2018年9月の天窓


 2018年  9月  19日  ― クジラは遠くなりにけり ―
 「クジラ1頭獲れば選手の給料は賄える」とは、大洋漁業(現マルハ)社長を務めた中部謙吉氏がプロ野球界に遺した名言=B大洋漁業は戦後の50年、日本プロ野球に2リーグ制発足すると同時に参戦。球団の親会社となった。鉄道や映画、マスコミなどの親会社と並ぶところに当時の大洋漁業の力量が感じられる
▼日本を代表する水産業企業として遠洋漁業を展開。その象徴たるクジラから球団名は大洋ホエールズ。本拠地を横浜に移しても横浜大洋ホエールズと残ったが、92年のシーズン終了後、横浜ベイスターズに変更され名は消える。企業名のない日本では画期的なプロ球団となっても球団株を所有していたが、02年に球団経営から撤退している
▼球団経営は親会社の事情も影響する。水産業の不振から多角経営化を加速させても球団を支える余裕はなくなっていった。遠洋漁業への制限が強まったことが大きく、選手の給料を賄えるといわしめたクジラは70年代から世界的に保護の機運が高まり80年代には商業捕鯨が禁止される
▼子どものころ、家にはクジラの缶詰が常備されていた。クジラ肉は好物だったが、今では年に数度食べる程度だ
▼先日の国際捕鯨委員会総会では日本の目指す商業捕鯨再開はかなわず。クジラ食もクジラ油のようになるかもしれない。

 2018年  9月  18日  ― 交信続く往年の同窓生 ―
 過日は、携帯やパソコンを入手しメールを使うまでは、友人などによく手紙やはがきを送っていたことを書いた
▼この手紙からメールへの転換はいうまでもなく、当方だけの問題ではなく時差はあるものの全国で起きた現象である。かつては手紙やはがきで急ぐ場合に速達を用いても、届くのが3日後ということがしばしばあった。それが今や瞬時に着信するメールの時代だ
▼それでも時には心を込めた手書き文字で、手紙やはがきを送る人もおられる。親友にもこのタイプの人がいて当方も年に2〜3度は長文の手紙をもらう。こちらのお返しはいつも手紙内容への感想を、携帯電話で伝えることで許してもらっている
▼親友もいろいろで手書きのはがきを好む人、他人に読まれそうなはがきを嫌い封書を求める人、50年前に「はがきを出すから必ず電話をくれよ」と命じた友もいる。彼は自営業でほぼ電話のそばにいるがこちらは、居場所不定だからそのルールを実行している
▼彼も中学時代の同窓生だが半世紀も前から、転々と住所が変わった当方と連携を取り、友情を深めてくれたことには感謝が尽きない。彼らも同じく既に70代だが皆が軽い病気はしても、大病はなく元気なことがうれしい
▼それでも昨今は電話やメールで、互いに体調を問い健康を確認し合っている。

 2018年  9月  17日  ― 社会現象になった安室さん ―
 歌手安室奈美恵さんがメジャーデビュー26周年のきのう引退した。まだ40歳という若さでの芸歴年数に驚くが、トップにありながらの1年前の引退発表にはもっと驚いた。多くのファンをアムロス≠ェ包むのだろう
▼沖縄県出身の安室さんはユニットで芸能活動を開始。ダンサブルな楽曲のメーンを張り、95年にソロ曲を出した。当時、あまり見たことのないファッションやメークが強く印象に残った。人気は楽曲やパフォーマンスだけではなく、少女たちのファッションリーダーとなりアムラーやコギャルが誕生する。それは社会現象と呼べるものだった
▼91年から始まったバブル崩壊で日本経済はどん底に陥った。失われた20年といわれる経済低迷期に登場した安室さん。世の大人たちは不景気に前向きさを失い、新社会人も就職難で多くのニートやフリーターを生み、不安定な契約・派遣社員など今日の売り手市場から取り残された世代をつくった
▼不良債権だらけの時代に一番明るかったのはコギャルたちだったかもしれない。世の中全体が沈む中で元気だったコギャルのカリスマの一人が安室さん。15日に最後のコンサートが行われた沖縄では、翁長前知事の急逝による知事選が行われている。歌姫としての最後に沖縄県民以外の関心を向けさせる神懸かりなのか。
  

