2018年1月の天窓


 2018年  1月  16日  ― 農協の有線放送に花束 ―
 紫波町の岩手中央農協の有線放送が64年の歴史に幕を閉じる。子どもの頃、郡部の有線放送はミステリアスだった。盛岡市内では珍しい。友達が親戚の家で聞く、「農協のラジオ」とは何か、首をひねっていた。
▼どうもラジオと電話の中間のようなものらしい。1970年代、「夢のテレビ電話」とか雑誌や絵本によく載っていたが、「ラジオ電話」とは?のちに紫波郡に取材に行って教わり、やっと納得した。
▼新年号の「岩手中央農協有線物語」を読み、放送がいかに地域のためになってきたか分かった。有線では放送劇も流され、リスナーが参加できる点においては、農村部の方が都市部より情報化社会で、文化的だったといえる。
▼現在はIT化しすぎ、よく分からない通信手段で皆さん結びつくのはいいけど、匿名性により危ない事件も起こっている。声だけで相手の顔が見えるような有線こそ、これから求められるメディアだと思うが、機材などの諸事情で続かなくなった。
▼盛岡市とその南北では、地域の空気の違いを感じることがある。盛岡はどこか「ボーッ」としているし、滝沢や岩手郡は「スカッ」。それに対して紫波郡は「ホワッ」としているような。やはり有線放送の輪があったからか。皆さん話は尽きぬだろう。感謝の花、紫波の有線に贈りたい。

 2018年  1月  15日  ― 両陛下と皇太子ご夫妻のお歌 ―
 天皇陛下のご意向により来年4月のご退位が決まって迎えたこの新春。12日に「語」をお題に皇居で催された「歌会始の儀」で披露された両陛下、皇太子ご夫妻のお歌にもひとしおの趣を覚える
▼宮内庁の説明によると天皇陛下は日課にしている皇后さまとの朝の散歩のひとこまを詠まれたという。「語りつつあしたの苑(その)を歩み行けば林の中にきんらんの咲く」と
▼ある春の朝、皇后さまと語り合いながら皇居・東御苑を散策中に雑木林の一隅で、春に咲くラン科の珍しい植物・キンランを見つけられた時の情景である。キンランは陛下が戦後の一時期に中学時代を過ごした東京小金井で初めて見た思い出の花だという
▼皇后さまは「語るなく重きを負ひし君が肩に早春の日差し静かにそそぐ」と詠まれた。言葉にもできないほど重い象徴天皇の責務を背負いここまで歩んでこられた陛下の肩に、早春の陽光が静かに注いでいますよと、陛下へのいたわりが伝わってくるようなお歌である
▼皇太子さまご夫妻は昨秋の震災被災地名取市閖上(ゆりあげ)慰問を詠む。「復興の住宅に移りし人々の語るを聞きつつ幸を祈れり」(皇太子さま)。「あたらしき住まひに入りて閖上の人ら語れる希望のうれし」(雅子さま)。常に国民に寄り添う両陛下に学んでおられるのだろう。

 2018年  1月  14日  ― 政治とスポーツわきまえて ―
 安倍総理が平昌五輪の開会式を欠席する報道があるが、そうならまずい判断では。慰安婦問題で日韓合意をほごにするような韓国に非があるにせよ、スポーツと政治は分けるのが建前。北朝鮮が参加しようというのに、隣の友好国が欠礼すれば、また南北こぞって戦争の話で日本を責め、東京五輪に水を差す口実を与えかねない。
▼虚実が複雑に絡まり合った慰安婦問題を、国際世論に向けて的確に理解させるのは難しい。無理に言挙げすれば、また例によって、「日本は歴史の真実に目を背け、ドイツに比べて無責任」論で済まされるのがオチ。
▼かつてのソ連のごとく、開催国なのにどこかを侵略したわけではないし、日本側から「平和の祭典」に2国間の外交紛争を持ち込んだと見られてはまずい。日韓が険悪化すれば中国と北朝鮮を喜ばせるだけだ。
▼やりきれないのは、慰安婦問題では韓国の方が、当人たちをないがしろにしているように見えること。日本大使館前に置いたり、バスに乗せているあのおかしな人形に、はたして歴史の真実があるのか。昔とても苦労したおばあさんたちを90歳になってまだ翻弄すべきでない。この問題でもう20年騒いでいる。
▼鈴木俊一五輪相も、日韓で穏便に決着するよう見識を授けて欲しい。両国関係が五輪後、臨終にならぬよう。

