2019年3月の天窓


 2019年  3月 31日  ― ショーケン、天使に ―
 映画「翔んで埼玉」が大ヒットしている。自虐ネタを埼玉県民も楽しんでいるらしい。かってタモリさんがダ埼玉≠ニ造語したが、東北人にはピンとこなかった。東北新幹線開業時の玄関口は大宮駅で埼玉は大都市圏の中だった
▼埼玉の生んだ大スター、ショーケンこと萩原健一さんが26日死去した。グループサウンズのテンプターズのボーカルとして人気を集め、役者として石原プロのドラマ「太陽にほえろ」で新人刑事役に起用され、殉職の形でドラマ出演を終えた。「傷だらけの天使」は水谷豊さんとのコンビで深作欣二さんらが監督を務めヒット。日本のテレビドラマのバディーものの古典と言える。オープニングの新聞紙をナプキンにしてトマトを丸かじりする映像と哀愁あるストーリー、後にDCブランドの中軸となるブランド提供の衣装の着こなしと、若い男性陣が憧れてしまうかっこ良さがあふれ出ていたように思う。ダ埼玉≠ヨの反証はこれで十分ではなかったか
▼喜劇王エノケンは「歌は語れ、芝居は歌え」と極意を説いた。萩原さんは逮捕されたりと順風満帆な生活ではなかったが、芝居が熟成し、枯れた渋い演技の中には歌があり、継続した音楽活動では語られるような歌い回しから歌詞が心に響いた。傷癒えて今、天使となって翔んでいるだろうか。

 2019年  3月 30日  ― 泣き売りと特殊詐欺 ―
 特殊詐欺の被害が絶えない。情報化社会の新手の犯罪と思われているが、「オレオレ詐欺」のような、家族をだしに金を巻き上げようとする手口は古くからあった。
▼往来で、かばんを抱きしめた男が泣いている。通行人のそぶりの一味が絡み、聞こえよがしに問答する。「大の男がなんだい。わけを話してみな」「故郷のおっかさんが危篤なのに店のだんなが帰らしてくんない?」「頭にきて売り物のペンをかっさらってきた。そのかばんかい」と言い男から取り上げる。
▼「かっさらいはいけねえが、おっかさんに会いてえのはもっとも。故郷はどこだい」「岩手そりゃ遠いねえ。え、汽車賃がないなら、このペン買ってやろうか? お、こりゃ舶来(はくらい)だが1本500円でいいだろ」と言い、周りのやじ馬を見渡す。
▼「買うのはおれだけかい。おめえさんがた、こいつの汽車賃みんなでこしらえようや」とあおり、あれよあれよと売りさばく。見破って買わない人も多く、どこか笑わせたものだ。「かたぎにそんな迷惑かけられぬ」という渡世の仁義あり、金額はたかが知れ、まがい物でも品は渡った。「泣き落とし売り」という。
▼しかし今の手口は、アポ電強盗など疑うことなきお年寄りを付け狙う卑劣な犯行。昔の侠客(きょうかく)から見ても、潔くあるめえ。

 2019年  3月 29日  ― 参院選公示まで約3カ月 ―
 第25回参院通常選挙は日程が決まっていないが、任期満了日や国会日程から7月21日執行が有力視されている。逆算すると公示は同4日と見込まれ、残り3カ月になろうとしている。岩手は東日本大震災の影響で統一地方選だった選挙の大半が半年ずれたのも要因なのか、県民の関心はまだ薄い
▼参院選の岩手選挙区は現職平野達男氏が4選を目指して自民公認で出馬する。対抗軸として野党4党が統一候補擁立の構図で進んできたが、チェアスキーでパラリンピック日本代表になった横沢高徳氏が今月、無所属での出馬を正式表明した。共産、自由、社民が推薦を決めたが、国民民主県連が黄川田徹氏(元衆院議員)を候補に推す姿勢を保っている
▼今後の前哨戦の焦点は国民民主の出方か。3党が4党になるのか、3人目の候補擁立に踏み切るのか、あるいは両者の間で反自民の動きを取るのか…。結論はいつ出るのだろう。だが、統一候補といいながらも無所属の横沢氏。3党でも4党でもぶれないのが無所属ともいえまいか
▼国政選挙は基本、政党が基盤にあり、政党の議席争いが単純化した構図。今回の岩手は単純に収まらない。平野氏は前回、初めて無所属で3選した。平野氏にしても政党は変われども揺るがない根本があるはず。お二人の信条にも注目したい。

 2019年  3月 28日  ― 繋と鶯宿に再発見を ―
 盛岡市民にとり繋温泉と雫石町の鶯宿温泉はもてなしの奥座敷。しかし最近の繋地区は寂しい話題が多い。繋中学校は来年度で閉校へ、先日はつなぎ幼稚園で閉園式が行われた。中堅のホテルものれんを畳んだ。
▼繋は高いビルが林立して街並みは立派なのに、住民は子どもの数が減り、5人で幼稚園を閉じた。それが盛岡ひいては日本の行く末だとしたら大変。
▼鶯宿も屋内プールのけんじワールド終了などから環境が変わり、活性化が求められる。先日は雫石町で「チャレンジマルシェ」が行われ、その中で岩大生とコラボし、温泉の足湯で温まる催しがあった。学生と地域おこしを考えた。
▼盛岡市内では桜山商店街や鉈屋町など年季ある街が若者に再発見され、市民運動的にルネサンス。繋と鶯宿も古い温泉街で昭和の風情が残り、新鮮な目で再生したいところはたくさんあるだろう。
▼地元の人も外の風を積極的に受け止めて。チャレンジマルシェでは鶯宿の湯を雫石町商店街に運び好評を呼んだ。町民からは定期的にやればうれしいという声があったようだ。最近は英語のマーケットを仏語のマルシェに言い換えるのがはやり。イベント名をフランス風に「ヌグダマルモシェ」としてはいかが。盛岡あたりの言葉で「あったまっていきなさい」の意味です。