 2018年  9月  16日  ― 携帯電話の威力に気付く ―
 携帯電話やパソコンのネットでメールを送受信していると、かつてスマホなどのない時代に学校の恩師や親族のほか親しい友人などに、よく手書きの手紙やはがきを送っていたことを思い出す
▼当時は固定電話で出先でも自由に使える携帯とは違うから、どちらかというと手紙がまだ威力があったのだ。職場の休日に時間ができると同窓生などから、近年に届いた封書やはがきを再読。彼らと直接話したくなるが固定電話では外回りの多い友人には昼間は届かない
▼夜間に電話しても固定だからまずは家族が出るから気を使う。それでつまりは手紙にしてしまうのだ。そんな往時を思うと便利な携帯電話の登場には隔世の感があり、入手した時には携帯に頭を下げたことを覚えている
▼最近も携帯という通信機器の威力に気付く場面があった。少年少女などが中毒したようにこの機器にはまるのは問題だが、老齢者にはこれを必需品とする人が少なくない。地元町内会でも独居高齢者担当者が突然訪問の失礼がないようにと、携帯で直前に連絡し喜ばれている
▼今では一人暮らしの高齢者側から「相談をしたいことがある」と、担当者に電話が入る流れもできている。高齢者側から「おかげで毎日安心して暮らせます」と感謝され、町内会にも活気が増し明るい話題になっている。
  

 2018年  9月  15日  ― 自民党総裁選と報道 ―
 自民党が総裁選について公平公正な報道をせよと要請した。放送時間や記事の行数に政府与党が圧をかけるものなのか。
▼BPO(放送倫理・番組向上機構)は参院選と東京都知事選の取材を検証し、公平性は報道量の問題でないと見解を出している。まして総裁選は公選法と関係ないし、選挙報道は選管の啓発パンフと違う。公平とは中立ということだろう。その言葉、耳ざわりはいいが、政治はおっかない。
▼かつてヒトラーは自分顔負けにナチらしいレームの突撃隊をまとめて射殺した。軍国日本では、さらに国枠主義的な皇道派や東方会が東条に弾圧された。スターリンはより左のトロツキーやジノヴィエフをむごく粛清。毛沢東は、文革に乗じて自分のお株を奪おうとした林彪を、墜死の形で謀殺したといわれる。右はより右翼を、左はより左翼を憎悪する。本来の敵を斬った刀を逆に返し中立、中道の装いで全体主義になる。
▼安倍さん石破さんの話をそこまで大げさにしなくていいが、どちらも前に盛岡でなかなか良いこと言ってたのに。大手紙やテレビ局が報道しにくいと、国民にさっぱり伝わらないだろう。そちらの方が民主主義の危機。
▼中立だ公平だとうるさくて、お膳の上が全部ご飯の献立になったら食欲が湧きません。やっぱ総菜も必要でしょ。
  

 2018年  9月  14日  ― 幕末の志士が詠む失望の歌 ―
 幕末の福岡藩の志士で、尊王攘夷を志向した平野国臣が、胸中を吐露する歌を詠んでいる。「我が胸の燃ゆる思ひにくらぶれば煙はうすし桜島山」と
▼時代を超えてうたい継がれ今も、多くの人が口ずさんでいる。詠み手の平野が同じ九州の桜島がある薩摩藩(鹿児島)で、尊王攘夷活動を試みたが拒まれる。その時に胸中に燃える救国の情熱に比べれば、薩摩の桜島が噴き上げる煙など「まだまだ薄く見えてしまうよ」と詠んだのが先の歌だ
▼いわば時代の流れが見えない薩摩への失望を詠んでいるとも解釈できよう。NHK大河ドラマ「西郷どん」では、既に薩摩藩は時代変革に先駆しているが、平野が働き掛けた当時は一時期前だったのだろう。それでも藩内には目覚めが始動していたであろう
▼ところで安倍総理は先月末に地方遊説で鹿児島を訪問。桜島を背にした自身の写真も撮影し、それに先の幕末の志士が詠んだ歌も添えた党総裁選出馬の決意表明を、自身のツイッターに投稿していたことでも話題になっている
▼それにしても薩摩への失望の歌ともいえる短歌を、総裁選決意表明に添える感覚に驚く。そんなレベルの人がこの国のトップなのだから絶句。自民党の総裁は即総理大臣だ。総裁選が終われば安倍政権が再開するのか。監視を強めていくしかない。

