2019年1月の天窓


 2019年  1月  16日  ― 梅原さんの東北・北海道へのまなざし ―
 30年ほど前の洋酒メーカー社長による熊襲(くまそ)発言の舌禍に触れた当時、12日に死去された梅原猛さんの「日本の深層」を読まれていればと思った
▼仙台市生まれの哲学者梅原さんは日本人とは何か、日本とは何かを探究し続けた。独創的な着想が波紋を呼んだことも一度ならず。だが、初出で万人に受け入れられるような話では希代の哲学者とは呼べまい。半面、一向に同調者が現れないのでは独り善がりにすぎない。最初こそ独創でも徐々に熟成、論証され広く受け入れられていくのが本物だ。歴史に名を残す哲学者は多くがファーストペンギンであり、梅原さんも加わるのではないか
▼「日本の深層」では「東北地方、特に津軽は、昔から文化果つるところではなかった」「かつては数百年のあいだ日本最高の文化を誇った場所」と、縄文後期から晩期は東北が文化の中心と唱えた。稲作伝来から中心が西に移ったが、それ以前の日本の深層に東北で世界へ誇れる文化があったというのだ。梅原さんの同著が劣等感を持つ東北人の多くを勇気づけた
▼特別顧問となった東日本大震災復興構想会議の初会合で梅原さんは「今、文明が裁かれている」との認識を示し「利他的な文明」への転換を説いた。縄文の狩猟文明の良さに着目した梅原さんの遺した宿題かもしれない。

 2019年  1月  15日  ― ケニア人が環境を問う ―
 ポリエチレンに由来する「ポリ袋」という言葉がある。「袋」の一字から中に入っているものを善悪双方で連想できよう
▼今、世界で一番、このポリ袋を活用しているのは中国だと言われている。「ポリ袋禁止」と明確に定めて、袋は自然を破壊すると言い放つのは、ケニア人写真家ジェームズ・ワキビワ氏(35)だ
▼彼は大学でメディア論を学んでいた8年前に、地元の道路や川で使用後に捨てられたポリ袋が、散乱していた現場を見ている。当時、ケニアのポリ袋年間消費量は1億枚を超えていたという。気になって彼はごみ集積場を訪ね、ショックを受ける
▼予感の通りで廃棄された大量の袋が、風で外に飛ばされていたのである。心を引き締めて彼は、行動を起こす。まずは幾つもの環境団体に足を運び支援を要請した。さらに大学内でも賛同者を募り、集積場の移転などを求める署名を集め始めている。建物の移転は政府決済だという。
▼5千人分の署名を添えて、願書を出したのは6年前だというからお国柄なのだろう。写真家が生業の彼はこだわらずに、前を向いていくと決めているらしい。「プラスチック禁止」と書いたプラカードを通行人に掲げてもらいその姿を撮影。ツイッターにも投稿
▼反響が拡大し自国の環境相も見たようで「称賛」の言葉が届いたという。

 2019年  1月  14日  ― 雪かきまた楽しからずや ―
 外国人とよく接する人に聞いた。台湾人が冬の盛岡を訪れ、「雪かきしてみたい」と言ったそう。雪は珍しかろうが、お客さんがわざわざ骨折りとは。
▼しかし分かるような気がする。自分は「三国志」「水滸伝」やら昔から中国の歴史にロマンを抱きすぎていた。北京で初めて天安門を見たら想像より小さくて、万里の長城に行っても、これは始皇帝が作ったのではなく明代の修築で、岩手公園の石垣の古さとそんなに違わないとか、過剰な期待と予習が裏目に出て、名所旧跡はあまり面白くなかった。むしろ一般の商店で何を売っているか興味が湧いた。
▼来日外国人も同じでは。お城や神社仏閣は2、3でいい、むしろ日本の暮らしぶりを見てみたいなら、北国では雪かきも立派な観光になる。
▼民泊法や改正入管法の成立など今後、さまざまな場面で外国人と接することが増えるだろう。台湾、東南アジア、インド、アフリカなど南国の人が雪かきしてみたければ、ただで汗をかいてもらうにせよ、日本人と試しにちょっと力を合わせる良い機会。体験型ツアーでオプションに組み込んでは。
▼住民ボランティアの「スノーバスターズ」にならい、外国人観光客による「エスノ・スノーバスターズ」が公共施設前でも雪かきすれば、互いに素敵な思い出になるだろう。
  