 2018年  1月  13日  ― 小泉元総理ら原発ゼロ叫ぶ ―
 小泉純一郎元総理には、国民の多くに期待がある事案なら、大胆に行動を起こすという政治家としての情念があるのだろう
▼成否は分かれるのだろうが02年に北朝鮮を電撃訪問、北に民間日本人拉致を認めさせ被害者5人を救出し帰国。04年にも再訪朝して被害者家族を帰国させたことは劇的な成功事例だろう。だが後継政権などによる横田めぐみさんら残留拉致被害者の救出が不調に終わっていることは、返す返すも残念である
▼既に隠居的身分の小泉元総理も無念を晴らす機会を待っているのだろうか。最近は拉致被害者救済に限らず心残りにならないようにとの決断なのか、チェルノブイリや福島第一原発事故などの不幸を再発させないためにと、国内の原発をゼロにするための法案を成立させる動きに力を入れている
▼10日には細川護熙(ひろ)元総理らと記者会見をしている。ここでは安倍総理がインドへ熱心に原発売り込みをしていることを嫌悪してか、小泉元総理は「安倍政権では原発ゼロを進めるのは難しい」と述懐した。一方、立憲民主党など原発ゼロ実現に積極的な政党とは協力していくと明言
▼「原発ゼロへの国民のエネルギーは高まっている。このエネルギーは日本の政治を変えていく」とも強調している。政変も促すこの動きには注目をしていきたい。

 2018年  1月  12日  ― 「西郷どん」のキャスト ―
 例年、どんなものかと思いながら初回を見るNHK大河ドラマ。お決まりの幼少時からのスタートだった
▼これには父母らの登場が多い。今年の「西郷どん」の西郷隆盛の父役は風間杜夫さん、母役は松坂慶子さん、そして隆盛の盟友大久保利通の父役はなんと平田満さん。この3人といえば日本映画の黄金期を描いた「蒲田行進曲」(1982年)のメーンキャストではないかと驚いた
▼風間さんの銀四郎と松坂さんの小夏、平田さんのヤスという3人の役者の三角関係だが、原作つかこうへいさんの笑いあり涙ありの話が映画で一層華やかに繰り広げられ、銀幕界の内側も描かれる
▼劇場、ビデオと何度も見るほど夢中になり、翌年放映されたドラマと合わせ、印象に残るせりふを友人たちとそらんじた当時が懐かしい
▼西郷は薩摩出身の明治維新の立役者として描かれていく。一方「蒲田行進曲」の作中で製作される映画は「新撰組」。のちに新政府側と対立する旧幕府側として、幕藩体制の末期に京都の治安維持で薩摩や長州の武士らを取り締まった。銀ちゃんは組の副組長土方歳三役。池田屋事件の階段落ちが映画のクライマックス。時を経て3人そろって反対側を演じるのも面白い。深作欣二監督が亡くなってきょうで15年。戊辰は双方ともに「仁義あり」の戦いだった。

 2018年  1月  11日  ― 風邪で他界した江戸の大横綱 ―
 江戸時代の大相撲界に現在の仙台市若林区出身の強豪・谷風梶之助がいる
▼横綱の草分けの一人とされ最盛期の身長は188a、体重は160`。仙台市青葉区に建つ谷風の銅像を見たことがあるがその巨体には圧倒される。年間開催場所数の少ないあの時代に、江戸本場所だけでも1778年3月場所初日から、1782年2月場所7日までの63連勝は快挙となる
▼その大記録はおよそ150年後に、双葉山が69連勝を果たすまで維持し称賛されたのである。この63連勝は江戸本場所だけの記録だが、当時はこれに京都本場所-大坂本場所を加えた体制だったから、その視点で連勝記録を見ると1782年2月場所8日から、1786年同3日まで98連勝というもう一つの快挙となる
▼ところで土俵の上では抜群の強さを見せる大横綱谷風も、現代のインフルエンザも含むようだが風邪には弱かったらしい。谷風自身が「土俵上でわしを倒すことはできない。倒れているところを見たいのなら、わしが風邪にかかった時に来い」とよく言ったという
▼当時の人々も流行する風邪を「タニカゼ」と呼んだという言い伝えもある。谷風は江戸全域に流行した風邪で1795年1月9日に44歳で病没する。その来歴から1月9日は現代の記念日として、「風邪の日」になっている。

