
▼主人公は敗戦直後に四国の寺院で発見された、捨て子の赤ちゃんとして登場する。「昭和二十年七月十五日出生 平珠子」の書き付けも見付かり助けた住職らもこの名で呼ぶ。当初は乳児院に預託。その間に同寺は養護施設愛光園を開設
▼珠子も戻ると園児として成長。皆が15歳で卒園就職となるが「うちに良い子を」と事前の要請もある。珠子の卒園時には霊峰剣山中腹の神社から、ぜひ養女をと依頼があり園長は珠子を推挙。本人もお父さん、お母さんと呼べる人ができると喜び養女の道を選ぶ。宮司夫妻に愛され二人に尽くす生活が始まる
▼彼女は花が大好きで19歳の夏に山小屋の典夫の案内で、珍しいキレンゲショウマを見に行く。花はらっぱ状で黄色が淡く輝くように咲く。珠子はこの花に会うためお山に来たのかもと感銘する
▼やがて運命の人も現れる。山で遭難した人を背負い神社に運び手当てしこの縁で二人は心が通う。彼は妻がいるカメラマンで離婚手続き中だと明かし、身辺整理後に神社に来て暮らすと誓い一時帰宅。正式離婚し神職の資格も取り神社へ向かう。一度典夫に傾いた恋も冷め珠子は彼を待つ
▼物語はここで終わり二人の新生活は読者の想像に委ねる。宮尾流の巧みさがしのばれる。

 2015年  1月  10日 ― 七草かゆを味わって ―
お正月は早くも7日過ぎとなった。荒れ模様とされていたが、年末から年始にかけては穏やかな天気に恵まれた。交通機関が正常に動いたので帰省客輸送などが順調だった。
▼ところが7日は朝から北日本全域の天候が荒れて盛岡は岩手山おろしの猛吹雪であった。吹雪の影響で、JR北上線、花輪線などで列車が運休し、秋田新幹線に遅れが出ていた。暦の上では七草であったので、前日の夜、家族に「明日は七草だよ」と知らせると「へぇ」という返事。
▼七草を準備していなかったのだろう。それでも朝ご飯は、緑色の野菜の入ったおかゆであった。ホウレンソウなど持ち合わせの野菜を入れて急ごしらえの七草がゆにしたのであろう。
▼春の「七草粥」は、本来は旧暦の正月七日に行うもので、「七草、人日・じんじつ」といい、春の七草を入れたおかゆをつくって神仏に供え、家内安全、五穀豊穣(ほうじょう)、無病息災を占い、1年間のご加護を頂く正月行事である。
▼おかゆには、セリ、ナズナ、ゴキョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロを入れる習わしがあった。正式に七草を取りそろえることが難しくなってきているので、今日ではニンジン、ゴボウ、ダイコンか干しダイコン、芋がら、高菜、ミツバなどの代用品で賄うことが多くなったようだ。

 2015年  1月  9日 ― 童謡「冬の夜」 ―
 寝る時に四季折々を歌う童謡12曲を収めた、コーラス入りCDを聞いている
▼音量を絞り眠気を誘うようにしてはいるが、「森の水車」のように陽気に弾む歌声もあり目がさえてしまうこともある。どの歌も子どもの頃に聞いていたし出張でもない限りは毎夜聞いているから、歌詞はすっかり覚えてしまった。今の季節に心に染みるのは文字通りの「冬の夜」だ(作詞作曲者不詳)
▼1912(明治45)年3月に、当時の尋常小学校唱歌に採用された名曲である。「燈火(ともしび)ちかく衣(きぬ)縫う母は」と始まる歌は、65年も昔のことだが祖母が解説付きで口ずさんでくれたことを思い出す。いい歌なのに2番の歌詞が問題化する
▼いろり脇で縄をなう父が「過ぎしいくさの手柄を語る」のくだりだ。日清か日露か明治時代に起きた戦争に出征した父が、戦場での手柄を子らに語るのだ。敵兵を倒した手柄話だろうが居並ぶ子らは興奮して「こぶしを握る」と続く。昭和の戦後に該当部は「思い出語る」とする案も出たが波紋も広げた
▼ところで安倍総理は憲法の戦争放棄条項改変の意志をのぞかせる。「強い日本を取り戻す」とも言う。「いくさの手柄」を家庭で子らに語る冬の夜への追想などを超え、戦もできた往時への回帰志向なのかとうがった見方もしてしまう。