 2019年  3月 27日  ― ヒデとイチロー ―
 「後悔などあろうはずがない」。日本プロ野球、大リーグで偉大な足跡を残したイチローさんの引退会見で印象深い言葉だった。数時間前の最終打席、ショートゴロは間一髪のようだった。仮に内野安打だったら現役への未練が残ったかもしれない。23日での現役引退を後悔させない結末だったということだろう
▼海外を主戦場にする日本人アスリートは増えた。その中でもイチローさんとサッカーの中田英寿さんは現地で尊敬をされる存在となった双璧と言える。シーズン初めのイチローさんに引けを取らず、中田さんの引退も最後の試合後に突然で衝撃だった。3度目出場のワールドカップを最後に代表にとどまらず現役を引退した。当人は早くから決断し、最後の試合では足が重くなっても走り続け終了とともにピッチに倒れ込んだ。さらに仰向けになりしばらく動かなかったのは現役との別れを交わしていたのだと、正式発表後に推測した
▼かつて「どんなことだって、全ては未来への糧になるんだと思っています」と中田さんは語っていた。イチローさんも「つらいこと、しんどいことから逃げたいと思うのは当然だが、エネルギーのある元気な時に立ち向かっていく。人として重要なことなのではないか」と。これから新生活に入る人たちには特に響く言葉に思える。

 2019年  3月 26日  ― 安倍4選なんてよせ ―
 総理が釜石市で復興道の開通式に出席したあたりから、安倍4選論が取りざたされた。本人は打ち消したようだが当たり前。なんでそんなにいつまでもやりたがるの。
▼「余人をもって代えがたい場合」と言うが、自民党そんなに人いないのか。岸田さん茂木さん石破さんとか。いろいろあってからおとなしいようだが、TPPで米国と発止、渡り合った甘利さんなども案外どうか。いずれ余人もて代えてください。
▼景気や改憲もあろうが外交に熱心な安倍さんのこと。国際政治上のライバル習近平が死ぬまで主席をやるから対抗したいなら思い違い。相手が始皇帝や煬帝みたいになりたければ、やらせておけば。どうせ秦や隋のようになる。
▼むしろ中国と違い民主主義にのっとり、健全に政権交代することを世界に示すべき。なんだかんだ言ってもアジアのリーダー、まともな大国は日本だと見せつける。封建王朝めいた話につられたら、向こうがしめしめだ。プーチンが北方領土交渉にもう乗りたくないと言うのは、安倍総理の去就を見ているからだろう。外交上でレームダックに扱われぬためにも、手強い後継者の影をちらつかせねば。
▼だから殿さま気分で4選なんてよせ。北朝鮮にせよ、とりあえず喫緊の日韓関係にしても、もうヨン様時代じゃないですよ。
  

 2019年  3月 25日  ― 釜石第1高炉休止から30年 ―
 ラグビーの街釜石市でも試合の行われるワールドカップ(W杯)。先ごろ、競技会場となる新設の鵜住居スタジアムに俳優の山下真司さんがガイド役を務める豪華なツアーが訪れたという。開幕まで半年を切り、盛り上がりを期待したい
▼山下さんは1980年代の人気テレビドラマ「スクール・ウオーズ」の熱血監督(先生)の印象の強い人が多いはず。実話をベースにしたドラマで、山口良治さんは伏見工高ラグビー部を強豪に育てた熱血指導者だ。おそらくその頃から数年後までが日本のラグビー人気のピークの一つだった
▼一定年齢層の岩手県人にとってラグビーで忘れられないのが新日鉄釜石の日本選手権7連覇。決して恵まれた環境ではなかったこともあり、北の鉄人≠ニして県外にも熱心なファンが多かった。だが国内鉄鋼産業の斜陽で、新日鉄釜石製鉄所は1989年3月25日、第一高炉を休止せざるを得なかった。大島高任由来の鉄の街は人口の減少も加速した
▼ラグビーの国内人気が再び高まったのが2015年W杯での日本の活躍。強豪南アフリカから大金星を挙げ、にわかにファンが増殖したが、19年の日本大会を控えながら今の人気は正直、物足りない。高炉の火は落ちたが、ラグビー系譜を継ぐ釜石SWは健在。ラグビーの炎を岩手からも広めよう。