 2019年  1月  13日  ― 新成人は20世紀生まれ ―
 あすは平成最後の成人の日。盛岡広域でも夏の挙行以外の6市町できょう、成人式が行われる。新成人の皆さん、おめでとうございます
▼平成最後に関心が向くが、新成人は1998年、99年生まれの若者。平成と昭和の差は大きくとも、まだ20世紀世代と何か共通項をと探したくなるが、映画化された浦沢直樹さんの漫画「20世紀少年」の時代は新成人には昔話で、大半の昭和生まれとの時代共有は難しい
▼98年は長野で冬季五輪が開かれた。国内で誘致を争ったのが盛岡・雫石だった。その縁で盛岡広域市町村の助役会の五輪視察に帯同した。もし五輪が盛岡だったらと想像しながら、競技だけでなく長野市や軽井沢町の街の様子などを見た。こちらであれだけの競技施設を造ったら、ポスト五輪は重荷になるだろうなと感じつつ、国際スポーツの祭典を肌で感じられる子どもたちに幸せをもたらしたに違いないとうらやましく思った
▼「新しい元号は平成」で有名な小渕恵三さんはその後、首相となり、当時の金大中・韓国大統領と共同宣言を出し、日韓のパートナーシップが深まる始まりをつくったのも98年だった。昨今の両国関係には当時を思い起こしてほしいと思う
▼外国人との交流は当たり前な新成人の世代。世界とのフレンドシップでも皆さんの力が欠かせない。

 2019年  1月  12日  ― 歴史と時代の計 ―
 岩大名誉教授の細井計さんが亡くなった。岩手の史学に大きな足跡を残して。
▼歴史の論者はときに態度が分かれる。現在と未来を論じるため史実を糧にする「温故知新派」。遺物や古文書の分析で実証する「史料をもって語らしむる派」。両者はなかなか折り合わない。前者が後者を重箱の隅をほじくる訓詁(くんこ)学徒と難じれば、後者は前者に対して歴史を借景に独善を吐いているだけと反発する。市町村史の編さんで、そんな委員の考えがぶつかると大変。
▼取材する側にすれば、どちらが正しいか迷う。双方の信念と批判も理解できる。記事の参考や裏付けに開く書物の選択は慎重になる。そこで最も頼りになる本は「図説岩手県の歴史」(河出書房新社)。細井さんを責任編者に8人の専門家が執筆した。年表や図版が詳しく、とても役立つ。編年と紀伝で時代ごとのストーリーがあり、「温故知新」と「語らしむる」のバランスを取った「細井史観」を感じる。
▼自分が不案内な近世史についても、細井さんの解説を聞けばストンとふに落ちた。本紙にトルコや東欧のすてきな紀行文を寄せてくださったことがあり、歴史家の深いまなざしを感じたものだ。
▼その細井さんが平成最後の年の1月2日に永眠した。「時代の計を立てよ」という初夢を岩手に遺して。
  

 2019年  1月  11日  ― 手書きした年賀状 ―
 投函(とうかん)した年賀状は百枚程度だったが、久しぶりに手書きで作成した
▼当初は従来と同じくパソコンとコピー機を使い、手早く仕上げたかったのだが作業中にトラブルが発生。パソコンで文案を決めるまでは順調だったのだが、印刷の段階で4色のインクを装着した際、コピー機の小窓に「黒インクが未装着です」とメッセージが表示されたのだ
▼1年前にコピー機を買いインクも随時購入している店に相談。担当者が来てくれてあれこれ操作したが「未装着」の警告文字は消えない。見た目には他の3色と同じように黒インクも装着されている。だが「未装着」の文字は消えず印刷ができない
▼担当者は本社に相談し「2日ほどコピー機を預かり本社で修繕してきたい」と言い出す。これが12月30日のやり取りだから賀状印刷は無理になる。やむなく手書きを決断。担当者には修繕は後日とし自分も立ち会うと伝えた
▼直後から賀状手書きを始めたが、住所氏名も手書きをすると一人ひとり顔が浮かぶ。懐かしさが募りペンも走る。自然にその人に語り掛けるような言葉を書きつづることができた
▼投函数日後には旧友や親族などから「賀状が届いたよ。手書きがいいねえ。情が伝わるよ」などと電話が相次ぐ。それを聞き世辞を引いても今後も手書きにと決めた。