 2015年  1月  8日 ― 夜明けの時代を前に ―
 正月中に本を読むつもりで何冊か買い求めた方も多かろう。年末に書店を訪れてみたら、NHK大河ドラマにちなんで吉田松陰を扱ったものが多く出回っていた。歴史は繰り返しているのだろうと思う。何となく今年は維新前を思わせる時勢を感じるが、今年は明治元年から通算147年となっている。
▼正月休みにいろいろなことを考えた中で、記憶に残ったのは「地方創生」のことであった。安倍晋三内閣は地方創生に意気込みを示すが、地方の過疎化が著しく進んでいるのは一体何が原因であったのか。それぞれの地方ごとに不足があったのか、国の政治の方に問題が多くあったのか。
▼正月に古里に帰ってみて感じたのは、集落の疲弊が著しく進んでいることである。もう手を付けようのないような落ち込みになっている。長期的な展望もなく、取り残されたように道路の整備さえあまり進んでいなかった。
▼正月休みが終われば若者はみな都会に帰ってしまう。次の世代を担うようなリーダーが見当たらない。地域を守っている人たちに「これからどうする」と持ち掛けても、「何をしても採算が合わない」など、諦めの答えしか返ってこない。
▼地方創生とは一体何なのか。どこに、どこから、どのようにして手を付けるのか。また予算の分捕り合戦になっては困る。

 2015年  1月  7日 ― 仮設に農園つくる ―
 被災者の仮設住宅生活が長期化し、年配者の健康が心配だ。狭い部屋にこもりうつ症状に陥る人もいる
▼体の動きが活発でないため筋力が衰え、消化器や心肺機能まで低下することもある。「生活不活発病」と名付けられた諸症状の予防は急務だ。陸前高田市では高田病院の医師高橋祥さんが仮設団地近くに、居住者の野菜栽培用農園を造り続けている
▼「どうぞご一緒に」を意味する気仙語「はまらっせん」を冠した農園造りプロジェクトを設立したのは12年5月。仮設の皆さんが農園で土にまみれ自ら植え収穫した野菜を分け合い食べる。広がる笑顔は病魔を寄せ付けないと確信。それを夢見てまさに畑違いの菜園造りに挑む
▼高橋医師は大震災までは高田とも農業とも無縁。北海道に生まれ札幌医大を卒業。3・11当時は小樽の病院に在勤し米国留学も決めていた。震災後に岩手の被災地に入り惨状を見て心を決める。渡米もやめ居も移し11年9月から高田病院に勤務する
▼本業の傍ら仮設の人たちに趣旨を説明。休耕地所有者らとの借り受け交渉にも駆け巡る。市内の仮設団地は53カ所で既に11カ所に農園ができている。園には確かに笑顔が広がっている
▼その活動は東北農政局の26年度食育活動コンクール「〜笑顔」部門で、局長賞に輝き来月19日に表彰式が行われる。

 2015年  1月  6日 ― 未来を見据えた一年に ―
 5日は官公庁や多くの企業、団体の仕事始めで、トップが年頭所感を述べた。
▼今年は、終戦から70周年を迎える節目の年である。戦後生まれの世代が全人口の半数を超えているが、戦争を考える一年ともなろう。
▼終戦の昭和20年生まれが70歳に達して、第二の団塊の世代も高齢者の仲間入りをしていく。企業はもちろん、地域や集落の年齢構成も大きく変わっていく。日本の財政再建はいかに進めていくのか。
▼昨年は4月1日に消費税率が8%に引き上げられて、消費者を直撃し、買い控えなどで低成長にとどまった。世界的な経済の足踏み傾向と、円安によって国内の企業業績にはでこぼこが生じている。飼料代の値上がりなどで酪農や畜産農家などが打撃を受ける中、TPP(環太平洋連携協定)、原発再稼働などがどのように進むのか。また、デフレ解消や景気の行方がどのようになっていくのか、これから先の行方が見えてこない。
▼3月14日には北陸新幹線長野―金沢間の開業、そして来年には3月に北海道新幹線新青森│新函館北斗間の開業があり、東北・北海道の観光も流れが大きく変わるだろう。そうした中で震災の復興促進、2回目の岩手国体開催、さらには「ILC誘致」といった大目標がある。まさに今年は勝負の年ではないか。

 2015年  1月  5日 ― 夢語る声でにぎわう新春 ―
 言葉遊びは年末だけでなく年頭にも古来、かるた取りや百人一首など言葉の遊びがある
▼上から読んでも下から読んでも同じ音になる回文遊びも面白い。「新年(しんねん)だ けさのこの酒(さけ)断念(だんねん)し」は近年作だろう。元日も運転をする人の決意を思わせる
▼江戸時代には枕の下に置いて寝るといい初夢を見るとされた、宝船にあやかる回文が作られ流行している。「長(なが)き夜(よ)の遠(とお)の眠(ねぶ)りの皆目覚(みなめざ)め 波乗(なみの)り船(ぶね)の音(おと)の良(よ)きかな」と
▼日常が戻りつつある初春も決意や夢を語る声でにぎわっている。永田町界わいからも聞こえてくる。今年9月に総裁選がある自民党では前回は第1回投票で党員票では、現安倍総裁に勝った石破茂地方創生相に再挑戦の夢を託す動きがあるらしい
▼だが当人は「俺が俺がという気持ちはない」と打ち消す。一方安倍総理は「新たな国づくりへ力強くスタートを切る」と長期を視野にやる気満々。他方、少数政党となり長い新党名を決めた小沢一郎党首は、他党議員を含む50人が集う自宅の新年会で「野党は大同団結を目指すべきだ」と熱く語っている
▼今年も与野党攻防も含め政治を直視し、特に圧勝を背にする政権には厳しい目を向けていきたい。