 2019年  3月 24日  ― 十返舎一九の盛岡 ―
 自分が知らなかっただけかもしれないが、十返舎一九(1765│1831)が南部を書いたとは驚いた。盛岡城下に来たる歴史的人物と言えば菅江真澄、高山彦九郎、伊能忠敬、吉田松陰が思い浮かぶ。「東海道中膝栗毛」の筆者もいたのだろうか。
▼盛岡市の星川香代さんの「諸国道中金の草鞋 八」(ツーワンライフ)に詳しい。原本は山形県の鶴岡市から青森県の恐山までの道中記。岩手県内は雫石町から盛岡市に入り、北上して岩手町から下っていく。「橋場」「雫石」「森岡」「柏杉」「沼宮内」などの章立て、歌川國信の浮世絵に原文が付いている。
▼出版当時の文化文政のらん熟が漂い、街道筋はとても都会化していたようだ。「あきなひは岩わし山の名にしすふつかミどりなるもりおかのまち」なる狂歌あり。歌川の絵には当時の武士や町人、「福」の屋号の店に名産「かたくり」の看板が描かれ、江戸から見ても繁華だったらしい。岩手山の偉容にも感動している。
▼雫石では宿の娘とのつや話が描かれ、当時の風俗がしのばれる。柏杉の地名がどこか不明だが、筋の上から渋民か。おそらく名君の南部利敬公の時代あたりで、領内の空気は明るかったのだろう。
▼それにしてもベストセラーの弥次喜多の戯作者が盛岡さ「じゃじゃ来たじゃ」だったべな。

 2019年  3月 23日  ― 旧町名の究明を ―
 先日は盛岡タイムスの販売店の総会を開き、今年の社の50周年が話題になった。1969年の創刊以来、雨にも風にも負けず本紙を配っていただいた販売店の皆さんに感謝申し上げたい。
▼新聞配達をしていると街の移ろいを毎朝、肌で感じると思うが、盛岡も町名ごと姿を変えたところが多い。総会の講師に招いた文化地層研究会の真山重博さんのお話で痛感した。かつて町名に何と味があったことか。呉服町、花屋町、日影門、帰命寺横丁…今となってはどごだえん。
▼古希の真山さんならおおむね分かる。神明町の近くに神明社があり、生姜町と呼ばれた一角があり、「生姜町だったのでジンジャーだから良い神社があったのですね」と真山さん。自分もオヤジギャグならひけを取る者ではないが、はなたれの50代半ばでは旧町名を耳にしても、まやまやするばかり。
▼研究会が盛岡の旧町名地図を作ったら大好評で、金融機関が職員に持たせて顧客を歩いた。それまで玄関払いの家で、お年寄りが初めて1時間も話に上げてくれて、打ち解けたという。昭和30年代に行政の論理で消えた町名に、街角の望郷があるのだ。
▼冗談ではないが、無くなってもしょうがない旧町名ではない。みかわやさんの「しょうが館」のように、店の名に残すはからいがあっていい。  

 2019年  3月 22日  ― 三陸鉄道リアス線あす開通 ―
 作家彩瀬まるさんは3・11の日、東北一人旅を楽しんでいた。友人と会うため仙台市から福島県いわき市へ向かう常磐線の車中で地震発生、新地駅から避難した。埼玉の自宅に帰ったのは4日後だった。被災経験、その後の同年に東北を2度訪問したルポが「暗い夜、星を数えて―3・11被災鉄道からの脱却」として一冊にまとめられている
▼常磐線は福島第1原発事故の影響で福島の冨岡―浪江間が今も不通で、20年3月までの全線開通を目指している。一方、津波被害が大きかった三陸鉄道は不通だったJR山田線の宮古―釜石間の運営移管を受け23日、リアス線として盛―久慈間を一本で結び全通する
▼たまたま旅行先が被災地になった東北人ではない彩瀬さん。ドラマ「あまちゃん」のアキが東京から岩手の三陸に移住後、再び東京で暮らす中で起きた大震災への立ち位置は彩瀬さんと逆だが微妙さで通じる
▼彩瀬さんはルポから数年後、被災地について語る言葉は近い存在から発せられるべきで自分には語る資格がないと思い込んでいたが、「距離の遠近にかかわらず、様々な人が、それぞれの立ち位置から見た震災を語ることに意味がある」と信じられるようになったと記す
▼沿岸ではマイレールの三鉄だが、離れたところから行って南北を縦断するのにも意味がある。

 2019年  3月 21日  ― 山が笑って春が来た ―
 「どうしたの? 山/うす緑のようふくが ふるふる ゆれてるよ」。工藤直子さんの詩「めがさめた」はこう始まる。雪解け水が流れ、リスやカエル、野ネズミが目覚めてあちこちで動き出すので山はくすぐったいのだ。詩は「山がわらって 春がきた」と結ばれる。春の季語の山笑うの謎解きのようだ
▼自然界の人格≠うたう工藤さんの詩。四季のはっきりした日本なのに、春になるとどうしても思い浮かべてしまうのは、自然界の生命の胎動が前向きで明るさが増す印象の強いせいか。冬でも生き物は生きているのだが、あまり気に留めずに過ごしている。それが次々と動き出すのが目に入り、毎年たくさんの命があることに気付かされる
▼年度替わりと重なる春は、別れと出会いの時期。別れは寂しくとも出会いのためと思えば期待も膨らむ。入学・進学に就職、転勤など環境の変化に不安もあろうが、気分を一新し新鮮な気持ちで飛び込みたい
▼1年生と呼ばれるのはうれしいけれど、くすぐったい。最上級生と呼ばれるのも同じ。新入社員や新戦力と呼ばれるのも、やはり慣れないせいもあってくすぐったいかもしれない。でも新しい環境に慣れてしまえばくすぐったさもなくなる。そうなってからも自然に笑えるよう。周りも笑えるような環境となるように。