 2018年  9月  13日  ― 逃走者の捜索 ―
 8月31日早朝に盛岡で起きた飲食店での事後強盗事件。逃亡した容疑者が3日、見つかり逮捕された。防犯カメラや証言により犯人を特定し、仙台で確保した
▼子どものころ「おてんとうさまは見ているよ」と言われたものだ。人が見ていないからといって悪いことをしてはならない、怠惰になってはならないという教えだが、反対に誰も見ていないところでの善行や努力も認めているという意味でも使われる。よって来るところ、わが心持ちの収まりが良いか、居心地が悪いかに帰結する
▼犯罪捜査に関しては、都市化による無関心で証言が難しくなる一方、防犯カメラやナンバー自動読み取り装置(Nシステム)など画像記録をはじめ科学技術が重要度を増している。監視社会には賛成できないが、安全・安心な社会への活用は必要だろう
▼大阪の富田林警察署に拘留されていた容疑者の男が逃走したのは8月12日。発生からとうとう1カ月が経過した。目を光らせていなければならない容疑者に隙を突かれて逃走させただけでも大失態だが、長期化すればするほど捜査範囲も格段に広げなければならない。男の容姿も1カ月たてば随分変えられるのではないか。逃走犯へ市民の不安が大きい。警察の信用回復第一歩は逮捕。おてんとうさまは捜査も逃亡も見ているか。

 2018年  9月  12日  ― 北海道の回復を祈る ―
 6日未明に北海道で発生した大地震による停電は、道内のほぼ全域(約295万戸)に及んだという
▼過日も書いたが電気が消えて電化製品も使えない被災者のご苦労は、いかばかりか。心からお見舞いを申し上げたい。電力会社なども尽力し8日には、99%まで停電を解消できたという。その時点であと1%が未解消だったわけである
▼だが個人でも事業社でも目標の99%を達成すると「やれやれ、よかった」という気分になりがちである。しかしながら残りの1%とはいえ、戸数でいうとおよそ3万戸(世帯)になる。1世帯2人としても6万人である。その人たちを「ま、あと1%だ。これで上々だよ」などと言ってはなるまい
▼これまでの人生で幼児期の戦時下をはじめ、7年前の大震災に至るまで長時間の停電は何度も経験してきた。夜の暗闇はさながら地獄のようでそれが回復し、明るい電灯に照らされた時の至福の感覚は例えようもない。北海道の皆さんにも電気をはじめ生活万般が回復する時が早く来るよう祈るばかりである
▼電力のシステムは震度7レベルの揺れには、異常の発生と判断し発電が停止する仕組みになっている。停電はほぼ解消したが断水が続き市民生活の回復が遠のく。一方、1976人が避難所に身を寄せ不自由な暮らしを強いられている。

 2018年  9月  11日  ― 十勝沖地震の記憶 ―
 大阪北部地震、西日本豪雨、台風21号と今年はあまりに天災が続く。胆振地方に震災があった北海道は50年前の1968年も十勝沖地震が起きた。函館、苫小牧、八戸、盛岡で震度5。青森県を中心に多くの死傷者を出した。
▼自分は4歳の幼稚園児だった。階段の下で遊んでいたら大揺れ、先生が慌てふためいていたのを覚えている。まずいことに、自分一人で勝手に逃げ出し、家へ帰ってしまった。当然ながら幼稚園では必死に探したそうだ。
▼何しろ4歳、とは言ってもやはり反省ものだ。沿岸では「津波てんでんこ」で、個別に全力で避難する場合はあるが、盛岡には海がない。教育現場では訓練と規律をもって安全を確保すべきだろう。
▼北海道では25年前の93年も奥尻島地震があり、津波で甚大な被害を受けた。その際、救援物資の中身は送り手の心情が走りすぎ、受け取る側で仕分けに大変、苦労したという話があった。阪神、新潟県中越、東日本、熊本の震災など経て、義援の内容や情報伝達、ボランティアのやり方などは相当しっかりしてきた。平成時代に大きな進歩があったのは「防災学」だろう。
▼北海道は岩手県と藩政からの深い縁がある。都道府県唯一の道は今年、開拓150年だったのに。まさに人道に通じる精神で、全国ともに支援の手を。