 2018年  1月  10日  ― 長尾宇迦の死去を悼む ―
 小説家の長尾宇迦氏が亡くなった。岩手の文壇で高橋克彦氏が「動」の文士とすれば、長尾氏は「静」の作家。歌って踊るような方ではなかったが、いつも確かな存在感を放っていた。
▼亡くなってから、生まれは中国大連、山口県長門市出身と知った。ちなみに安倍総理の地元だが、山口は政治家とともに多くの作家を輩出している。古くは国木田独歩、嘉村磯多、宇野千代、林芙美子。現代は伊集院静、重松清、高樹のぶ子、船戸与一、田中慎弥ら。文学史の大家からベストセラー作家まで、長尾氏を含め何と充実した布陣か。政治や文学を志向する血筋は、やはり岩手とよく似ている。
▼長尾氏は晩年まで八幡平市に住み、本紙連載の「清心尼」を愛読され、評価の声をいただいては励みになった。著者の松田十刻氏も長尾氏に私淑する1人。自分も鳥取春陽に材を取った「籠の鳥」(文藝春秋)を書評したとき、貴重な教示をいただいた。もう少しお話を聞く機会を持てなかったのが残念だ。
▼昨年は盛岡市から県内初の芥川賞。直木賞とも併せ、本県ゆかりの作家が続々ノミネートされ、岩手の文学に新しいステージが開かれようとしている。
▼そんな初夢を見届けたのか、1月2日朝に旅立った。遺作の題名であった西行とともに、如月(きさらぎ)の桜花のもとへ。

 2018年  1月  9日  ― 広辞苑第7巻が今週発刊 ―
 昨秋の予告通り国語辞典「広辞苑」の改訂版(第七版)が、3日後に刊行される
▼わが家の書棚には「例解新国語辞典」(三省堂)「漢語林」(大修館書店)のほか「広辞苑」(第五版)などが並んでいる。当方は昨秋予告段階で第七版購入を決め書店に注文した。届いたら旧五版と差し替える
▼事前説明によると第七版では、08年1月発刊第六版以後の10年間に普及した「新語」約1万項目を追加。総数は約25万項目に及ぶという。説明ではその新語例も列挙した。例えば「朝ドラ」「お姫様抱っこ」「自撮り」などの現代語。「アプリ」「ドクターヘリ」「ハニートラップ」などカタカナ語も
▼性的少数者を意味する「LGBT」を載せることについては、共通する人々がいることを知って気持ちが楽に自由になれると判断したという。「廃炉」「安全神話」など原発事故関連も載せる。ともあれ辞典刊行には神経を使うことだろう
▼「船を編む」(三浦しをん著)は、「大渡海」という国語辞典の刊行を描いた小説で示唆的な場面がある。最終の校正段階であるべき「血潮・血汐」の項目が抜けていたのだ。責任者は部下全員に言う。「社に泊まり込み23万語全ての校正をやり直す」と
▼彼は吐露する。「やり遂げようよ!『大渡海』を穴のあいた舟にしないために!」と。

 2018年  1月  8日  ― 二十歳の輝き ―
 歌集「みだれ髪」所収の「その子二十(はたち)櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」
▼明治生まれの与謝野晶子は封建的な社会で女性の自立を主張した。おそらく自身のことを詠んだであろうこの歌からは、強い自負が伝わってくる。同時に青春ただ中の女性が持ち得る輝きを詠ったように感じる
▼与謝野は女性教育の必要性を唱えていた。西欧の文化や思想が入ってくる中で当時の日本の女性が置かれていた差別に敏感だったゆえだろう。少なくとも男性、女性にかかわらず学びたいという意欲を門前払いするような仕組みを改め、等しく権利が与えられるべきだと
▼日本が戦争に走ると、与謝野のような進歩的な考えも押しつぶされ、戦時下では必然のように男女の役割が色分けされていく。男女が制度上で平等になるには敗戦後の現憲法を待たなければならなかった
▼きょうは成人の日。盛岡地域の成人式は夏の地域を除き7日に行われた。着飾った新成人には櫛にながるる黒髪の出席者も多かったはず。だが、ヘアカラーで黒髪以外の日本人も男女を問わず増えた。身だしなみは自分が輝けるすべを考えての選択だろう。女性は振り袖やドレス、男性はスーツやはかまという慣習では自分らしくないという人も輝ける社会がポスト平成に確立されるか。