 2019年  1月  10日  ― ボウイの最後から3年 ―
 クイーンの映画「ボヘミアン・ラプソディ」については昨年11月の本邦公開後に本欄で取り上げたが、累計興行収入が18年公開の洋画で1位になったという。リピーターも多く、映画館上映が続いている
▼映画は早世したボーカルのフレディ・マーキュリーに重きが置かれ、民族や性的少数者として彼の苦悩が画面から伝わる。エイズ感染の公表翌日に死去となったのも、91年当時の社会的理解の程度を想像させる
▼映画タイトルにグループ最大のヒット曲が使われたのは自然だが、バンドの大ヒット曲としては「アンダー・プレッシャー」も挙げられ、映画でも少し流れた。同じ英国の先輩ロック・スターであったデビッド・ボウイとの共演だった
▼ボウイは今の日本でいうイケメンで、中性的な魅力を演出した元祖ビジュアル系。ロックファン以外でも大島渚監督が男性だけの出演で作った「戦場のメリークリスマス」の将校役を思い出す日本人がいるはず。彼も3年前、最後のアルバム「★ブラックスター」が発売された2日後の1月10日に亡くなった。クイーンと同様、日本びいきで歌舞伎にも学んだ
▼晩年の彼が危惧していたのは情報ネットの進展による弊害だった。トランプ大統領が誕生する前のこと。ボヘミアンが移民や流浪の民の意味でも使われるのは偶然か。

 2019年  1月  9日  ― 苦くて優しいクラムボン ―
 盛岡市の喫茶クラムボン店主の高橋正明さんが亡くなった。69歳だった。県内の美術家に広く個展の場を与え、本紙も取材で大変お世話になった。
▼1970年代から40年以上営む。今は紺屋町の名店として観光客が訪れるが、かつては知る人ぞ知る。八幡町のジャズ喫茶「伴天連茶屋」と並び、盛岡のカウンターカルチャーのメッカで、熱い季節の残り香がした。
▼80年代になってもクラムボンに行けば、常連に議論を吹っかけられそうで困ることも。そんな世代の皆さんすら古希の声を聞き、好々爺(こうこうや)然としてお茶を飲む。高橋さんは店の奥から静かにそれを見守ってきた。
▼美術だけでなく岩手の音楽シーンも高橋さん抜きには語れない。友部正人さんはじめ「ディランズ・チルドレン」と呼ばれたフォーク歌手をライブに呼び、葬儀には野沢享司さんが参列した。気が付けば高田渡、加川良など店を訪れた有名なシンガーも鬼籍に。
▼店名は宮沢賢治の「やまなし」から。読み返せば「十二月」の章で終わり。それを見計らったかのように、高橋さんは1月1日に旅だった。弔辞にあった「苦くて優しい味」のコーヒーを遺して。カウンター越しに大勢の常連の煩悩を、温かく受け止めてくれたクラムボンのマスターに感謝し、お店の発展を祈りたい。

 2019年  1月  8日  ― 岩手医大と本町通 ―
 元旦号で岩手医大の矢巾移転に伴う地域課題を特集した。本町や内丸の危機感は強い。
▼上の橋のたもとに生まれ育った。子どもの頃、中津川を渡ると街の空気が違った。本町側の方が格式高いのだ。料亭の丸竹、いかめしい第一勧銀があり、その向こうに老舗が軒を連ね、四ツ家の教会を仰げば異国の空に見えた。
▼肴町や大通とひと味違う威風があった。昨年の本紙1万7千号特集で橋本屋本店を取材し、見慣れたそば屋さんが創業400年とは改めてびっくり。岩手医専時代から多くの師弟が通い、今も愛されている。
▼しかし本町には同様の事態が過去2回あった。赤十字病院が三本柳、県立中央病院が上田に移転した1980年代も商店街に衝撃が走った。県内3大病院が盛岡市の同じ場所にあるべきでないと言われればやむなしだったが、残った最大のとりで岩手医大移転のインパクトはひときわ大きい。
▼本町の今昔を見比べれば、やはり二つの大病院が去ってから、くしの歯をひくように店が減り、往時の活気はない。それでも名のある老舗は今も信用を大切に、手堅い商売で頑張っている。病院を核に、ちまたの哀歓を見詰めてきた本町や内丸はホスピタリティーの商店街。岩手医大のホスピタルが移転しても空洞化しないよう、官民で対応を急ぎたい。