 2019年  3月 20日  ― 大阪都構想と統一地方選 ―
 大阪の松井一郎府知事と吉村洋文市長が共に辞職し、入れ替わって選挙する。遠い大阪の事情はよく分からないが、身内で二重権力を振り回しては、豊臣秀吉と秀次みたいで危なっかしい。
▼ダブル選に維新の党利党略の進退とか、一票をもてあそぶなと批判が多い。しかし知事選と市長選を統一地方選に合流させる判断は、原則論として正しい。地方選の4月統一値は3割を切って、全国7割の自治体選挙はてんでんばらばら。これは本来の姿ではない。
▼例えば今夏ある盛岡市長選は任期4年ごとに行われるが、なぜ8月執行か説明できる人は少ないはず。1979年に工藤巌氏が市長から衆院選に転じたことによる。他ポストに鞍替え、死亡傷病、事件などで首長が任期途中に降りれば選挙になる。全国の自治体が長年の間さみだれ式に統一地方選から離脱した。昭和平成大合併や、震災による延期でも多くが。
▼地方6団体の場などで再統一を話し合い、全国の自治体にまたがる構造的な政策課題を地域政党が問い、国を動かせば地方分権はもっとダイナミックになるだろう。
▼都構想にしても大阪を法的に副首都と根拠付け、東京の一極集中是正と非常時に補完する機能を、全国自治体と合意で国と構築してみたら、府民も納得してやりやすくないか。何はさておき。

 2019年  3月 19日  ― 米大リーグ初登板は日本で ―
 盛岡市出身の菊池雄星投手の米大リーグ初登板が、21日の開幕第2戦の予定と告げられている。日本プロ野球の西武からシアトル・マリナーズに今年移籍して迎えた初シーズン。マリナーズの開幕カードが日本という巡り合わせで、日本のファンの目の前で初陣を見せられる。菊池投手の胸中はいかがだろうか
▼来日(帰国)後の記者会見で、まさかという驚きを語っていたが、日本での登板を目指して調整してきたという。オープン戦の登板も経て、登板機会を得た
▼現在の日本人大リーガーはなぜか東北ゆかりの選手が目立つ。宮城の東北高OBのダルビッシュ有投手、楽天の日本一に貢献した田中将大投手そして菊池投手の後輩ながら昨年一員となり全米から注目された大谷翔平選手。過去を見ても東北高OBの佐々木主浩さんと斎藤隆さん、日本復帰の岩隈久志投手も楽天から大リーグに行った。そこに菊池投手も加わり、東北人とくにも岩手県民の関心はいやがうえにも高まる
▼花巻東高時代から目標としてきた大リーグの夢舞台。初登板の重圧はあるだろうが、それが日本であることが後押しとなるか重しとなるか気になる。もちろん後押しとなり、マリナーズへの入団会見では「結果を出すことが目標」と語っていた。21日はその道への確かな一歩であってほしい。

 2019年  3月 18日  ― シアトルに安全のアーチ ―
 米国の新型旅客機ボーイング737MAXが相次ぐ墜落事故で運航停止した。菊池雄星選手のマリナーズの本拠地シアトルは、ボーイング社の企業城下町として発展し、カナダの姉妹都市ビクトリアと近く、盛岡市民に親しみを増している。
▼星条旗を象徴する航空機産業の威信が落ちたら全米の問題。旅客機は安全第一。県内では1971年の雫石事故、93年の花巻空港事故の後は大きな惨事が起こっておらず幸い。しかし翼は県境国境をたやすく越す。世界のどこかで事故を聞けば、どうしても不安になる。
▼国内移動では開業以来死者を出さない新幹線に、安心感では軍配が上がる。将来、空飛ぶ自動車が普及する世界になれば、空路の優位性すら絶対ではなくなるだろう。
▼県利用促進協議会の3月末ダイヤ改正のちらしを見ると花巻は10年ほど前に比べ、福岡便が充実して大阪便のダイヤも朝夕で使いやすく、上海、台湾の定期便で国際化が進んだ。ボーイング機は乗り入れていないが、県と業界挙げ安全対策は常に取り組み、信頼と利便を高めて。搭乗の安心が何より空港を活性化する。
▼国内では酔い気味で操縦かんとか、CAの機内での飲酒が発覚したり、航空会社の服務規律が問われた。機体やメーカーの問題にあらず暴飲の愚。期待を裏切らずしっかり。

 2019年  3月 17日  ― クライストチャーチの命 ―
 ニュージーランドで移民問題によるテロが起き49人が犠牲になった。西洋の中でも欧米と違い最も戦火に遠そうなNZで、血なまぐさい暴挙に衝撃が広がる。
▼事件が起きたクライストチャーチは、まさに8年前の東日本大震災直前、街が崩れる大地震があった。盛岡市出身を含む邦人留学生28人が遭難し、日本中が悲しみに包まれた。その後は年ごとに遺族と追悼してくれる市民の姿に、命を尊ぶ温かい国柄と思っていたのに。八幡平市とも農業やスポーツで深い交流がある国だ。
▼イスラム教徒に反感を持つ3人の男が銃を乱射したという。日本人のイメージでは米英仏独伊露の6大国は、よく政治や軍事に関わる紛争があるが、豪・NZ、カナダはいつも平和で豊か、優雅に暮らしているように見える。
▼しかし先日、盛岡市で聞いたカナダ友好の講演会で、日加間には移民問題にまつわる悲しい歴史があり、いまだ民族問題で受け入れに苦悩しているいう。講演者は日本も入管法改正などで本格的な移民社会を迎えるなら、早く共生の理念と対策を立てよと警鐘を鳴らした。
▼県内でもイスラムの皆さんの宗教観や風習を理解する取り組みが始まっており、官民で力を入れたい。NZも早く平穏を取り戻すよう願う。異なる民族や宗教にNGの国には決してなるまい。
  