 2018年  1月  7日  ― 西郷語録と平成の政界 ―
 今夜始まるNHK大河ドラマに触発され、「西郷どん」系の書物を読んでいる
▼「西郷南洲遺訓」(岩波文庫)では訓戒の言葉の深さを知り、ドラマに連動させる前に志を欠き私利私欲が目立つ平成政界のご仁に読ませたくなる。「大政を為すは天道を行ふものなれば、些(いささか)とも私を挟みては済まぬもの也」との戒めもある
▼趣旨は《国の大事な政治を担う人は天然の道理を行う人だから、いささかでも地位を利用し私情を交えては役目を果たせなくなる》ということになろう。議員宿舎に飲食店勤務の女性を連れ同宿した国会議員が相次いだ時期があったが、それは私情そのものだ
▼発覚し辞職した議員もいたが大半は平然と議員を続けている。中央だけでなく地方自治体首長の醜聞も問題化。本県でも辞職者が出ている。ここ数日、波紋を広げる兵庫西宮の市長が読売紙記者に浴びせた暴言の数々も天然の理には程遠い
▼市長の休日に記者が取材で自宅を訪ねたことに憤慨。年頭仕事始め式で4月市長選不出馬を表明した際、記者が駆け寄り問うと市長は「殺すぞ」と怒り、「くそがき」「支局長に落とし前つけさすからな」など怒声を乱発。結果的に市長は暴言をわびたが辞職はしない
▼「己を尽くして人をとがめず」も西郷の語録だ。まずはドラマを楽しもう。

 2018年  1月  6日  ― 山田線も復興の動脈に ―
 えとにちなみ犬の話。おととし3月、盛岡市の山田線の大志田駅が廃止された。有名な秘境駅だったので、廃止前に最後の始発を取材した。山中に無人の小さな待合室があるだけ。始発の到着を撮るため、明け方のホームに一人待っていると、どこからともなく犬が来た。
▼犬は苦手だ。待合室に走り戸をピシャリ。犬は入ってこない。安心して乗客ノートをめくり、思い出の声を書き写したりして、30分ほどやりすごした。出ようと戸を開けかけたら、まだ犬がいた。
▼電話は持っているが、こんなことで助けは呼べない。寒いし、どうしよう。やむを得ず目当ての列車の到着をしばらく待った。やっと車両がホームに入ると、犬はそっちに気を取られ、待合室前から立ち去った。そのすきに大急ぎで発着を撮影して自動車に戻り、会社に向かった。
▼あの犬は大志田駅のハチ公で、誰かを待っていたのか。昔、山田線ができるとき、「山猿でも乗せる気か」とのヤジめいた質問に、原敬が「鉄道の規則で動物は乗せられぬ」と答えた話がある。もしやあの犬は、山田線に犬猿の仲のサルが近づかぬよう見張っていたのか。県の名誉に懸けて。
▼山田線は大志田駅より下った松草の脱線事故のため2年も不通だったが、昨年11月再開した。復興の動脈としてワンスアゲイン。

 2018年  1月  5日  ― 親友から闘病の賀状 ―
 新年を祝う年賀状でも、当方の場合は大半が60代以上の旧友からだから、文面は必ずしもめでたいものばかりではない
▼青春時代に同じ寮で暮らした親友からの賀状には、深刻な報告もあった。「アルツハイマーになってしまいました。よろしく」と。その脇には細君が「夫が何を感じたのか日頃から《俺が重病になったら親友名簿の人たちには伝えてね》と語っていたので書きました」と一文を添えている
▼「夫の熱い友情を思い長男と二人掛かりで、夫の右手にボールペンを握らせ介添えをして書きました」とも述べている。東京在住の彼とは年に1〜2度は交流してきたが、確かに「大けが、重病も伝えること」は寮友仲間の約束だったのである
▼それにしてもショックだったし、細君と子息が彼の手にペンを持たせ賀状を書く光景が目に浮かび、込み上げる熱いものを抑えられなかった。賀状拝見後にお見舞いの電話をしたが、診断はアルツハイマー型認知症の初期だという。既に日時・場所・人の識別ができないレベルで入院したという
▼その上、症状が進行しつつあると聞くとお見舞いの言葉も浮かばない。かつて業界紙の社説を書いていた彼の症状とはとても思えないが、病気は職歴を選ばない。それは当方の自戒でもあるが近く病院を訪ね、彼の手を握ってきたい。