 2019年  1月  7日  ― ポル・ポト政権崩壊40年 ―
 青森県出身の報道カメラマン沢田教一さんはベトナム戦争中のインドシナ半島で取材をし、米国のピューリッツァー賞を62年に受賞した
▼ベトナム戦争の頃は、ジャーナリストが最も自立した形で戦いの最前線に入れた時代の半面、多くのジャーナリストが命を落とした。沢田さんはベトナム隣国でも戦火上がる中、カンボジアに入国。70年10月、同僚と自動車でプノンペン郊外を移動中に襲撃され死去した。ベトナムでは南ベトナム側の取材はかなり自由で、アメリカ政府に不都合な報道を可能にした。しかし、内戦のカンボジアは取材しにくく、ジャーナリストの危険度が高かった。報道カメラマン一ノ瀬泰造さんも73年に消息を絶ち、後に処刑による死亡が確認された
▼カンボジアは75年、クメール・ルージュが政権を握り、民主カンプチアを樹立。ポル・ポト政権と呼ばれるものだ。共産主義体制に違いないが、粛清と弾圧の独裁政権。秘密主義の中、海外ジャーナリズムが真相を伝えようと入国した
▼40年前の1月7日、ポル・ポト政権が崩壊。大虐殺が明らかになる。沢田さんも撮影したアンコール遺跡群は日本の学術研究者らが中心となって保存活動が進んだ。だが、世界では貴重な遺跡が破壊され、危ぶまれる遺跡がある。沢田さんも心を痛めているだろう。

 2019年  1月  6日  ― 盛岡出身のメジャーリーガー ―
 岩手出身の大谷翔平選手が昨年、県人初のメジャーリーガーとして、二刀流で新人王を獲得した。その活躍を喜ばしく、誇らしく見ていた。今年は初の盛岡出身メジャーに否応なく期待が膨らむ。ポスティングシステムでシアトル・マリナーズへ移籍する菊池雄星投手がその人
▼見前中学生時に非凡な素質を見せ、花巻東高時代は超高校級左腕のエースとして3年生で県勢初の選抜準優勝に貢献。夏は4強となり、けがを押してマウンドに立ち試合後に号泣した姿は躍動感あふれるフォームから放たれる快速球とともに強烈な印象を残した
▼菊池投手のメジャー行きは高校の佐々木洋監督との出会いで、夢ではなく現実の目標となる。進路選択の時期が近付いた頃、メジャー行きを本人も周囲も考えていた。進路を発表する記者会見で、真正面で構えていたカメラのレンズ越しに菊池投手の目から涙がこぼれだした瞬間も忘れられない。涙で目がにじむと後は感情を抑えきれなかった。最後は本人の判断だったとはいえ、メジャー封印を無理に納得させた思いもあったのではないか
▼その後もメジャーへの信念がぶれなかったことを英会話の会見が証明する。菊池投手の影響もあった後輩大谷選手が先に渡米した。雌伏九年≠ニ少し長くなったが、満を持して雄飛する時が来た。

 2019年  1月  5日  ― 備えあれば憂いなし ―
 官公庁などはきのう仕事始め。民間ではあすまで休暇も少なくないだろうが、亥(い)年だからといってお猪口(おちょこ)を持つのもほどほどに気持ちを切り替えて休暇明けに備えなければならない
▼例年なら岩手競馬が年末年始の開催をしているところ。ご承知の通り昨年、競走馬の禁止薬物反応で開催見送りに追い込まれ、岩手競馬ファンを落胆させた。水沢所属厩舎(きゅうしゃ)の馬で続いた後の対策は、水沢偏重で盛岡の対策に疑問符が付いた。達増知事は昨年最後の記者会見でその点を突かれ、検出馬所属の水沢側に「中心の対策を講じるのは合理性がある」と正当性を唱えた。だが、盛岡所属馬で発生の結果が出た以上、弁明と受け止められても仕方がない
▼廃止につながる赤字の危機には及ばないようで、計画通りに春競馬が幕開けすることを望みたい。問題は再発するのではという疑念や心配を取り除いて再起できるかどうか。2カ月半ほどの休み期間に知事のいう原因者が自首するのが最善だが、発生予防の対策も進めなければ、レースの再開に説得力を欠く
▼禁止薬物検出馬が続出する事態となった「猪見て矢を引く」ような後手を反省し、備えあれば憂いなしを実現できるか。ネズミ一匹逃さないとは来年のえとと、のんびりしていてはいられまい。
  