 2019年  3月 16日  ― 卒業後の人生長し ―
 県内の卒業式は、小学校や大学を残すぐらいとなった。人生の節目ともなるのに小中高と卒業式の記憶がすっかり飛んでしまった。かろうじて大学だけは断片だが覚えているという情けなさだ
▼「卒業歌遠嶺のみ見ること止めむ」(寺山修司)。かの天才(奇才)に肩を並べる気はないが、卒業式に対し斜に構えていた寺山の心境が推し量られる。寺山の多感期と重なる高度経済成長期は、国民の多くが同じ方向を見て戦後復興に汗水流していた時代だった。寺山の進んだ道を知っている今は、彼が文芸や演劇で名を成し遠嶺に立ったことを認められる。だが、寺山はアウトローであり続け、国民の大半が目指した嶺とは違う嶺を目指して登った
▼日本人の平均寿命が優に80歳を超え、学校に通う期間より卒業後の人生がはるかに長い。中高生で早々と将来の目標を決め設計立てて過ごす人が周りにいても、人生の針路が定まらないからといって焦る必要はないし、周りが追い詰めることもできれば避けてほしい。これからの働く道にもはや標準はないに等しく、選択肢は多彩で、道を自ら作る先輩たちも増えている
▼「偶然の機会が人生にも選択を迫ってくる」(「ぼくは話しかける」)。設計通りにならずとも嘆かず、予期せぬ事態に対応できる柔軟さが視野を広げることも。

 2019年  3月 15日  ― 浦田敬三さんを謹んで ―
 郷土史家の浦田敬三さんは当社刊「いわて文芸誌今昔」など多数の著書があり、本紙の連載でも長らくお世話になった。大正末年から昭和を生き抜き、平成最後の誕生日93歳で亡くなられた。5年ほどお目にかかれないまま他界され、非礼をおわびしたい。
▼紫波町出身、1955年法政大文学部卒後、高校の教壇に立たれ、岩手の県史と文学史に没頭した。元気な頃は本社によく来てくださり、こちらが若いとき、浦田さんはまさに「生きる郷土史」「歩く文学碑」だった。会社や自宅にある本をめくればすぐ知れるようなことをいちいち尋ね、わずらわせたものだ。駆け出しのつまらない質問にも、恩師の口ぶりで丁寧に答えてくださった。
▼岩手で太宰治を書くなら詩人の三田循司からとご教示いただいたのも、山岸外史と交わりがあった浦田さんである。在野の研究者を貫いたので啄木、山田美妙はじめ対象は広範で、浦田さんの調査と本を頼った書き手は多い。
▼どの人物を論じても浦田さんの文体には、対象の息遣いと芳醇(ほうじゅん)な対話があった。評された人の遺族が墓参りしたらもう浦田さんが拝んでいて、律儀な人と感激したそうだ。来世で会う先人に聞いてみたいことは山ほどあるだろう。
▼不肖、火葬に参列し、敬すべき遺影を三尺下がって見た。

 2019年  3月 14日  ― スマホの二宮金次郎 ―
 もしも二宮金次郎がスマホを見ていたら―。江戸時代後期の農政家は働きながら寸暇を惜しんで学び、家の再興のみならず地域貢献し、勤勉・報徳の精神は教育に生かされた。現代では激減したとはいえ、まきを背に担いで歩きながら本を広げて読む尊徳像が構内に建つ学校がある
▼直木賞作家朝井リョウさんの短編「立て! 金次郎」は、舞台の幼稚園の尊徳像が椅子に座って本を読んでいる。PTAからの本を読みながら歩くのは危ない、子どもがまねをする「かもしれない」との抗議で園側が定番を撤去するだけなく、わざわざ作って取り替えたという。背負ったまきから苦学が伝わらないでもないが、座っている時点で休憩中と思ってしまう
▼車社会というだけでなく、今の時代に照らせば読書しながら歩くのは死に至りかねない危険をはらむ。だが、尊徳の行いは否定されるものではない。要は尊徳像から何を学んでほしいかが誤解されぬよう子どもたちに伝わることだろう
▼運転中の携帯電話禁止はもちろん、自転車走行中の携帯も危険運転≠ニして全面自制が必要なことはだいぶ浸透してきた。半面、スマホの普及で画面を見ながらの歩行が増え、新たな危険が生じている。スマホを見る尊徳像は学校外でも有益になるか。もちろん歩行中ではなく着座の姿勢で。

 2019年  3月 13日  ― 森荘已池没後20年 ―
 森荘已池といえば、宮沢賢治との交友と文学者賢治を世に広めた一人として、つとに有名。その貢献度のせいか、岩手初の直木賞作家が盛岡生まれの森荘已池(本名佐一)であることは地元でも今、意外に知られていないという実感がある。きょうは森の命日。20年前に91歳で亡くなった
▼森は「山畠」「蛾と笹舟」で43年、第18回直木賞を受賞。その以前の40年に「店頭(みせさき)」の「修身教師」「氷柱」で第12回芥川賞の候補になっていた。それから本県初の芥川賞作家誕生まで77年間も待たなければならなかった
▼小説集と同名の短編「店頭」は、生家の八百屋に賢治が初めて森を訪ねた時の逸話。店頭で会った2人は間口2軒の狭い家には入らず、近くの西洋料理店で話をした。先日、盛岡で上映会のあった吉田重滿監督の映画「愁いの王│宮澤賢治」にも場面が出てくる
▼盛岡町家の修復保存や街並みの修景と活用などが進められる鉈屋町かいわいの一角に、惣門生まれの森が生前過ごした長屋造りの木造2階建てが幸いにも残されている。もりおか町家物語館での森作品の舞台公演や展示なども行われているが、居宅の活用や「店頭」ゆかりのフィールドワークなど、貴重なエリアとしての市民権を得た鉈屋町で森に触れられる場所と機会がさらに増えないかと期待する。