 2018年  1月  4日  ― 上洛した家老楢山佐渡 ―
 盛岡藩家老楢山佐渡は戊辰戦争で幕府側に付き敗れた藩の最も重い責任を新政府側から負わされた。報恩寺で斬首となり、わが国初の本格的な政党内閣を樹立した原敬は幼少のこの時、境内の外で息をひそめていたとの説話が残る
▼楢山は鳥羽伏見の戦い後、藩を代表して上洛し、薩摩の西郷隆盛と会見する。幕藩体制では筆頭家老と下級武士の出に大きな身分差があったが、薩摩藩邸を訪ねた楢山が見た西郷は浴衣か着流しか分からぬが、ラフな姿で部下と肉鍋を囲んでいたという。勢い増す薩摩のキーパーソンとはいえ、礼節を重んじ義を大切にする教えで育ったエリート楢山には、武士としてあるまじき態度に映ったようだ。のちに楢山が奥羽越列藩同盟として戦うことを主張した一因としても語られる
▼戊辰戦争、明治維新から150年を迎えた。だが、維新後は藩閥政治により列藩同盟をはじめ幕府側の旧藩が辛酸をなめることになる
▼かの報恩寺で1917(大正6)年9月、戊辰戦争殉難者五十年祭が営まれた。当時の政友会総裁原敬は「誰か朝廷に弓を引く者あらんや、戊辰戦役は、政見の異同のみ」と祭文を寄せ、賊軍の汚名をそそぐ。翌年、藩閥政治の中で原が首相に就く。賊軍とされた側にとって戊辰戦争が終わったのは約百年前と言えるのかもしれない。

 2018年  1月  3日  ― 1月号に元朝描く連載小説 ―
 月刊誌などに連載小説を書く作家の中には、物語に発売時期を意識した表現を織り込む人が少なくない
▼家人が購読している婦人誌「パンプキン」には作家の出久根達郎氏が「いとしのより江ンジェル・ 漱石の妻をめぐって」と題する連載を書いている。展開が面白く読んでいるが今発売中の1月号では小説は次のように始まる
▼「『初日(はつひ)ですよ。皆さん、初日の出ですよお』。(宿の)女中の触れで猪之吉とより江はあわてて床を離れた」と。1月号を意識して元朝の光景をリアルに描いたのだから、読者も臨場感を味わえる。東京湾沿いの旅館で元朝を迎えた客たちが各部屋の窓から顔を出し知らぬ同士が「おめでとう」と声を掛け合う
▼時は明治34年元旦と設定。ヒロインのより江は猪之吉と結婚後時間が経過したが、直前には先輩の手配で群馬の温泉に行き今度は東京湾泊と、2人はここでも新婚旅行気分で隣の客と照れながらあいさつを交わす。当年が20世紀元年だと気付く客たちの喜びなど、作者は元朝礼賛を連ねていく
▼なお「より江」は夏目漱石が愛媛赴任中に住んだ下宿の家主の孫娘がモデルで、後に医師の久保猪之吉と結婚。俳人・歌人としても活躍した。正月詠では「ねこに来る賀状や猫のくすしより」が有名だ。獣医から猫への賀状とは愉快である。
  

 2018年  1月  1日  ― 来年の改元まで1年あまり ―
 平成30年の元旦。明治、昭和、平成の3代は30年以上続きました。ちなみに明治30年、昭和30年の県史をひもといてみよう。
▼明治は1897年。三田俊次郎による岩手医大発祥の年。昭和は1955年。盛岡市が太田、繋、黒石野、簗川などを編入し、昭和の大合併があった。大正をはさみ58年隔てているが、相通じるのは大戦争と天災を越え、復興の中で岩手が大きく姿を変える節目だったこと。
▼明治30年は日清戦争と三陸大津波をくぐり、20世紀へ。昭和30年は太平洋戦争とカサリン・アイオン台風から立ち直り、高度成長期を迎えた。元号でも30という数は国民意識に強く働きかけただろう、日本全体が急成長していく年であった。
▼平成30年と重なるのは、大天災の克服という点。東日本大震災から7年、いまだ不自由を強いられる被災者は多いが、復興でようやく次代の県土の地平が見えてきた感がある。違っているのが平成は、対外戦争と無縁でいられたこと。これは幸いであり、何も明治や昭和にならう必要はない。アジアの不穏な情勢に対しては、国際社会との協調で平和を守ろう。
▼30年は人間で言えば而立(じりつ)にあたる。来年の改元まで1年あまり。かつてと違い急成長を望む時代でないが、あえて原点に返り、ジリッと進む年にしたい。

2017年 12月の天窓へ