 2018年  9月  9日  ― 政府は停電ゼロに動け ―
 普段は改めて考えもしないのだが、停電になり特に夜が暗闇になると、電気のありがたさをしみじみと感じるものだ
▼7年前の3・11に発生した東日本大震災の時も、わが家が暮らす地域は震源地からかなり離れているのに、発災直後に停電になりそれが翌日まで続いたのである。その間にもあれもこれもと電気のありがたさが、目に浮かんだことを思い出す
▼生活する家の各部屋から、トイレまでも明るくしてくれる電灯をはじめ、炊飯器や洗濯機、テレビやパソコン等々。そんなもろもろを列挙しながら6日未明に発生した、北海道地震による停電受難の家庭の皆さんの今を思う
▼政府は早急に停電の解消に手を打つべきだろう。炊飯器も使えずご飯はどうせよというのだろう。そんな細かいことにも気を配るのが政治家であろう。経産省は7日朝までに本州からの電力融通などにより、約149万戸の停電を解消したという
▼それでも約146万戸の家庭がローソク火災にも注意しながら、電化製品を使えない不便な暮らしを強いられている。世耕経産大臣は小刻みに停電解消策を掲げているが、一気に停電を「ゼロ」にして、不便に耐えている人たちに応えるべきだろう
▼自然災害発生時こそ政権は率先して動き、停電の解消など即決させて被災道民を安心させてほしい。

 2018年  9月  8日  ― 台風21号と北海道の地震 ―
 天災は忘れたころにやってくるの警句を残した物理学者寺田寅彦が、高等学校時代に師となった夏目漱石。随筆の中で「自然は公平で冷酷な敵である」と記述する
▼6日未明、北海道胆振(いぶり)地方中東部を震源とする最大震度7の大地震があった。テレビが伝える夜が明けてからの被災地の映像に驚いた。土砂崩れした山肌は岩手・宮城内陸地震を思い出させる
▼4日に日本に上陸した台風21号では四国や近畿を中心に甚大な被害が出た。非常事態の台風被災地もある中、間断なく災害が起きてしまった。人命が失われ、北海道では捜索が続く。二つの災害ではライフラインやインフラなどの復旧にまだ時間が掛かりそうで、落ち着けるのはいつになるか。人命救助と早期の1次復旧を望みたい
▼漱石の一文は、今年に入っても災害頻発の日本にいて、天災の恐ろしさを浮かび上がらせる。天災は時と場所を選ばないと
▼この随筆で「かく単に自活自営の立場に立って見渡した世の中はことごとく敵である」と言い切り、自然も敵の一つとした。漱石の精神状況が言わせたものだ。それが病にかかるという好まざる状況になり彼を思う人の情に触れ「幸福な考えをわれに打壊す者を、永久の敵とすべく心に誓った」。失意、不安の被災者に支援者らの温かい人の情が力となる。

 2018年  9月  7日  ― 若者の日常が生む小話 ―
 国会で語られる議員諸氏の演説や、討論を聞いていて「なぜこうも堅苦しいのだろう」と感じることがよくある
▼そう受け取るこちらの耳の方が堅いのかもしれないが、もう少し言葉を弾ませ折々に笑みも浮かべた演説や討論なら、堅い耳も柔らかくなるのに。阿川弘之さんの著書「大人の見識」(新潮新書)には読む側の頬が自然に緩んでくる情景も描かれている。2例ほどを紹介したい
▼英語がよくできる痩せぎすの青年の話もある。彼がある採用試験会場にやってくる。でも体が細く規定の体重に届かない。試験官が言う。「ドーンと乗れ」と。彼が言われた通りにすると体重計の針がピーンと振れ「ヨーシ、合格!」となる
▼次も若者の話題だが彼は面接で「君の満年齢は」と問われる。そこで自分の腕時計を見せ「時々刻々と変わりますからお答えできません」と言う。彼はその回答が称賛されて最高点をもらい筆頭合格者となる
▼以下は阿川著とは別でよく聞く面接官と学生の問答だ。問い「学生時代に後悔したことはありますか」。答え「あります。とても後悔したのは女性関係なんです」問い「何かあったんですか」答え「彼女が一人もできず何もなかったんです」
▼阿川編も含めたこれら小話は若い人たちの日常から生まれたのであろう。悲喜こもごもで面白い。