 2019年  3月 12日  ― 震災の8年後に平和を ―
 東日本大震災から8年たった。ちなみに明治三陸大津波(1896年)、昭和三陸大津波(1933年)から8年後は何があったか。明治は日露戦争(1904年)、昭和は太平洋戦争(1941年)が起こった。
▼天災と戦災に直接の因果はない。しかし津波の痛手が何とか収まった頃に働き手が兵隊に取られて戦死したり、家々に悲しみが絶えなかったろう。三陸のみならず日本全体がまったく別の時代に突入していった。
▼明治から平成の大津波まで115年間。長寿に恵まれれば人が最大限生きうる歳月のうちに、3度の大震災である。さらに宮古市はアイオン台風(1948年)、釜石市は艦砲射撃(1945年)、大船渡市と陸前高田市はチリ地震津波(1960年)があった。
▼4市は115年間に4度も壊滅的な被害があり、単純な計算でも四半世紀を超えるごとに破局を迎え、再建に立ち上がらざるをえなかった。だから沿岸の人は性根が据わりたくましいが、その分、内陸地方に比べて厳しい環境に置かれてきた。今回の復興はまだ途上だ。
▼それでも幸いなのは明治や昭和の大津波と違い、平成の8年後は国全体が平和のうちに、改元による新時代を迎える。隣国にはきな臭い話があるが、まず復興の前提として、不幸な時代の到来は決して繰り返してはなるまい。

 2019年  3月 11日  ― 東日本大震災から8年 ―
 今冬の岩手は本当に雪が少ない気がする。降った雪の多さに閉口しながら雪かきしたのは一日ぐらいだった
▼沿岸に単身赴任の家族は毎週末、盛岡と行き来するが、今冬は北上高地を横断する峠も路面に雪はほとんどなく、春めいた開放感から、ずいぶん楽だったと天に感謝した
▼8年前の東日本大震災に見舞われた当時、全県的に寒く、雪模様だった。盛岡地域も停電で街は暗く、信号機も停止して積雪路面の車の運転は、一層慎重になったことを思い出す。まだ暖房は欠かせず、大津波に遭った沿岸各地の避難所はいうまでもなく、自宅で生活できた内陸でも、ライフラインの断絶、燃料の供給ストップによる不足などから消費を抑制する我慢の日が続いた
▼盛岡での暮らしは今、震災の影響もなく過ごせている。だが、復興庁集計による避難者は2月7日現在、5万1778人も上る。応急仮設住宅とその他の賃貸住宅で3万1878人が暮らしている。本県で見ても盛岡市内に計画された災害公営住宅は未完成があり、復興途上の一つの証明だ
▼復興関係道路は9日に三陸沿岸道路の釜石市内2区間が開通、21日には岩手と宮城が復興道路で結ばれる。支援道路の位置付けの宮古〜盛岡、釜石〜花巻も整備が進む。インフラ効果を上げる具体策が今後ますます重要になる。

 2019年  3月 10日  ―星空への追憶 ―
 ILC招致運動でとても良いと思うのは、児童生徒に宇宙規模の物理学を教える機会が増えたこと。こちとらチンプンカンプンでも、若くて軟らかい脳なら豊かに吸収される。
▼現場の頃から、どろどろした人間模様ばかり面白がるやつだと思われているかもしれないが、これでも小学生のころは天文少年だった。家から仰ぐ狭い夜空は街の灯に染まり、星はさっぱり見えない。たまに金星、火星、木星、土星がのぞく。
▼ビクセンの大きな屈折望遠鏡で、木星の衛星や土星の輪を見たときは感動した。それを毎日、友達に自慢しまくっていたら、「いいな、見たい」としょげられ、「しまった。やり過ぎた」と悔やんだ。
▼その子はクラス一勉強できたが、天体望遠鏡など買ってもらえる家ではなかったのだ。自分の天文学はとうに雲散霧消し、そんなちっぽけな追憶だけ。星空に憧れた目は浮き世のちりにかすんでしまった。
▼その点、県内でILCの特別授業を受けた子らは宇宙生成のロマンを、世界的研究者から科学的な知見として授けられてうらやましい。まだ前途多難なILCかもしれないが、素粒子物理学の一端に触れた子どもたちから将来、ノーベル賞が生まれるかもしれない。「ILCでぼくヒッグス粒子の性質くらいは言えるし」と、がんがん自慢して。