 2015年  1月  4日 ― 復興からふるさと創生へ ―
 例年であれば4日が仕事始めに当たっていますが、曜日配列の関係で今年は5日になります。既に正月行事や初売りなどで現場に出られた方もあろうと思います。どのような抱負や目標を持って初出社なされたのでしょう。
▼今年は東日本大震災津波から5年目に入り、復興工事は今年がピークを迎えるのではないかと思われます。なんといっても震災復興や各市町村で相次いだ洪水災害の復旧が最優先されなければと思いますが、被災地では技能者不足、建設資材の高騰、用地問題などの問題を抱えています。復興が長引いてしまうと5年、10年で世の中の環境や価値観が大きく変化してしまい、ふるさと創生の夢が大きく崩れてしまいます。
▼県内全体の問題としては、景気の回復、少子高齢化問題、年金など社会保障の充実、農林漁業など第一次産業の展望、過疎地対策、農家や商店などの後継者問題、育児対策、若年者の地域雇用や女性の活躍の場を広めることなど、基本的な問題が山積しています。
▼昨年末には唐突とも言える解散総選挙が行われ、戦後最低の投票率とはいえ、自公の安定多数により第3次安倍内閣が発足しました。野党再編はなされるのか。今春には統一地方選もあり、良く注視して「世直し」を図っていく必要があろうと思っています。

 2015年  1月  3日 ― 旧友からの手紙賀状 ―
 パソコン印刷賀状は不評だが捨て難い魅力がある。胸打つ活字文も少なくはない
▼「賜はりし一顧うれしき賀状かな」(篠塚しげ子)の句のように、誰でも心に止まる便りには笑みがこぼれよう。わが家に一昨日届いた束の中にもそれが多かった。特に啓発されたのは69歳の旧友の活字5枚に及ぶ手紙賀状である。彼は64歳の時に胃がんを手術
▼経過が良く5年目の昨秋に主治医から、検査数値も正常を示す状態を長く維持していると寛解を告げられたという。それでも暮れの12月中旬に富士登山をしたというくだりには驚く。読み進めると「今回は5合目まで。頂上制覇は今夏」と断っている。5号目までならバスでも行けるが彼は歩いた
▼12月初旬に読んだ雑誌に脚本家の倉本聰氏の「海抜ゼロの発想」が紹介されていて彼は共感したらしい。氏は富士登山したと言う娘夫婦に標高3776bを自分の足で登ったのかと問う。夫婦は5合目(標高2400b)まではバスと言う
▼氏は登ったのはその差1376bだけ。海抜ゼロの駿河湾海面の岸辺から登らなきゃダメと指摘。夫婦は実行し彼はまねたのだ。氏はこの発想で被災地にも通う。被害の裾野の先端で苦しむ人々の救済なくして復興はないと主張する
▼今夏、湾に足をつけ山頂を目指しますと彼は賀状を結んでいる。

 2015年  1月  1日 ― 一人ひとりの成長の先に ―

 新年明けましておめでとうございます。毎年のように、初日の出る東の方角に向かって柏手を打ち、新水を飲んで元旦を迎えました。
▼元日の朝は、「何となく、今年はよい事あるごとし。元日の朝、晴れて風無し」と、石川啄木の歌を思い出しながら新春を迎えました。本当にそのようになってほしいと願っているところです。
▼今年のえとは未(ひつじ)です。十二支の第八で末広がり、努力によって次第に良くなっていくような感じがします。羊は綿羊とも呼ばれ、1万年以上も前から世界各地で家畜として飼育されてきました。性質は臆病で、常に群れていますが、チームワークが良く、毛は毛織物などの原料などに利用される大切な動物です。
▼今年は「地方創生」が大きな課題になっていくと思います。そのためには、昔から言われている「足下に泉あり」ということを思い出してほしいと思います。自分の身の回りや、身近なところ、自分の手足となっているところから見直していくことでしょう。その基本となることは「人を育て、人に尽くし、人に報いる」といったことを濁りのない目で見ることが大事であると思います。
▼一人ひとりの成長が、わが家庭、わがまち、わが社の発展を支えています。それが難局を乗り越えていく道であろうと思っているところです。

2014年 12月の天窓へ