 2018年  9月  6日  ― リーダーの務め ―
 ボーイスカウト運動で共に活動した三島通陽に、後藤新平は倒れる日「金を残して死ぬのは下だ。事業を残して死ぬのは中だ。人を残して死ぬのが上だ。よく覚えておけ」の言葉を遺したといわれる
▼実業家、政治家として活躍した後藤。大風呂敷と言われたが、帝都復興計画などは大局、長期の視野が評価される。ボーイスカウト運動に最後まで尽力した生涯には人づくりの本心が透けて見える
▼カリスマトップも在任中は組織の勢いはいいかもしれないが、カリスマの神通力が切れた後の組織がいかなる道をたどるかは後進によるところが大きい
▼政権与党自民党の総裁選は7日告示される。現職の安倍首相、石破茂元幹事長の立候補が確実だ。党総裁は連続2期までの規定が昨年、3期に変更された。安倍首相は森友・加計問題などで国民に疑惑を招いたが、それでも安倍首相が3選に臨むのは、挑む石破氏には悪いが、代わりがいないためとよく言われる。今の劣勢野党と違い、圧倒的多数の国会議員を抱える自民に2氏以外はいないのかと不可思議になる
▼いつの間にか復活した派閥が、党内で勢力争い激しかりしころ総裁選びはし烈だった。派閥の是非はともかく人を引きつけるリーダー候補が割拠していた。党実力者は人を残す務めを意識しているのだろうか。

 2018年  9月  5日  ― 引退予告した安室さん ―
 歌姫と仰がれる安室奈美恵さんは、1977年9月20日に沖縄で生まれた
▼92年に15歳でデビューした彼女は、昨年9月には25周年を記念し沖縄の宜野湾海浜公園特設会場で、5万2千人の聴衆と共に野外凱旋(がいせん)スペシャルライブを開催。聴衆も沸きに沸いたという
▼安室さんは物事をはっきりさせておく性分なのかもしれない。昨年のライブの4日後は安室さんの40歳の誕生日で、この日に彼女は自身の公式サイトに「ファンの皆様へ」と題して、丁寧に次のような引退予告を書いていたのである
▼「いつも応援いただきありがとうございます。お陰様でデビュー25周年を迎えることができました。心から感謝致します。きょうは長く考えこの節目に決意したことをお伝えします。私・安室奈美恵は2018年9月16日で引退と決めました。ご報告とさせていただきます」(要旨)と
▼彼女の引退の日は今月16日で刻々と迫っている。出身地沖縄県は芸能や福祉に尽力する彼女の活躍を評価。8月にがんで逝去した翁長知事が闘病中に安室さんへの県民栄誉賞授与を決定。5月の授与式には病身を押して出席し優しく声を掛け表彰状を手渡している
▼彼女は元知事への感謝をつづり遺志が受け継がれる沖縄であれと願う言葉をサイトに刻むように書いている。

 2018年  9月  4日  ― 平成30年の当たり外れ ―
 高校の頃いわゆる名作も少し読んだが、一番面白かったのは堺屋太一の予測小説。そこに描かれる「くたびれきった近未来日本のサラリーマン」のような話を読むと、なぜか心が落ち着いた。
▼堺屋作品は政治経済国際の話は勉強になるが、肝心の未来予測の方は後になるとさっぱり。筆者が大阪人だけに、だんだん「ほんまかいな」とツッコミみたくなる。1975年の「油断!」も石油ショックはあったが、中東戦争による原油の途絶なんて危機はなかった。「団塊の世代」ではコンビニなんか、はやらないとか。外しても外れても懲りず予測し続ける堺屋さんに、高級官僚出身のカミソリ感は和らぎ、あっけらかんとした関西ノリの親しみが湧いた。
▼先日、上京の折、車中で堺屋さんの「平成三十年」を読んだ。1998年の執筆時に20年後の未来を予測した小説。「どうせまた外れ」と思い、読みさしだった。
▼今は都内の電車では外国語が当たり前に聞こえる。久しぶりにページをめくった「平成三十年」がズバリ当てていた。秋葉原のホームに降りると外国人に道を聞かれ、ぎょっ。なして盛岡人さ電車の乗り方聞ぐの中国人。
▼全国紙によると、読み返せば現実の2018年をよく当てた作品だそうな。日本の姿を悲観的に。あの堺屋作品にしてまさか、いや…。