 2019年  3月  9日  ― ILCと五輪 ―
 北上山地に構想されるILC(国際リニアコライダー)は政府が日本誘致を表明せず、実現への道のりは険しそうだ。話はかけ離れるが、昭和末の盛岡冬季五輪招致の蹉跌(さてつ)を思い出す。
▼スポーツの五輪、科学のILC。どちらの国際プロジェクトも県民には天から降ってくる、世界規格にパッケージ化された夢。新幹線や高速道のように後進県から脱しようとする悲願ではない。だから冬季五輪招致は派手なキャンペーン優先で、関係者への地道な根回しが不足していた。本命の長野に比べ盛岡は、「山があっても人がいない」と言われた。
▼ILCの場合、国内候補地の一本化では地学的条件で九州の背振地方に勝ったが、何が何でも岩手の山に持ってこようと政治生命を懸けてみせる政治家がいるだろうか。本県選出の故・椎名素夫参院議員が提唱者であったのに。
▼学界の総意を得るハードルの高さも分かった。日本学術会議が冷淡な見解を改めるよう、国際社会におけるわが国の科学振興戦略を学際的に引っ張る識者がいてほしい。ILCはその推進力として実にふさわしいはずだ。
▼大きな胸算用の経済波及効果についても、学界全体にしてみれば巨費が他分野の研究を圧迫する不安を打ち消せないのか。それでは話に乗りには来ない。実現へ巻き返そう。

 2019年  3月  8日  ― 兄弟で複合団体銅メダル ―
 今季絶好調のノルディックジャンプの小林陵侑選手(八幡平市出身)に引っ張られ、オーストリアで開催された世界選手権に注目していた
▼日本勢は銅メダルを獲得。男子団体で09年以来5大会ぶりに表彰台に登った。メンバー4人の中には陵侑選手と兄潤志郎選手の兄弟が入り、平昌五輪では果たせなかったメダル獲得を果たした
▼今季、あれよあれよという間に陵侑選手が勝利を重ね、世界が注目するジャンパーに成長した。日本の歴代ジャンパーと比べても1シーズンに限ってみれば、今季の陵侑選手ほど強かった日本人は記憶にない。ジャンプ界には時々、手を付けられない≠ニの形容がふさわしい選手が出てくる。2月4日死去の報が伝えられたフィンランドのニッカネンさんは代表格。ニッカネンさんのように複数年にわたりトップであり続けることを陵侑選手に期待せずにいられない
▼半面、潤志郎選手は先にワールドカップ初勝利を挙げたが、今シーズンは未勝利で来ている。シーズン終盤になったが、陵侑選手の活躍を刺激に調子を上げ活躍してほしい
▼W杯の個人は残り5戦。最終戦の24日、八幡平市はスポーツ専門テレビ局「JSPORTS」との共催で映像を生観戦するイベントを市役所で予定。兄弟の活躍と日本人初の総合優勝の瞬間を待っている。

 2019年  3月  7日  ― 北上の教訓 ―
 北上市に行って残念なのは、県内で最も産業力あり所得水準が高いのに、それが中心市街地の活性化に結びついていない。先日は諏訪町商店街を通ったら、かつて盛岡市の肴町同様の全がいアーケードがあったと思えぬほどの閑散ぶり。
▼1970年代、諏訪町近くに仙台資本のスーパーのエンドーが進出した北上ショッピングセンターがあった。エンドーが左前になって行き詰まり、新幹線が停まる北上駅前に86年、イトーヨーカドーが入る再開発ビルが建った。やがて大型店の論理でイトーヨーカドーは撤退。またも空洞化にさらされた。
▼次は本通にマイカル系列のビブレを核店舗とする複合ビルを建てた。ところがすぐグループの経営破綻が明らかになり、市民からこんな声が上がったそう。「何回も同じような話。中心市街地の再生に外の資本を当てにするな」
▼さすがに危機感を募らせ、さくら野百貨店に仕切り直して地元が協力し、今は何とかうまくいっているようだ。郊外には江釣子パルのような成功事例はあるのだが。
▼平成時代は規制緩和の流れで県外資本の大型店進出は止められなかったし、それで発展した地域や消費者を便利にした面も多い。しかし、ななっくの閉店話に見られるよう盛岡の商店街も危機的なとき、高みの見物と北上の話を聞き流せぬ。

 2019年  3月  6日  ― 米国の人種差別 ―
 音楽のジャズは米国南部のルイジアナ州のニューオーリンズで生まれたのが通説。南北戦争後の奴隷解放の流れで黒人から自然発生したといわれる。やがてジャズは北上し、大都市ニューヨーク(NY)が中心となった
▼NYのジャズメンの主な稼ぎはライブスポットになり、そこで演奏するにはキャバレーカードというお役所発行手形≠フ携行が不可欠。逮捕などで没収されれば仕事の場を失う。没収されたジャズマンはNYを離れ楽旅に出なければ生活できない。だから、南北戦争が過去となっても黒人差別の激しい南部へも演奏しにいかざるを得なかった。車に楽器とメンバーが窮屈に乗り、黒人専用の宿や店で寝食を取りながら旅回りをした。そんな記述がジャズ巨人の評伝に出てくる
▼アカデミー賞で作品賞など受賞の映画「グリーンブック」は優れたピアニストの黒人ドン・シャーリーが運転手に雇ったイタリア系の男と南部を楽旅する話。グリーンブックは黒人向け施設を掲載した旅行ガイド。1962年の米国が描かれる
▼映画で回った中には57年のアーカンソー州リトルロック高校事件や63年のアラバマ州バーミンガム運動の舞台が出てくる。ドンは南部に行かずとも生活ができたのに、なぜ南部を回ったのか。公民権運動を抜きに語れぬメッセージが響く。