 2019年  1月  4日  ― 平成最後の仕事始めに ―
 元日の本欄で「室町のOA時代」とか変なこと書いていたら、「応永年間もご存じない」とお叱りを受けてしまった。応仁の乱は聞いたことあるが、応永はあるよな無いよな…手に負えなくてすみません。
▼きょうから平成最後の仕事始めの職場も多いだろう。昭和末年の自分を振り返ると、都南村にあった前の会社で印刷工をしていた。当時は写植の活字を印画紙に焼き、コピーで微調整して拡大縮小、定規、カッター、ペーパーセメントで切り貼り。オフセット印刷機はハマダ「L│400」で、エアーの強弱、胴圧の調整、インクの粘度、モルトンの水加減など最初に身につけた仕事は今も腕と指先に覚えがある。
▼印刷物の製作は大変な手間と時間がかかった。それがOA時代の進歩によりパソコンで小一時間あれば手作業よりずっと精密、オンデマンド印刷はカラー鮮やか。
▼会社見学に中学生が来たとき、印刷の仕事を五感で覚えた通り説明すると生徒たちも理解しやすい。半面、すべて電子処理された画面上の作業はもっぱら視覚で会得するため、刷り上げる工程の説明が大変。
▼春になれば職場に新人を迎える。ITからAIへと進化する世界に、技能をどう伝えるか。来たる外国人労働者の皆さんにも、英語で「オーイェー」と分かってもらえるだろうか。

 2019年  1月  3日  ― 新春に父と啄木を思う ―
 「何となく、今年はよい事あるごとし。元日の朝、晴れて風なし」。石川啄木が詠んだこの詩句に初めて触れたのは、遠い昔の中学生の時だった
▼宮司をしていた父は地域の子どもたちに書道を教えていて、この啄木の詩句も教材にしていた。教え子の一人としてその時にも筆で書いた半紙を、自分の勉強部屋に貼っていて、5年後には「下手だなあ」と気づいてはがしたことも覚えている
▼啄木詩句の漢字や平仮名の筆づかいを教えられながら、子どもたちが気になっていたのは上手、下手ではなかったことも思い出すと愉快だ。毎年のことだったが晩秋が過ぎてお正月が近づくと、多くの子どもたちは「本当に元日の朝は晴れて風がないのか」と疑問を口に出す
▼毛筆練習中にも父に質問が飛ぶ。父は「啄木さんの詩をよく読んでごらん。元日の天気予報をしているかい。予報ではなく実際に晴れて風のない元日の朝の天気を喜んで、今年は何となくよい事があるような気がするよ、と言っているんだよね」と語りかけ、皆もうなずいていた
▼さて本年は今上天皇のご退位が決まり、皇太子さまが天皇に即位されることも明らかにされている。元号も新しくなる2019年が始動した。春の統一地方選に夏の参院選など選挙の年でもある。わたしたちも心新たにスタートしたい。

 2019年  1月  1日  ― 平成と応永の平和 ―
 平成31年あけましておめでとうございます。30年以上続いた元号は明治、昭和、平成の3代のみと思い、念のため日本史に詳しい人にうかがった。
▼すると「もう一つオーエー時代がある」。初めて聞く話で、「それはコピー、ファクス、パソコンが三種の神器のOA時代?」と尋ねれば、南北朝後の応永年間(1394―1428)なり。
▼あんまり昔で何があったのやら。最大の事件は応永の外寇。今からちょうど600年前の1419(応永26)年、1万7千人もの朝鮮兵が対馬を襲い、領主の宗氏の軍勢と攻防した。日本側が勝ったが、感心したのはこの戦、朝鮮側が侵略の姿勢を改め、日本側も倭寇の害が原因と気付き、互いに反省するところは認め、うまく矛を収めたこと。元寇の教訓があったという。現代に学びたい。
▼南部氏はまだ青森の方にいた。室町幕府は盛期で謀反を抑え、応永10年から22年まで戦乱は絶え、中世まれな平和があった。外圧と内紛と安定が入り混じった30年余は、平成時代と似ていなくもない。
▼先の三種の神器のOA時代は今の元号とともに人々の記憶へ。次はAI(人工知能)の世が到来しようとしている。テクノロジーが進歩しても、世界に貢献する日本の国柄を大切に。四方(よも)の海、永遠に愛する御代(みよ)を待つ。

2018年12月の天窓へ