 2018年  9月  3日  ― 中秋の名月・満月楽しもう ―
9月に入り涼風が頬をなでた。秋風かと思ったが盛岡の予報から、熱中症に注意や警告を促す文字が消えない
▼今夏、気象庁が危険な暑さと繰り返し警告したことを思い出し、惜しげなく冷房を稼働させている。一方、今年も初夏の頃から窓辺に南部風鈴を下げている
▼クーラーの風を受け、光るような鈴の音色の旋律が心地よく響く。先月下旬の夜には満月前後に晴れ間があり、風鈴の音色を背にしたベランダから十四夜と十六夜(いざよい)の明月を仰ぎ見ることができた。高浜虚子は「風鈴に大きな月のかかりける」と詠んでいる
▼「大きな月」とは満月なのだろう。俳人は平易な表現で風鈴と大きな満月を詠み込んだのであろう。一年間で最も美しく輝いて見えるという「中秋の名月」はその年によって日付が変わる。今年は初秋と晩秋に挟まれた「中秋の名月」は、今月24日の夜空に現れる
▼晴れればその輝きを見ることができる。ところで名月と満月は顔を出す日がずれることがあり、今年も名月の翌日の25日が満月になる。連夜が晴れ渡り名月も満月も是非楽しみたいものだ。歌人の木下幸文は詠む。「風になる鈴のひびきは夏の夜の月待つ程の友とこそなれ」と
▼夏の夜ならぬ中秋の夜半、風に鳴る風鈴が奏でる「旋律の響き」を名月と満月を待つ間の友に。

 2018年  9月  2日  ― 未確認情報の拡散 ―
 五木寛之さんの短編「聖者が街にやってきた」(1970)は当時、米国から広まったヒッピーの若者が北陸の城下町K市に大挙集まってくる話。小さな端緒に地元のマスコミ人が、うわさ情報を混ぜて意図的に全国メディアに流し、さらに若者がK市に集まってくるよう仕向ける意図的な情報操作≠フようなものだった
▼人口30万人都市にヒッピーのみならず数万人の若者が集まり、許容量が超えた街は環境が悪化し、生活にも支障を来たす。平穏な城下町に刺激をと仕掛けたマスコミの3人も想像を超え怖くなった
▼この集結の始まりは不思議なことに何の呼び掛けもつながりもなく、複数の動きが偶然重なった。95年前の9月1日に起きた関東大震災では混乱の中、朝鮮人が暴動を起こすデマが流布した
▼SNSの浸透で誰もが世界に向け瞬時に情報発信できる現代。情報の拡散は半世紀前の比ではない。大統領のツイッター内容にもフェイクの疑念が出るくらいだが、わざと誤報を流す発信者も少なくない。にもかかわらず、ネットの情報を正しいものだと信じ込む
▼昨年、高速道で夫婦が死亡した事故では無関係の第三者が加害者の父親とされる誤報が拡散し大きな被害を受けた。災害にSNSが威力を発揮する。なおのこと情報の正誤を判断する力が問われる。

 2018年  9月  1日  ― 老いと運転の選択 ―
 このところ80歳前後の友人が、相次いで自動車の運転免許証を返納している
▼未練になるからと乗っていた車を処分した人も多い。中には夫婦で相談し3歳若い夫人も同時に返納したケースもある。先日その夫妻と懇談したが決断までの経過を聞いて、年代が近い当方も迷いつつも検討を始めている
▼同夫妻をはじめ友人一同が語る「その気になった理由」は昨今、頻発している高齢者運転のマイカーによる重大事故だ。《高速道路を逆走。対向車と衝突し双方が死傷》《車が歩道に突入して人を跳ね死亡させる》《アクセルとブレーキの踏み間違いでは店舗への突入があり、立体駐車場からの転落もある》―
▼そんな場面が他人事ではなく、わが身への警鐘乱打だと受け止めてしまうのだという。もちろん個人差があり体力も精神力も鍛錬し、若々しく運転を続ける80代も少なくない
▼やはり古今を問わず青春期は「選択」の時代だが、老いの世代もまたしょせんは運転の是非についても、同じく各自個々による「選択」で決めるほかない。先輩の中の85歳の元気な登山家は毎年8月に富士山に登っている
▼下山した直後にはいつも電話をくれるが、それが50年も続いている。声が若々しく壮健で今もなお愛車を手放そうとはしない。既に70代の当方が老い方の手本にしている。 

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