 2019年  3月  5日  ― 高齢者が通学見守る町 ―
 12年ほど前に山並みと水田地帯の景観の美しさに魅了され、思い切って現在住んでいるマンションに転居した
▼近隣には新築の戸建て住宅も目立ち、2階建ての新装アパートも相次ぎ登場。それも好評でほぼ満室だという。当初は自分と同じく景観志向の老人の街になるのでは、と思っていたがそうではなかった。若夫婦が老父母と同居し小学生のにぎやかな声が聞こえる家が多いのだ
▼老壮青幼の各世代がでこぼこはあっても、新しい地域づくりに勢ぞろいしているように見えるのだから、感慨もひとしおだ。設計図を書いたようにはいかなくても、新しい街づくりの需要と供給は、10年程度の時の流れに乗ってあるべき構図を描き上げていくのかもしれない
▼だからといって人工的な仕掛けはすべきではなかろう。人心の求めに委ねるのがいい。当地ではなぜか老齢者が張り切っている。全国的にも児童が家庭や学校、通学路などでいたぶられる事件が相次いでいる。当地の高齢者有志はそんなことは腕力でではなく、年輪の対話の力でねじ伏せてしまうと言い切る
▼今は有志で児童の登下校をどう見守るかについて、実施例などを収集したり、見学もしている。その上で準備案をまとめて学校側へ相談に行くという。子ども社会が明朗快活になればすてきな街になるだろう。

 2019年  3月  3日  ― 国語辞典の中の個性 ―
 「一国の辞書の成立は、国家意識あるいは民族意識の確立と結ぶものである。明治国家にとっての、そういう辞書が『言海』であった」。近代的国語辞典「言海」を編んだ大槻文彦(仙台藩出)を描いた高田宏さんの「言葉の海へ」中の一節に、自国の国語辞典が開国して明治政府となった日本の国家としてのアイデンティティーに欠くべからざるものだった重みを教えられる
▼小学生から辞書の使い方を教わり机上に不可欠だった国語辞典。細かい字がびっしり印刷されてなお、ずしりと重い。収録された情報の多さを端的に表す。今では辞書を開くよりネットで検索する方が手間いらず。すぐに必要な最小限の情報を得るには便利だが、辞書に示される情報は深い。冷静で客観的な意味付けを信頼しているが、それでも編者の個性が表れている。新明解辞典は読み解き本が出るほど個性的だ
▼大槻文彦は、祖父玄沢、父磐渓と学究の血筋を継ぎ、国語学のみならず洋学、漢学など幅広い知識に明るく、ゆえに総合的で現代にも受け継がれる国語辞典を作りえたといえるだろう
▼辞書編集は国家的事業として始まったが「大槻文彦というひとりの人間が国家の代りに十七年を費やしてきた」と高田さんは記す
▼ネット上の没個性ではなく、製本された辞書から個性に触れてみたくなる。

 2019年  3月  2日  ― 河南商店街の危機 ―
 元の盛岡バスセンターから明治橋方面に向かう南大通。1970年代まで、まさに南の目抜き通りのにぎわいだった。交差点には光フェアビル・ジュネスがあり、のち仙台資本のスーパーのエンドーになり、肴町商店街の川徳、みかわやとともに、県内に求心力を発揮した。
▼80年に川徳が菜園に移転し、旧店舗は青森資本の中三に。大手スーパーの東北進出でエンドーが苦境に陥り、盛岡店は平成時代に入り撤退。南大通の人波が去った。その間、肴町は全がいアーケードを設け集客力を保ち、中三が30年以上、核店舗だった。
▼東日本大震災直後のガス爆発事故で営業をやめたまま民事再生。現在の「ななっく」に。それも閉店し、川徳時代から約60年のデパートがなくなれば、河南の商店街は大きな危機だ。
▼バスセンター跡は更地で、内丸の岩手医大移転と並ぶ大きな市政課題に浮上してきた。しかしこれは巡り合わせの悪さや偶然ではあるまい。バスセンター、ななっく、岩手医大、全て昭和30年代の高度成長期の建築で、耐用年数が来れば当然、持ち主は何らかの選択を迫られる。人間とともに社会資本も老齢化は避けられない。
▼なくなったら困るななっくだが、中心市街地活性化の施策を踏まえ盛岡の再生をどうするか。リーダーを選択するときが迫ってきた。
  

 2019年  3月  1日  ― 岩手とドナルド・キーン氏 ―
 「やいばも凍る北海の御楯と立ちて二千余士/精鋭こぞるアッツ島/山埼大佐指揮を執る」。太平洋戦争初の玉砕に歌われた山田耕筰曲「アッツ島血戦勇士顕彰国民歌」
▼山崎保代大佐率いる守備隊には本県出身将兵が多かった。花巻生まれ岩手中卒、東大出身の詩人、三田循司も。太宰治「散華」に登場する。1943年、攻める米軍にドナルド・キーン氏がいた。
▼新潮社で3年前お会いしたとき、北上市の日本現代詩歌文学館編の太宰と三田の冊子を手渡した。「キーンさんがアッツ島に行ったとき、日本軍には三田がいました」と話すと、「知らなかった。この人は知ってますが」と文人に老兵のまなざし。表紙の太宰を指させば、「斜陽」の翻訳者でもあった。
▼そのキーン氏が96歳で亡くなった。三島、大江、安部ら戦後派作家にインスピレーションを与え、日本文学を国際化させた。最後の大著は「石川啄木」。盛岡市に足を運び調べ上げ、英語初の国民的歌人伝が、岩手の文化を世界に知らしめた。東日本大震災では日本を離れず、むしろ帰化を決意し、生をまっとうした。
▼世を去りし日かつて軍務に赴いた沖縄で、基地の賛否を問う県民投票があった。日米安保体制のもと、敗戦の余韻である米軍機の金属音は、キーン氏のやまとごころにどう響いていたのか。

2019年2月の天窓へ